第30話


 裏通りの目立たない駐車場に車を入れると、海斗は札幌に電話をかけた。

 電話が繋がるなり、時宗にまで怒鳴り声が聞こえてくる。

 ひとしきり向こうにしゃべらせてから、海斗は静かに話し始めた。

「仕事はちゃんとやったべ? ……そう、受取人から電話あったべ? あいつ前よりイカレ具合進んでんでねぇか。そろそろ警察に踏み込まれる感じだぞ? ……まぁオレには関係ねぇけども。それで……あんたもわかったと思うけど、話があんだ」

 駐車場の周囲を見回しながら、海斗は電話を続ける。

「うん。オレ仕事やめる。……借金? 今いくらあんですか? まだそんなん? ……ほんとかね。あんたらもう信用ならね。オレ友だちできたんだ。すっごく優しくて……その人、全部オレの代わりに払って足抜けさしてくれるって。うん。そんでドライバーやらしてくれるって。オレもう帰らね。……あんたのこと、世話にはなったけども。もう嫌なんだ。いつまでも金払えって、嘘ばっかり。友だちは優しんだ。優しくて……一緒にいてくれる」

 海斗はちらりと時宗を見た。こんなんでいいだろか。そういう目だ。

 時宗はにっこり笑ってみせた。そのまま手を伸ばし、スマホを持っている海斗の手を優しく包んで引っ張る。戸惑いながら、海斗は続けていた。

「? いや、オレは仕事やめんだ。あとで口座番号送ってくれ。そこに金入れとく。そしたらもうオレ帰らね。今回の報酬? 丸ごといらね」

 ゆっくりと時宗が手を引くと、海斗はスマホから耳を離さないまま首を傾けた。

「したっけ」

 海斗が会話を続けようとしたタイミングで、時宗はスマホを握る手にキスをした。ちゅ、という水音と共に、海斗が「んぇっ?!」という変な声を上げる。肩がびくんと跳ね上がった。

「だっ、誰もいね。オレひとりだ!!」

 焦って言い募るのを面白がりながら、時宗は海斗の肩を抱き寄せ、今度はこめかみに口づけた。今度もわざと音を立ててやる。

「んっ、何してんだ! やめれ」

 スマホから顔を離し、海斗は囁き声で怒る。意識がそれたところで時宗はひょいとスマホを取り上げ、向こうに聞こえるように言った。

「なぁ……金も足抜けも、うちのオヤジがなんとかする。そんなことより……早く電話切ってイイことしようぜ?」

 とびきり甘い囁きを残し、時宗は容赦なく通話を切った。

 海斗がスマホをひったくるように取り返す。うつむき、表情は見えないままだった。

 あ~、これは……やらかした雰囲気?

「すまん。でも『友人』がお前の借金を肩代わりする理由がはっきりわかった以上、あいつらは黒いワゴンの連中を探し始める」

 予告なくこういうことをしてしまって、時宗はなんとなく罪悪感を覚えた。海斗は顔を向こうへそらしたまま、無言でエンジンをかけた。

「金払ってくる」

 そう言って時宗は精算機へ向かった。

 嫌だったか……。

 やっぱそうだよな。ノンケがいきなり男と恋人のふりなんかさせられたら、拒絶して当然だよな。

 お金を払って車に戻ると、海斗はやはり、顔を伏せたままだった。

「……ごめん。ただ、スマホの電源は切っておいた方がいい」

 低く言うと、時宗は助手席の外を見た。

 とっさに考えてやったことだけど、やっぱ無理なもんは無理だよな。ついさっきまで滅茶苦茶いい雰囲気だったのに。俺がいっぺんにブチ壊した。

 これで、友だち認定も解除か。

 海斗はゆっくりと車を動かし、道に出て角を曲がった。そういえばカーナビも再設定していないし、そもそも時宗はまだ、五反田の事務所の住所を教えていない。

 どこ行くつもりだ?

 海斗は無言のまま、のろのろと住宅街を走っている。

「おい……」

 時速10キロで、塀にぶつかりそうなぐらいヘロヘロ運転してるけど、そんなにショックだったか?

 あ~、ちょっとは何とかなるかもって思ったけど……地味に俺もショックだわ。

 こういう時、車っていう密室空間の中は地獄だよな。そんなに嫌だったんなら、俺、車から降りて電車で事務所行くよ。

 そう思っていると、海斗は突然車を止めた。細い道のど真ん中だ。今のところ誰も来ないが、いつ誰が来てもおかしくない。

「……あのさ」

 車降りるから、と言おうとした時、海斗が顔を上げた。

「と、時宗、さっきのあの、あれ」

「あ~、うん、ごめん」

「あの、ああいうの、その、先に言えって言ったべ?」

「……先に言ったら、不自然な反応になるかと」

「そ、そっか」

「うん。あれは……向こうを騙すための演技だから、別に気にしないでもらえると……」

「あっ! あっ、そうかそうだよな!!」

 ん?

 時宗は思っていたのと違う反応に、海斗の顔をのぞきこんだ。街灯の下、海斗は唇を噛んでじっとしている。

「お前……もしかして……」

「なんでもねぇ!!」

「顔赤い?」

「うるっせぇ! オレあんなん、いっぺんもしたことねんだ。あんな……」

 口ごもると、海斗は焦ったようにカーナビに手を伸ばした。

「これからどこ行くんだ。見つかるからすぐ移動しないと」

「あ~、えぇと……」

 住所を伝えると、海斗は素早く打ち込みカーナビを設定した。

 その手が下りる寸前、時宗はとっさに掴んだ。

「んえぇぁ」

 よくわからない叫び声をあげ、海斗が手を引っ込めようとする。その手をぐいと引き、時宗は海斗の目をのぞきこんだ。

「……友だちなら、友だちでいい。ひとつだけ教えてくれ。……俺に触られるのは、嫌か?」

「とっ……友だち」

「そうだ。友だち同士だって、肩を叩きあったりするだろ? 俺に触られるのは、そういうのも含めて全部嫌か?」

 海斗は時宗を見返していた。綺麗な瞳だ。時宗は思わずその瞳をじっと見つめた。純粋な光。その目が伏せられ、睫毛が震える。何か言おうと唇が薄く開く。

 顔を近づけても、海斗はどうしたらいいかわからないらしい。時宗の手を振り払うこともできず、じっとしている。時宗は吸い寄せられるように、海斗の唇に自分の唇を近づけた。キス、したい。

 ビーッと鋭くクラクションを鳴らされ、2人は飛び上がった。

 海斗は焦って車をガタンと発進させ、あたふたとギアチェンジをしている。表通りへの進入で一時停止をした時、海斗はもそもそ言った。

「わ、わかんねぇけど、その、なんか……嫌じゃないけど、お前、ああいうのやめれ」

「何を?」

「友だちだから、触られんのは嫌じゃないけど……ちゃんと、触るって先に言え。お前が近いと、その、あのあれだ……」

 海斗の声がちっちゃくなる。

「……どきってするから、やめれ」

 時宗は笑いだしそうになった。

 よかった。

 少なくとも、拒絶はされてなかった。それどころか、優しくちょっとずつ馴らしていけば、けっこういけるんじゃないか、これ?

 箱入り海斗くん。きっと女にも男にも触れられたことがない。『友だち』に触れられても、普通はどきっとしないんだぞ?

「海斗、お前さ」

 スバルは五反田に向けて広い道に乗った。窓に頬杖をつき海斗を見つめる。信号待ちで視線に気づき、海斗がこちらを見る。

「なんだ?」

「……ん? 世界一めんこいなと思ってさ」

 かぁっと海斗が赤くなった。唐突に手が伸びてきて、ぐいっと乱暴に顔を押される。強引に反対側を向かされ、時宗は不満の声を上げた。

「いきなり何すんだよ」

「だ、だってなんか……その目、恥ずかしいべ?!」

「どの目だよ」

「なんか……なんか、なんかそういう、なんか……なんか、ふわんってなる目」

 なんじゃそりゃ。

「いいだろ別に、俺がどんな顔してたって」

「よくねぇ!! 見られてたらシフトミスるでねぇか」

「ずっとお前の隣に乗ってるんだぞ? お前の運転が上手いことなんてとっくに知ってる。見られてミスるような奴じゃない」

「うるっせぇ五反田行くぞ。お前もうしゃべんな!」

「信号青になったぞ」

 後ろからクラクションを鳴らされ、海斗はまたもガコガコいわせながらシフトを入れた。

「落ち着け」

「落ち着いてる!」

 時宗は声を上げて笑った。海斗がぶすっと拗ねた顔になる。

「ごめんってば、晩飯おごるって言ったろ?」

「あれは……お前が嘘ついてた分だ」

「わかった。じゃあ2回目もおごる。何がいい?」

「…………お、思いつかねぇ。東京って何がんまいんだ?」

「焼肉でも行くさ。弥二郎と敬樹にお前を紹介して、4人で」

「ほんとか?! じゃあ焼肉」

 あぁ楽しそうだ。弥二郎と敬樹と、海斗と俺。事件が解決したら、みんなで焼肉に行こう。きっと財布は空っぽになる。それでも、弥二郎が帰ってきて、お前の笑顔がたくさん見られるなら、俺はお前に焼肉をおごる価値がある。


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