07.ダンス練習

 アイシャに手を引かれ、行先も分からずに連れていかれる。


「あ〜… アイシャ様、どちらへ?」


「別棟の空いてる教室」


「何故そこに?」


「着いてから教えるわ」


 アイシャはそれ以上は何も言わなかった。

 既に午後の講義が始まるチャイムは鳴っており、他の生徒は授業中の為、通り道には誰もいない。

 だがしかし、それでも…


「…万が一この状況を見られたらまずいのでは? アイシャ様は今、テンス殿下と良好な関係を築いている。この事が知られたら、その関係に亀裂が生まれるのでは?」


「出会った時も同じ事を言ってたわよね」


 アイシャに言われ、気づく。

 そういえば編入初日、アイシャに初めて会った同じ事を言ってたな。

 共に行動するようになって忘れていた。そもそも俺のような身分で皇族であるアイシャと共にいること自体おかしいのだ。


「私もあの日と同じことを言ってあげる。別に誰に見られているわけでもないんだし、いいじゃない」


「そういう問題じゃないでしょう、万が一のことを考えて…」


「大勢の生徒に見られたら難しいけど、講義が始まっている今なら目撃されるとしても、ほんの数人くらいしかいないわ。それくらいなら問題ないわよ」


「はぁ… そうですか」


 連行されてる間、アイシャは一度もこちらを見ていない。

 なので今、アイシャがどんな表情をしているのか俺は分からない。

 声色から怒っているというわけではないだろう。だが、機嫌が良いわけじなないのも確かだ。


「随分と仲良さげだったわね」


 唐突にアイシャから嫌味らしい言葉をぶつけられる。


「…そうでしょうか?」


「とぼけなくてもいいわよ、ある程度は見てたから」


「えっ… いつから見てたんですか?」


「あの巨乳メガネとキスしてた時から」


「いやしてませんよ。しそうな雰囲気にはなりましたけど… って、そんな前から見てたんですか?」


「あ、勘違いはしないでね。覗いてた訳じゃなくて、良い雰囲気だったから待っててあげたのよ」


「…は? 待ってた…?」


 アイシャならそんなもの知らないと言わんばかりにずかずか乗り込んできそうだが…

 最近は彼女の考えていることがさっぱり分からない。


「そんな意外そうな顔しなくたっていいじゃない、失礼ね」


「あー…すみません、ちょっと考えられなくて…」


「私は皇族よ? 他国が集まる大事なパーティにも参加しなきゃいけないのに、空気が読めなかったら皇国が舐められるわよ」


「いや、アイシャ様が空気を読めないって言っているわけではなくて」


「着いたわ」

 

 話しているといつの間にか目的地に着いたらしい。

 別棟の空き教室、中はテーブルもなく、殺風景でただ広々としている。


「少し埃っぽいわね」


 アイシャはそう言うと、指をパチンと鳴らした。

 すると、いくつかのつむじ風が発生し、埃を巻き上げ集める。

 埃をあらかた吸い取ったら、つむじ風は全て窓を通り、そのまま外に消えた。


 風系統の魔術だが、普通は1つ発動するだけで手一杯だろうに、それを複数発動させ、しかも埃を集めるという繊細なコントロールを発動させた全ての魔術でやってのける。

 一般の魔術師なら、埃を巻き上げるだけで一点に集約させるなど至難の業だろう。


「綺麗になったわね、さてと…」


 目的の場所に着いても手は離されず、そのまま教室の中央へ連れていかれる。


「…えっと、俺はどうすれば?」


「ダンスの練習相手になって」


「は? ダンス?」


「そう、テンス殿下との誕生日パーティで踊るダンス。その練習相手になって」


「殿下とやるべきでは? 当人同士でやらないと練習になりませんよ?」


「殿下は今、出掛けてていないって言ったでしょ?」


「帰ってきてから、もしくは日を改めてからやるべきでは?」


「今、練習したいの。ごちゃごちゃ言わずに付き合いなさい」


「まぁ別にそれは構わないのですが… 俺ダンスなんて踊れませんよ」


「今から教えるから言う通りにやればいいわ」


「教えるって… えぇ…」


 図書棟でのスパルタ勉強会を思い出す。

 勉強でさえ、グダグダだったのにダンスなんか教えられるのだろうか… しかも踊りながら。


「まずは互いに一礼して、その時、左手は腰に、右手を上げて礼に対してゆっくりと左胸に持ってくる。それから……」


 驚くべきことにアイシャの教え方は、以前とは比べ程にならないほど丁寧で分かりやすくなっていた。


「そう、そんな感じ。次は左足を引いて軽くステップを踏んで、その後は……」


 アイシャに手ほどきされながら日が暮れるまで、俺はアイシャのダンス練習に付き合った。

 …いや、アイシャの練習と言っていいのだろうか?

 寧ろ、これは俺のダンス練習ではなかろうか…?

 ダンス練習中、この疑問が消えることは無かった。



__________




「ふぅ… そろそろテンス殿下も帰ってくるし、ここらで終わりましょうか」


 入ってきた時に教室に差し込んでいた陽の光は、気づいたら淡い月光に変わっていた。

 見たことも無いダンスを覚えながら踊るのは流石にそれ相応の集中を用いたらしい。

 昼頃から始めたのに、あっという間と感じるほど、時は早く過ぎ去った。


 ダンスは一通り覚え、最後は通して練習した。

 約五分のダンスを一から踊れるまでにマスターするのだ。普通は丸一日掛かっても難しいだろう。

 だが、アイシャの完璧と言っていいほどの丁寧な教え方がそれを可能にした。

 まるで教え方を勉強してきたかのように、以前とは比べ程にならないほど分かりやすくなっていた。


「はぁ… 流石に疲れました。全く知らないダンスを一から叩き込まれるのは… しかもこんな短時間で」


「私の予定ではもっと早い時間に覚えられてる予定だったんだけど… ルークって物覚え悪いわよね」


「はいはい、わるぅござんした」


「まぁいいわ、それより忘れるんじゃないわよ?このダンス、上流階級では定番だし、いつかあなたも踊る日が来るかもしれないんだから」


「そうですね、アイシャ様が一生懸命叩き込んでくださったのですから。忘れたら今日の苦労がもったいない」


「ええ、それでいいわ。絶対に忘れないでね」


 少し嫌味っぽく言ったのだが… 返答は至って普通だった。

 もっとこう「何よもう、折角人が親切に教えてあげたのに」的な返しが返ってくると思っていたのだが。

 こういう時、洞窟の件から察するに彼女は何か思い詰めている時、こういう希薄な返事をする。


「ねぇ」


 不意にアイシャから呼び掛けられる。


「ルカ…って人とはどこまで本気なの?」


「…?」


「だから、ルカとちゃんと結婚する気はあるの?」


 ここに来て、真っ当な質問を投げかけられた。

 もっと早い段階で聞かれるであろう質問だ。それを何故、今聞くのだろうか…


「こちらとしてはとても幸運な話なので、断る理由はありませんね」


「それは結婚する気があるってこと?」


「…はい、この先二度とないであろう玉の輿ですし、男側がこの言葉を使うのは情けない話ですが」


「そう… 仲も良さげだったものね。ほんの1週間でキスするくらいだし」


「してませんって… 仲が良好なのは認めますが」


「あなたのあんな楽しそうな顔、見たこと無いもの。きっとあの人があなたの運命の人なのよ」


「楽しそうな顔…ですか」


 本当は結婚する気などさらさらない。

 ルカの前でニコニコ笑っているのも、唇を差し出す事も全ては裏での暗躍を悟らせないためだ。

 家にとってのメリットは大いにあるだろう。だが、俺にとってのメリットなど何一つない。寧ろ結婚など、くさりで縛られるのと同義だ。そんなもの受け入れられるはずがない。


「あの人と結ばれることで、きっとあなたの運命は大きく変わるわ。とても良い方へと… あなたはこの先、輝かしい程の幸せな日々が待っている… きっとね」


 アイシャはまるで何かを諦めたかのような顔で、力なく笑っている。


「…アイシャ様だって、テンス殿下と良い感じだったじゃないですか、アイシャ様の方が幸せな運命が待っているのでは?」


「あなた本当に鈍感よね… テンス殿下といる時の私が本当に心の底から笑っているように見えるの?」


「らしくないとは思いますが、まぁそれは相手が王子様ですし」


「呆れた… まぁいいわ、いずれ分かる事だし」


 少し含みのある言い方だ。

 どうやらテンス殿下との誕生日パーティ、アイシャには何か思惑があるようだ。


「さぁ、そろそろ戻るわよ」


「アイシャ様」


 振り向き、帰ろうとするアイシャを俺は呼び止める。


「なに?」


「こんな時間までダンス練習に付き合ったのですから、何かお返しを貰ってもいいとは思いませんか?」


「…私に何か頼み事があるってことね、良いわよ、言ってみなさい」


「では、わ……」


「ちょっと待って」


 頼みごとを言う前に、アイシャから待ったをかけられる。


「何でも聞くとは言ってないからね。あと、その内容も気をつけなさい。他の女とのキスシーンを見せつけられた後に、いかがわしいな事でも頼もうものなら、今ここで消し炭にするから」


「いや違いますよ。なんで俺が真剣に頼み事する時に限ってエロ方面へ行くんですか」


「違うの? てっきり今日の2人きりの秘密のダンスレッスンをバラされたくなければって脅されるかもと思ったけど…」


「そんなことしませんよ… そもそも俺が脅したことありますか?」


「そうね、口は無礼だけど、なんだかんだ言って優しいのよね」


「そもそも脅される要因を作らなければいい話では?」


「それはあなたをしんら… コホン、話が逸れたわね。それで頼み事って?」


 俺は最初に教わった礼を、よりゆっくり丁寧に頭を下げる。

 そして、その内容を言う。


「俺を… ーーーくれませんか?」


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