第10話


 その辺の店でラーメンを食べると、今野は高速道路に乗った。

 ラーメンを食べている間、今野はずっとスマホをいじって何かを調べている様子だったし、高速道路のゲートを通過した時も、一切しゃべらなかった。根掘り葉掘り聞かれるのを警戒しているような雰囲気もあって、時宗は口を開かなかった。

 旅は道連れっていうだろ? これから長い時間、一緒に行動するんだ。相手のストレスをまず減らして、信頼関係を作るところから始めた方がいい。訳ありなら、なおさらだ。

 今野の運転は、相変わらずきっちり交通ルールを守るものだった。雪で80キロの速度制限がかかっている高速道路を、なんとぴったり79キロで走っている。天気はどんよりしていて、雪がちらついていた。

 中には勢いよく追い抜いていく車もいたが、今野は気にしない。タブレットにはこれから走る区間のライブカメラが映し出されている。

「……それ、なんだ?」

 ダッシュボードの右の隅っこには、よくわからない機械がくっついている。市街地を走っている時から、たまにピーピー鳴る小さな装置を指差して時宗は聞いた。

「警察のレーダー探知機」

「ふ~ん」

 バックミラーの下に見えているのはドライブレコーダーだ。ラーメン屋の駐車場でどこかに電話した後、今野は指なしの皮手袋をはめ、助手席の足元に置いてあったドライビングシューズに履き替えている。音楽は一切かけておらず、今野は運転に集中していた。

 そういえば、ETCのゲートから普通に高速に入ったよな?

 車載器は当然のように車についていて、今野はラーメン屋を出る前にカードを差し込んだ。部屋の中に個人情報はなかったが、そうした日常生活に使うものは持っているということだ。そもそも運転免許はあるはず。

 運転そのものが仕事?

 気になるのは、積み込んだスーツケースだ。かなり重かった。中に何が入っている?

 夜にでも弥二郎に電話して相談してみようか。

 そんなことを考えながら、時宗は前を見た。周囲は白いが、路面はきれいに除雪されていて、タイヤが乗る部分は長く黒い筋になっていた。時間は昼を回ったばかり。空は相変わらず灰色だった。

「これ、どこまで行くんだ?」

 時宗は聞いてみた。

「あぁ……大沼」

 大沼ってどこだよ。土地勘のない時宗には、それがどこなのか、ここから何時間かかるのかもわからなかった。

「何時間ぐらいだ?」

「たぶん4時間ぐらい」

「大沼って……」

「函館の近く」

「……なるほど」

 つまり、一直線に本州に向かってるってことだ。

 車は一切ブレることもなく、安定感があった。暇、といえば暇だ。

「さっきのラーメン、うまかったな」

 当たり障りのないところから会話を振ってみる。今野は乗ってくるだろうか。真っすぐ前を向いたままの今野の横顔を見ると、口の端がほんの微かに上がった。

「あっこは観光客来ないけど、うまいんだ。オレあっこの味噌ラーメン好きだから、仕事の時いっつも食べる」

 柔らかい声だ。言葉の端々に出る訛りが耳に心地よくて、時宗の心は緩んだ。仕事の手伝いの中に、気晴らしの話し相手も入るのだろうか。時宗はなんとなくそう思った。

「うちの事務所のバイトで、敬樹ってのがいるんだ。そいつも北海道に来たがってた。味噌ラーメンが食べたいって。帰ったら教えてやろうかな」

「あぁ……来たら食べたらいんでねぇか? 今回来なかったんか」

「まだ17で、事務ぐらいしか担当させられないんだ。そのうちあいつも一人前になったら、きっと来るんじゃないかな」

「ふ~ん。あっこ多分、すぐ潰れないと思う。来れたらいいな、そいつ」

 悪い奴じゃないんだよな、と時宗は思った。

「だな。チャーシューもよかったし」

「炒飯もいいんだ。あともう一軒、うまいとこある。後で名前教えてやる」

「頼む。やっぱり地元の人間に教えてもらったほうが、ハズレはないよな~。そういや、所長が柳月のなんだかってお菓子買ってこいって」

「あ? お前それ高速乗る前に言えや。この先の大きいパーキングエリアで売ってるんでなかったっけか」

 お土産のお菓子の話なんて鼻で笑われるのかと思いきや、今野はどこかで買わせてくれるらしい。窓に頬杖をつき、時宗は今野を眺めた。アパートにいた時よりリラックスしている。もっと言えば、どこか楽しそうだ。

 車の運転が好きなのか? それとも札幌から出られるのが嬉しいのか?

 東京に行けるから、という理由も考えてみる。今野は何を楽しんでいるんだろう。ぶっきらぼうなのに冷たくはない話し方を、時宗も楽しんでいる。

 しばらくの後、車は大きめのパーキングエリアに滑らかに入っていった。




 弥二郎に言われたお菓子を無事に買い、ペットボトルのお茶やらなにやらを仕入れてトイレに寄ると、時宗は車に戻った。白い森と灰色の空以外に何もない景色の下、車の量は東京より格段に少ない。

 白い息を吐き、コケないように車のドアに取りつくと、時宗は周囲を見渡してからドアを開けた。なんとなく、自分ひとりではない気がしたのだ。誰か……何かの視線を感じたように思った。

 苦笑いする。自分が誰かのプライバシーを暴くために日陰をうろつく仕事をしているせいか、そうした感覚は直観を越えて自分の一部になってしまっている。今野の訳ありな様子からいって、誰かの目があっても不思議ではない。こんなに早くネタバレが来るかね?

 ただ、ざっと見渡した限りでは、誰が尾行者なのかはわからなかった。車の中にいるのだろう。ここは高速道路、特定するならこの後の方が楽だ。時宗は何食わぬ顔で車に乗り込んだ。

「用事終わったんか?」

「あぁ」

 返事をすると、今野は靴をスノーブーツに履き替え、手袋を脱いだ。時宗の前にあるグローブボックスを開け、手袋の片方を隅に挟んで閉め直す。もう片方をダッシュボードに放り出しながら、今野は例の顔でにやりと笑った。

「オレもトイレ行ってくっけど、開けんなよ」

「……するわけねぇだろ」

「どうだか」

 今野はさっさと車を降りていった。その背中を無言で見送る。

 あいつ。

 部屋を2つ借りている時点で用心深いとは思った。もしかしたら、さっき一旦自分のアパートに戻ってきた、あのわずかな時間で時宗が漁ったことに気づいたんだろうか? 今野がいない間にグローブボックスを開けて車検証や保険証を写真に撮ろうかと思っていたんだが、見事に見透かされたわけだ。

 おとなしくしてるほかねぇか。

 思いのほか、今野は頭が切れるし、訳ありな生活に慣れている。

 おもしれぇ。

 アパートで見せた寂しい目よりも、こうしてお互いに頭を使う旅で見せる今野の顔の方が、ずっと楽しい。

 さぁて、今野は尾行にどう気づいて、どう対処するんだろうな?

 アパートで風呂を借りた時、時宗は漠然と思った。あの男には、体を使って遠くまで行く旅の方がふさわしいんじゃないかと。少し危険で、冷静な知恵が必要とされる旅だ。

 東京まで、今野と一緒に行ける。

 ポケットに入っていたチロルチョコを口に放り込みながら、時宗は口元が緩むのを押さえられなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る