出会い頭と分かれ目

凹田 練造

出合い頭と分かれ目

 結婚して三十年。

 不意に出会ったのが、香由美だった。

 きっかけは、他愛もない。終電車に乗るために急いでいた俺の前で、派手に小銭をばらまいたのが、香由美だったのだ。

 小銭を拾うのを手伝っているうち、終電車はさようならも言わずに発車していった。仕方なく、どちらからともなく声をかけ、夜が明けるまで酒を飲むことになったのだった。

 親子ほども年が違うのに、なぜか話が合った。香由美は、学校を出て、ある会社でつまらない事務をしている。伝票を整理したり、帳簿に記入したり。

 毎月毎月、同じような作業が、際限なくやってくる。単調極まりないが、数字が合わなくなったりすると、途端に大騒ぎになる。

 愚痴なら、俺も負けていない。妻が無理解なこと、趣味を楽しむ時間もなければ、自由になるお金もない。

 その夜、二人の心の距離は、自然に近づいていった。

 それから三か月。

 俺と香由美の仲は、急速に進展していっていた。

 ある日曜日の夜。

 俺はついに、妻に離婚話をしたのだ。

 もちろん、妻が素直にいうことを聞くわけがない。今まで俺のせいで、どれだけ苦労してきたか。俺のために、どれほど尽くしてきたことか。

 だが、案に相違して、妻の抵抗は、何日も続かなかった。数日後には、離婚すること、財産は妻が四分の三持っていくことが決まった。二人の間に、ついに子供ができなかったことも幸いした。

 別れの朝、二人は、駅までの道を歩いていった。三十年分の思い出があるはずなのだが、もはや何も語り合うことはなかったのだ。

 ホームで見送る俺を残して、妻は列車のドアに吸い込まれていき、くるりとこちらを振り向いた。

 俺が、笑って手をふろうとした時、妻の右手側から男が出てきた。俺と同年輩だが、遥かに活力に溢れている。男は、妻と並ぶと、こう言った。

「新しい妻を、ありがとう」

 だが、次の瞬間、妻の左手側から、香由美が現れたのだ。

 何が何だか分からない俺に向かって、香由美は笑顔で手を振りながら、こう言った。

「新しいママを、ありがとう」

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