06.イクスフォリア公爵家の兄弟

 隣国交流遠征が始まり1週間が経った。

 王国の学園生活は、編入したての帝国の学園の頃と比べればそれなりに順風満帆なものだろう。

 問題も起こしていなければ小さないざこざすらない。

 学び、鍛え、学友と語り合う。まさに今のこの学園生活こそが理想と言えるのではないだろうか。

 たった一つの問題さえなければ完璧なんだが…


「考え事ですか?」


 隣から綺麗な声で問われる。

 以前だったらこの声の主はアイシャだ。

 だが、今は違う。隣に座っているのは婚約者のルカ・イクスフォリアだ。

 片手にティーカップ、もう一方の手には受け皿を持ち、優雅に紅茶を飲んでいる。

 昼休憩、学園の庭にあるテラスにて、俺とルカとライガの3人でテーブルを囲み、紅茶を片手に談笑している。

 ただ紅茶を片手に俺の様子が気になり問うルカ、本人は何も意識してないだろうがその一挙一動には気品に満ち足りている。

 眼鏡の奥にある理知的で綺麗な瞳が俺を見据える。

 ただ見つめられているだけ、それだけなのに僅かな緊張を覚える。

 それほどまでに彼女は美しく優雅なオーラを放っているのだ。

 座って紅茶を飲んでいるだけでここまで絵になるのは彼女くらいなものだろう。

 反対側でライガが豪快な欠伸あくびをしていなかったら満点だった。


「どうかしましたか? ルークさん」


「…あっいえ、心地よい天気と風に少々ウトウトしてしまって」


「別に少しぐらいなら寝てもいいのですよ。講義が始まる前には起こしますから」


「いえいえ、そこまでして頂かなくても大丈夫ですよ。第一、気品溢れるルカさんの隣で寝るなど笑いものもいいところです」


「ルークさんはお世辞が上手いですね。そういうところも好感を持てます」


 お世辞を言ったつもりなど毛頭ないのだが、ルカはお世辞と捉えたようだ。まぁその謙虚さもルカの気品さの根源の一つだろう。


 ちなみに「ルカさん」「ルークさん」と継承が様呼びからさん呼びになっているのは、ルカからの提案だ。

 距離を縮めやすくするために、とのことだそうだ。

 最初は「ルー君」と呼ばれそうになったが流石に恥ずかしいのでそれはやめてもらった。


「んじゃ俺が寝るからよ。いい所で起こしてくれよ姉ちゃん」


 先程、豪快な欠伸あくびをしたライガが姉に遠慮なく目覚ましを頼む。


「はぁ… あなたもルークさんを見習って少しは礼儀を覚えなさい。お父様も言ってるでしょう?」


「いいじゃん、父ちゃんはうるさいけどよ。母ちゃんはそのままで良いって言ってくれてるし」


 ライガは姉の軽い説教を気だるそうに流す。


「旦那様と奥様… 挨拶に行った時は本当に怖くて仕方ありませんでした」


「うふふ… お父様もお母様も根はとても優しいのですよ。すぐに馴染めます」


 そう、婚約が確定した事で形だけでも挨拶に行かなければいけなかったのだ。

 その時の事は鮮明に覚えている。

 父親は婚約に対し、猛反対していた。それこそ怒髪天を衝く勢いで。

 母親も婚約に猛反対。そしてライガと仲が良い事も問い詰められた。

 ルカの両親に怒鳴り散らされ、完全にお手上げ状態だったのだが、その両親を制したのもルカだ。

 ルカが淡々と論を並べ、興奮していた両親をいとも容易く静めた。

 どうやら正式な位の継承はまだでも、家の実権は既にルカが握っているらしい。


 そうこうして話していると周りから視線を感じる。


「ちっ… 皇女様の次は公爵家かよ」


「異国の意地汚い野良犬が」


「皇女様一筋かと思ってたのに、王子に取られそうだからって乗り換えるなんて… この最低クズ野郎」


 ヒソヒソと陰口を叩かれている。

 皇女も公爵子女も俺自信が望んだ訳では無い。ないのだが、傍から見れば皇女や公爵子女をたぶらかすクズにしか見えない。


「気にする必要はありません、後ほど黙らせておきます」


「まぁ姉ちゃんが原因だからな、けどあんま乱暴な手は使うなよ?」


「それは彼等次第です。口で言って聞かなければ少々手荒な真似をしなくては」


 仕草は先程と同じでただ茶を片手に話している。

 それなのにどうやったらここまで強烈な圧を放てるのだろうか?


「別にそんな事をしなくても大丈夫ですよ。そもそも俺の評判が悪くなければ、ここまで誹謗中傷される事はなかったのですから、寧ろそれでルカさんにまで風評被害が及んでしまって不甲斐ないばかりです。」


「私の事は気になさらないでください。私が強引に話を進めた婚約なのですから、あなたはこの婚約を受け入れてくれただけで十分なのです。他の事は私が全て片付けます。責任は全て私にあるのですから」


「婚約に責任なんてありませんよ。婚約とは2人が1つとなり支え合って生きていく事なんですから。もしあるとしてもそれは2人の責任です。ルカさんだけが負うなんてことは間違っています」


「…ありがとうございます。正直な事を言うと、私はあなたに嫌われていると思ってました。いえ、そう思い込んでました。そして、あなたに恨まれ傷つけられる事も覚悟していました。なにせ強引に婚約させたのですから… なのにあなたは''2人で生きていく''と言ってくれるのですね…」


 ルカは今までに聞いたことの無い弱々しい声で、ぽつりぽつりと語り始めた。


「婚約を受け入れてもらう為に何人もの妾を養う事も覚悟していました」


「は?」


 素っ頓狂な声を上げたのは俺ではない。隣に座るライガだ。

 今のルカの発言は、ライガの中の姉の像ではありえない発言だったようだ。


「それでもあなたは私に文句の1つも言わずにこうして共に話し、共に笑いあってくれています。それが…ただそれだけの事が私の心をどれほど救っているか…」


「…救われていると言うなら俺もですよ。知っているとは思いますが俺の生まれは決して良いものではありません。騙し合い奪い合う世界で生きてきました。帝国へ来ても同じです。寧ろ、法で縛られることで息苦しさすら感じました」


 俺はもの鬱げな表情を作り、哀愁漂う声色で語り続ける。


「ずっと独りでした… 独りが当たり前でした。これからもそうなのだと思っていました。…けど、今俺の隣には人がいる。そんなありきたりな事が何よりも幸せに感じています。辛い過去すら忘れてしまいそうな程に…」


「ルークさん…」


 ルカがそっと俺の手に自分の手を重ねる。

 その手に込められる力は弱くとも強い意志を感じた。


「…もう独りになんかしません。決して…」


「ルカさん…」


 視線が交差し、共に相手から目を話せなくなる。

 ルカは恍惚とした表情で、その瞳に俺を写す。

 やがて、互いが引き合うようにゆっくり…ゆっくり顔が近づいていく。

 目は閉じられ、ほんの少しだけ唇を前に出す。

 感覚が鮮明になり、脈拍が上がっていく。

 ほんの少しで唇が重なる。あとほんの少しで…


「なぁ俺いるの忘れてない?」


 ギリギリの所で、放置されていたライガの声に遮られた。


「いや空気読んで傍観してても良かったのよ。けどよ、親友と姉が目の前でぶちゅーするのを見せつけられる俺の心情を少しは察してくれてもいいんじゃねぇか?」


「少し黙りなさい。じゃないと永遠に喋れなくするわよ?」


「はいはい、すみませんでした」


 甘々なムードをぶち壊したからだろうか、ルカが表情を一切動かさずに修羅の如き憤怒を顕現させる。


「悪かったライガ、確かに除け者にしたし、それは謝る。けどな、俺は隣に人がいる喜びって言っただろ?」


「あー言ってたなそういや、イチャイチャしてるのかと思ってあんま良く聞いて…」


「俺はお前の事も含めて言ったんだぜ」


「…! ルーク…」


 俺とライガの間に妙な空気が流れる。

 俺は真っ直ぐにライガを見つめるが、ライガは視線を逸らし頭をかきながら照れくさそうにしている。


「な、なんだよ急に… 照れくさいだろ!」


「あなたもう戻ってなさい、邪魔よ」


 ライガが照れている所に、ルカから冷たい声が突き刺される。


「あ゛? 邪魔? 邪魔なのはどっちなんだか…」


「何? 私が邪魔って言いたいわけ? 剣しか取り柄がない能無し愚弟が」


「取り柄って言ったら姉ちゃんは頭しか取り柄が無くなるな。ちなみに外見の良さは中身の最悪さでプラマイゼロだから」


「言ったわね…! 小さい頃、私が勉強してるなか、外で遊び回っていただけで家に全く貢献しない親不孝バカの分際で!」


「遊び回ってた訳じゃねぇし! あちこちの道場で鍛えまくってたんだし! それに家には貢献してるわ! 家の名を背負って武道大会やらなんやらで優勝してんだからよ! 十分姉ちゃんより貢献してるし!」


「私はちゃんと実利益を出してるから! 好きな事して上手くいってるだけのやんちゃなガキよりかは確実に貢献してますー!」


「ガキだとぉ!? 歳1つしか違わねぇだろ!」


 さっきまで仲が良かったのに途端にギャイギャイと兄弟喧嘩をおっぱじめた。

 ライガはいつも通りだか、ルカは少し子供っぽくなってるのは気のせいだろうか…

 と言うか、これどこかで見たような…


「ルークさんはどっちと一緒に居たいですか!」


「あぁん? そんなの決まってるだろ! 俺だよなルーク!」


 急にこちらまで飛び火してきた。

 喧嘩するのは勝手だが巻き込まないで欲しい。

 2人とも睨み付けるように俺を見ている。

 どうやら答えないとこの喧嘩は終わりそうだ。

 そして、どちらを選んでも選ばなかった片方とは関係が確実に悪くなる。

 どう答えればいいものか… 荒波立てずに2人を鎮める適当な答えを必死に考える。


「ちょっといいかしら」


 どう答えるか迷っていると後ろから声をかけられた。

 振り向いてみると、そこにはがアイシャが腕を組み、仁王立ちしていた。

 ここ数日は、テンス殿下と行動しており全く喋る機会がなかったため、距離ができていたのだが…


「こいつ借りてくわよ」


「…皇女様、今とても大事な話をしていましたの。絶対に彼に答えて貰わないといけないですし、それにそろそろ昼休憩が終わり、午後の講義が始まります。ルークさんに用事があるなら放課後にしてみては?」


「私も大事な用事があるの。あなた達の兄弟喧嘩の勝敗なんかよりも大事な用事がね。それにルークは次の講義サボるから」


「…は?」


 勝手にサボるって決めつけられている。


「えっと… アイシャ様? 俺は…」


「行くわよ」


「うわっ! ととっ…」


 アイシャはそう一言告げると、首根っこ捕まれ強引に引っ張られてた。


「ちょっと! 私のルークさんに乱暴はやめてください! あと用事って何ですか! そこまで大事な用事なら後でちゃんと時間のある時に…」


「今がいいの、と言うより今じゃなきゃダメなの。ちゃんと返してあげるから大人しくしてなさい」


 アイシャに言いくるめられ、ルカは渋々引き下がる。

 そして、俺は今度こそ首根っこ捕まれて引っ張られていった。

 傍から見たら悪いことをした猫が、飼い主に怒られ小屋へ連れて行かれる構図によく似ている。

 周りからは飼い犬と呼ばれているが、今の姿を見たら飼い猫に変更されそうだ。


「にゃー…」


「マタタビ口に突っ込むわよ?」


 キレキレなツッコミ?をどうもありがとう。

 俺は猫が如くアイシャに連れていかれた。

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