第七章 7
「僧院へ行く気か?」
居丈高にイアサントが娘に尋ねると、顔を顰めた娘は唇を引き結んで黙り込んだ。
娘の外套を咥えていた狼が、研ぎ澄まされた牙を見せびらかし、イアサントの首の近くまで鼻を近づけてくる。
「別にここで殺そうというのではない。僧院まで連れて行ってやる。どうせそのままでは巡礼者用の礼拝堂より奥には入れないぞ」
イアサントが提案すると、胡散臭げな視線を娘は向けてきた。
「悪魔はある司教らによって僧院へ連れて行かれている。彼らがなにを目的としているかは知らないが、悪魔の恐ろしさを知らぬ無知から出た行為だ。奴らは自分らで招いた悪魔をすぐに扱いかねるに違いない」
「あなたは、わたしを僧院まで連れて行って、どうするつもり? わたしは天主教なんてまったく信じていないわ。あなた方の神様がどんなご神託を下しているか知らないけれど、わたしはあなたと馴れ合うつもりなんて毛頭ないのよ」
「結構だ。こちらもそのような気はさらさらない。お前を殺す前にあの悪魔を殺してしてしまわなければ、あの悪魔は何度でもお前を生き返らせるだろうから、まずは生かしておくだけだ」
怪訝な表情を浮かべた娘は、イアサントの整った容貌を睨んだ。
「それは、わたしを僧院に連れて行く理由にはならないと思うけど? それにあの魔神は、わたしを生き返らせるような魔力は持っていないわ。あの魔神は、この世を離れた魂を呼び戻すことができる冥府の神ではないもの」
「悪魔には容易いことだ」
「悪魔悪魔って言うけど、あなたはあの魔神のことをまったく知らないでしょう? 悪魔なんて十把一絡げにしているけれど、万能ではないのよ。誰しもできることとできないことがあるわ。あなたが信じている神様だってできないようなことを、どうして悪魔ができるだなんて考えるのか、まったくわからないわ」
つんと顎をそらし、娘は挑むような目つきをした。
黒い狼は喉を鳴らしてイアサントの首筋を噛み付かんとしている。
「……娘、名は何というのか」
「は?」
「名前だ」
「聞いてどうするのよ」
尋ね返され、イアサントは困惑した。
確かに、聞いてどうなるというものでもない。
「いずれお前を殺した際、墓に名前を彫る必要があるから聞いたまでだ」
素直に知りたかっただけだと答えることができず、イアサントはふて腐れたような口調で心にも無いことを言った。
「本気で聞いてるの? あなた、殺した異教徒の墓を作るつもり? わたしはあなた方に葬ってもらう気なんてさらさらないわよ。それとも、わたしを天主教流に葬ったら改宗させられたかのように取り繕えると思っているの?」
「そうではない。ただ、人は死んだら――どんな死に方にせよ墓を作って葬るべきだと思って……」
イアサントはかつて死んだ妹と父を埋葬した。母親は妹が生まれてすぐに死んだので、物心がついたときには墓の下に眠っていたが、死んだらすべての人に墓を作るものだと考えていた。あれほど憎んだ父でさえ、墓に葬ったのだ。相手が異教徒だったとしても悪魔に憑かれて不遇の死を遂げた者をそのまま放置しておくなど、できるわけがない。それがたとえ自分が殺した相手だとしても、この世に生まれて死んだ証しである墓になにも彫られていないのは、無性に悲しい気がした。
「――メルローズ・エルファ。わたしは魔術師エルファ一族の末裔よ。この名を、天主教徒の石工が彫れるかしら。きっと嫌がるわよ」
くすくすと笑い声を上げて娘は名乗った。
「メルローズ……?」
意外に普通の名前だったことに驚き、イアサントは目の前の娘を眺めた。
「シトラー、この鏖殺師について行きましょう。もし僧院に辿り着けたとしても、そもそもどこへ向かえば良いのかわからなかったんですもの」
メルローズが狼に向かって話し掛けると、黒い狼は噛み付こうとしていたイアサントから離れた。それで、イアサントもメルローズから手を放し、立ち上がる。
「僧院へ行って、どうするつもりだったんだ?」
「さぁ、よくわからないわ。ただ、この剣を持って僧院へ行くように言われたから向かっているだけよ」
「誰に?」
「わたしも会ったことがない、世界を管理している司書に。もっとも、司書は別に魔神に告げたのであって、わたしとなにか約束をしたわけではないけれど」
「……司書、とは?」
眉根を寄せてイアサントが尋ねると、メルローズは別に面倒くさがるわけでもなく、立ち上がり外套についた雪の泥を払い落としながら答えた。
「この世界についてのすべてを記した万象の書の内容を記憶している、司書と呼ばれる存在。神のようであり、世界そのもののようであり、とにかくこの世の因果や運命を一手に握っている存在なんですって」
「それは、神、ではないのか?」
「違うと思うわ。だって、万象の書に記された通りに世界が運行しているかどうかを管理しているだけの存在だって聞いているもの。神であれば、万象の書に記されている内容を書き換えることもできるでしょうけれど、司書はあくまでもその書物の内容どおりに世界が動いているかどうかを監督しているだけよ。自分の都合に合わせて書き直したりはできないの。あらかじめ決められた方向に世界が動くよう、監視し、時として修正を加えるのが司書という存在だもの」
万象の書、と聞いて、イアサントはゲアリ司祭の話を思い出した。
すべては一方に向かって動く、と彼は言っていた。あの話が真実ならば、メルローズが語る万象の書と話は通じる。
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