第3話


 つくづく思う。コンビニは偉大だ。

 スマホで探してたどり着いたコンビニでトイレを借り、食料と温かいお茶と使い捨てカイロを仕入れた時宗は、アパートの玄関が見える道に陣取った。うまい具合に静かな裏通りで、ほとんど誰も通らない。道路の縁には雪が積み上がって、いい感じに見通しも悪い。怪しまれたら移動しよう。

 立ったままパンを頬張る。この仕事は「待ち」を嫌がったらやっていけない。隣の住人の言葉に賭けて、時宗は今野が帰ってくるまで、少なくとも今日明日は外で粘る覚悟だった。

 パンを食べ終わると、時宗は弥二郎に電話をかけた。気になることがあったからだ。

『おっ札幌着いたか? 寒いか?』

 人に仕事を振っておいて、開口一番これだ。

「くっそ寒い。そして俺は今、その寒い外で今野がアパートに帰ってくるのを待ってる」

『お~凍死しない程度にがんばれ』

「聞きたいことがある」

『なんだ?』

「ファイルに、じいさんの名前がない。住所もだ。俺は今野を見つけたら、どこに連れて行けばいいんだ? どうなってんだ。具体的な事情の説明も乏しいし、これじゃ今野をどうやって説得すればいいのか、材料がない」

『あ~、それね。じいさんの意向で、一切書けないんだ』

「は? 書類に起こせないんなら、なんで自分でやらないんだ。なんにも知らない俺を札幌に送り込んだって仕事にならないだろ」

『ん~、まぁ……そうなんだけど、寒そうだったから』

「ふざけんな、じいさんの名前は? 俺と今野の目的地は?」

『じいさんに、どこまで話していいか聞いてからじゃないとな……』

「どこに住んでるかも知らないんじゃ、こっちは信用してもらえない。なんでこんな半端な仕事してんだ」

『お前の言いたいことはわかるんだが……夜はホテルに泊まっていいから、時間かけて見つけて話してみてくれ。それと今野を見つけたら、まず事務所に連れてきてくれ。そこで今野とお前に全部話す』

「俺?」

『知りたいだろ?』

 いや……まぁ知りたいけど。そんなに隠してるのに、最後は教えてもらえるって変じゃないか?

『とにかくその~、何日かかってもいいから、なんとか説得してくれ。なにせじいさんが偏屈でな。すまん』

「すまんじゃねぇよ、大丈夫なのか? この仕事。もしかして、じいさんって有名人、とか?」

『……あぁ。そうだな……有名人だな、確かに』

 なるほど。日本中の誰もが知ってる名前なら、名乗ったら逆に詐欺っぽい。そういうことなんだろうか。

『ま、あんまり寒かったらホテルに避難しろよ~。死なれたら困る』

 そう言うと、弥二郎はさっさと電話を切った。

 なんか今回の仕事、こんな適当な感じでいいのかね? 何度か手紙は送ったっていうから、「手紙を送った」っていう事実を知ってるっていうところで信用してもらうか……もらえるのか?

 どうにもわからない仕事だ。弥二郎はいつも以上にのらくらした感じだし、ホテルに泊まっていいって何言ってんだ?

 しょうがない。まずは今野を見つける。そこから何とかするしかない。

 それにしても……。ダウンジャケットのフードをかぶってポケットに両手を突っ込んだ時宗は、じっと考え事を始めた。

 母親を10代で亡くし、父親もどこかの時点でいなくなった今野は、時宗と同じ歳で何の仕事をしてるんだろう。けっこう長期で家を空けるんだろうか。それとも毎日帰ってきてる? 運送業、建築業……。高校や大学は出てるんだろうか。

 時宗自身、まぁまぁ色々トラブルが多い人生だとは思うが、一応弥二郎に面倒を見てもらったので、孤独について文句を言うべきじゃない。この寒い土地で、今野はひとりでどうやって生きてきたのか。

 白い息を吐きながら、時宗は斜め向かいのガラスの玄関ドアを眺め、視線を上げた。3階建てで、一階はシャッター付きの車庫が並んでいる。雪が降るから、シャッターは大事なんだろうな。部屋は2階と3階に3つずつ、6世帯の小さなアパートだった。

 玄関は左隅っこにあり、右の端が201、301だ。真ん中の302はカーテンが閉められて中は見えない。301もだ。

 あいつ……昼間っから自分の部屋で何してんだろな。

 時宗はさっきの住人を思い浮かべた。切れ長の目に、少し皮肉っぽい笑みを浮かべた唇。

 別に自分の部屋にいるからっておかしくはない。平日が休みの仕事はたくさんあるし、在宅でできる仕事もある。もしかしたら夜勤か何かで、帰ってきて寝ていたのかも。そうなら、ピンポン連打であんなふうにブチ切れたのも納得がいく。悪いことしたな。

 あれこれ考えているうちに寒くなる。途中で2度ほどコンビニへ行き、トイレを借りたり温かい物を仕入れたりしながら、時宗は黙々と待った。気晴らしに仕入れたチロルチョコは寒さで硬くなっていたが、時宗は口の中で溶かすのを楽しんだ。

 2時間、3時間。3時を過ぎると、とにかく寒くなった。日はもう傾き始め、気温は容赦なく下がってきている。鼻をすすると奥の方がキンと冷えた。自分でも意識しないうちに足踏みをしている。

 これは……まずいかもしれないな。

 時宗はぼんやり思った。夜も張り込みしたら凍死すんじゃね?

 割と冗談じゃなくそう思えた。

 ここを離れるわけにはいかないし、交代要員はいない。センサーカメラは持ってきてるから、夜中はそれをどこかに仕掛けて、ホテルを見つけるべきか……。ただこの気温だと、機械類が動かなくなる可能性があった。

 トレッキングシューズを通して足元もガンガン冷えてきているし、ヒートテックはまったく足りない。気が付けば、歯がカチカチ鳴っていた。

 諦めて引き上げるか……。でもたった数時間で?

 そう思っていた時、見張っていたアパートの玄関ドアが開いた。中から、例の住人がひょいと顔をのぞかせた。

 目が合うと、住人は顔をしかめた。それから諦めたようにアパートを出て、道路を横切ってくる。タートルネックの上に毛糸のセーター、さらにコートを着ていた。

「……ここで待ってんのか?」

 雪道に慣れた足取りで近づいてきた男は、無表情のまま時宗にそう言った。

 背の高さは同じぐらい。いや、ほんの少し向こうが高いか? そのセーター貸してくれ。ぼんやりとそんなことを思いながら、時宗はうなずいた。

「ふ~ん。天気予報確認したんか?」

「あ~、そういや」

 ポケットからスマホを取り出し、ボタンを押す。ざく、と雪を踏みしめる音がした。顔を上げると、奴は立ち去るところだ。丸めた背中は遠ざかり、交差点を左に曲がって消えた。

 なんなんだよあいつ。

 どこに行くのか知らないが、北海道はあのぐらいの重装備じゃないとダメなんだな、と時宗は察した。スノーブーツはもこもこしてたしな。うらやましい。

 足踏みをしながら、時宗はスマホを見た。この手袋、脱がないと操作できない……。諦め、決死の覚悟で手袋を外すと、震える指でスマホを動かす。ポケットの中で握っていたおかげで、スマホ自体はまだ正常に作動している。

 天気予報を開き、『寒波』の二文字を見て時宗は絶望した。今夜の最低気温がマイナス11度? やめてくれよ……。

 これはもう諦めた方がいい。ホテルを取って、明日出直しだ。

 マジか、こんな……札幌に着いてから3時間ちょいしか経ってないんだぞ……。

 呆然とアパートを見上げる。ついでに日の入りを確認したら、4時過ぎには太陽が沈んでしまうらしい。もうあと30分ないぞ。

 なんていうか、体感としてヤバイのはわかってきていた。歯の根が合わず、足の指は常に動かしていないと耐えられない。一刻も早く逃げ出したい。でも……。

 時宗の悪いところはこういうところだ。なんだかんだ、途中で逃げ出すのは嫌だった。自分の負けを認めたような気分にさせられて、抵抗せずにいられなくなる。もう何度も失敗したのに、まただ。高校2年の時だって……。

「おい」

 ふと気づくと、住人が戻ってきていた。右手に少し大きいビニール袋をぶら下げている。買い物に行ってきたのか。

 黙って見返してやると、住人の男はむすっとした顔のまま時宗に言った。

「今夜ここで粘るつもりなんか?」

「まぁ……しょうがないですよ。会わないといけないから来たわけで。適当でいいなら、手紙の返事がない時点でおじいさんも諦めてるでしょ」

「ふ~ん」

 相変わらず、どうでもいいって感じの反応だ。

「でもお前、ここに一晩立ってたら確実に死ぬけど」

 うん俺もそう思う。

「仕事だし……。逃げたら報酬ももらえないし、おじいさんがなんか、かわいそうだなって」

「ふ~ん」

 男は時宗をしげしげ眺め、しばらく考えている様子だった。自分の部屋を見上げ、隣の部屋を見る。口をきゅっと引き結んだ横顔がちょっと凛々しくて、時宗は心中密かに溜息をついた。やっぱりお近づきにはなれないのか。

「あのさ」

 男は突然こっちを向いた。時宗のトレッキングシューズを見下ろし、目を合わせずに男はもそもそ口を動かす。

「その、もしあれだったら、オレの部屋で待っても構わねぇが」

「は?」

「だからその……凍死されるのも寝覚めが悪いっちゅうか」

 え、お前、実は神? 隣の部屋で待たせてもらうなんて、こんな幸運ありかよ。控えめに言って……。

「ぜひお願いします」

「あっそ」

 くるりと向きを変え、男はアパートにさっさと入っていく。時宗はさっきからジンジンしている足の指を踏みしめ、コケないように慎重に男の後をついて行った。


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