第36話


「時宗……お、お前……」

「どうした? そろそろ迎えが来る。下に行くぞ」

 スーツに着替えて自分の部屋から出た時宗を、海斗は呆然と見ている。その横で敬樹が目を輝かせていた。そういえば、大学の卒業式の時に敬樹は時宗のスーツ姿を見たんだっけ。

「お前……お前……かっっっ……こいいな」

 ぽかんと口を開け、持っているリュックを落っことすという百点満点の反応を見せてくれた海斗に、時宗はニヤリと笑いかけた。

「お前たちのも、これから買いに行くぞ」

「いくらすんだ?」

「金の心配はしなくていい。じいさんに会う時は、スーツのデザインも決まってるから迷う必要もないし」

 こともなげにそう言うと、時宗は当然という顔で海斗の腰にするりと手を回し、玄関へエスコートしようとした。

 海斗の顔がみるみる真っ赤になる。

「さ、触んなって言ったべ!?」

「え、だって普通に『出かけようぜ』っていう仕草だろ? 変なことは何もしてない」

「だって、だって時宗がなんか……」

 海斗はちらっと時宗を見ると目を逸らした。胸の中に嬉しさがこみ上げてくる。

 チャコールグレーのスーツは、大学の卒業式に合わせてフルオーダーで仕立ててもらったものだ。体にぴたりと合ったスリーピースのスーツは、時宗の好みでブリティッシュスタイル、ウールとシルクの混紡でシルク25%。ネクタイはじいさんの好みに合わせて同系色の無地。ワイシャツは白。襟には南条家の家紋をあしらった銀のラペルピンが刺してある。

「なんかってなんだ?」

 口ごもった先を海斗に言わせたくて、時宗は腰にもう一度手を回して聞いた。

「なんか……なんか……あの、すごい服着て長いとこ歩いてる人みたいだ」

 どうやら、ファッションショーでキャットウォークを歩くモデルのことを言いたいらしい。モデルっていう言葉がどこかへ吹っ飛んだな。

 時宗はニヤニヤと海斗の顔をのぞきこみ、囁くように言ってやった。

「お前にそんなこと言われたら、爪先まで気合いが入るな。今日一日で確実にトラブル全部片づける自信がついた」

「かおっ! 顔近づけんな!! いい匂いすんでねぇか!!」

「あぁ、コロンつけたから」

 なんなら壁ドンでもしてやろうかと思ったのだが、実行に移す前に海斗はあたふたと玄関へ逃げていった。残念。

 時宗は警察官と少し話をすると、部屋を出た。久しぶりに履く革靴の音が心地いい。迎えに来た制服警官についてきびきび歩く時宗の後ろから、敬樹がちょこちょこくっついてくる。海斗はさらにその後ろを、おずおず歩いてきていた。

 まったく。海斗だってきちんとしたスーツを着れば、多分時宗以上に映えるはずだってのに、自分の見た目はまったくわかっていないらしい。

 どんなスーツが似合うかな。

 時宗はエレベーターに乗り込み、海斗の後ろ頭を見ながら考えていた。


 玄関でも、海斗の反応は時宗の期待を裏切らなかった。今度は敬樹も一緒に、エントランス前にぽかんと突っ立っている。

 捜査員たちと話して事務所を出てきた時宗は、2人の棒立ち姿に笑ってしまった。ほんと、素直で可愛い連中は全力で守りたくなる。

「オレの知ってるメルセデスと違う……」

「ぼくの知ってるのとも違いますね……」

「運転手付きがスポーツカータイプなわけないだろう?」

 普通の車より長い長い、6メートル以上のリムジン型の車は、事務所前の道路でものすごい存在感を放っている。艶のある黒い車からは、矢代が降りてくるところだった。

 初老の男性が礼儀を失しないように、それでも嬉しさを隠せない顔で小走りにやってくる。その様子に時宗は微笑みかけた。

「ご無沙汰しております」

「時宗様! あぁ……大きくなられて……お元気そうで……よかった、本当に」

 矢代はやはり泣きだした。高校2年の時以来の再会だ、仕方ない。オイオイ泣く矢代に手を伸ばし、時宗は肩を抱いた。

「矢代さん、ご心配をおかけしました。僕は大丈夫ですよ」

 ゆっくり矢代と話したくはあるのだが、時間はないし、通りを行く人からも車からも視線が集中している。

「あなたにまた運転して頂けて、僕も本当に嬉しいです。今日はよろしくお願いしますね」

 穏やかに言うと、矢代は仕事を思い出したようで、涙を拭き拭きドアを開けてくれた。

乗り込み、海斗と敬樹に声をかける。

「ほら、お前たちも乗らないのか?」

 ハタと我に返った2人が大慌てで乗り込み、矢代がドアを閉めてくれる。

 本革のリアシートに腰を下ろすと、時宗はきちんとシートベルトを締めた。バタバタと2人がそれに倣う。

「焦らなくていい。矢代さんの運転は確かなんだ。それに今回は警察が警備してくださる」

「あっ、そっ、そうか」

 後部の空間は広々としている。向かい合わせで4人が座れるようになっていて、時宗の前のシートは前席と背中合わせ、そこは折りたたんで今回は使っていない。左ハンドルの運転席と背中合わせの席には敬樹が座り、その向かい、時宗の隣には海斗が座っていた。2人とも緊張して浅くちょこんと座っているので、文字通り膝を突き合わせる感じだ。

「リラックスして座らないと酔うぞ?」

 矢代がパーティションの向こうから、マイクで心配そうに声をかけてくる。

「あの、出発してもよろしいでしょうか?」

「はい、お願いします」

 サイレンを鳴らしていないパトカーがゆっくり発進するのが見えた。それに続いて矢代が発進する。後ろからは覆面パトカーがついてきていた。

「……すげぇ」

 海斗の呟きに苦笑する。

「なんだか大事になってしまったな~。買い物ぐらいは電車で行けばよかった……。地域の方々にご迷惑をかけてしまったな」

「時宗さん……口調が……いつもより落ち着いてる……」

「ん~。まぁスーツを着て車で出るとなれば、モードは自然に切り替わるものだろう?」

 おまけに『あの』じいさんと一勝負しなければならない。今から切り替えておかないと、咄嗟にアホなことを口走りそうだ。

 さて……どう話を進めるべきか。まず海斗のことを紹介する。ここから先のじいさんの反応がどうなるか……。

 海斗が何を言うかもわからない。初対面の2人の相性が読めないのだが、ここから弥二郎を取り返すよう、じいさんに電話をかけさせて、ついでに……。

「時宗! 時宗!」

「どうした?」

「こっ……この車、静かすぎんな? サスペンションどうなってんだ?」

「いや知らん」

 十中八九、じいさんは今回の騒動の引き金だとは思うが、父と兄に何か指示したとは考えにくい。何がきっかけであいつらが暴走したのかを、じいさんから聞き出すには……。

「時宗!」

「ん~?」

「これエンジンどんなやつだ?」 

「知らんってば」

 頼む考え事をさせてくれ。

 敬樹がタブレットで調べ始め、海斗と敬樹は仲良く画面を見ている。

「おぉ! 6リットルV型12気筒ツインターボ!」

「……海斗」

「何だ?」

「そのボタン押してみろ」

 2人の間の大きな肘置きのカバーを開けて、ボタンを指差す。不思議な顔で海斗が押すと、運転席とのパーティションが下がった。

「おおお?!」

 海斗と敬樹は運転席をのぞき込み、矢代は慣れた反応でにこにこしている。

「エンジンとサスペンションは矢代さんに聞いてくれ」

「お~なるほど」

 後ろから2人は仕切り窓にくっつき、あれこれ質問を始めた。矢代はひどく嬉しそうに専門的なことを答えながら運転している。元々、矢代は誰かと話すのが好きだった。時宗も子供の頃はよくパーティションを開けて矢代の運転を見ていて、チャイルドシートに戻るよう怒られたものだ。

 これでよし。

 3人を眺めながら、時宗は考え事に戻った。

 父親も兄も昨日から家に帰っていないと矢代は言った。仕事が終わった後に弥二郎の案件を処理しに行ったと考えていいだろう。今日は日曜日、南条家の中枢にとって、休みはあってないようなものだが、比較的時間は取れる。

 で、あの2人がヤクザに指示して弥二郎を拉致した理由はいくつか考えられる。

 まず情報。時宗と海斗が今どこにいるのかを聞き出そうということだ。ただ、その目的は2人が東京に戻った時点で意味がなくなる。そこで弥二郎が解放されなかったのは、弥二郎を人質として時宗か海斗に言うことをきかせようという魂胆かもしれない。

 それにしても……夕べ何も言ってこなかったのはなぜだ?

 海斗を連れて時宗が帰ってきたのを知らない? いや、館林での黒いワゴンが父と兄の雇った連中だとすれば、報告は上がっているはず。

 こっちの動きを知ろうと思えば、向こうは簡単に知ることができる。五反田の事務所にメルセデスは堂々と移動したし、時宗自身、南条デパート銀座店に電話をかけて買い物の準備をさせている。時宗がじいさんに会おうとしていることは、一族の者ならすぐわかる。

 違法なことをしてまでこっちを妨害したはずが、今日になって何も動きがないというのがわからない。内輪もめでもしたのか。

 一番怖いのは、ヤクザと父・兄が決裂して、口封じで弥二郎がヤクザに消されることだ。それはないと信じたいが、この状況で、殺したことはすぐバレると考える脳みそがあいつらの頭に詰まっているかどうか。

「時宗さん」

 小さな声。

 時宗は顔を上げた。敬樹が座席に戻り、海斗の背中越しにこちらを見ている。

「あの、警察の方からメールが入ってる……」

「どんなメールだ?」

 聞いたが、敬樹はタブレットを持ったまま、固まっている。

「や、弥二郎さんに何かあったんじゃ。開けて、何か……悪いことが書いてあったら」

 ひくっと敬樹の喉が鳴った。海斗が気づき、自分の座席に戻ってくる。

「貸してみろ」

 時宗は敬樹からタブレットを受け取り、メールを開けた。

『お忙しいところ、恐れ入ります。館林の件で事情をお聞きしたいのですが、お時間のある時にお電話ください。またそちらのご用件が終わりましたら、事務所で聴取の時間をお取りいただくよう、お願いいたします』

 文面の下には、何かのリンクが貼られていた。リンク先を確認して流す。タブレットを差し出すと、海斗と敬樹はおそるおそるといった感じで覗き込んだ。

『昨日の夜6時頃、群馬県館林市……のコンビニエンス・ストア駐車場で、暴力団組員の30代の男性が刺され、死亡しました。犯人は北海道札幌市在住の……容疑者、36歳。こちらも胸を刺されて病院に運ばれ、意識不明の重体です。警察は、事件の直前に現場を立ち去った青い車の行方を探すとともに、現場にいた関係者などからも、詳しい事情を……』

「…………青い車って、オレのBRZのことか?」

「だな。言ったろ? 奴らが仲良くラインのアカウントを交換すると思うかって」

 敬樹が眉間に皺を寄せてタブレットをじっと見る。

「これって、弥二郎さんにどんなふうに関係してくるんですか?」

「死んだのは、弥二郎を拉致し、俺と海斗がじいさんに会うのを妨害しようとしていた一味だ。そして刺した方の札幌の奴は、海斗を追っていた。それがターゲットの取り合いで殺し合いをやらかした」

「つまり……敵は2種類いて、お互いに関係なかったのに、海斗さんを巡って喧嘩になった?」

「そういうこと。手を組まれたらどうしようと思ったんだが、バカすぎるなあいつら。殺し合いなんかやったら、抗争一直線だ。夕べこっちに何も連絡がないのは変だと思ったんだが……もう、こっちにかまってる暇がなくなったんだ。下っ端どもはいきり立ち、上の者は交渉にかけずり回る。東京の連中は、雇い主を切り捨てるかどうか思案中なんじゃないか?」

 思った以上にうまくいった。

「海斗、札幌に電話したとき、向こうは何か言ってなかったか?」

 一生懸命思い出そうとする顔で、海斗はゆっくり言った。

「ん~、何か言ってたと思うんだけども……とにかく早口でよくわかんなかったし、途中から……」

 そこまで言って、突然口をつぐんで赤くなる。

「まぁ俺も電話を妨害したわけだしな。札幌の連中は、東京の連中が海斗をたらしこんで匿ってると思ってるし、東京の連中は札幌の連中が海斗を守るために自分たちの仕事を妨害してると思ってる。うまくいったな」

「弥二郎さんは……」

「じいさんと話したら、おそらく居所がわかる。場所がわからなくても、じいさんから電話させて解放させるか、聞き出してこっちから乗り込む」

「わかるんですか?」

「おそらくな。俺の考えが正しければ、今回の騒動を引き起こした奴らは、今頃ヤクザに梯子を外されて途方に暮れてる。なんだって違法組織に手を借りようなんて考えたんだか」

 想像はつく。飲みの席やパーティーで調子に乗って自分たちのことをペラペラしゃべるバカな父と兄だ。おだてて取り入ってくる友人に注意するよう、時宗は幼い頃から厳しく母に育てられた。あの2人はそういうことに無頓着だ。元々、2人の『友人』たちの中には胡散臭い者がけっこう混ざっていた。

 これで、夕べ連絡が来なかった理由がわかった。時宗が警察に返信している間に、海斗が敬樹の膝をぽんと叩いた。

「弥二郎さんは、きっと大丈夫だ」

 時宗は溜息をついた。この2人の優しさと頭の良さが、父や兄に少しでも備わっていてくれんもんかね。

「敬樹。不安なのは俺も同じだ。でも、俺たちは3人いる。お互いがお互いを支えたいと思っている。だから最後まで俺から離れないでくれ。俺もお前たちから離れない。……装備を整えたら、ダンジョン攻略だ」

「時宗様、もうすぐでございます」

 矢代の声に、敬樹と海斗は一生懸命笑った。

 俺たちは同じ哲学を持ってる。笑え。誰かに笑って欲しい時は、何があろうと笑え。弥二郎を迎えに行くために、俺たちは共に笑おう。楽天的であろうと努力することは、夢を捨てないためにきっと必要になる。


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