4.抗えない婚約

「私と結婚しませんか?」


 俺は放たれた衝撃的な告白に身体が石のように固まっていた。

 その場に居合わせたアイシャと執事のトラウも口を開き、衝撃を受けていた。

 まるで時間が止まったかのように、一時の静寂が場を支配する。

 その静寂を最初に破ったのは…


「な… な… 何言ってんの急に!? バッカじゃないの!?」


 皇女のバカでかい怒鳴り声が俺の意識を呼び戻す。


「えー… ルカ様」


「ルカと呼んでください」


「こほん… ルカ様、何から言いましょうか… ともかく突然こんな事を言われても困ります。まずは家を通してから話を…」


ディーゼル家あなたの家にはもう話を通してあります。結婚もあなたがこの国に残る事も了承済みです」


「は…? この国に残る?」

 ルカの言葉に驚き、思わず声が漏れる。


「ちょっと、待って待って、私はそんな話聞いてないわよ? 帝国の貴族と王国の貴族が婚約するのならまず皇族に話を通さないと」


「もちろん通してますよ。皇帝も了承してくれました。もちろん諸々の問題も全て話し終えてます」


「うっ… でも… と、当人の気持ちを蔑ろにしちゃいけないわよ! ねぇルーク!」


 手を握られるほどの至近距離まで迫られて分かった。

 ルカは…デカい。何がとは言わないがデカい。

 強いて言うなら母性の象徴と言うべきか… ゆったりした服装をしているから遠目から見たら分からないが、手を握られる程の距離まで近づかれれば嫌でも目に入ってくる。

 俺はその母性に圧倒されていた。


「ルーク……!」


 アイシャの憤怒を込められた声に寄って母性に囚われていた理性が戻ってくる。


「大変光栄な話なのですが、申し訳ありません。情けない話ですがわたくしには婚約は少々早すぎます。なので申し訳ないのですが謹んでお断りさせていただきます」


「あら? どうしてですか? あなたにとってもとても良い話なのだと思うのだけれど」


「良い話…ですか?」


「えぇ、そこの束縛皇女から解放されるではありませんか」


 ルカはアイシャに向かってとんでもない言葉を言い放つ。

 アイシャの理性がブチ切れる音が聞こえた。


「束縛皇女…ですって…?」


「ええ、何か間違ってましたか?」


 アイシャが怒りに身体を震わせている。

 その怒りに魔力が呼応したのか、アイシャからとてつもない重圧が放たれる。

 ルカはそれをものともせずに論を畳み掛けた。


「ルーク様が他の貴族からなんて呼ばれてるかご存知ですよね? 皇女の飼い犬ですよ? ルーク様がそんな呼ばれ方をしてどれだけ辛い思いをしているか分かりますか!?」


「そ、それは… 周りが勝手に言ってるだけで気にしなければいいだけでしょ!」


「貴方は気にしなくてもルーク様は傷ついているかもとは思わないのですか!? そもそも飼い犬なんて呼ばれて傷つかない人がいるのでしょうか? 皇女様にどんな異常性癖があるのか知りませんがそれをルーク様に押し付けるのはやめてください!!」


「い、異常性癖ですって…」


 完全に言い負かされている。

 頭はいいのにこういうのは弱いんだよなぁ…

 アイシャはわなわなと震えつつも、怒りを抑え、冷静に反論して行く。


「わ、私は別にルークを傷つけた事なんてないし…」


「一度、ミノタウロスと一緒に吹き飛ばされましたけどねぇ」


「わ、私にそんな変な性癖ないし…」


「馬乗りされてハイヨーって走り回されましたけどねぇ」


「そもそも! 私はルークを犬扱いなんてした事ないし! ねぇルーク!!」


「ワン!(はい!)」


「あなたどっちの味方よ? ぶっ飛ばすわよ?」


「…すみません」


 アイシャに胸ぐら掴まれてメンチを切られた。

 この皇女こわ…

 王国の公爵家子女はお淑やかなのに、帝国うちの皇女様は何故こうも野蛮なのか。


「皇女より盗賊の方が似合ってるわよ」


「なんとでも言いなさい。これが私なの」


 アイシャが皮肉に対して堂々と言い返す。

 2人の間に火花が散っているかのように目が錯覚する。

 この婚約を断るために、残った最後のカードを切る。これが完封されたら詰みだ。


「ルカ様、わたくしには使命がございます。私は学園を出たのち、勇者の仲間として招集される事になっています。なので、ありがたい申し出なのですがお断りさせていただきます」


「…へ? 勇者の仲間って…?」


 何も知らないアイシャが突然出てきた話に困惑する。

 そう、俺が妾の子の分際でありながら他貴族の跡取りと揉めようとも皇女に手を出そうとも追放されないのは一重に勇者の仲間として価値を見出されているからだ。

 予言では[災厄が訪れる時、仲間を引き連れ勇者が現れる]とされているが勇者が誕生しても仲間は未だに現れてはいない。

 そのために各国が躍起になって、その人材を探している。俺はルーアドランティス帝国に勇者の仲間として選ばれ、いずれ勇者の元へ、馳せ参じる事になっている。

 このことを知らないのは隣にいるアイシャぐらいだろう。学園でも貴族間でもそれは広まっている。

 もちろん家にも、もう伝わっている。引き取り手である父クルムグは大喜びだろう。長男クライエのカンフル剤として使い捨てるはずだった俺に、とてつもない価値が生まれたのだから。

 俺が勇者PTに招集され、もし災厄から世界を救った場合、その名誉は計り知れない。

 俺を排出した帝国は他国から称えられるだろう。それを帝国自らが逃すとは考えられない。

 つまり俺は国に守られているのだ。それを崩すのは容易ではなかろう。


「えぇ、知っていますよ。それも交渉済みです。言ったではないですか。諸々の話は既に済ませてある、と」


 …詰みだ。

 帝国は未確定の功績よりも、目先にある王国との繋がりを選んだようだ。

 国や家を味方につけ、更には当事者である俺に何の告知もなく、言わば完膚なきまでの不意打ちを食らわされたのだ。

 初めから詰んでいた。俺に拒否権などなかったようだ。


「…参りました。降参します」


 俺は両手を上げ、負けを認める。


「最後に1つ、そもそも何故俺に好意を? 会うのは初対面では?」


「…帝国に行った時、偶然あなたを見掛けました。あなたのその澄んだ瞳に心を打たれましたの。いわゆる一目惚れです」


 一目惚れ…そういったルカの表情にはどこか少し影があった。

 ルカの真意は謎だが今、重要なのはそこじゃない。

 この交流遠征が終わる1ヶ月の間に如何にこの婚約を破棄するか… もし破棄出来なければ帝国でもの目的が果たせなくなる。

 正直、ここから巻き返せる方法など存在するのだろうか… そう思わせるほどに絶望的な状況だ。


 俺とルカの間に密かに水面下での戦いが起ころうとしていた。

 隣の口を出そうとして飲み込んで、出そうとして飲み込んでを繰り返す、しどろもどろなアイシャを放置して。


 

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