05.世界を滅ぼす怪物の物語

 牢獄の外が騒がしくなる。

 鎖で両手を吊るされた少年は、眠りから目覚め、残っている左目をゆっくりと開いた。

 不規則に伸びたザラザラの髪の隙間から、牢獄に太った男が入ってきたのが見えた。

 派手な装飾で着飾られた衣服は、更に宝石などで飾られて、歩くたびにジャラジャラと音を立てている。


「ちっ! 結局"催淫"は使えるようにはならなかったか」


「すいやせんお頭! 拷問し続けたんですが途中からうめき声すらあげなくなりやして…」


「フンッ! 役立たずどもが!」


 太った男は、少年の血がにじんだ肌に手を当て''超回復''を放つ。

 途端に少年のへこんだ片目、切られた指、折られた歯が再生し、痣と血だらけで凹凸だらけの肌がみずみずしく滑らかになり、年相応の肌に戻っていった。


「ほう、将来性のある顔立ちだったがここまでとは」


 少年の伸びた髪から覗かせた顔は、鋭く、除いた者をどこまでも吸い込んでいきそうな妖艶な雰囲気を孕んだ瞳と、誰しもが見惚れる完璧な美しさを持っていた。


「これは… "催淫"なしでも客を魅了しそうだな… ふむ、さすがはサキュバスの半魔だ。仕立て屋の元に連れてけ。完璧に仕立てろ」


「うっす! おら行くぞ!」


 部下の男は、少年を吊るしていた鎖を外し、強引に引っ張って行く。

 牢屋の外にでて通路を歩いて行くと、様々な種族が小さな檻に入れられていた。

 動物の耳やら尻尾が生えた獣人、翼やエラが生えている魔族、人間も少数だがいる。そのほとんどが女と子供だ。


 少年は母親と同じ種族、サキュバスを探すが見当たらなかった。

 

 男に連れられ歩いて行くとやがて、薄暗い通路の途中にドアの隙間から明るい光が漏れ出いる部屋が見えた。



________________________




 中に入ると、鉄の首輪をつけられた若い人間の女が、魔族の子供の髪を切っていた。

 手に持っていたハサミには血が滲み、顔は酷くやつれていた。


「おい、こいつが例の目玉商品だ。一切手を抜かず、完璧に仕立てろ」


「はっ、はい… 分かりました。」


 女はオドオドと男に返事をした。

 元居た奴隷は退かされ少年が座らされた。

 

 女は、少年の髪を手に取ると、特殊な水を馴染ませ始めた。


「うう…!」


 水が手に染み、女は苦痛の声を漏らす。

 塗り終えて、ハサミを取り切り始めると、女はポロポロと窪んだ瞳から涙を溢れさせ、少年につぶやき始めた。


「…ごめんね… ごめんね… 何もしてあげられなくて… こんな小さいのに…… ごめんね…」


 女の言葉をまるで聞こえてないかのように、少年は虚ろな瞳で壁を見ていた。



________________________



 仕立てが終わった後、通路で見た檻よりも大きい檻に、少年は入れられ運ばれた。

 下ろされた場所は、いくつもの小さな檻がある暗い場所だ。そのどれもに商品と思わせる鉄の首輪をつけられた女子供が入れられている。


「うっ… ひぐっ… 怖いよぉ、帰りたいよぉ…… お母さん…」


 響いてくる地を鳴らすような大勢の雄叫びのような喚声と、檻の中の子供の泣き声が入り交じっている。


 しばらくして、着飾っている太った男が少年の檻に近づいてきた。


「次の番だな。いいか? 競り合う人数が2、3人になったら負けてるやつの顔を見るんだ。助けてほしそうにな」


 男の言葉に少年は少しの反応も見せない。それに苛立った男は最後に釘を刺すように言った。


「母親のために頑張れよ?」


 男の最後の言葉に、少年は小さく頷いた。

 そして、実況の声が一段と声量を上げて鳴り響いた。


「さて、会場も温まってきたことですし、次は皆さんお待まちかねの本日の目玉商品です!! 生まれることすら奇跡といわれる超希少な存在で、魔族領の奥の奥で隠れ住んでいるという仕入れることが超困難なあの魔族! その血を受け継いでいる奇跡の存在! サキュバスの半魔だああああああ!!」


 少年の檻は組員たちに押され、壇上に上がる。

 何千人もの喚声が大気を震わせるように波打つ。目の前には奥が見えぬほどの暗く広い空間に、仮面で顔を隠し、ドレスやスーツで身を包んだ身分の高そうな人間が数えきれないほどいる。

 全員、前かがみに座り、仮面の隙間から血走った目で少年を見ている。


「これは! 男の私ですら見惚れるほど美しい! では1千万ポンドからスタート!!」


 熱狂とともに自分の値段が吊り上がっていく。

 会場は先ほどまでとは比べ物にならない熱をため込んでいた。


 盛り上がっている途中、一人の猫のような仮面を身に着け、黒いスーツを着た男が歩み寄る中央の階段から歩み寄ってくる。

 熱気を孕んだ会場は徐々に沈静化し、男が客席の最前列まで歩み寄ったとき、会場の喚声はざわつきに変わり、男に注目した。


「えー… あの~、お客様? 席を立つのはマナー違反でございます。席にお戻りくださいませ」


 実況は、競売を続けるため男に注意を促す。

 が、男は意に介さずゆっくりと天を見上げた。

 そして叫んだ。 


「――――――――――――」


 刹那、叫んだ男から鮮烈な光と激しい熱風が放たれた。


 重く低い衝撃音が壇上の前で炸裂した。

 壇上の上で檻の中にいた少年の意識は、衝撃に刈り取られた。

 

________________________



 近距離で爆発に巻き込まれ、少年は閉じ込められていた檻ごと、吹き飛ばされていた。

 檻は原形を留めておらず、中にいた少年の体は、左腕を吹き飛ばされ半身は火傷に覆われていた。

 

 耳鳴りが収まると会場は悲鳴、慌てふためいた声、泣き声で溢れ、天井からは雄叫びのような声が響いてくる。


 男が自爆した場所を中心に、黒い焦げと肉片が飛び散り広がっている。


 壇上の裏で、お頭と呼ばれる男とその部下たちが、焦燥に駆られた様子で話していた。


「なんで魔族が攻めてきているんだ!? 大規模な警備網を張っていたはずだ!」


「わかりやせん! ただ魔族領の方から魔族の軍勢が!!」


「くそっ! くそっ!! こんな大事な時に…」


「お、お頭! 俺らはどうすれば!!」


「ちょっと待ってろ! …よし! 一人は俺と一緒に来い! 他の奴は地上で商品を荷馬車に運んで逃走する準備をしろ!!」


「え… それって魔族に見つかるんじゃ…?」


「大丈夫だ! 今からいう場所なら魔族は来やしない! 俺は後から合流するからそれまでに準備を済ましとけよ! 場所は―――」


 男は部下に場所を伝え終え、一人を残して部下が逃走する準備に向かった。

 そして、少年の方に険しい表情で向かってくる。


「行くぞ!! そのガキを連れてついてこい!!」


 部下の男が指示に従い、少年の無事な右腕を掴み、強引に引っ張り歩き出した。

 見ると部下も、状況を飲み込めず狼狽えている様子だ。


「お、お頭…? 俺達はどこに? 準備させてる荷馬車に向かうべきじゃ…?」


「あぁ!? 囮だよ! あいつらは! 魔族の軍勢が地上に来てんだ、簡単に逃げられるわけねえだろ! あいつらが地上のくそどもを引き付けてる間に俺たちは隠し通路で逃げるんだよ!」


「なっ! 商会はどうするんですか!?」


「んなもん諦めるしかねぇだろ!! 商会は潰れるが俺は生き残れる! こいつが入れば金も何とかなる! 分かったか!? 分かったならさっさと歩け!!」


「ひっ…! へ、へいっ!!」


 ろうそくで照らされた狭い通路を早足で抜けていく。

 そして、明かりのない部屋にたどり着く。


 中には、大量の食糧が積まれている。

 男は乱暴に食料の入った木箱をどけ、壁に手を当て探り始める。

  

「確かここに… よし!」


 男の手を当てた個所に、紋様が浮かび上がる。

 すると、壁は揺れ崩れ奥に上に続く階段が現れた。


「行くぞっ!!」



________________________



「ハァ… ハァ…」


 男は長い階段を上り、地上にたどり着いたころには顔面蒼白で息切れし、服についていた装飾品もほとんどが取れていた。


「お頭…? 大丈夫っすか?」


「ああ? 大丈夫に見えるかよ! くそっなんで俺がこんな目に…」


 外は暗く、地上には裕福でも貧相でもなさそうな平凡な村が、かなり広域にわたって、広がっていた。とても地下にいくつもの部屋に通路、巨大な会場があるとは思えない程の格差があった。

 隠し階段からでた場所は、その村から離れ、軽く一望できるくらいの高さがある丘だった。

 所々で火が上がっている。

 

「行くぞ、一旦ここから離れて魔族が引くのを待つ」


「こ、こっからどこに向かうんすか?」


「バカが、一旦待つって言っただろ。魔族がどっか行ったら戻ってくんだよ。最低限の荷物を取りにな」


「な、なるほど…」


「隠れられる場所を探すぞ、森の中に行くからガキ逃がすんじゃねえぞ?」


「分かりやした!」


 少年の腕を握る力がより強くなる。

 そして、引っ張り歩き出そうとしたその時…


 ドサッ


 なんの前触れもなく部下の男は倒れた。

 

「…あ? おい、何してる?」


「……」


「おい! 返事しやがれ!」


「……」


 男が怒鳴っても、部下はまるで反応を示さない。

 まるで、魂を抜かれたように。


「…おいガキ、てめえか?」


 男は少年を睨み、問いかける。

 少年はただ黙り、下を俯いている。


「"催淫"か…? くそっ! このクソガキィ!!」


 男が少年に殴り掛かる。

 ふと、俯いてた少年が顔を上げ男に向かって唱える。


「"動くな"」


「ぐっ…!? か、体が…!?」


 男の体が、体を石にされたように動かなくなる。


「くそっ! なんでまた隷属の首輪が作動してねえんだ! 俺たちに逆らえるわけが…!」


 意思のない虚ろな瞳が男を見据えながら、少年はゆっくりと覚束ない足取りで男のもとに歩む。


「っ…! ま、まてっ! 母親はどうなってもいいのか! お前が逆らうと母親は一生奴隷だぞ! 解放してほしかったら俺たちの命令を…!」


「"黙れ"」


「うぐっ…! う…」


 半身を焼かれた少年が、男の前に立つ。

 男は腰が抜け、その場に座り込み、少年を見上げる。

 ひどい火傷に覆われた少年のその瞳には、一切の感情も無く、無機物を見るような何も映っていなかった。

 怒りも殺意すらも映っていないその目が男に、今までに体感したことのない恐怖をもたらした。

 

「うっ…! ひっ…」


 恐怖に呑まれ、逃げようとする男に、少年は命じる。


「"自分の内蔵を引きずり出せ"」


「は…? あが! があああああぁぁぁあああ!!」


 少年の命令に応じるように手が勝手に動き、胸をこじ開ける。

 そして、"超回復"で胸に開けられた穴が塞ぐ。

 また穴が開き、腸を引きずり出しては再生する。

 穴が開いては塞いでいく。内臓がちぎれれば生えていく。

 男は意識を手放すことすら許されず、ただただ悲鳴を上げるしかなかった。


 

________________________



 やがて、魔力が底を付き"超回復"が切れ、男は臓物ぞうもつをぶちまけた無残な遺体となった。

 男が死ぬと少年の半身を覆っていた火傷は瞬く間に癒えていった。

 少年の身体は完全に癒えようとも、少年の心は父と母の仇を殺しても、何も感じてはいなかった。


「そうだ… 帰らなきゃ…」


 少年は歩き出す。帰る場所すら分からず、ただ歩く。

 気づけば魔族はすでに撤退し、阿鼻叫喚の夜は先程までとは比べ物にならないほど、静寂に満ちていた。


 ふと、周りを見れば少年は村に下りていた。

 村は所々には武具や瓦礫とともに、死体が散乱している。

 人間、魔族、檻の中で泣いていた獣人の子供と様々に。

 その中に、髪を整えた若い女の首も転がっていた。


 やがて、夜が明け朝日が昇り始める。

 武具、瓦礫、死体共々に、朝日は少年を照らし出す。

 何年も見ることのなかったその太陽は、眩しくも空っぽな少年の心に小さな火を灯した。


「太陽… こんなに眩しかったんだ」


 何も特別ではないただの朝日が、失った心に暖かな炎を灯された様だった

 血みどろが辺り一帯を埋め尽くしている中、それだけが輝いていた。


「…きれいだ」


 黒く澄んでいた少年の瞳からは、気づけば涙が溢れ出していた。

 

「こんなに… こんなに世界はきれいなんだ… なのに、なんで…」


 自分からすべてを奪った盗賊、捕らえられた奴隷を物としか見てない客たち、人間だけじゃなく獣人の子供すら殺していく魔族も、泣き喚く殺されることしかできない奴隷たちにも、何もかもが少年には世界を汚す不純物に思えた。


 こんなきれいな世界にこれは…


  ーーいらないーー


 輝かしい暁が灯したのは、どこまでも澄んだ憎しみだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る