11.悪ではない最悪の敵

「ん… ううっ…」


 体中の鈍い痛みが朧気な意識を徐々に覚醒へと導く。それと共に酔いに似た頭の重さと冷えきった体をより鮮明に感じていった。


「ここは… 私… なにして…?」


 重い瞼を開けたが成果はなかった。一片の光もない暗闇の中にいたからだ。

 寝起きは悪い方じゃない。寧ろ起きた後はすぐに頭が冴えるのだが、今この時に限っては違う。不思議と意識が定まらない。


 数秒、或いは数分の時を得てようやく頭にかかった霧が晴れてきた。そしてすぐに違和感に気づく。


「っ! なにこれ…!」


 両手両足が縛られ、ザラザラとした冷たい床に放り出されていた。


「何が起きて…」


 完全に覚醒した頭で現状を必死に分析する。

 窓から差す光すら存在しない暗闇、冷たい床、縛られた両手両足と嵌められた鉄の首輪、全身を巡る鈍痛。自分の身体に起きている異常をひとつひとつ紐解いていく。

 攫われた。至った結論はそれしか無かった。

 異様にボヤけた頭は恐らく何らかの薬品によるもの。身体の鈍痛は恐らく長時間硬い床に寝かされ、馬車等で運ばれていたから。

 今が朝か夜かは分からない。深い眠りに陥っていたせいで時間感覚を取り戻せないでいた。だがもし夜だとしてもここまで光が差さないのは不自然だ。そして空気が冷たく流れてすらない。それらを鑑みると今いる場所は地下と見ていい。

 攫われる前の最後の記憶は食事を終え、部屋に戻った時で途切れている。つまり私を攫った者は私の部屋へ忍び入り、私を連れ去ったと考えられる。

 公爵家の屋敷に忍び込み、警備をすり抜け私を連れ去るなんて… 敵は一体何者なのか…


 コッ… コッ…


 思考に没頭する中、突如石床を踏む足音が聞こえてくる。

 足音は刻々と近づいてきた。それと同時に揺れる炎が放つ東雲しののめ色の光が暗闇を除けていった。


「おっ、目を覚ましたようだな」


 大きめのろうそくを持った大柄の男が上り階段から姿を現した。男は顔にある大きな傷跡と刺青が特徴的で、薄汚い装いをしていた。


「あーあ、ガキのくせにいい体してるよな。こんな奴を攫わせといて遊べねえなんてよ」


「あなた達の目的はなんですか…? なぜ私がこんなところに…」


「あ? 目的? んなもん金に決まってんだろ。賊がお前ら貴族と違ってご大層な思想なんか持ってるわけねえんだからよ」


「遊べないって言ったわよね。なぜ遊べないのかしら?」


「さあな、自分で考えな」


「…可哀想ね」


「あ? おい今なんて言った」


「可哀想って言ったの。公爵家の跡取りである私を攫ったのよ? 王国があなた達を草の根を分けてでも探し出して打首にするわ。死にゆく運命が待っているなんてなんて哀れなのかしら」


「…てめぇ」


 男がろうそくを置き、鬼のような形相で近づいてくる。

 身動きが取れない今の自分にできることは降りてきた男と対話し、情報を引き出すことしかない。ならば危険を冒してでも男を引き止め、可能な限り情報を引き出す事が最善だ。


「今すぐひん剥いてその生意気な顔をぐちゃぐちゃな泣き顔にしてやろうか?」


「この私があなたなんかに犯されて泣き叫ぶとでも?」


「試してやろうか?」


「試してみなさいよ。顔色ひとつ変えずに受けきってあげる」


「…はっ、強気な女は大好物だぜ。俺を睨むその顔が泣き崩れ絶望に染まる瞬間はいつ見ても最高だ」


 男が私の服に手をかける。

 凌辱されることを覚悟した。


「おいバロン! 何やってる!!」


 服を破られる前にもうひとり男が階段から声を上げた。

 二人目は長身なれど痩せ細った体だ。身なりもいい。


「あ? ちょっとこのメスガキに女としての絶望を分からせてやるだけだよ」


「依頼人の言葉を忘れたのか! 攫った娘は丁重に扱え言われているだろ!!」


「チッ…、へいへい頭領さん」


 頭領と呼ばれた男の命令で、大柄の男は渋々私の服から手を離す。

 バロン…そう呼ばれていた。この名、どこかで聞き覚えが…


「バロン… まさかバロン・スフィール!? 貴族の出で立ちでありながら16で家族を皆殺しにして王国から逃げ出したっていうあの…!」


「ハッ、よく知ってるじゃねえか」


「王国を出た後も、各地で残虐な殺害を繰り返し王国から指名手配されていたはず… まさか王国に戻ってきているなんて…」


「今は傭兵をやってんだよ、裏組織専門のな。金払いもいいし身も隠せる。まさに一石二鳥だ」


「バロン、必要以上の情報を与えるな。外の警備でもしてろ」


「へいへい、じゃあな嬢ちゃん。お楽しみはまた今度な」


 バロンはトラウマに残るような醜悪な笑みを最後に浮かべ、この場から立ち去る。


「全く、様子を見に行かせただけで危うく契約違反になりかけるとは… とんだじゃじゃ馬だよ」


「まさかバロンを雇ってるなんて… 彼がどれだけ危険か知らない訳では無いでしょう!」


「ああ知っているとも、実力は本物さ。うちの団員が束になっても敵わないだろうよ」


「ならなぜ…!」


「仕方ないんだよ。こういうデカい依頼は何かとイレギュラーが起きるからな。備えを万全にしておかなきゃなんねぇ」


「デカい依頼… 私を丁重に扱わせる依頼人…」


「おっと、喋りすぎたな。いけねぇいけねぇ」


 頭領と呼ばれた男が私にこれ以上の情報は与えまいと対話を切り上げ、去ろうとする。


「ッ! 待ちなさい! なぜ私を狙ったの!? 依頼人ってだれなのよ!? 答えなさい!!」


「やなこった。無事に帰りたきゃ大人しくしてろ」


 最後にそう言い残し、男は去った。



__________




 目を覚ましてから2時間程だろうか…

 最初に来た大柄な男バロンが置いていった大きめのろうそくが残り僅かになっていた。

 今の自分にはただ救助を待つことしかできない。手足にくい込む縄によって負わされた擦り傷が痛みを滲ませる。

 

 杖さえあればこんなところひとりで脱出できるのに… それか私に杖なしでも魔術が扱える程の才能があれば…


 タラレバしか浮かんでこない頭が、より自分の惨めさを自覚させる。肌に伝わる硬い床の感触とろうそくの炎の揺らめく音しかない静寂が心を削っていく。

 

「救助がどんなに早くても1週間… もつかな私…」


 1週間…その数字は救助にかかる時間を大雑把にだが計算したものだ。

 計算した所で意味はない。信じて待つことしかできないのだから。だがそれでも考えられずにはいられなかった。

 しかし導き出した1週間という答えも、かなり希望的観測だった。先の対話から自分を攫ったのはかなり大きめの裏組織というのは理解していた。いくら国が総出で探そうともそれだけの組織を相手に1週間で私を救出するのは不可能に近い。

 それでも期待せずにはいられなかった。具体的かつ短期的な数字がなければ心が壊れるから。


 1週間は必ず耐えて見せる… そう誓いを立てた。

 だがそんな誓いなんて必要なかった。


 なんの前触れもなく部屋が揺れた。天井からパラパラと石粒が降る。


「なに…? 外で何か起こってるの?」


 揺れは止まることなく、それどころか時間が経つにつれて強くなっていく。

 揺れが起き始めて数分後、再び足音がこだましてきた。足音の感覚は短く、走っているようだった。

 そして時を待たずにその足音はここまで近づいてきた。


「姉ちゃん!! 大丈夫か!?」


「ライガ…!!」


「ッ! 酷い事しやがって…! 今その縄を着るから!」


 弟であるライガが助けに来てくれた。それだけで先程までの暗く沈んだ心が晴れていった。

 ライガは私の状態を見るなり顔を憤怒に染める。きっと私は今とても酷い状態なのだろう。

 湧いてきた憤怒を抑えて、私の所へ駆け寄り縄を切る。


「ライガ… どうして…?」


「話は後だ! とりあえずここから出よう!」


 ライガは私の手を引いて、走り出した。



__________




「どうしてここが分かったの?」


 脱出する道中、走りながらライガに問う。


「ルークが姉ちゃんの場所を知ってたんだ」


「ルーク… 彼もここに来てるのね」


「あと皇女様もな、ふたりが正面から突入して敵の気を引いてくれてる!」


「もしかしてこの振動は…」


「ああ! 多分ルーク達だ! 派手に暴れてるみたいだな!」


 ライガは囮役を担ってくれている2人を心配する事もなく嬉しそうに語っている。

 だけど… どうしても胸の内に燻る違和感を拭えなかった。


「…ねぇ、なんで3人だけでこんな危険な事をしたのよ? 公爵家うちの騎士達を連れてくればもっと安全に事を運べたんじゃないの?」


「あー、話すと長いんだけどよ。ルークは今脱獄してる身なんだよ。だから騎士を連れてくるとルークがとっ掴まっちまうから3人だけで来てんだ」

 

 脱獄してる、ということは彼は今罪人という事だ。だが、それだけで騎士達に何も言わずにここまで来るのはリスクが高いのでは… 代わりに連れてきたのが皇女と公爵家次男と身分の高いふたりなのか… そもそもなぜ彼は私が囚われている場所を知ってたのか…

 いくつもの不可解な要素が頭の中に渦巻いている。


「あとこれ、デカい奴じゃないけど許してくれ」


 ライガから短杖を手渡される。

 通常の杖は持って来れなかったらしい。無理もない。私の杖は特別性で人の丈程の大きさがある。ここがどこだか分からないが王都から近くないであろう事は察せる。そんな距離をあの杖を抱えて来るのは身体能力の長けた弟でもそれ相応の体力を用いるだろう。


「持ってきてくれただけで十分よ。ありがとう」


「悪い... 早速使って貰うことになりそうだ」


「え...?」


 狭い通路を抜け、沢山の木箱が積まれた倉庫のような部屋に出る。

 その中央に見覚えのある顔が立っていた。


「ネズミが入ってきたと思ったら、公爵家の次男坊かよ」


「誰だお前?」


「お頭... そう呼ばれてたわ。恐らくこの賊を仕切る頭領よ」


 頭領以外には誰もいない。この男ひとりのようだ。

 ひとりだけなら私達で完封できる...はずなのだが、男もそれは分かっているはずなのに余裕の笑みを崩してはいない。


「どうやってここを探り当てたんだ?」


「ハッ、教えるわけねえだろ! そっちこそどうやって俺の侵入を察知できたんだよ?」


「こっちも教えるわけない...と、言いたい所だがおしえやるよ。俺は用心深くてな。裏口は誰かが侵入した時、俺に伝達されるよう仕掛けておいたんだ」


「なるほどな、だけどたったひとりで来たって意味ねえだろ。俺らにボコられて終わりだ」


「確かにそうだな、俺ひとりなら剣の神童と呼ばれる君に勝てるわけない... 俺ひとりならな」


「ッ! 姉ちゃん!」


 突然、ライガから突き飛ばされる。

 体が浮くぐらい勢いよく突き飛ばされた為に、体が床に転がった。

 何事かと思い、顔を上げるとライガが背後から襲ってきた敵と鍔迫つばぜり合っていた。


「このっ!」


 すかさずライガから渡された短杖で魔術を発動し、水弾を放つ。

 敵は水弾を躱し、私達から距離を取る。


「さあ商品テストの時間だ。俺の自慢の商品を相手にどれくらいもつかな?」


 頭領の男が合図すると、置いてあった木箱の影からぞろぞろと出てくる。

 しかしながら... 敵と言うにはあまりに幼い。

 出てきたのは隷属の首輪を嵌められただった。


「な...! 子供って...! このクソ野郎!!」


「ハハハハ! 近頃はこれが主流なのだよ! 運搬、護衛、襲撃、売却と下手な配下ゴミ共よりもよほど役に立つ! そして人件費かねもかからない! 実に合理的な商品だろう!?」


「コイツ...!!」


「ライガ! 落ち着いて!」


「けどよぉ!」


「怒ったってしょうがないでしょ! 今はこの子達をどうにかしないと...!」


 ライガを宥めたはいいものの、ここからどうすればいいのかまるで見当がつかない。

 私達姉弟は最悪の敵に完全に包囲された。

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