第39話
五反田に戻るメルセデスの中で、時宗はじっと考えていた。
そういえば、弁護士がどうなったのかが気になる。じいさんに聞くのを忘れてしまった。弥二郎と同じところにいる可能性はあるが、あくまでも可能性だ。生きているのか、死んでいるのかは考えたくなかった。電話をかけて確認したが、じいさんは知らないということだった。
敬樹からタブレットを受け取り、地図検索をかける。例のアホなゴルフ場ってどこだったっけ。
それは奥多摩方面にあった。山の近くね……。そういえば、奥多摩にはひいじいさんが作った別宅があったな。どこかの古民家を移築したもので、さらにその近くに渓流を見下ろせる展望台も作ろうとしていたんだっけ。あれは……。そうだ。この道だ。ここをずーっと上がっていって……。ストリートビューで見ると、展望台用の私有地は、道の脇にそのまま広がる空き地になっていた。土地の奥は錆びた手すりが崖っぷちにあるだけ。けっこう危ない。
その、何もない私有地から散歩道が続き、少し下がったところに別宅がある。夏は虫がすごいというので、今は誰も使っていない。
ゴルフ場に戻る。森の中の、隠れ場所のような施設だ。やっぱりプライベート・ラブホだったか。海斗は俺のセンスをサムいって言うけど、父と兄がやってることに関しては、なかなかイイ言語センスだと思わないか?
ゴルフ場のサイトを見てみる。現在は休業中。貸し切りのみ対応。なるほど、連日父と兄が『貸し切り』なわけだ。土地を贅沢に使った白亜のクラブハウスは、安っぽい宮殿風の建物だった。ごてごてした装飾がチンケな上に悪趣味で、時宗は眉をひそめる。ほんとマジで、なんだこれ?
2階建ての施設は、1階にゴルフ関連の設備と浴場、レストラン、パーティールームがあって、2階には休憩室や宿泊施設があるようだ。
こんなのゴルフ場にしないで、今ならキャンプ場にでもして、こじんまりとしたロッジをいくつか建てて、バーベキューができるようにでもした方がいい気がする。建物はもっとかわいらしく……。
いや経営を考えてる場合じゃない。今は弥二郎だ。
このゴルフ場のクラブハウス、住宅街など関係のないところからは見えないようになっている。いかがわしいことは確かにやり放題だな。入口は一か所。
「敬樹、お前の今日の装備は?」
「え? え~と、タブレットと、センサーカメラと、カメラ、音声レコーダー、ビデオレコーダー、それぞれ普通のと小さいの。あとはドローン。それ以外の諸々ですね」
「こないだ言ってたやつ、買ったのか?」
「ええ。うちの中で練習したから、けっこう動かせます。面白いですよ~」
考え込む。
「海斗。お前たとえば、ストリートビューで見たコースでレースってできるか?」
「どうだろな……。やったことはないけど、ストビューならなんとかなるかもしれね」
「よし。今、出発点と到着点に印をつけた。五反田に着くまでに覚えろ」
「はぁ?! 無茶苦茶言うなお前……」
「無茶でもなんでも、敵を全員まとめて片づけるのに俺が思いついた作戦だ。五反田についたら、すぐに車を乗り替えてスバルで弥二郎を迎えに行くぞ」
「すぐか?!」
「ああ。車を乗り替えたら作戦を説明する。海斗、一発勝負で山道を攻めることになる。敵を全員まとめて千切れるようにしておけ」
「おお……本気か??」
海斗は真剣にストリートビューを見始めた。
「矢代さん、あとどのぐらいで五反田に着きますか?」
「そうですね……20分ぐらいでしょうか」
「よし。着いたらトランクから最低限の荷物を出して乗り換えだ。この際、警察には待ってもらう。スピード勝負になるぞ」
敬樹が口を引き結ぶのを見ながら、時宗は警察に電話をかけた。本当の要件は言わず、五反田に戻ったら、ちょっと成城の実家に3人で物を取りに行きたいとだけ説明する。けっこうスレスレなことをやるつもりなので、警察の介入は後回しにしたい。
メルセデスはその長い体で出せる精一杯のスピードで、パトカーについて五反田に戻っていた。
五反田の事務所前に着いた途端に3人は行動を開始した。
「矢代さん! ありがとうございました。後でお電話します。トランクを開けてください」
時宗はそれだけを言い残し、自分でドアを開けて車を飛び出す。
トランクが開くと同時に3人はそれぞれのリュックを引っ掴み、海斗のスバルに走った。スーツから着替える余裕はない。
海斗は助手席を前に倒して頭を突っ込み、リアシートを手早く起こして敬樹を乗り込ませ、助手席を戻した。海斗が運転席に回り込む間に時宗が乗り込む。
エンジンをかけながら、海斗は靴を履き替えた。助手席にぽいぽいと革靴を放り出す。何事かと警察官たちが寄ってくるが、時宗は助手席の窓を開けてどなった。
「ちょっと実家に行ってまいります。責任者の山本さんにはお電話してありますので!」
海斗はその間にゴルフ場までの道順をカーナビに設定し、時宗が警察官に言い終わるのを待たず、駐車場を出た。メルセデスの横を走り抜け、中央環状線を目指す。
「最短でどのぐらいかかる?」
「東京だからわかんねぇけど、急いで1時間ってとこだと思う」
後部の狭いシートでは、敬樹がリュックをおろそうと悪戦苦闘していた。
「大丈夫か? 敬樹」
「だい、じょうぶ、です。よっこいしょ」
時宗は、海斗のリュックを開けた。まず海斗の指示で財布を出し、カードをETCの機器に突っ込む。この財布ボロボロだな。後でいいやつ買ってやろう。
「スマホどこだ?」
「多分どっかに入ってる」
どっかってどこだよ……。
探しあてると、時宗は電源を入れた。海斗からパスワードを聞いて画面を開く。案の定、着信履歴はすごいことになっていた。
「お~お~お~、鬼電入ってんな」
「何件ぐらい入ってんだ?」
「……え~とですね。200件を越えております」
「エグいな」
手早く位置情報の設定をオフにしてから、時宗は着信履歴を辿った。
「この武田ってやつが一番着信多いけど?」
「あ~、そいつがオレの仕事を管理してる人だ。組織でもそこそこ上の方だと思う。札幌にいるはずなんだけど」
「交渉事でこっちに飛んできてるかもしれないな」
海斗は次々と車の間をすり抜け、首都高中央環状線のランプに入った。ここから高速道路を使って一気に八王子まで抜ける算段だ。札幌から東京まで荷物を運んだ時とは違い、海斗は自由に運転していた。山手トンネルを危なげなく走り、スイスイと他の車をかわしていく仕草は、松濤の庭を泳いでいた鯉を思わせた。
時宗は時間を確認した。ずいぶん話した気がしたが、時政とは1時間程度しか話していなかった。真相を聞き出してすぐに退出したおかげで、まだ3時。日暮れまでには終わらせたいんだが……。
タイミングを考える。札幌の連中が受け取りに使っていたアパートは四ツ谷にあった。事務所もその近くと考えた方がいい。そこから自分たちを追ってゴルフ場に来る時間を計算する。
環状線の山手トンネルを抜け西新宿で首都高4号新宿線に入ったところで、時宗はやおら電話をかけた。スピーカーにして、海斗も会話に参加できるようにする。
「今野てめぇ今どこにいやがる!!」
電話がつながった瞬間、武田とかいう奴はめちゃくちゃに怒鳴り始めた。お~お~、うるっせぇな。声がデカいだけで相手がみんな言うこと聞くと思ったら大間違いだ。
怒鳴りたいだけ怒鳴らせている間、時宗はダッシュボードにスマホを置き、チロルチョコを自分のリュックから出して口に放り込んだ。時宗が一切動じないので、後ろから顔を突き出している敬樹は尊敬の眼差しだ。
向こうが息切れしたところで、時宗は口をもこもこさせながら電話を取った。
「ふぁい」
「てめぇ!! 今野じゃねぇのか!」
「ん~、ちょっと待ってくらふぁい。チョコが歯にくっついた」
「ふざけんな!! 今野はどこだ」
「横で怖がってますよ~。かわいそうに……怒鳴る人なんて、嫌われちゃいますってば。その点、俺は優しいよな? 今野」
「ん。優しくて、オレこっち来てよかったって思う」
ついでに「好き」とか言ってくれんかね?
「てなわけで、口座番号教えてくれれば、いくらでも振り込みますってば。義理が立たないって言われたって、こっちはこっちで困るんでね」
「バッカ野郎!! こっちは館林でひとりやられてんだ。そんないい加減なことで話が通ると思ってんのかテメェ!」
「いや~、そっちだって、ひとりやっちゃってますよね? どうです? 喧嘩両成敗ってことで手を引いてくれれば、これ以上はなしってことで」
「テメェらが土下座しにくる立場だろうが! こっちは朝一番で四ツ谷入りしてんだ直接来い!!」
やっぱり四ツ谷か。なるほどなるほど。
「えぇぇ? めんどくさいから嫌です~」
電話の向こうが沈黙した。頭に叩きあがってしまって言葉がうまく出てこないらしい。荒い息がふーっと通話口から聞こえ、時宗は顔をしかめた。
「まったく、今野の吐息ならいくらでも聞きたいけど、知らんおっさんの吐息なんか聞きたくないな~。なぁ今野……あのゴルフ場のパーティーに合流しようぜ? 2階多分空いてるから、可愛い声、聞かせてくれよ」
シフトレバーに伸びてきた海斗の左手をやわやわ握る。
「いきなり触んなって言ったべ?!」
演技しろ演技。時宗が口だけ動かすと、海斗は焦った顔をした。
「……恥ずかしいから、こんな、人が見てるとこでそういうのやめれ……」
海斗くん、君の精一杯の色気はそんなもんかい? まぁいい。運転をミスられても困る。時宗は甘ったるさのにじむ声音で続けた。
「あそこならさ、仲間がみんな守ってくれる。バカが押しかけてきても心強いから、あそこの2階で続き……シようぜ。あ、武田さんでしたっけ? 俺たちこれから奥多摩の方の、南条ゴルフ倶楽部の貸し切りパーティーに行くんですよ~。話あるんならそこで聞きま~す。あっでも俺と今野はいないかも。2階にシケこんでイイことするんで。パーティー来るんじゃないんなら、帰ってくださいね~」
ぶつん。
時宗が通話を切るのと同時に、武田とかいう奴の脳の血管も切れたんじゃなかろうか。すかさず着信が入ったが、時宗は容赦なく電源を切った。
「よし。まず札幌組を動かした」
「時宗、お前の頭の中ってどうなってんだ?」
「ほんとに……そういう、絶妙に人をイラっとさせる口調ってどこで覚えたんですか?」
「え? 映画とか……? なんにしたって、海斗お前、セクシー路線を目指せとは言わないが、もうちょい慣れてくれ」
「すまん……」
ま、海斗の反応がめちゃくちゃ好きなのは事実だから、別に俺としちゃ困ってはいないんだけどな。
敬樹が座席の間から顔を突き出し、時宗の顔をのぞきこむ。
「時宗さん、ニヤけてません?」
「そりゃ~、お前、こんな色男がウブな反応するの、可愛すぎるだろ」
「……色男…………」
海斗が呆れた顔をし、敬樹は何やら悟った顔を引っ込めた。
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