第46話 虎は送りもの

 そのとき、目の前に黄色と黒の影が走った。すると、オオカミの巨体が弾き飛ばされた。(ギャオアアッ!)っと鳴きながらそのオオカミは遠のいていく。


 (ガオォォー!)という遠吠えが嵐のように吹き荒れて、その振動で地響きが辺りをざわつかせた。


 あたしはそのほうに目を向けた。黄色と黒のしましま模様のグレスティーガがケモノたちに低い体勢で唸り声を上げていた。


 (ガオォォー!)っとふたたび大地を揺るがすような怒りにも似た遠吠えが、ケモノたちに投げかけられた。ケモノたちは怯み、こちらへ来ようとはしなかった。さっきまでの狂ったような唸る声がなくなり、静寂が辺りを包んだ。


 ケモノたちとグレスティーガがにらみ合っている。お互い引かない。ケモノたちは近寄っては離れてを何回か繰り返していた。グレスティーガは来させないように凄みのある威嚇をケモノたちに向けて放っていた。


 すると、ケモノたちは背を見せてそれぞれ帰っていく。興味がなくなったかのように森の奥へと消えて行った。


 ケモノたちが消えた道を見ると、さっきまでの狂気じみた空気を洗うように、冷たい風が吹いていた。


「シャルピー!」


 ポノガが駆け寄ってきた。あたしに近づくとポンっと体を弾き返されて転がる。ポノガは腕輪にさわってふたたびあたしに近寄った。


「大丈夫だったかー? おいら心配したぜー」

「ええ、この通りね、問題ないわ」


 あたしは子ウサギを抱いたまま立ち上がった。片手でパタパタと服のほこりを払い、乱れた服装を整えた。


「グレスティーガ、ありがと、助けてくれて」


 グレスティーガはなんの反応も見せない。無視しているみたいに。……あ! そうか。


「ポノガ、通訳して」

「あ、おいら忘れてた」


 ポノガはあたしが言った言葉をグレスティーガに伝えた。グレスティーガはあたしのほうを向いた。


「勘違いするな。吾輩は、お前を助けたのではない。クリスタルメサーチアを守っただけだ」

「ふーん、でもいいわ、どっちでも。それより……」


 あたしはポケットから透明な石を出して見せた。


「これでしょ」


 グレスティーガはそれを見るなり頷いて言った。


「よかろう、クリスタルメサーチアと交換だ」


 あたしは頷くと手に持っている透明な石をポケットに入れて、代わりにそこから蜜の入った小瓶を取り出した。それから、グレスティーガに渡そうと歩み寄ろうとした。


「待て、そいつをなにかで縛って、吾輩の首に掛けてもらいたい」

「えっ?」

「クリスタルメサーチアみたいに隠れて獲物を捕まえる方法はあるが、さっきみたいにケモノたちが狙っていて、吾輩が寝ているあいだに奪われるかもしれないからな」

「ふうん、わかったわよ。ちょっと待ってて」


 あたしは抱いている子ウサギを地面に放して逃がそうとした。手から放すとき、グレスティーガのほうを向いて言った。


「食べないわよね。この子」


 グレスティーガは抱いている子ウサギをひと目見ると、プイッと首をそらした。


「吾輩はそんな小さな者に興味はない、それに食べたところで腹は満たされない、余計に腹が減るだけだ」

「どうかしら? まあいいわ、信じてあげる」


 あたしは慎重に子ウサギを放した。グレスティーガに注意を払いながら、子ウサギが森の奥へ帰っていくのを見守った。


 それから、周りを見回して紐になる物を探した。しかし、そのような都合のいいものは見当たらなかった。


「ないわねー」


 そう言いながら何気なくポケットに手を突っ込んだ。すると、なにか紐のような物が手に触れた。それを引っ張り出してみると、リボンがひらりと手に垂れ下がっている。


 クッキーの小包についていた物だわ。


「あったわ、これでいいわね」

「なんでもよい」


 あたしは小瓶を取り出してリボンを巻きつけた。それから、グレスティーガの首にリボンを巻きつけようと近づいた。


「ちょっと首を低くして」


 グレスティーガは首を低くしてきた。あたしが手を伸ばして、そのリボンを首に巻きつけて縛る。手に触れる毛並みが針のようにとがっていてチクチクする。


「これでいいわね」


 明るい青いリボンがグレスティーガの首の掛けられた。こうして見ると、大きなはく製の置物でもプレゼントするみたいに見えた。


「……いいだろう」

「シャルピー、手に入れたんだよな。クリスタルメサーチアを」


 ポノガがあたしの足もとで言う。


「ええ、これよ」


 あたしはポケットからクリスタルメサーチアを取り出した。透明で丸いりんごのような果実が手に光る。


「そいつがクリスタルメサーチアかぁ。……なんだか、おいら、そいつを食いたくなってきちまうぜ」


 ポノガはそう言うと舌なめずりした。


「ダメよ! この果実は、どうもあたしたちの食欲をそそるような匂いを発しているみたいだから」


 グレスティーガはその果実をちらりと見て言った。


「その通りだ。クリスタルメサーチアはその者が一番好きな食べ物の匂いを発している。それも強力な」


 あたしは、空腹者から狙われているクリスタルメサーチアをポケットに入れた。そして、ポノガから腕輪を取って身に着けた。


「じゃあ、あたしたちはこれで帰るわ。元気でね」


 そう言ってその場を去ろうとしたとき、(ガオッ)っとグレスティーガはあたしたちに声を発した。振り返ってみると、グレスティーガは崖のほうを向いていて語り掛けてきた。


「吾輩の背に乗れ。町まで送ってやろう」

「……別にいいわ。帰れるし」

「ポノガから聞いた。姉の体を治すためにクリスタルメサーチアを欲していると」

「そうよ。でも、もう手に入れたわ」

「取引相手がさっきみたいにケモノどもに追いかけられて食われたりしたら、後味が悪いんでな。だから送ってやる」


 そうね……。このまま帰っても、腕輪を使えば安全に町まで帰れるけど、さっきみたいな状態で町に帰ったら、今度は町の人たちが襲われてしまうかもしれなわね。となると、グレスティーガに乗って帰ったほうが、より安全てわけね。ケモノたちも襲いにくいだろうし。


「いいわ、乗せてって」

「じゃあ乗れ」


 あたしはグレスティーガの背にまたがった。ごわごわとした感触と温かさが伝わる。ポノガはあたしの肩に乗ってきた。


「落とさないわよね」

「吾輩は落とさない。しっかりとつかまっていればな」


 あたしは足に力を入れてグレスティーガの体を挟んだ。それからリボンを両手でつかんだ。


「これでいいかしら?」

「よかろう。だが、あまり紐を強く引っ張るな」

「ええ」

「それでは、いくぞ」


 グレスティーガは走り出した。崖を弾むように飛び降りていく。風が走り、髪や服をバタバタとはためかせて駆け抜けていく。風になったように視界が速く流れていく。


 ザザッザザッと足音がするたびにあたしの体が揺れる。少しでも気を抜くと振り落とされそうになる。


「お、おいっ! あんまり揺れると、おいら落ちちまうぜ」

「しっかりとつかまってなさいよ」


 ポノガの爪があたしの肩に刺さる。


「ちょっと! 痛いわね。もう少し緩めなさいよ!」

「えーおいら、これ以上緩めると、落ちちまうぜー。もうちょっとで着くと思うから、我慢してくれー」


 エネギュリの図書カフェが見えて通り過ぎた。薄暗い地面が迫ってくる。両側にある木々を抜け出して、広い平原まできた。遠くにはポヨピオンの町が見える。


 川を飛び越えて、一気に駆け抜ける。緩やかなのぼり坂も難なく駆け抜けた。

 グレスティーガは町の門前まで来ると急に立ち止まった。


「この辺でよかろう。降りろ」


 あたしたちはグレスティーガから降りた。ポノガはあたしの肩に乗っていたけど、地面に降りて、怖がりを払うように体をブルブルっと振った。


「じゃあ、吾輩はこれで」

「待って」


 駆けだそうとするグレスティーガを止めた。


「なんだ?」

「さっき、家があったでしょ。そこのエネギュリって子があんたに追いかけられたって言っていたわ。もう、追いかけないでよ」

「……ああ、あの小さな奴か。安心しろ、吾輩は誰も追いかけない、この蜜に寄って来たものを捕らえるだけだ」


 そう言って、風のようにその場を去った。


「あっ、ちょっと!」


 グレスティーガは薄暗い向こうに帰っていく。風を舞い上げて、風のように走り去っていった。


「信用できるのかしら、まったく」

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