出会いは突然、別れは必然。
白兎
第1話
その出会いは突然だった。
「あっ!」
私は駅の階段で、人とぶつかった。そのまま転落かと目をつぶったが、私の左腕を誰かが掴んで引き上げた。
振り返ると、私のと同じくらいの年齢の男の子だった。切れ長の涼しげな眼元に、筋の通った形のいい鼻、綺麗な輪郭。現実世界に、こんな整った顔立ちの美男子がいるのかと目を凝らしてまじまじと見つめてしまった。
「大丈夫?」
彼に声をかけられ、ハッとした。長く見つめすぎてしまった。
「はい」
「良かった」
彼が微笑んだ。これは天使の微笑みだ。私には眩し過ぎる。
「下に降りるまで手をつないであげるよ」
彼は私の手をとり、階段の一番下までエスコート。美男子で紳士すぎる。これは私の夢か妄想に違いない。
「それじゃ」
彼はそう言って、手を振り行ってしまった。私は心ここにあらずのまま、彼を見送った。
「これは現実か?」
現実だとしたら、非常に惜しいことをした。お礼がしたいからと言って、名前と住所を聞くべきだった。こんな奇跡的な出会い何て、もう二度とないだろう。
根暗文学女子で、妄想癖のある私には時々、現実と夢、妄想の区別が曖昧になる。しかし、これは現実と思いたい。
余韻に浸りながらも、帰途に就く。
次の日、登校し教室に入ると、何やらざわめいていた。
「何? 何かあるの?」
「転校生だって」
クラスの男子どもは、女子か? などと浮かれていたが、男子だと聞くと、途端に冷めた。
「なんだ、男か。つまんねーな」
担任が、転校生を連れて入って来た。
「みんな、静かに。席に着きなさい」
日直当番が、
「起立」
「礼」
と言うと、皆で、
「おはようございます」
と、いつもの挨拶をして、
「着席」
と言う号令に、皆が座った。
「今日から、このクラスで一緒に勉強する一ノ
一ノ瀬に女子の目はくぎ付けだった。現実世界の男子に興味のない私でさえ彼から目が離せなかった。なぜなら、昨日、階段で私を助けてくれた男の子だったからだ。
これは現実。これは現実。私は呪文のように心の中で呟き続けた。少女漫画のような奇跡の出会い、ここから恋愛に発展。少女漫画の主人公ならそうなるが、私は違う。ただ遠くから、あの美しい顔を見ているだけでいい。
「一ノ瀬、あそこの空いている席に座ってくれ」
そう言われて、一ノ瀬は学年一の美少女、白井さんの隣に座った。白井さんは一ノ瀬に自己紹介して微笑んだ。美しい二人は似合いのカップルだ。
白井さんは、容姿が美しいだけでなく、性格もよく、背も高くてスタイル抜群だ。それでいて、気さくで根暗の私にも分け隔てなく接してくれる、私も彼女が好きだ。だから、この状況で嫉妬はしない。
授業が始まると、一ノ瀬は教科書を白井さんに見せてもらいながら受けた。
美しい二人、私の目の保養だ。
チャイムが鳴り、給食の時間となり、食事を終えると、女子たちは一ノ瀬を囲み質問攻め。白井さんは席を外し、どこかへ行った。彼女も本が好だから、図書室かもしれない。
私は窓際の自分の席で、読みかけのライトノベルを読んで過ごす。単行本の表紙のカラーのイラストは私の好きなイラストレーター。なんて美しい美青年。このイラストに目を奪われて、この本を買ったのだ。挿絵にもイラストが入っていて、私の空想の世界が華やかに広がる。
「こんにちは。また会えたね」
物語にのめり込んでいた私に、現実世界から彼が話しかけてきた。本から顔を上げると、彼の顔はとても近くにあった。あの女子の取り巻きから脱出できたのか。
「はい。昨日はありがとうございました」
ど緊張で、心臓はバクバクだ。しかし、冷静さを失ってはいけない。これが現実であっても、私はこんな美男子と関わるにはおこがましい。
「名前を聞いてもいい?」
「西野茜です」
「あかねちゃんって言うんだね。可愛い名前だ」
美男子が、こんな私に話しかけてはだめだ。その美しい顔を近づけないでくれ。私には尊い存在だ。
クラスの女子が私を見ている。それは敵意として、突き刺さってくる。
昼休みが終わるのを知らせるチャイムが鳴った。
「それじゃ、またね」
一ノ瀬は笑顔を見せて、自分の席に着いた。
放課後、私は部活動に励んでいる。合唱部は文化部と言われるが、実は運動部並みにハードなことはあまり知られていない。
一ノ瀬は、授業が終わると、すぐに帰った。夜の公演があるという。旅一座の演劇を私は見た事がないし、興味もなかったが、あの眉目秀麗な一ノ瀬がどんな役を演じるのかは興味があった。
部活を終え、母に旅一座の話しをすると、そのチラシを持ってきた。
「今日、市役所に行ったら置いてあったの。旅一座が来るなんて珍しいから持ってきちゃった」
そのチラシには美しい青年と、きりっとした強そうな顔立ちの役者の写真があった。青年は一ノ瀬だろうか? 化粧が濃すぎて分からない。もう一人はもっと大人の男の人だ。
「綺麗な子ね。男の子よね?」
「たぶん、その子、今日からうちのクラスに来た一ノ瀬君だと思う」
「ほんとっ! すごいじゃない。茜、一緒に見に行かない?」
これは予想外だった。母が興味を持つとは思わなかった。このチャンスを逃すわけにはいかないが、私が浮かれているなんて思われないようにしよう。
「そうだね。お母さんが行きたいのなら、付き合うよ」
「じゃ、チケット買おう。でも、部活があるのよね?」
「夜の部なら行けるよ」
「そうね」
というわけで、三日後に母と行くことになった。
母と一緒に、公演がある会場へ行った。そこは温泉の出る宿で、時折、劇団の演劇が行われているという。近すぎて宿泊したことはなかったから、知らなかった。
演目は、
第一部 口上挨拶
第二部 芝居
第三部 舞踊ショー
芝居は、一ノ瀬が牛若丸、強そうな顔立ちの人が弁慶役だった。二人の美しい立ち回りが、こんなにも近くで見られて感激した。生の演劇を見たのは初めてで、息遣いまで聞こえる。自分もこの世界にいるのだと思うとすごくリアルで役者を身近に感じられた。
母は、ハンカチを握りしめて、のめり込んでいた。これはハマるね絶対。
「すごく良かった。特に弁慶が素敵だったわ」
ああ、そっちが好みなのね。年齢的にも近いだろうから。演目が終わり、幕が閉じ、客が席を立つ中、母はまだ余韻にふけっていた。
「来てくれてありがとう」
一ノ瀬は突然現れた。化粧を落とし、浴衣姿で、私たち母娘に笑顔を向けながら近づいて、
「舞台の上から、あかねちゃんが見えたから。見に来てくれたんだって、嬉しかったよ」
と、気さくに声をかけてきた。
「まあ、あなたが一ノ瀬君? すごく良かったわ。弁慶も素敵だった」
「ありがとうございます。弁慶は父です」
「まあ、そうなの?」
母は、弁慶にも会いたいようだが、それはやめた方がいい。きっと疲れたおじさんがいるだけだ。夢が壊れる。
「ごめんなさい。疲れているところ、わざわざ来てもらって申し訳ないわ。私たちはもう帰ります。とても楽しませていただきました。おやすみなさい」
私は挨拶をして、未練を引きずる母を引きずるようにして帰った。
づぎの日、
「あかねちゃん」
一ノ瀬はなぜか私に馴れ馴れしく話しかけてくる。確かに私は美形が好きだ。一ノ瀬の顔に見惚れたが、現実世界で男子と馴れ合う気はない。実らないと知りながら恋をして、最後には傷つくのがオチだ。
「なんですか?」
冷静に対応すると、
「僕のこと嫌いなわけじゃないよね?」
と言われた。
「嫌いではありません。昨日、演劇を鑑賞しに行ったのは、母に誘われたからです。初めて演劇というのを見ましたが、とても感動しました」
「ありがとう」
私は一ノ瀬に冷たい態度を取り続け、最後の公演が今日と言う日が来た。
「あかねちゃん。今日が最後の公演なんだ。僕はまた他の場所へ行く」
「そう。大変ね、頑張ってください」
「あかねちゃんに会えなくなるの、寂しいな」
絶世の美男子が、私ごときにこんなセリフを吐くなんて間違っている。誰にでも言っているのかもしれないが、私にはこんな言葉はいらない。どうせ嘘なのだろうから。
母は最期の公演に一緒に来てほしいと言った。チケットも買ってあった。これは行くしかない。
すべての演目が終わり、この場所での公演も最後と言う事で、劇団員全員が舞台に上がり挨拶した。
幕が閉じ、母の目には涙があふれていた。どれだけ思い入れていたのだろうか。始まりがあれば終わりがある。それは当たり前なんだ。
そう、出会いがあれば、必ず別れもある。
「あかねちゃん。やっぱり来てくれたんだね。もう、今日が最後だよ。僕はあかねちゃんが好きだ。また、いつか会えると思っているよ。それまでのお別れだ。君を抱きしめてもいい?」
これは唐突だ。私を好きだって? 抱きしめていいかって? こんな美男子のくせに、私みたいな根暗で冷たい人にそんな感情など芽生えないだろう。
「茜、最後なんだから、彼の気持ちを受け止めてあげなさい」
母は何を言っているのだ。自分の娘が男に抱きしめられるのを容認するのか? 私的には美しい彼に抱きしめられることは嫌ではないが、喜んでいると思われたくはない。
「いいですよ。抱きしめても」
私はまた、冷たく言った。
一ノ瀬は私を抱きしめ、
「あかねちゃんも、僕のこと好きだよね? 会った時から分かっていたよ。教室でいつも僕のことを見ていたでしょ。気付いていたよ。僕は全国を回っているけれど、遠距離でも僕と付き合ってほしい。あかねちゃんと繋がっていたい」
なんてこと言うんだ。別れ際にこんなことを言って、罪な男だ。
これで、さよならなのに。
一ノ瀬は、お互い連絡を取り合おうと約束して、次の公演場所へと行ってしまった。
出会いは突然、別れは必然。 白兎 @hakuto-i
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