13.チェンジで

「…はぁ、アイシャ様が大声だすからですよ」


 床に広がった濁った深緑の血肉が靴を染める。

 返り血でローブが緑のまだら模様に染まっている。


「うっ… ごめんなさい…」


 しょぼけてるような、拗ねているような曖昧な態度を取る彼女のローブは、魔術を使い、遠距離で戦っていたからだろうか、俺のと比べると全く汚れてはいない。


 地上ではゴブリンやコバルトだったが、洞窟の魔物は大百足オオムカデ赤蝙蝠レッドバット四足欄蜘蛛クアドロタランチュラなどの虫系統や害獣などが多く生息していた。

 その群れを一掃したため、歩く度にヌチャヌチャと気持ちの悪い音を奏でた。


「うえぇ… 流石にキツいわねこれは…」


「アイシャ様は俺に比べれば、全く汚れてないんですからいいじゃないですか… 俺なんて返り血でローブが台無しですよ」


「あら、似合ってるわよ? 所々にある緑がいい味出してるわ。学園もそれで通ってみたら?」


「勘弁してくださいよ… 余計に浮くじゃないですか」


「フフッ、そうね」


 俺は汚れたローブを脱ぎ捨て、荷物から替えのローブを纏った。

 アイシャは散らばっている血肉を足蹴にし、荒らしている。

 いや、動きは荒々しいが荒らしているというよりも漁っているという表現の方が正しいだろうか。


「もしも今日中に出られなかったら… 最悪だけど覚悟を決めなきゃなさそうね」


 覚悟がどういう意味か、すぐに分かった。

 学園に入るまでスラムに暮らしていた俺でさえ、それを考えると吐き気を抑えられない。

 城でぬくぬくと暮らしてきた皇女様にとっては、地獄そのものだろう。

 その意志があるだけで、彼女がどれほど胆力があるのかが計り知れる。


「…そうならないことを切に祈ってますよ」


「そうね。さてと、そろそろ行くわよ」


 アイシャは疲れた素振りを全く見せずに先導していく。

 流石に休憩を挟んでも良さそうなものだが…

 彼女の様子はいつもと違い、余裕がなく焦っているように見えた。




___________




 途中、何度かの襲撃に見舞われた。

 だが、危なげなく撃退していった。


「強いわね、あなた」


「そうですか? まぁ多少は動けると自負はしてますが」


「模擬演習の時から見てたけど、動きが素人じゃないわ」


「今日一日ずっと見てたんですか? 恥ずかしいなぁ」


「えぇ、ずっと見てたわよ」


 茶化したつもりだったが、素で返された。

 いつもの彼女なら「う、うるさいわね!」とか、いい反応をしてくれるだろうに。

 少しばかり様子がおかしい。思い詰めているようだ。


「あなただけじゃない、他の生徒みんなを見てたわ。危ない時に守れるように」


 小声で話しているからそう感じるのだろうか?

 いつもより声に覇気がないように感じる。


「あなたは一見、単独で好き勝手暴れているように見えて、本当は投擲しようとしている魔物や、隙を伺って不意を突こうとしてる魔物を優先して倒していたわ」


「…よく分かりましたね。他の生徒は自分に襲いかかってくる魔物に必死で周りなんて見てないのに」


「えぇ… だからこそ苦労したわ。四方八方に動き回るあなたにいつでもすぐに結界を貼れるように意識を向けないといけなかったから」


 …この皇女は固まって戦っている生徒だけじゃなく、魔物に突っ込んでいく俺までも守ろうとしていたのか。

 とてつもない集中を要するのに、それを落とされるまでずっと、しかも洞窟に落ちてからも疲れをおくびにも出さない。

 凄まじい集中力と気力だ。洞窟で彼女の評価を改めたが、それでも過小評価だったらしい。


「どこで身につけたの? それ」

 

「ブルクス先生に叩き込まれまして」


「嘘、あんな短期間で身につくものじゃないわ」


 少しだけ間ができる。

 と言うよりも、俺が間を作ったという方が正しい。

 俺の歩んできた道は決して平坦なものじゃない。

 自分からその身の上話をして、哀れんでもらう趣味はない。


「言いたくないならいいわ」


「アイシャ様もお強いじゃないですか。誰に習ったので」


「私は…神様に教わったの」


 ……?

 少し混乱した。

 強気な皇女様にしては珍しい表現をするからだ。

 神様か、言い得て妙だな。

 あの男ならば、その壮大な呼称もかすみはしないだろう。


 ふと、歩く速度が遅くなってきているのに気付いた。


「アイシャ様、休憩しませんか?」


「疲れたの? 悪いけど、留まればその分、帰れる確率が低くなるわ。我慢して」


 先程よりも更に、声に覇気が無くなっていた。

 その顔を除けば、酷く青ざめていた。


「アイシャ様、何か隠してる事がありませんか?」


「…ないわよ、そんなこと」


 問いをぶつけた時、視線が少し下がった。


「アイシャ様、失礼します」


「ちょっと!」


 体を支えながら強引に靴を脱がす。

 そこからは酷く腫れ上がった足首が現れた。

 

「…どうして隠していたんですか?」


「それは……」


「とにかく治療します。座ってください」


「…いいわよ、しなくて」


 アイシャは足を見られた途端にしおらしく、そして焦燥し切った顔になる。


「何故ですか?」


「魔力切れで動けなくなったら一貫の終わりなんだから、その魔力は自分のために使いなさい。私は魔術師なんだから、足を負傷していたって戦えるわ」


「いや、まだまだ登るんですから。この怪我じゃ歩けなくなるでしょう」


「その時は見捨ててもらっていいわ。あなただけでも地上に出なさい」


「…はぁ、妾子の俺が皇女見捨てて生還しましたとか言ったら、処刑されますよ」


「でも… 私は皇女だから… これくらい」


「問答無用!」


 アイシャを強引に座らせ、足を治療する。

 酷く腫れ上がった足は、瞬く間に治っていった。


「ごめんなさい… あなたの手を煩わせるつもりはなかったのに」


「いつからですか?」


「…最初の襲撃の時に」


 痛みを我慢してここまで歩いてきたのか。

 ここは学園でもなければ、整備された公道でもない。

 石や岩だらけの凸凹の激しい洞窟だ。

 それをこの足で登ってきたのか。

 相当な激痛だろうに何故…


「終わりましたよ」


 足は先程までの状態が嘘のように、完璧に治っていた。

 だが、アイシャの顔は反対に酷く憂えていた。


「ごめんなさい… 私は皇女なのに…」


 その目に雫が溢れていた。

 体は僅かに震え、手を握りしめている。

 

「これが…お姉様だったら… こんな…」


 …やはり無理をしていたようだ。

 目の前にいるのは、14歳の魔術が長けているというだけの少女だ。ただ皇女と言う肩書きを背負ってるだけ。

 突然、怪物が襲ってきて攻撃されて気がついたら真っ暗な洞窟の中。

 心に押し寄せる不安や恐怖を噛み殺していたのだろう。

 尊敬する姉のように…と

 だが、その姉ではしないだろうミスをしてしまい、その心の支えが決壊した。

 必死に押さえ込んでいた負の念が溢れ出してしまった。

 手で目を拭い、声を押し殺して泣いている。

 静かな洞窟は、彼女の殺しきれずに漏れ出た嗚咽を残酷にも鮮明に俺の鼓膜へ届ける。


 きっとこのまま泣き止むのを待っても、彼女は先程までと同じようには戦えないだろう。

 立て直さなければならない。心を奮い立たせなければならない。


 暗澹の洞窟が重くなった空気を更に重くする。

 ならばまずはこの空気をぶち壊す。


 俺は伝えるべき言葉を考え整理し、準備を整えたらこの暗く涼しく静かな洞窟に鳴り響くように、この重く息の詰まる空気を払拭するようにーーー勢いよく手を鳴らしたーーー

 

 ーーパンッ!!ーー


 アイシャは、目前に鳴らされた手に驚き硬直した。

 音源の少年は満面の笑みで言い放った。


「チェンジで!!」


「……へ?」


 突然放たれた謎の言葉に、アイシャはきょとんとしている。


「今から俺が皇子様で、アイシャ様が貴族の妾子って事で」


「……え、待って待って、どういう…?」


「この洞窟を出るまではアイシャ様は俺と同じように俺を敬って下さい。俺もアイシャ様みたいに威張りますから」


「…なんでそんなこと」


「いいじゃないですか。治癒の代価という事で」


 以前、唖然としているがそれでも呑み込めたようで、しどろもどろながらも対応していく。


「…ま、まぁ分かったわ。じゃない、分かりました。ル、ルーク様」


「よしよし、それじゃあ皇子として命令する!」


 命令という単語を聞いて、アイシャが息を飲む。

 皇女という立場なら、命令というのはよく聞く身近な言葉なのだろう。

 その重みを知っているからこそ、緊張が走る。

 が、それはすぐに砕かれた。


「俺を助けるの禁止!!」


「…は?」


「俺は皇子だから何でもできる! だから何もしなくていい! 戦うのも魔術を使うのも禁止! ただ後ろを黙ってついてこい!!」


「嫌よそんなの! 何もするなって! 私も戦うわ! お荷物みたいに扱わないで! それに…!」


「…それに? なんですか?」


「それに……えっと…」


 先程の元気がない様とは違う。少し恥ずかしいような照れくさそうな様子だ。


「それに寂しい、ですよね?」


「………」


 言い当てられた少女は、俯き顔をほんのりと頬を赤く染めている。

 皇女には、寂しいなんて弱気な言葉は口にしにくい恥ずかしい言葉なのだろう。


「私も同じですよ」


「えっ…」


「頼られないというのは寂しいのですよ。弱い自分を見せたくない、強い自分を見て欲しい。その気持ちはよく分かります。けど、親しい人ほど人は頼って欲しいものなのです。その人の役に、力になりたいんです。」


 アイシャの目を見つめて、諭すようにゆっくりと、されど力強く語る。


「そのお姉様がどういう人なのかは知りません。お姉様が誰の手も借りない程の完璧超人でアイシャ様が憧れるのも真似するのも自由です。けどそれでもーー頼られないのは悲しいです」


 告げられたアイシャは、ほんの少しだけ目を見開き呟いた。


「…そうなのね、頼られないのって悲しいのね」


 アイシャの顔には、もう先程までのは悲痛な表情は消えていた。

 その目には僅かなれど先刻にはなかった光が宿っていた。


「…お姉様のようにしっかりしなきゃって思ってた。あなたの気持ちなんて考えもしなかったわ。逆の立場にさせられて初めて分かったわ。ーーありがとう」


 いつもの彼女らしい少し強気で理知的で、自信の溢れる顔に戻っていた。


「お礼を言われる事は何も、ただ自分の気持ちを伝えただけですよ」


 そう、本当に大した事はしていない。

 言うなれば俺の我儘を聞いてもらっただけだ。

 ただ優しく、力強く言っただけ。


 彼女は元通りに戻ったが、やはりまだしんみりした空気が残っている。

 ので、次はそれを吹き飛ばす。

 俺は仁王立ちし、腕を組み、思い切り胸を張り、全力で威張りながら言い放った。


「それじゃあ、2つ目の命令!!」


「2つ目!!? …あっ! え、えっと…2つ目…ですか?」


 いつもの顔は、秒で驚きの表情に変わった。

 だがそれもいつもの彼女だ。

 最初のスルーとは異なり、彼女はやはり良い反応をしてくれた。


「2つ目って… もしかして如何わしいことでも命令するの!…ですか!? でも流石にそれはアウトだと思いますしでも今はルーク様で私の方が立場は低いのだから逆らえないのかも… でもでもこんな場所でするのはやっぱり嫌だと言いますかなんというかーーー」


 慌てふためくアイシャを無視し、強引に命令を言い放つ。


「2つ目!! …やっぱりタメ口で」


「…へ?」


「なんというか、同い年に様付けや敬語を使われるのはむず痒いというか、肩が凝るので」


「……フフッ、アハハッ」


 彼女は思わず笑いだした。

 洞窟内に笑い声がこだましたが、幸い魔物の気配はない。


「やっと私の気持ちが分かったのね。そうよ? 同い年にすら敬語使われる方も大変なのよ?」


「使われてやっと分かったよ」


「分かったなら今後、敬語は使わないでよね!」


「それは無理かな。学園では他の生徒の目もあるし、この洞窟限定で」


「もう、全く強情なんだから」


 靴を履き直し、軽快なステップを踏んで足を慣らした。

 体も心も完全に治ったようだ。

 意気揚々と声を上げた。


「さてと! だいぶ時間も食っちゃったしそろそろ進むわよ! ルーク!」


「そうだな、行こう!」


 水や食料が見つかったわけでもなければ、魔力が回復した訳でもない。

 ただ、それでもアイシャは確信していた。

 この人と一緒なら、絶対にこの洞窟を出れる…と

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