第41話


「おいぃ、あんだけ啖呵切っておいて、お前が運転しねぇのか?!」

 監禁から助け出された途端にアウディの運転席に座らされ、弥二郎はキレていた。

「しょ~がねぇだろ、俺はペーパーなんだ」

「まったく……全然寝てないんだぞこっちは」

 ぶつぶつ言いながら弥二郎はエンジンをかける。助手席にふんぞり返った時宗をちらりと見て、弥二郎は笑った。

「その黒いピン、やっぱり箱に入ってたのか」

「あぁ。じいさんのツンデレには、ほんと手を焼く」

「許してやれ。お前の大学の学費も、今のお前の生活費も、全額出してるのは親父だ」

「え、そうだったのか?」

「あぁ。ここ10年、うるさかったんだぞ? 時宗はどうなった、時宗は何してるって。毎度、写真撮って送ってやってた。ったく、忙しいってのに」

「暇なように見えたけど?」

「俺の仕事はお前の警備だ。お前と一緒にいる時が一番暇なんだよ! 政子姉さんと海斗の方も調査しなきゃなんないし、早雲兄さんはまたフラフラいなくなるしよ」

「今どこにいるんだ」

「わからん、ポーランドを出たところから調査しなおしだ」

「そりゃひどい」

 知らなかった。弥二郎って仕事してたんだ。後部座席で敬樹がクスクス笑っている。安心した幸せそうな声に、時宗はホッとした。

「警備なんて、見えなかったけど……」

「お前に気づかれるような下手くそな部下は一瞬でクビに決まってるだろが。義時の野郎のせいで、気が気じゃなかった」

「……面倒かけたな」

「ほんとだよ」

 穏やかに笑うと、弥二郎は駐車場の向こうを見た。

 時宗が企画したパーティーは終わりに近づいている。建物の玄関へ海斗が走って行き、ガラスの自動ドアを開けた。中の人間、全員が海斗を見つめる。

 ヤクザどもの呆然とした顔。はっと気づき、全員が一斉に動き出す。

「今野!! てめぇぇぇぇぇ」

「海斗って奴じゃねぇか!! お前さんざん逃げ回りやがってぇぇぇ」

 ひょいと身を翻し、海斗は自分のスバルに向かって走っていく。エンジンをかけたままの車に乗り込むなり、海斗は滑らかに発進した。見せつけるように駐車場の中で華麗なターンを決めると、青い車は鮮やかな軌跡を残して出発した。

「海斗、行けるか?」

『ん、大丈夫だ。このまんま行く。適当に遠回りすっから、そっちが山道に入ったら連絡すれ』

 ハンズフリーデバイスから、海斗の声が時宗に囁きかける。

「わかった」

 アウディは駐車場の、目立たない奥に移動させてある。怒り狂ったヤクザどもはバタバタと自分たちの車に乗り込み、海斗を追ってゴルフ場を出ていった。

「こっちも移動する。これで終わりだ。頑張れよ~」

『……オレのBRZ……』

 海斗の呟きを聞く。青く澄んだ空には夕闇が迫っていた。西へ。太陽は空をピンクに染めて、今日を連れて明日へ向かう。弥二郎と敬樹、そして時宗を乗せたアウディは、海斗を追って太陽を見送るために、西へ向かって山を登っていった。




『時宗!! いるか!!』

「大丈夫、待ってる。敬樹、ドローン飛ばせ」

 ひいじいさんの例の別宅のそばの道端で、アウディ組は待機していた。下の方から、大量の車のエンジンの轟きが聞こえてきている。ひときわ高く美しいエンジン音が混ざっていて、時宗にはなぜか、それが海斗の車の音だとわかった。

「了解で~す」

 敬樹が車の外でドローンを飛ばし、リモコンを持って後部座席に戻ってくる。弥二郎と時宗は敬樹の手元のタブレットを覗き込んだ。

「あとちょっと……来ました」

 山肌に沿った道の向こうから、エンジン音が響く。既に薄暗くなった道は、まだ少し明るさを残していた。山の稜線が赤く縁取られ、それは明日へと瞼を閉じようとしている。

 うぉぉん、と低い音が聞こえた。

 その音が、カァンとクリアになる。黄昏の中、海斗のスバルがコーナーの向こうから全身を現したのだ。

 スポットライトを浴びたように、その美しい車体は時宗の目を射た。

 車は足元を乱すことなく、ぐんぐん坂道を駆け上がってくる。突然、くんっと鼻先が沈み、次の一瞬、鮮やかに向きを変える。行きたい方角へ顔を向け、甘い声でエンジンが啼く。

 次のコーナーも、海斗は艶やかに車を操った。弥二郎が「すげぇ……」と呟く。

 自由を求め、時の腕の中で、青い車はすべての者を心から魅了するように舞っていた。

 弥二郎が車を発進させる。スピードを上げていく。上げて……上げて……。

「来た!」

 時宗は後ろを見た。

 海斗がコーナーを回りこみ、時宗の前へ走ってくる。並走しながら、2台の車は甘い喘ぎを漏らす。タイヤとタイヤの間の空気が互いを愛撫し、弾けた小石がつんと脇腹をつつく。

 時宗はドアを開けた。

「海斗。来い!!」

「時宗!」

 2台は並走したまま、私有地に入った。海斗が決死の顔で、全開の窓から体を出す。時宗は車から身を乗り出す。互いの強い視線が交わった瞬間、海斗の体はスバルから抜け出し、勢いよく時宗の胸に飛び込んだ。

 バキっという音と共に、スバルは古い手すりを突き破った。弥二郎がアウディの向きを変え、崖から遠ざかる。スバルはそのまま崖から落ち、そして──。

 ドォンという爆発音とともに、炎の柱が夕暮れの空に吹き上がった。

「追手が来る前に逃げるぞ!」

 弥二郎は怒鳴り、アウディをそのまま走らせた。山道を進み、別な道から山を下りる算段だ。

 ドアを閉め、時宗はじっとしていた。海斗もだ。助手席にぎゅうぎゅうに詰まったまま、2人は何も言わなかった。途中で車を少し止め、弥二郎がドローンを回収して運転を再開する。

 あぁ……警察も来る。ヤクザどもは、自分たちのターゲットが死んだことを今夜の全国ニュースで改めて知るだろう。今野海斗というトラブルの元凶はいなくなり、ヤクザたちは警察と揉めながら、自分たちの生活に戻っていく。

「海斗……やっと……俺はお前を手に入れた。お前の人生は終わらなかった。友だち認定は本採用だろ?」

 優しく囁く。海斗は時宗の胸に抱き着いたまま、もぞもぞ動いた。

「なぁ……少なくとも友だちではいてくれるだろうけど、あと、その……」

 時宗がそっと言うと、海斗はがばっと顔を上げた。

「海斗お前」

「うう……うわぁぁぁん、オレの、オレのBRZ~~~~!!!」

「泣くな。おま、お前! 俺のスーツで鼻水拭くな!! あの車はお前がヤクザから逃げ切るために、身代わりになってくれたんだ!」

「わぁぁぁん、BRZが、BRZが爆発するなんて……ばく、爆発するなんて~」

 わんわん泣く海斗を抱き締めたまま、時宗は途方に暮れた。色気もへったくれもない。

「わかった! わかったから泣くな! 車はまた後で買えばいいだろ?」

「ううぇえぇぇ2.4リッター、ボクサーD-4S~~~」

「にぃてん、なんだって? なんかカスタマイズしてたのか?」

「してないぃぃぃ警察に目ぇつけられるからって純正パーツ以外ダメだって言われたぁぁぁ」

「じゃあなおさら、新しい車買って自分の好みにすればいいだろ? なんかほら、なんだっけお前の車」

「BRZ~~~」

「ほら、だからさ、BRZでもBMWでもABCでも」

 海斗がハタと時宗を見る。

「そこはAMGだべ」

「は?!」

「AMGだな」

「AMGですね」

「いやAMGって何だよ?! え、何、車知らないの俺だけ?!」

 勘弁してくれ!!

 もう諦め、泣きじゃくる海斗を抱き締めたまま、時宗は天を仰いだ。4人を乗せ、アウディは太陽を見送り、明日を迎えるために東へ帰っていった。



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