第23話 傳次郎、水商売


 木曽路はすべて山の中である…、これは有名な島崎藤村の小説『夜明け前』の冒頭である。マウローの街を離れ商業都市セキザンに向かう道を歩きながらふと思い浮かんだ言葉…、現代日本のように舗装もされていない土が剥き出しの地面。そしてずっと視界に入る山林、きっと日本も明治時代くらいまではこんな感じだったのかなと思いを馳せる。


「ここを越えればセキザンまで上りなんてもうほとんどないから」


 アイアイがこちらを振り返って言った。難所とまでは言わないが、長い上りが続いた。そんな登りの道が終わったところに幅百メートルはあろうかという少し開けた場所があった。


 ここは街道だから行き交う人もちらほら見かける。この広場のような場所に目もくれず歩いて行く人もいたが進行方向の先、向こう側の端の方では地面に直接座っている集団が見えた。


「丁度良いわね、少し休憩しましょう」


「「「賛成」」」


 ルイルイさんの提案に全員が応じる。


「暑くなったわね」


 前髪をかき上げたメイメイさんが目を細めながら呟く。うーむ、絵になるなあ。


「あ、そうだ。喉が渇いているでしょう。ちょっと待ってて下さい…」


 そう言って僕は店舗を出現させ冷蔵庫で冷やした紅茶を入れたボトルを取ってきた。店舗を消し、広場の端でマグカップに注いだ。


「まあ、ぬるくなった紅茶は残念なものだけどここまで冷やすと素晴らしい口当たりになるのね」


「うん、スーッと入ってく感じ!」


「まさに体に染み渡るって感じね」


 三姉妹が紅茶を堪能している。僕も一緒に紅茶を飲み、シトリーとアヌビスには水を与えた。


 びちゃぴちゃぴちゃ…。


 器に口をつけ水を飲む二匹、これまた可愛い。僕は紅茶を飲みながらそんな光景を眺めていた。


「ミズ、アマッテイルノカ?」


「え?」


 少したどたどしい声がしたと思い、声のした方を見ると少し耳が尖った女の人がいる、それも十人くらい。素肌にビキニの胸当ての部分だけみたいな…僕は女性の服はよく分からないけど、とにかくそういった感じのものを着ている。そんな集団がこちらを見ていた。


 そんな女性達の一人が耳の横あたりで長い髪をかき上げる、なんていうかすごくセクシーだ。僕は思わず目のやり場に困り視線が下に向いた。


「………!!?」


 そして僕は思わず息を飲んだ。なんと僕に声をかけてきた女の人の下半身は緑色がかった蛇の姿をしていたのである。



「コイヌ、コネコ、オマエ、ミズヲノマセテイル。コノアタリニハミズガナイ。ダカラミズ、アマッテイルノカトオモッテ」


「ワレワレハラミアゾク、アツイノハニガテ。ナノデミズヲノミツクシテシマッタ。ソレユエ、イマゲンザイナンギシテイル」


「ソレデコエヲカケタ。ミズ、アマッテナイカ?」


「ああ。な、なるほど…」


 僕は驚きをあまり顔に出さないようにラミア達の話に応じていた。ラミアは半人半蛇はんじんはんじゃの女性の姿だ。一瞬、モンスターなのかと身構えてしまったが話しかけてきたところを見るに会話を通じてやりとりは出来そうである。


 ルイルイさん達は僕をガードするかのようにそばに来てくれているが、警戒という程の緊張感はない。僕の邪魔をせず、とりあえず様子見といったところか。そこから考えるにラミアというのはモンスターではなく一つの種族として認識されているのだろう。


「皆、そちらの方が困っていますわ」


 ザッ!!


 ラミアの皆さんが左右に分かれて並んだ。その分かれて空いたスペースの向こう、そこには一人のラミアがいた。着ている服装は同じだがその腕には高価そうな腕輪アームレットをしている。そして下半身、蛇の部分は赤みを帯びた色をしている。


「ごめんなさいね。わたくし、部族のおさをしておりますラミリアと申します」


 ラミリアと名乗った女性は流暢な言葉使いで話しかけてきた。僕は姿勢を正し応じることにした。


「これはご丁寧に。僕は傳次郎でんじろうといいます」


「デンジロウ…さん?」


「はい、傳次郎です。商人をしております、…と言ってもまだ駆け出しですけどね」


「商人の方?なら丁度良かったですわ。実はわたくし達は旅の途中なんですが途中で水が補給できず困っておりましたの。もし水に余裕がおありでしたら売っていただけませんか?」


「水を…」


「ええ、わたくし達は体温調節が…暑さ寒さが苦手で…。今日は思った以上に暑くなってしまったので水を多く消費しましたの。水を補給できれば良いのですが聞くところによると水場まではまだかなりあるみたいなので…」


「それは、かまいませんけど…」


「まあ!ありがとうございます。それで…おいくらになりますの?」


「ええっと…」


 水を売る…か?うーん、ミネラルウォーターみたいだ。もっともこの世界のお金ってこの世界でしか使えないからなあ。日本に戻ってもただのどこの国のものとも知れない丸い金属板だし…。


「…うーん、ちなみにどれくらい入り用ですか?」


 そう言うとラミリアと名乗った女性は全員に水筒を出すように指示した。ラミアの皆さんがなんらかの革を袋状にしたものを取り出す。そしてもう一つ、スーパーなどで売っているお米の5キロパックくらいの大きな革袋を示した。


 僕の水は水道を捻れば出てくるものだ。仮に20リットル提供したとしても大した水道料金にはならない。


 だが、そんな水を彼女達は売って欲しいと言う。うーん、物というのは時と場合によって価値が変動するというのが分かる良い例だな。ダイヤモンドが道端にゴロゴロ転がっていれば誰も高いお金を出してまで買おうとはしないだろうし、砂漠のど真ん中でならコップ一杯の水に銀貨や金貨が飛び交う展開があるかも知れない。


 だが、今そこまで求めるというのは非道というものだろう。困っているようだし…。そうだ、お金以外で僕に有用な物と言えば…。


「あの…皆さんは魔石はお持ちですか?」


「魔石…、ですか?道中で出会でくわしたモンスターを倒したもので良ければありますわ」


 ラミリアさんがそう言うとその言葉を裏打ちするように一人のラミア女性が麻袋に入った大小さまざまの魔石を僕に差し出した。


 一番小さなサイズの…クズ魔石とさえ言われるサイズの物でもこの店舗兼住宅にある燃料蓄電池の一割程度になる。一日暮らすにはだいたい蓄電池の三割ほどを消費する。小さな店だがアイスクリームを冷やす冷凍ケースや低温で保管する食品のための冷蔵ケースがあり普通の一般家庭より電力消費が多い。


「では、魔石と水を交換しませんか?交換の比率は…」


 そう言って僕はラミリアさんに水と魔石の交換レートを伝えた。水筒一つあたりクズ魔石を一つ、大きな水袋一つにつきクズ魔石より大きな魔石…、小型に属するサイズだが少なくともクズとは言われないれっきとした魔石だ。


「それでよろしいのですか?高価とはとても呼べない代物しろものですが…」


「ええ、構いませんよ。では少々お待ちを…」


 僕はそう言って店舗を出現させると中に入り大きな金属製タライを持ち出した。昭和の時代ならコントで上から落ちてきそうなやつだ。それに水を張り、柄杓も合わせて持ってきた。ひいばあちゃんの代からのものだ。それを受け取ったラミア女性が水袋や水筒に水を満たしていく。


「うーん、本来の意味とは違うけど…」


 僕は思わず呟いた。


「水を売って利益を得る…、これがホントの水商売…なんちゃって」


 魔石を受け取った僕は思わずそんな事を呟いていた。

 


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