第31話


 館林のコンビニでの一件が功を奏したのか、あるいは警察を警戒してか、事務所の周囲に見張りや尾行らしき車はいなかった。張り込んでいる不審な人物もなし。

 時宗と海斗は事務所の近所を3周すると、敬樹と警察に連絡してマンションの訪問者用駐車場に車を入れた。制服警官が2人近づいてくる。

 自分たちの素性を話し、2人は事務所に入った。鑑識などがまだ作業している中、捜査責任者だという警部補のところへ2人は案内された。時宗は自己紹介の後、捜査の状況を聞いた。

「おつかれさまです。この度は色々とありがとうございます。その後、叔父か犯人から連絡は……?」

 山本と名乗った警部補は、まだ何も連絡はないが、時宗が録ったデータから、黒いワゴンの持ち主は割り出したという。今、持ち主の交友関係を洗っているが、写真から見ておそらく暴力団関係者につながるだろうということだった。

「連中に心当たりはありますかね?」

 事情聴取に当たっている捜査員からのその問いに、時宗も海斗も首を振った。

 白いセダンの方は、案の定、札幌の暴力団だった。海斗は冷静に、自分が借金のカタに運び屋をやらされていたこと。積み荷は何か一切わからないこと、そしてすべての情報を提供することを話した。覚悟の上だ。

 時宗は一刻も早く敬樹の様子を見に行きたかったが、海斗の事情聴取が一段落するまで待つことにした。その間に誰にも見られずに砂糖をチェックしたい。

 海斗が警部補と捜査員に自分の知っていることを話すのを視界の隅で見ながら、時宗は指紋採取などに協力し、捜査員と事務所の中を一通り確認した。海斗は少し疲れた顔で、勧められたソファーに座っている。

 ファイルは腹立ち紛れという感じにぶちまけられていた。その光景に眉をひそめる。鑑識の作業はそろそろ終わるところらしく、捜査員が一冊ずつ段ボール箱に詰める作業をしていた。

「……全部持っていくんですか?」

「えぇ……」

 弥二郎のかっこつけでファイルを並べてはいるが、中に個人情報はない。全部弥二郎が趣味で集めている、古い家の建物図面だ。だが仕方がない。多分意味はないだろうが、これも彼らの仕事だ。パソコンも捜査員が調べていた。敬樹がパスワードを教えたのだろう。

 主が連れ去られ侵略された事務所は、もの悲しく見えた。大切なものが奪われるのには慣れたと思っていたのに、今、時宗はひどく疲れた気分になっていた。車の中では前向きに戦えると思っていたし、海斗と明るく話しながらあれこれ作戦をイメージしていたのに、現場を見たら、ショックが遅れてやってきたようだった。

 数日前に弥二郎と向かい合って話したソファーには、捜査員と海斗が座っている。今、捜査員が座っている場所には弥二郎が、海斗が座っている場所には自分がいた。のんびりしたものだった。

 お土産だって買って来たんだ。無事でいてくれ……。

 溜息をつく。だめだ。こんな状態で考え事をしても、いいことはない。

「コーヒーをお淹れしますけど、飲みたい方はいらっしゃいますか?」

 時宗は事務所全体に声をかけた。捜査員は全員、おかまいなくという感じだった。海斗を見ると、やはり首を振っている。

 許可を取り、時宗は小さな給湯室に入った。誰もついてきていないのを確認し、電気ケトルをセットして戸棚を開け、インスタントコーヒーの瓶と砂糖、粉末のコーヒーミルクを取り出す。

 マンションの方は砂糖壺だけど、こっちはスティックシュガーなんだよな……。

 さりげなく、大きいパッケージに詰まった細長い小袋を探る。特に何かが混ざっている感じではないんだが……。見つからず、今度は袋をひとつひとつ触っていく。

 これか?

 ひとつだけ、砂糖が入っていない袋がある。時宗はそれを引っ張りだした。下の方は破り取られ、中身は抜かれている状態だ。軽く振ると、中から細長く折りたたまれた紙が出てきた。

 これが依頼人の名前か?

 そっと紙を開いてみる。何が書いてあるんだ?

『お前のじいさんマジでボケてやがる。頑固でほんと頭にくる。ばーかばーか』

 ………。

 ………………。

 いやこれ何なんだよ?!

 40歳にもなって『ばーかばーか』はないだろうが!!

 ふつ~~の悪口じゃねぇか、何考えてんだ? しかもこれ事件に関係ないだろが!

 関係は……あるのか。お前のじいさんって海斗のじいさんのことか? それに、『コーヒーに砂糖入れすぎんな』という言葉の通りに、ここにメモがあった。ということは、弥二郎はあらかじめトラブルを予測し、細い紙を用意し、メッセージを書き込んでここに仕込んだ。

 先の見通しの正確さと手間を考えると、これをただのストレス解消とは考えない方がいい。いや……うん、ただのストレス解消だな、この文面は。ただ、メッセージをストレス解消に使っている。だから他の人間がたまたまこれを見つけても、ただのストレス解消だとしか思わない。

『お前のじいさん』。

 依頼人の名前を頑なに出さないのには、どんな理由がある? 電話番号も住所も書かれていない。

 マンションの方の砂糖壺には何か入っているだろうか。『砂糖入れすぎんな』という言葉から、向こうにも何かある可能性はある。こっちのコーヒーは来客用で、時宗は基本的に事務所でコーヒーを飲まないからだ。

 そっちを調べてから考えた方がいいだろうか。

 時宗はメモを小さく折りたたみ、ジーンズのポケットに入れた。何食わぬ顔でインスタントコーヒーを作り、マグカップを持って給湯室を出る。壁に寄りかかり、時宗はコーヒーを飲みながら海斗の事情聴取が終わるのを待った。

 1時間後に海斗が立ち上がると、時宗も壁から離れる。

「聴取終わりました?」

「えぇ。一旦は。明日もう一度お話を伺えればと思います」

 警部補の言葉に、時宗はうなずいた。

「では、次は俺の番だと思うのですが……」

 警部補が時宗に座るよう促すのを制し、時宗はマグカップをテーブルに置いた。

「申し訳ありません。海斗は札幌からここまで2日間運転し続けて疲れています。それに、上の自宅では未成年の身内が臥せっている。一度、海斗を連れて自宅に戻り、2人のケアをしてから戻ってくるという形でもよろしいでしょうか」

 穏やかに言った後、時宗はちらりと海斗を目で示す。

 警部補と捜査員はすぐに気遣ってくれた。

「わかりました。どのぐらいかかりますか?」

「そうですね……30分はかからないと思います」

「では」

 警察官の付き添いと一緒に、時宗と海斗は事務所の奥からエレベーターホールへ出た。

 4階まで上りながら考える。『お前のじいさん』。頭にくるほど頑固なのは、時宗の祖父も同じだ。ただその場合、弥二郎は大抵『親父』と呼ぶ。

 海斗のじいさんで合ってる、よな??

 冷えた階段を上り、3階につくと時宗は自分の部屋の鍵を出した。警察官がそれを制し、無線で中と連絡を交わす。ドアが開き、女性警察官が顔をのぞかせた。

「こんばんは。お世話になっております」

「あ、おかえりなさい」

 ほっとする笑顔の人だった。

 その向こうに、自室から飛び出てきた敬樹が見える。

「敬樹」

「時宗さん! おかえりなさい」

 走ってくる敬樹を抱き締め、時宗は頭を撫でた。

「ただいま。もう大丈夫だ。ちゃんと休んだら、一緒に弥二郎を探そうな」

「おかえりなさい。おかえりなさい」

 ぎゅうっと抱きついてくる敬樹の気が済むまで、時宗は両腕で敬樹を包んでじっとしていた。しばらくして、敬樹はやっと身を離し、時宗と海斗を見上げた。

「おつかれさん。お前、少しは眠れたか?」

「眠れなかった。心臓がバクバクして収まらないんです」

 海斗が心配そうに敬樹をのぞきこむ。

「あ、敬樹、こいつが海斗だ。海斗。こいつが敬樹。仲良くしてやってくれ」

「よろしくな」

「よろしくお願いします」

 時宗はリュックを下ろしながら、リビング・ダイニングを見渡した。リビングのソファーテーブルには機械やノートパソコン、無線などが並べられ、ちょっとした捜査デスクになっている。警察官は、出迎えてくれた女性の他にもうひとり、若い男性警察官がいた。事務所から付き添ってくれた警察官は、玄関で警戒に当たってくれている。

「こちらに変化はありませんか?」

 警察官に声をかけると、女性警察官が話し始めた。

「そうですね……特に連絡も来ておりませんので、今夜はきちんと休んだ方がいいと思います。後でさらに応援が来て、交代でここに詰めることになっているのですが、よろしいですかね?」

「えぇ。お願いします」

 時宗はダイニングの椅子を引き、敬樹と海斗を座らせた。

「何か飲むか? お巡りさんも……何か飲みますか?」

 こちらでも、やはり警察官は首を振った。

 時宗はさりげなくキッチンへ行き、戸棚を開ける。やかんに水を入れて火にかけ、紅茶のティーバッグが入った箱と、砂糖壺を取り出す。

「俺は紅茶飲むけど……」

「オレいらね」

「ぼくも……」

「そうか」

 言いながら、砂糖壺の蓋を開けて中を覗き込む。陶器のスプーンで中をかき回すと、果たして小さな紙が入っていた。時宗はそれをさりげなく取り出し、ジーンズのポケットに入れる。

 お湯が沸くのを待ちながら、時宗は対面キッチンの向こうに声をかけた。

「敬樹、晩飯は食べたのか?」

「食べてないです」

「そうか」

 それだけ言うと、時宗はコンロに置かれたままの鍋を開けた。肉じゃがが入っている。もうひとつのコンロでお湯が沸くと、時宗は紅茶を淹れ、冷蔵庫を開けた。サラダが2人分入っている。具合が悪くて自分は食べられないのに、敬樹は必死で弥二郎と時宗の分の夕食を作ったのだ。

 黙ったまま紅茶に砂糖とミルクを入れると、時宗はそれを持ってダイニングテーブルに戻った。

「敬樹」

 見上げてくる瞳に、微笑みかける。

「頑張ったな。ほんとにありがとう。俺はこれから、事情聴取で事務所の方に行かないといけない。頼みが2つあるんだが、やってくれるか?」

「はい!」

 いいお返事。敬樹はいつだって一生懸命仕事をしようとするし、どこにでも行きたがる。誰かの役に立っている実感が、敬樹を支える。本当は、ここにいるだけでいいのに。弥二郎が戻ったら、またゆっくりとそれを理解していけばいいか。

「車の中に、海斗の荷物と俺の買ったお土産がある。体が大丈夫そうなら、海斗と一緒に車の中にあるものを持ってきてほしい。それがまずひとつ。もうひとつは、海斗の身の回りの世話をしてやって欲しい。何か食べさせて、部屋着と寝間着を用意して、風呂に入れて。体格が似てるから、俺の部屋で何でも探してくれ。せっかくお前が作ったうまい晩飯だ。俺の分を海斗に食べさせてくれると嬉しい。

 海斗は今夜ここに泊まる。……こいつは依頼人のじいさんの孫だ。弥二郎を拉致した連中のターゲットが海斗である以上、こいつがここに無事でいる限り、弥二郎は殺されない。わかるか?」

 敬樹は唇を引き結んでうなずいた。

「ぼく、海斗さんを守ります」

「頼む。お前も風呂に入って、一緒に休んでいてくれ。多分明日は忙しくなる。いいな?」

「わかりました」

 微笑んで敬樹を励ますと、時宗は海斗を見た。こちらもきゅっと口を閉じ、凛々しい顔をしている。

「海斗、お前も明日に備えて、早く休んでくれ。2日間のドライブおつかれさん。俺のベッドで寝てくれ」

「時宗。お前はどうすんだ?」

 俺?

「俺は事情聴取を受けてくる。何時になるかわからないから……」

「ちゃんと帰ってきて、風呂入って寝るんだな?」

「あぁ。終わったら戻る」

「そうじゃねぇ。お前も、事務所見てからショック受けた顔してる。オレらを励ましてねぇで、事情聴取終わらせたら一緒に寝るべ」

 気を張っていたのを見透かされ、時宗は一瞬、へたりこみそうになった。

 海斗は時宗の心を見通したように静かに言った。

「いいか? 早く帰ってきてお前も風呂入るって約束すれ。オレちゃんと……待ってっから」

「……わかった」

 絞り出すように時宗が答えると、海斗は励ますように、ふわんと笑った。



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