第22話


 今野にはどうやらガス欠に対するトラウマがあるらしく、ガソリンスタンドがあるサービスエリアには必ず寄った。減った分を補充しては次に行く、その繰り返しだ。

 2人はひたすら南下していた。白いセダンは、途中で飽きたように2人を追い越し、先行していった。なにせこっちは飛ばすわけじゃない。100キロ制限であれば、今野はきっちり98キロぐらいで運転している。忍耐力のない奴なら、そうした波のない道のりはイライラするだろう。

 改めて、時宗は今野のそうした我慢強さに感心していた。堅気だった今野にとって、ヤクザ者のプレッシャーは相当きついはずだ。アパートも、住むところを与えられたといえばまぁまぁ聞こえはいいが、実質的には軟禁状態なのだろう。その生活を3年。自滅してもおかしくない。

 白いセダンに乗っている奴は、今野とは全く違う運転だった。すごい勢いで吹かして近づいてくると、今野の後続車に幅寄せしてスピードを落とさせ、今野を後ろからひとしきり煽っていた。やがてタイヤを鳴らし車が沈むような勢いで車線を変更し、尻を振るようにスピードを上げて走り去ったのだ。

「なんか……あの車を運転してる奴、めちゃくちゃ頭が悪そうなんだが」

 時宗がそう呟くと、今野はバカにしたように鼻を鳴らした。

「無駄にロールしてんのな。クソみたいな運転しすぎてサスペンションコイルがヘタってんだ。適当なセッティングしかしてねぇし。あんなオーバーステア、すぐスピンだ。ドライバーは車の荷重なんにも感じてねぇから前も後ろもただ振り回してる。カウンターも雑。免許取り直しレベルの下手くそ。公道出てくんなバカッタレ」

「……今野」

「なんだ」

「お前、そんだけ悪口言えるんだな」

 目が合う。今野は泣いた後のような赤い目だったが、かすかに口角を上げた。

「本気で走れば、あんな奴すぐ千切ってやんだけども」

「安全運転でお願いします」

「だな」

 今野の肩から、少し力が抜けたのがわかった。

「オーバーステアってなんだ?」

「ステアリング……ハンドル切った時に、ドライバーが思ってるより曲がり過ぎんのがオーバーステア。思ったより曲がんねぇのがアンダーステア」

 やればできんじゃねぇか。今野も時宗に慣れてきたらしく、その簡潔な説明はわかりやすかった。

「ふ~ん。ハンドルちょっと切っただけで、ぐるんっていくのは怖いな」

「ラリーとか、回るのが多いレースだと楽っちゃ楽だけどな。札幌にWRC来た時は、父さんと見に行った。コーナリングすげぇんだ。ブレーキングめっちゃくちゃ上手くて、立ち上がりのアクセルワークすごい好きだった。あと車の特性とかドライバーの癖に合わせたセッティングを父さんが教えてくれて」

 車の話になると、今野は楽しそうだ。目を細めて話を聞く。今野は、嫌なことから気を逸らすように夢中でしゃべっていた。WRCが何なのか時宗は知らないし、正直、サスペンションやらギアのことなんぞ話されてもさっぱりわからないのだが、一生懸命話す今野はすごく可愛げがあった。

 さぁて、どうやって今野をヤクザどもから切り離すか。きっちり縁を切らないと、ずっと恐喝や脅迫が続くことになる。

 正直なところ、時宗には今のところなんの策も力もない。自分の『家』に力があるのはわかっているんだが、こういうのに使うもんじゃないしな。

 私的なトラブルをもみ消すのに『家』の力を使う父親と兄を見てきただけに、簡単にそれに頼るのは、今野のためとはいえ気が引ける。……そもそも、『家』とは縁を切ったわけだし。

 なんかいい手はないものか。

 今野の話に相槌を打ちながら、時宗は考えていた。

 なんでもいい、何か。死んだふり、とか?

 車で事故って死んだように見せかけるのはどうだろう。爆発した車って、もとから運転手はいなかったってバレるんだろうか。

 調べないとわかんないよな。後で弥次郎にも相談してみるか。

「なぁ今野……」

 今野の息継ぎのタイミングで、時宗は口を開いた。

「腹、減らねぇ?」

 そういえば、という顔で今野がカーナビを見た。

「もうちょっと行って、菅生サービスエリアで飯食う」

「何がうまいんだ?」

「オレは牛たん食べる。菅生はサーキットが近いんだ」

「そっちか。お前サーキットに行くつもりかよ」

「サービスエリアだから高速から下りらんねぇ。でもサーキットが近いから空気だけ吸ってく」

 どんだけ車好きなんだ?

 呆れると共に、時宗は今野の頭に手を伸ばして抱き寄せたかった。しゃべるだけじゃなくて、サーキットに行けるといいな。触れて労わりたくても、それは許されない。でもいいや。今野が時宗に気を許してくれたから、東京まで、俺は相槌を打ちながらずっと今野を見ていられる。


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