たったひとつの「ものさし」
小烏 つむぎ
たったひとつの「ものさし」 前編
北の大地には広い森が広がっていました。冬になっても葉を落とすことのない一年中青々とした深い森でした。
森には一頭の大きな熊が住んでおりました。この熊のお母さんとお父さんも、おじいさんもおばあさんも、ずっと昔からこの森で生きてきました。ここの森は薪にするにはぴったりでしたが、実のなる木はとても少なく、熊の食べ物は木々の根元に生えるキノコや草の実くらい。熊はいつもお腹をすかせておりました。食べるものがあまりないせいか、この森には熊のほかに生き物はいません。熊はいつも一頭だけで、春は草木の新芽を食べ、夏から秋の間は森中のキノコや草の実や根を食べてできるだけ大きくなり、雪で真っ白になる冬が来る前に木の根元の大きなウロで一人ぼっちで冬眠するのでした。
ある日見たことのない鳥たちが飛んできて、見たことのない種を幾つか落として行きました。熊はその種を集め食べてみましたが、苦くて食べられたものではありません。熊はがっかりして吐き出すと他の種と一緒に捨ててしまいました。そしてまた美味しいけれど少ししか見つからないキノコを探しに森を彷徨うのでした。
数年たった頃、捨てた種から見たことのない木が育ち、甘い香りの小さな白い花が咲きました。花が咲くと香りに誘われるように蜜蜂たちがやってきて、森に住んでもいいかと聞きました。熊は喜んで迎え入れました。熊は毎日のように蜜蜂のところにやってきて、蜜蜂たちが懸命に働く様子を楽し気に眺めているのでした。
「蜜蜂さん、それはいったい何ですか?」
蜜蜂が巣の中にいつもと違う部屋を作るのを見て、熊が尋ねました。
「これは女王様のための特別な食べ物を収める部屋なんです。
ここではよい蜜がたくさん集められたので、女王様の食べ物もたくさん作ることが出来ました。熊さん、ありがとう。」
熊はお礼を言われてとても嬉しくなりました。熊はこの先もずっと蜂の巣を守る!と約束しました。すると代わりに、美味しくて転げ回りたくなるような甘い蜂蜜を少し分けてもらえることになりました。
熊は幸せでした。今までひとりぼっちだったのに、友達が出来たのです。
そしてもう一つ、良いことがありました。花のあとに出来た小さな赤い実は甘酸っぱくとても美味しかったのです。熊は、この甘い香りの花と甘酸っぱい実をつける種を集めては、森の日当たりのいい場所に埋めました。
何年もたつと見たことののない木は、見慣れた木になっていきました。見慣れた木はだんだんと大きくなり、赤くて甘酸っぱい小さな実をそれはたくさん実らせるようになりました。木の実を分けてほしいとリスやネズミやウサギ、いろいろな鳥がやって来ました。木の実は腹ペコの熊を10頭お腹いっぱいにしてもまだ余るほどの実っていたので、熊は何の心配もなく好きなだけ取っていいと言いました。
熊にたくさんの友達が出来ました。
みんなの役にたって、みんなに頼りにされて、熊はとても幸せでした。ただみんなには一緒に冬眠する仲間がいるのに、熊はいつもひとりぼっちで冬眠しなくてはいけません。いつか一緒に暖かい木のウロで冬眠してくれる友達が出来たら。もっともっと幸せになれるだろうにと、熊は心の片隅で思いました。
みんなの喜ぶ顔を思い描いて、熊は木の種をまたあちこちに埋めました。こうして熊の森はいつしか美味しい木の実のたっぷり実る森へと変わっていきました。森が変わると、もっとたくさんの生き物がやってくるようになりました。
しかし小さな生き物を狙う、キツネやオオカミもやってくるようになりました。自分の森を頼ってきた小さな生き物たちが怖い思いをしないようにと、熊はキツネやオオカミを一所懸命追い払いました。ちいさな生き物たちはますます熊に感謝しました。こうして熊の森はとても平和で豊かで賑やかな森になったのでした。
ある日、熊はふと気付きました。冬になっても冬眠していない生き物たちがいるのです。寒い雪の中冬眠せずにどうやって生きていくのでしょう。
熊は冬も森を飛び回っている鳥たちに、冬は冬眠したほうがいいと勧めました。鳥たちは「私たちは冬眠しなくても大丈夫」と答えました。でも熊は心配でなりません。冬の森では食べ物はそうそう見つかりません。冬が来るたびに熊は鳥たちに冬眠するようにと言いました。でも毎回「私たちは大丈夫」と答えが反ってきました。
何度も同じ問答をしているうちに、熊は好意のアドバイスを全く聞かない鳥たちに腹をたてるようになっていきました。ひとつ気になりはじめると、熊と同じように冬眠をするみんなのやり方も気になるようになりました。
熊がお母さんから教わったように、できるだけたくさん食べてから寝ているのでしょうか?熊がお父さんから教わったように、ぐっすり春まで寝ているのでしょうか?
見ていると、途中で何度も起きているものがいると気付きました。巣穴の周りとはいえ雪の中を歩き回っています。熊は、そんな危険なことは止めて冬中巣穴にこもっているようにと勧めました。しかし、リスたちは「私たちは大丈夫」と熊のアドバイスを聞いてくれません。
この森はもともと熊の森です。この森でうまく生きていくやり方は、熊が一番よく知っています。そのやり方を教えてあげているのに、なぜみんなは聞かないのでしょう。
熊の森なのに。
住まわせてあげているのに。
一番いいやり方なのに。
熊の森にやってきたいろいろな動物たちは、熊のアドバイスをだんだん鬱陶しく感じるようになっていきました。熊の親切心もよくわかるのですが、自分たちは自分たちに合ったやり方があって、熊のやり方では難しいこともあるのです。体の大きい熊と、体の小さなリスやネズミやウサギでは全て同じようにできないのです。それを熊はなぜわかってくれないのでしょう。
つづく
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