09.解き放たれた半魔

 静寂に包まれている薄汚れた牢獄。

 床から伝わる硬く冷たい感触が罪人の体を責罰する中、小窓から僅かに注がれる月明かりだけが離隔された心を優しく撫でる。

 だがそれも、魂が抜け落ちた骸にはなんら意味を成さない。

 ただ、弧を描く血溜まりを淡く輝かせるだけ。


 ふと、石床を鳴らす足音が響いてくる。

 足音は刻々と近づき、格子の前で止まった。


「約束通り、助けに来てあげたわよ。ルーク」


 足音の主である少女は、格子越しにある鎖に繋がれた骸に話しかける。


「…死んだフリはもういいから、早く起きてくれる?」


 骸に語りかけるが、返事は返って来なかった。


「おーきーなーさーいー、ここまで来てあげたのに何よその態度」


 返事がない、ただのしかばねのようだ。


「…はぁ、もういいわ。あなたがそんな態度を取るなら私もう帰るから」


「ちょっ! すみません! 冗談が過ぎました! お願いですから帰らないでください!」


 俺はすぐさま死んだフリを止め飛び起き、帰ろうとするアイシャを引き止めた。


「タチが悪いのよ! ったく… 次やったら本当に死体にするから!」


「ドッキリのつもりだったんですよ。こういうシチュじゃなきゃなかなかできないので、ちょっとやってみたくて」


「時と場合を考えてよ! いやどんな時でもその冗談は笑えないけど!」


「ネタばらしをした後でも笑えませんか?」


「笑えないわよ! 目の前で友達が血を流して倒れてて笑えるわけないでしょ!?」


 格子越しに説教をくらう。

 牢獄にて、両手両足を鎖に繋がれ血に染まっている相手に、怒髪天を衝く勢いで説教している皇女様。第三者視点で見たら何ともカオスな絵面に見えるだろうか。


「はぁ… もういいわ、開けてあげるからさっさと出てきなさい」


 アイシャは一通り説教し、溜飲が下がった後、軽く手を振った。

 すると、両手両足を繋いでいた鎖が解かれ、目の前の格子も開かれた。

 鎖も格子も魔術対策を施されている。鉄に魔力対抗術式を刻み込み、魔力が作用されにくくなっているのだ。

 それをものともせずにいとも容易く解錠するとは… しかも目の前で魔術を使われたのにどんな魔術を使ったのか全く分からなかった。

 洞窟騒動から1年、たった1年で相当腕を上げたようだ。だが…


「…やっぱりそれはまだ外せないわね」


 首につけられた隷属の首輪までは解錠できていなかった。


「外すだけなら簡単なんだけどね… 首輪に込められた魔力と同じ魔力、つまりそれをはめた人が外さないとあなたの首が飛ぶのよ」


「へぇ… 首が飛ぶ…」


「そう、元々は罪人を縛るために作られたものだからね。そういう術式を組み込まれてるのよ。…それ、どうするの」


「どうするのと言われましても外すしかないでしょう」


「外せないから困ってるんじゃない。まぁルークの事だから何かしらの策があるんでしょうけど」


「ふんっ!!」


 俺は自由になった両手で力づくで首輪を引きちぎった。


「はっ!? ちょっと! 何やってるのよ!! 首…が…… え? 飛んでない…」


 アイシャが傷ひとつない首に驚き戸惑う。


「え…? どうやったの? 解呪魔術? でも首輪をはめられている本人が魔術を使えるはずないし… なんで…?」


「魔術じゃないですよ。俺の体質みたいなものです」


「隷属の首輪が効かない能力ってこと? 何その使い所が全くない能力」


「隷属の首輪限定ではないですが… ざっくり言うとそんな所です。さ、早くここから出ましょうか」


 昼間に騎士達に袋叩きにされ、ここにぶち込まれたがようやく解放された。

 感覚的には深夜だろうか。見張りが最も薄い時間だ。今なら楽に脱出できるだろう。

 牢を出た俺とは逆に、アイシャは牢へ入って固まりかけている血溜まりに感心を示す。


「良く出来てるわねこの血のり… 本物みたい」


「そうでしょうそうでしょう。家が元々商会だったんで多種多様な商品を扱ってたんですよ。その内のひとつです」


「へぇ… これどうやって作ってるの?」


「…それは企業秘密です」


「まあそうよね、製造方法をそんな簡単に教えてたら商売にならないわ。それにしてもよく思いついたものね。自分の死を偽造するなんて」


「えぇ、いくら皇女様でも懇意にしてた相手とふたりきりでと面会するのは難しいでしょう?」


「こ、懇意って…」


 アイシャが特定の言葉に反応し、頬を少し赤くして押し黙ってしまった。


「妙な所で照れないでください。こっちまで恥ずかしくなる」


「ッ! っるさい!! ま、まぁそうよね! 私達仲良いし! 懇意にしてたものね! 友達としてだけど!」


「話を戻します。脱走に手を貸すかもしれない皇女様が面会に来るのは難しいでしょう。もし許可が降りてもそこには必ず見張り役がついてくる。しかし面会対象が既に死亡していたら?」


「…脱走する可能性自体が消えるため見張りの騎士がついてくる事も無くなる。それどころか感情に訴えれば牢へ行くこともすんなりと認めてくれるでしょうね」


「アイシャ様ならこちらの意図を必ず察してくれると信じていました」


「それを言うならあなたもよ、仲が良かったがために、ふたりでの面会は困難。それならば自害したように見せつけて、逆に面会へ行くための理由にする。自分達にとって不利な事柄を行動ひとつで有利なものにするなんて、流石ルーク! なんてずる賢さ!」


「狡猾って言ってくださいよ… 第一それ褒めてます?」


「褒めてないわよ。聞かされた時は驚いて心臓飛び出そうになったし、そもそも私じゃなきゃ気づけなかったわよ?」


「…そうですね。アイシャ様じゃなかったら伝わらなかったでしょう。本当に感謝していますよ」


「ええ、大いに感謝しなさい」


「ちなみにここに来る時、見張りの騎士になんて言ったのですか?」


「お願い… 彼ともう一度会いたいの…… っと、こんな感じ?」


 アイシャの演技は見事なまでの名演技だった。

 さすがは皇女様だ。1年近く素のアイシャと共にいた俺も、この演技をされたら騙されるだろう。


「それで? この後はどうするの? 世界最悪の半魔さん」


「そうですねぇ… 伝承に従って世界でも滅ぼしに行きましょうか」


「あら怖い、私はなんて恐ろしい化け物を解き放ってしまったのかしら」


「皇女様も世界滅亡の片棒を担いでしまいましたね」


「えぇ、いくら皇女でも確実に極刑を受けるわね」


「それなら俺と一緒に来ませんか?」


「いいわねそれ、皇女なんてやめてあなたと世界を旅するのも楽しそう」


「旅するなんて誰が言いました? 世界を滅ぼしに行くんですけど」


「私と一緒に行くのにそんなことする暇なんてないに決まってるでしょ? 死ぬほどこき使ってあげるんだから」


「はぁ… 楽しい旅になりそうですね」


「フフッ、そうね」


 相変わらずの我儘っぷりに呆れ、お手本のような皮肉を言ってみたが、まるで気づいていないかのように笑顔で全肯定された。

 もしかしたら本気で旅に出ようとしているのではないだろうか?


「それで、冗談抜きにこれからどうするの?」


「それはもちろん、ルカさんを助けに行きます」


「まぁそうよね、それが1番妥当よね」


「ではサクッと王都を抜け出して、ルカさんの元へ行ってきますね」


「場所は分かるの?」


「えぇ大体は」


「そう、分かったわ。それじゃ行きましょう」


「…ついてくる気ですか?」


「何? 脱獄の手伝いまでさせといてここでさよならする気? どうせあなたが戻ってこなかったら私が罪に問われるのだから、残ってもメリットないでしょう?」


「…危険ですよ」


「そんな脅し文句で私が怯むとでも?」


 アイシャは勇ましくも不敵に笑った。

 この先、何が待ち構えているかは想像に難くない。分かっている上で、一切の恐れを見せず笑っているのだ。


「…素敵です。ではお言葉に甘えて最後まで付き合って貰いましょうか」


「初めからそう言いなさい。それともうひとり、連れて行く人がいるわ」


「もうひとり?」


「ええ、近くで待たせてる。彼を拾ってから救出に向かうわよ」


 アイシャが1本の短杖を取り出す。

 以前使っていた戦闘用の1メートル程の大きな杖は、地下牢を見張る騎士に怪しまれるために置いてきたのだろう。

 だがしかし、短杖は持ち運びに便利な分、威力は3割程度しかだせない。

 普通の杖が戦闘向きならば、短杖は日常向きなのだ。

 そんな杖ではろくな魔術も使えな…


「水系統魔術 ーー水閃ーー」

 

 アイシャが呪文を唱えると、短杖から水の光線が放たれる。

 その光線は瞬時に壁を裁断した。


「さ、行くわよ」


 アイシャは音もなく作られた門をくぐり抜け、何食わぬ顔で進み始める。

 作られた門の断面は、まるで鏡面のように綺麗に切られていた。


 もしアイシャが自分も半魔でしたと、告白してきても信じてしまうかもしれない。そんな馬鹿げた事を考えてしまうほどに、俺は彼女の実力に圧倒されていた。

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