あばよ、地獄で待ってるわ。

人間 越

あばよ、地獄で待ってるわ。

 ――ヒイラギを暗殺せよ。


 澄んだ静けさの夜。暗殺者カカオは、足音を消してヒイラギ邸宅の庭を歩いていた。ヒイラギ邸宅、とはいえ亡き貴族の廃墟を勝手にヒイラギが住処としているだけだ。そして、ここはカカオもヒイラギと共に過ごした場所である。まるで親子のような時を過ごした家だ。だからこそ、勝手も知っていた。

 カカオにとってヒイラギは恩人であり、また親のような存在だ。

 口減らしとして物心つく前に売られたカカオは、決死の藻掻きと大いなる運によって今を生きている。

 暗殺者となるべく幾度どなく過酷なふるいに掛けられ、他者を信じることを忘れかけていたカカオに一抹の人間らしさを残してくれたのは他ならぬヒイラギだ。暗殺家業の相方として出会った自分に、暗殺者としての技術をさらに磨いてくれ、世渡りの術を教えてくれ、そして家族という繋がりのの温もりを教えてくれた。


「……殺す」


 呟いて切り替える。

 言動をトリガーに心まで暗殺者になり切る。それもまた、カカオがヒイラギから学んだことであった。


☆        ☆       ☆


「お前、ガキのくせになんだその目は」


 ヒイラギとの出会いは、カカオにとって何一つ響かないものだった。

 子供というだけで下に見て、意に沿わないことがあれば暴力で支配する。

 まだ子供の域を出ない年頃だったカカオがそれまでの人生の中で出会ってきた大人と変わらない一人だった。

 最悪、という感想すらもはや湧かないほど擦り切れていたカカオは、初対面開口一番のヒイラギの言葉に、静かに見切りをつけた。最も、それまでの大人とは違ういい大人と出会うなんて言う希望は既にカカオの未来を照らすには儚いものだった。

 そして、苛立ちのままに振り下ろされると思った手の平は、カカオの予想を裏切った。

 ポンポン。

 殴るではないが、叩くでもない。しかし、撫でるには少し荒々しい。置くというような表現が適切に思える手の平だった。


「すげえクマ。寝れてねぇんじゃねえか? 良くねえぞ、それ。ミスの源だ。しかも暗殺家業ならミスは死に直結」


「……?」


「分かるか、坊主? お前の目の下にあるのは死の源泉だって言ってんだ」


「満足な寝床なんてない」


 目の下を引っ張りまるであっかんべみたくするヒイラギにカカオはぶっきらぼうに返した。


「え? そうなの。そりゃあ不憫な」


 呑気な声色だった。

 まるで他人事。関係のない世界の出来事でも思案するかの如く顎を撫で、ぶつぶつ呟いた。

 だが、実際、他人事。関係のない世界のことだ。その世界の住人であるカカオが前に現れたことで始まった気まぐれま思案だ。それが妙案に繋がるはずもない。


「も――」


「じゃあ、家来るか?」


 もうそういうのいいですから。

 言いかけたカカオだった身体はそういう類の優しさに飢えていたのだろうか、こくりと頷いていた。


☆        ☆       ☆


「本気の殺し合いがしてみたい」


 それがヒイラギの口癖だった。

 これが暗殺者の言葉とは、と最初カカオは白い眼を向けていたが、次第にヒイラギの暗殺者としての仕事ぶりを知っていく中で納得できる言い分に変わった。

 ヒイラギの暗殺者としての腕は一流である。

 戦闘能力という意味もそうだが、暗殺者として一流だ。

 ヒイラギの仕事において殺し合うことは無い。

 不意打ちや罠により一瞬で殺す。

 暗殺故に、明るみに出てはいけないし、また関与が知られてもいけない。派手な立ち回りは出来ない。

 とはいえ、肉体の修練は欠くことはできない。暗殺者たるものターゲットは闇に葬らねばならない。用意してきたプランを突破された際、想定を上回れた際にそれを凌駕する地力を備えておかねばならない。

 そして、そのために過酷な思いを。だが、蓄えた力はいつ日の目を浴びるか定かでない。

 真っ向から対立する思いを抱えている。

 カカオとて分からないことは無い。

 名の知れた兵を屠った時に覚えた一抹の虚しさは嘘ではない。

 自分が彼の者を殺したことに違いはない。だが、果たして自分は彼の者を越えたと言えるのだろうか。

 殺さねばならない恩人の常頃からの願い。

 それを思った時、手向けは決まっていた。


☆        ☆       ☆


 正面から――否。


 真っ向からの殺し合い。そうしようという思いは、まるで冷や水を浴びせたように縮こまった。

 これは暗殺である。仕事だ。カカオは暗殺者だ。暗殺者、ヒイラギの弟子であり、子だ。

 ならばすべきことは。手向けは。

 それが明確になるとカカオは、行き先を変えた。

 ヒイラギの正面から、台所へ。

 手に持つものも、暗殺用の短剣から、包丁へ。

 身に纏うものも、闇色の軽装から、普段着へと。

 料理を整えて、朝になるのを待った。


☆         ☆       ☆


「朝飯だ。持ってきたぞ」


「おお。悪いな」


 明くる朝は、いつも通りだった。

 朝食を運んできたカカオとそれに応じるヒイラギ。

 そして言葉少ないカカオにヒイラギが話しかけ、それに応じる。

 ヒイラギが黙れば、自然とそこには沈黙が降りる。


「なあ、カカオ」


「なんだ?」


 ヒイラギの僅かに殺意を覗かせた問いかけにカカオは思わず強張った。


「…………まあ、その、なんだ」


 カカオにとって、永遠のように感じた沈黙の果て、ヒイラギは言った。


「あばよ、地獄で待ってるわ」


「っ!」


 弾かれたようにヒイラギを見る。だが、止める間もなくヒイラギは毒を塗ったコップに入れた水を飲みほした。

 

「……っか。はっ……う、ぐ……っ!」


 間もなく苦しみだすヒイラギが、事切れて動かなくなるまでを。

 カカオは何も言うことも出来ず、見続けた。

 後悔はあった。だが、間違わなかったという確信も同時にあった。

 

「ああ、そっちに行くまで待っててくれよ」

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