終わりと始まりの出会いⅢ

 自室に戻った蒼羽は大きなあくびを一つした。


 蒼羽の部屋は十畳ほどの角部屋だ。室内に押し入れと台所、奥には外へと繋がる裏口、室内の横には増築された便所と風呂がある。この空間で生活は事足りてしまうが、基本的に今の蒼羽は共同スペースを利用しているため、備え付けの設備はたまの休みにしか活用されていなかった。


 床は木製で部屋の奥側に窓が設置してあり、その下にセミダブルのベッド、部屋の中央に洋風の丸いラグ、木製の丸いテーブル、そして三脚の椅子、家具家電は箪笥と小さな食器棚、冷蔵箱のみといった質素な部屋だった。箪笥の上には殺風景すぎるからと兄が置いていった藍色の猫の人形、花瓶に生けた花が置いてある。ご丁寧に花は枯れる前に兄によって取り換えられていた。

 以前はテーブルセットではなく文机、ベッドではなく布団があったのだが、数年前に登場したテーブルセットとベッドを早々に手に入れた千草が、いち早く蒼羽の部屋に導入したのだ。


 他の兵士は台所、便所、風呂は共用、八畳の部屋に二段ベッド、二人で生活しているのを考えると蒼羽はかなり優遇された環境で過ごしていた。


 既に風呂も少し遅い夕食も歯磨きも済ませた。今日は巡回の前に筋トレ、素振り等の稽古も終わっている。


「疲れたし、早く寝るかあ」


 蒼羽は倒れるように仰向けでベッドに横たわった。

 ここのところ体調を崩した兵の代わりをし連勤で疲れがたまっていた。木乃伊ミイラ取りが木乃伊になったら元も子もない。

 目を瞑ればすぐに眠りにつけそうなほど、頭が働かず瞼が重い。


「なんだ?」


 仰向けになっていた蒼羽は何かに気づき勢いよく上半身を起こした。

 何、とははっきり言えないが何か胸につっかえるような違和感を感じる。

 食あたりなどとはおそらく違う。自分の中の異変ではない。

 何かしなければならないような、言い表せない焦燥感のようなものを感じていた。

 ベッドの脇に立てかけた刀を握って立ち上がり窓の外を見つめる。


「あっち、森の方か?」


 悩んだ末、蒼羽は羽織を身にまとい、刀を下げて部屋のドアを開けた。







 月明かりを頼りに森の中を歩く。風も吹かない森の中は静けさを保っていた。

 しばらく歩いても特に変わった様子はない。

 違和感は拭えないが、何もないならただの気のせいだったのかもしれない。


「なんだ、なんもねーじゃん」


 蒼葉が踵を返しかけた時、視界の端で白が揺れた気がした。


「え?」


 それが気になり、刀に手を添えたままそちらへ慎重に歩みを進める。


「……っ!」


 そこには確かにいた。


 一筋の光が差し込む中に、真っ白な服を着た黒髪の少女が座り込んでいる。いや、服というよりは薄い洋装で下着のようにしか見えない。


「おい、お前、夜にこんなとこで何してんだ」


 夜の森をこんな格好で歩き回るなんていろんな意味で危険すぎる。

 少女は蒼羽の声に反応することなく虚な目で宙を見つめている。時折瞬きで隠れる綺麗な茶色の瞳は感情を映していないような深い色だった。

 肩が露出したその様に蒼羽は目を泳がせながら、身に着けていた羽織を彼女に掛けた。


「お前……なんか、空っぽだな」


 蒼羽は少女の姿を見て表情を歪ませた。彼女はやはり何も答えず、指一本すら動かさない。

 そんな姿が小さな少年と重なる。

 よく見ると彼女の足は草や枝で切れたのか小さな傷があり汚れていた。服は汚れは酷くないものの、枝に引っ掛けたのかほつれている箇所がいくつかある。


「まさか、吸血鬼に襲われて逃げてきた?」


 仮説を口に出した後すぐに辺りを見回す。その場合、彼女を追いかけてきた吸血鬼がすぐ近くにいる可能性がある。

 蒼羽が背後を振り向いた瞬間、赤の光が急接近してきて、蒼羽は反射的に刀を抜いた。

 金属のぶつかる音が静かな森に響く。


「やっぱりな」


 対峙する吸血鬼を睨み蒼羽は呟いた。

 吸血鬼は後方に跳び、3メートルほど離れた距離でお互いに牽制し合う。

 蒼羽はちらりと後ろにいる少女を見た。座り込んだまま動く気配はない。

 彼女を庇いながら奴を倒すしかない。


「残業代ちゃんと出るんだろうな」


 ここに来るまでに他の兵に見つかったのか、目の前の吸血鬼はぼろぼろだった。

 ということは、と蒼羽が呟くと同時に、吸血鬼は更に後方に跳ぼうとする。


「はっ、逃すかよ」


 ぼろぼろということは、戦うより逃げる可能性が高い。

 そう踏んでいた蒼羽は既に走り寄り間合いに入り込んでいた。


「残念だったな」


 蒼羽の刀が吸血鬼の胸に刺さった。

 吸血鬼の断末魔が響き渡る。


「あー、こりゃ兄貴に大目玉くらうな」


 蒼羽は刀を鞘にしまいながら肩を落とした後、背後で座り込む少女に視線を向けた。


「どうすっかなあ」


 頭を掻きながら少女のそばに行ってしゃがみ、顔を覗き込んでみる。


「おーい、お前どこから来たんだ? 名前は?」


 少女は目を合わせるどころかこちらを向くこともない。


「お前、喋れる?」


 それでも彼女からは何の反応もない。

 息はしてるし、回数は少ないが瞬きもしている。顔色は決してよくはないが、吸血鬼のそれとは全く違う。瞳の色も紅ではなく茶色。温かく脈拍も正常。確実に生きている生身の人間だ。


 蒼羽は息を一つ吐くと、意を決して彼女を背負った。

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