19.アイシャ・アレイス・ルーアドラ

 事件から一ヶ月、ジルバフ・アンクライの訃報とミノタウロス襲撃事件の真相が公表された。

 焼け焦げた研究室で焼死体となって発見され、その研究室を調べた結果、ミノタウロスを操り人形にするための隷属の首輪と同系列の物が見つかった。

 それにより、ジルバフ・アンクライが一連の事件の犯人ということが判明した。

 騎士団の見解では、我々の調査に逃げられぬと判断し心中を測ったと書かれている。

 これは騎士団の面目を保つためだろう。事件を未然に防ぐ事も犯人を捕まえられもしなかったのだ。騎士団に恐れ慄き自害に至ったということにしなければ騎士団が次は糾弾される。


 容疑を掛けられていたジルバフ・ボルシングは無事解放された。

 頬が少し痩せ憔悴しきった様子だった。

 それでも騎士団はまともな謝罪をしなかったが、ジルバフは抗議や告訴どころか怒ることも無く、特に何も言わなかったようだ。

 生徒を危険に晒したと責任を感じているらしい。スキンヘッドでその筋肉質な体から盗賊のような見た目をしているのに中身は学園の誰よりも教師と言うに相応しい人格者だ。

 休業しても誰も何も言わないであろうに休校となっていた学園が始まると同時にまた教壇に立つようだ。


 こうして事件後も何事も変わることなくいつもの学園生活が始まる…と、そう願っていた。

 現実はそう上手くは行かない。


「君が噂のディーゼル家の妾子かい? ちょっといいかな?」


 寮から学園に行く道で上級生に絡まれ、裏路地に連れて行かれる。

 今まで絡んできたのは勝気で高圧的ないわゆるオラオラ系だったが、今回のは毛色が違う。優等生タイプだ。


「えっと… 先輩方、ご用件は?」


「君も察しているだろう。皇女の件だ」


 やはりそうか…

 今回の事件は何も偽ることなくありのまま公表された。つまり俺と皇女が助け合い見事生き延びました。そう公表されているのだ。

 特定の家と皇族が助け合った。この事実を聞いて快く思わない連中はごまんといるだろう。

 先日のミネルバの提案をアイシャが断らなかったらこんなことにはなっていないんだが…


「私はルーガス・ムルテン。ムルテン公爵家の長男だ」


「ああ、挨拶が遅れて申し訳ありません。ルーク・ディーゼルと申します」


「知っている。だから声をかけた」


 見た目は優男風だが絵も言えぬ圧力を放っている。


「私の家は祖父の代から皇族と良好な関係を築いている。だがそれは努力を積み重ねやっと手に入れたものだ。それをひょっとでの穢れた妾子などがなんの努力もせずに手に入れるなど許されることではない」


「…はい、えっと、それで…?」


「二度と皇族に関わるな。自分を拾ってくれた家を潰されたくなかったらな」


 …なんだ、その程度か。

 別に仲が露見したその時から洞窟まで一度も話していない。

 洞窟に落ちた時は不可抗力だが、それ以降は元に戻っている。

 仲良くするだけでこの有様だ。言われなくてももう関わることは無いだろう。


「はい、わかりました。今後二度と皇族とは関わり合いません。用件も済んだようですので私はこれで」


「いや、待ちたまえ」


 要求を飲み、さっさと去ろうとしたら呼び止められた。

 その顔には見慣れた何かを企む者特有の含みのある笑みがそこにあった。


「いい機会だ。君はこの騒動で助け合った事を勘違いし皇女が自分を好いていると思い、隙を見て強姦しようとした。そこへ私が止めに入り皇女を救った。こういう筋書きにしよう」


「おお、流石は厶ーガス様! 良いお考えです」


 目の前の優男風貴族がバカげた事を言い出し、その取り巻きがバカげた相槌をする。


「君は今日の放課後、アイシャ様を呼び出し私が合図したら強姦したまえ」


「はぁ… そんなことするわけないでしょう」


「拒否するならば我が家の力を持って君の家をこの国から消してやろう。自分を拾ってくれた恩のある家を自らの手で滅ぼすのかな?」


 先の問答で家を上げられると逆らえないと勘違いしたらしい。

 別にディーゼル家などどうなっても構わないのだが、この手の輩を放置するとろくなことにはならない。

 今は適当に了承したフリをして後々処理するのが1番手っ取り早そうだ。

 そう考え了承の言葉を口にする。その時だった。


「何をしてるの?」


 裏路地の入口から凛とした声が響いた。


「これはこれはアイシャ様、ご機嫌麗しゅう」


 優男風貴族は場所に似つかわしくない優雅な礼と挨拶をする。


「何をしてるのって聞いたの」


 それをガン無視してアイシャが質問を投げかける。


「いえいえ、今回の騒動を詳しく聞きたくてルーク君に話を聞かせてもらってただけですよ。そうだよね?」


「ええ、ルーク君とルーガス様はただ話をしていただけです」


 ムーガスが取り巻きに援護を求め、取り巻き達がそれに応える。


「そう。私、ルークに用があるの。どいてくれるかしら?」


「…アイシャ様、差し出がましいですがひとつ忠告を。あまり身分が良くないものとの接触は控えた方がよろしいかと」


「聞こえなかったかしら? どいてって言ったの」


 貴族の忠告に対し、高圧的な態度で返す。

 懇意にしている貴族では無かったのだろうか? このような態度を取っていいのだろうか…?


「……ッ」


 ムーガスは小さく舌打ちをし、その身を引く。

 横切る俺とアイシャを凄い形相で睨んでいる。

 後々、面倒な事になりそうだったがアイシャが一括した。


「それと私を襲おうって言うなら助けに入ってきた瞬間、ルークごと吹き飛ばしてあげるから」


 ムーガスに対しアイシャは冷たく睨み返し、言葉を言い放つ。ムーガスは歯ぎしりを鳴らしてたじろいた。

 そして、「行くわよ」と言い、俺の手を引いて学園へと歩き出した。

 こうして絡まれてる所を助けてくれた。そこは感謝している。だが、俺も吹き飛ばすのかよ… 心の中でそう突っ込まずにはいられなかった。


「あー助けてくれてありがとうございますアイシャ、ただ今の状況を見られたらマズいと思うのですが」


 助け出すために手を引いて連れ出した。が、それを知らない他の生徒達から見たら手を繋いで一緒に登校する男女にしか見えない。

 この状態を見られて勘違いするなという方が無理というものだ。


「別に気にしなくていいわ」


「さいですか…」


 先の事件から少し変わった様子だ。

 どこか吹っ切れたようなそんな感じだった。


__________



「ではこれで」


 学園に到着したので馴染んできた自分のクラスへ向かおうとした。だがそこで呼び止められる。


「どこ行くのよ」


「…? 自分のクラスですが…」


「あなたのクラス、私のクラスに移動させといたから」


「……はい?」


 突然、衝撃的な言葉を言い放たれた。

 俺は驚き間の抜けた声を上げる。


「え…? えっと、どうしてそんなことを」


「別にいいじゃない。クラスに馴染めなくて友達もいなかったんでしょ? 何か問題あるかしら」


 情けないがその通りだ。確かに問題は無い。

 だがなんというか、それはありなのだろうか?

 そこへ教室へ向かうジルバフが通りかかる。


「お前ら朝っぱらからイチャつくな」


「別にイチャついていません」


 ジルバフの冗談にアイシャが素の声で冷たくあしらう。

 丁度良いタイミングで来たのでこの皇女の横暴を訴えることにした。


「ジルバフ先生」


「なんだ、ルーク」


「私がクラス移動したと聞いたのですが何かの間違いですよね? 流石にいくら皇女様でもこれは許されないのでは…?」


「……」


 ジルバフが押し黙る。

 そして横目でチラッとアイシャを見る。


「別に構わないですよね? ジルバフ先生」


 アイシャが爽やかな笑みで静かに圧をかけた。


「まぁいいんじゃないか? クラス移動くらい。また稽古して欲しかったら放課後訪ねに来い」


 その圧に屈するかのようにジルバフが俺の問いに返答する。

 そして逃げるように自分の担当する俺の元クラスへ歩いていった。

 俺は自然とため息を着いていた。

 抗議しても無駄だと悟り、完全に諦めた証拠だ。

 凄まじい脱力感に襲われてる俺をアイシャは自分のクラスへと引っ張って行った。



__________



 放課後になり、ここ最近は寄り付かなくなっていた図書棟に来ていた。

 そう、以前と同じようにアイシャとの勉強会が再開した。

 ただ、一つだけ変わったことがある。

 それはテーブルの配置だ。

 以前はどこも大きな1つのテーブルを囲う形で配置されていた。

 だが今は、所々が2人用のテーブルに変わっている。

 そのおかげで今は誰にも邪魔されることなく、以前の勉強会を行えている。

 周りからの視線とヒソヒソ話を除けば…だが。


 ちなみに1人、勇敢な馬鹿が俺とアイシャの間を割って入ってきた。

 その時のアイシャの目は、眉目秀麗からは想像もつかない程、冷たい目だった。

 傍から見ていた俺でも鳥肌が立ったのだ。その馬鹿は一生もののトラウマになるだろう。


 紙にペンを走らせ鳴らす心地よい音と共に互いに学を積んでいく。

 夕焼けが窓から指す頃には図書棟には誰もいなくなっていた。

 当然だ。普段図書棟を利用しない公子公女が皇女目的で立ち寄っているのだ。

 本などいくらでも手に入る彼らに取って長居する理由など全く無いだろう。

 周りに誰もいなくなった事を確認し、俺は筆を置き、一つだけアイシャに問いかける。


「本当によろしかったのですか?」


「何が?」


妾子おれと一緒にいて、ですよ。皇族全体に不利益をもたらすのでは?」


 アイシャは俺の問いにしばらく黙り、そしてゆっくりと口を開いた。


「私ね、今まで我慢しすぎていたのよ」


「そう…ですか?」


 今までの言動で我慢しすぎていた…?

 そうツッコミを入れたくなったが、ツッコミを入れる雰囲気ではないのでそれは胸に閉まっておく。


「お父様やお姉様に迷惑をかけてはいけない。ずっとそれだけを考えて生きてきた。けど、それが間違ってたのよ」


 語るアイシャの表層は澄んでいた。

 曇りなき眼が美しいと思えるほどに。


妾子あなたといると家族に迷惑がかかるかもしれない。けどそれがなんだって言うの? 何か問題が起きてもお父様やお姉様は私よりもずっと凄いのだから、何が起きてもきっといとも簡単に解決してくれるわ」


 アイシャが俺に微笑みかける。

 その目は真っ直ぐに俺を見つめている。


「あなたが気付かせてくれた事よ。人に頼ってもいいのだと。だから少しだけ信頼できる人に頼るだけ。お姉様やお父様やあなたを…ね」


 少し驚いた。

 ここまで正面から真っ直ぐに言葉を伝えてくるとは思っていなかった。

 洞窟から出て良い方向に成長したようだ。

 俺は一言「そうですか」と軽く、そして深く返答した。


 渡すならこのタイミングしかないか。

 俺はカバンから1つの小さなケースを取り出した。


「アイシャ様、良かったら貰ってください」


「何これ?」


「俺からのプレゼントです」


 差し出した物はまるで婚約指輪を入れるケースのような見た目をしている。

 夕焼けのせいだろうか… 彼女の頬が少し赤く染ったように見えた。


「え、えっと…」


「開けてみてください」


 俺は微笑みかけ、アイシャに開けるよう促す。

 アイシャは恐る恐るそのケースを開いた。


「これって…!」


 その中にはつのの先っぽを縦半分に割り、組紐を通したネックレスが入っていた。


「丁度角の先っぽが折れていたので、簡単ですが作ってみました。2人で倒した記念ということで」


 俺は角のもう半分で作られたもう1つのネックレスを胸ポケットから取りだし、アイシャに見せる。

 アイシャはネックレスを見つめ、俯きながら口を開いた。


「女の子に魔物の角を上げるって最悪のセンスね」


「お気に召しませんでしたか?」


 俺の問いに対し、軽く笑った後にアイシャは顔を上げ、力強く返答した。


「フフッ… 最高よ! ルーク!」

 

 アイシャの大人びた理知的な顔で子供のような満面の笑みを夕焼けが照らした。

 その笑みは鮮明に俺の記憶に焼き付けられた。

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