03.そして赤く染まる

「いやあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


 耳を貫くような悲鳴が響き渡り、気絶していたソラを意識を目覚めさせた。


「ここは… なんで…」


 冷たい石床と錆びた鉄格子の中をろうそくの灯がゆらゆら照らし、凍える薄暗い牢屋の中で、重くひんやりとした鉄の首輪がソラの首にに取り付けられていた。

 何が起きているのか、理解しようとする頭を心が止めるかのようにソラの胸の中はぐちゃぐちゃに入り交じっていた。

 しかし、徐々に鮮明になっていく意識の中で先ほどの悲鳴が頭の中で何回も再生され、何が起きてるのか悟らされた。


「お母さん… お母さん! お母さん!!」


 暗い牢獄の中、6歳の子供は鉄格子を力の限り押し、喉がかれるまで自分の母親を呼んだ。

 しかし、聞こえてきたのはこだました自分の声だけだった。


(何が! どうして! こんな! なんで!)


 小さな頭の中には恐怖と焦燥感が張り裂けてしまいそうなほどに溢れていた。

 泣き叫び、牢を出ようと必死にもがいた。


 ガンッ! ガンッ!


「くそっ… 壊れろ! 壊れろぉ!」


 鉄格子を何度も何度も叩くたびに、痛みと無力感が少年を蝕んだ。

 周囲に血が飛び散り石床に赤い小さなまだら模様が、でき始めていた。


 少しづつ腕の感覚がなくなっていき、鉄格子を叩こうとも音すら鳴らなくなるほど弱々しくなっていっく。


「お母さん…」


 少年は力なく崩れ、ただ嘆いていた。



─────────────────



 どれくらい時間が経っただろうか。

 ふと、足音が聞こえてきた。

 足音の方を見ると、男が食事を持ってこちらに向かってきていた。

 

「ったく… なんで俺がガキの世話なんだよ…」


 男はぶつぶつと言いながら鉄格子の前に立った。


「おらよ、飯だクソガキ」


 鉄格子の下にある開閉する小さな隙間から、伏している子供に向けて、乾ききった固形物と水が入れられる。

 そして、飛び散った血で模様替えされた床を見て愚痴をこぼす。


「ったく、汚ねぇなおい。後でお頭に治癒魔術かけるよういっとかねえとな」


「…お母さんは」


 涙が乾き真っ赤になった目を男に向け、問いかける。


「あ? 俺みたいな下っ端が知ってるわけねえだろ。まあ大体の予想はつくがな」


「…予想って… 何を…」


「実験だよ。お前みたいな半魔のガキ製造機になれるかどうかの」


 男は得意げに語る。


「お前を量産できればうちはトップクラスの商会になれるからな。できなかったら次の競売で目玉商品として売られるだろうよ」


「そんな…」


「あーあ、俺も一回だけでいいからおこぼれが欲しいもんだぜ。あんなご機嫌なお頭見たことなかったし相当なんだろうよ」


「お前は… お前らは…」


 ソラの胸の内に、破裂しそうなほどの激情が荒れ狂う。

 そして、まだ幼さを含む顔つきには到底似つかわしくない、殺意のこもった瞳を男に向けた。


「あ? なんだよその目は」


 少年から向けられた目を不快に感じた男は、近くに落ちていた小石を広い、思い切り少年へと投げつける。


「ヅッ!!」


 小石は頭を強打し、少年は頭を抱えうずくまる。

 その光景を見て、男は腹を抱えて笑った。


「ハハハ! お前みたいなガキに何ができるんだよ! そうやってうずくまって母親が何されてんのか考えてろよぉ!!」


 男は笑いながら、鉄格子の前から去っていった。

 

 意識が朦朧とし、痛みだけが突き刺さる。

 額から血が垂れ、目に染み込んでいった。

 頭を打ったせいか、はたまた狂って幻覚が見えたのか。その目には、男は"醜い化け物"に見えていた。



 ____________




 ガリガリ… ガリガリ…


 時が経った。

 どれくらいの時が経ったか少年にはわからない。

 日の光が当たらぬこの場所が、ソラの時間感覚を根こそぎ奪っていた。

 たった一週間ぐらいのような、それとも2年ぐらいのような… そんな感覚だった。


 ガリガリ… ガリガリ…


 ソラは今、"希望"を作っている。

 割った皿の破片をひそかに隠し持ち、石床を砥石代わりにして、ガタガタの刃物を作っていた。 

 ちょっと力を入れれば刃先なんて軽く折れそうなほど脆い刃物に、ソラの思いのすべてがのしかかっていた。


(必ずチャンスは来る。男がこの牢屋に入ってきたとき、これで殺せればお母さんを助けられる!!)


 ガリガリ… ガリガリ…

 

 冷たい床と凍える牢屋が手をかじかませる。

 伸びた髪を揺らして、血がにじむ手を必死に動かす。

 暗闇の中でその"希望"は弱く消え入りそうな一筋の光を放っていた。

 その光にすがるようにソラは必死に研ぐ。

 しかし、縋っていた光は瞬く間に消えた。


 ザワザワと外が騒がしくなる


「おい、起きろ。仕事中に寝てんじゃねえよ」


「んあ?… ああ、わりぃ …? 騒がしいな、何の騒ぎだ」


「攫ってきたサキュバスの女が死んだんだよ」


 聞こえてきた声が、ソラを絶望へと叩き落す。

 男たちは驚愕のあまり牢にいる少年に声が届いてしまっていることに気づきもせず、話を続ける。


「はぁ!? なんで死んでんだよ! 見張りは何してやがったんだ!」


「その見張りがやっちまったんだよ。お頭が商談でアジトを離れた隙をついてな。遊んでて盛り上がっちまって壊しちまったってオチよ」


「まじかよ… お頭は…?」


「激怒してるよ。今までの比じゃないほどにな。まぁそりゃそうだ。お気に入りを壊され、しかも犯人はとんずらこいちまってるらしい」


「うわ、そういうことか。おっかねえなぁ」


「とにかく組員はいったん集合だとよ。行くぞ」


 男たちの声は聞こえなくなっていった。

 ソラは体の力が抜け倒れた。

 焦点のあってない瞳には、涙が枯れ果て、光など灯っていなかった。

 手に持っていた"希望"も先程まで放っていた一筋の光は完全に消え失せていた。


 ただソラにとっては、光を失えどそれが"希望"であったことには変わりなかった。

 この暗闇から抜け出す希望なのだから。


 ソラはゆっくりと起き上がり、深呼吸した。

 そして、必死に研いできたものを首元に当て、もてるすべての力を振り絞り、自らの首を掻っ切った。

 流れ出た血は主を包むように広がり続け、冷たい石床を赤く染めた。






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