第44話 記憶の幻影

「……シャ……ピー、シャルピー、眠いの?」


 だれ? あたしを起こすのは?


「シャルピー、起きて」


 あたしの肩を誰かが揺らす。とても温かな手の感触が肩に伝わる。誰なの?


 力なく目をあけた。眩しい光が目に飛び込んでくる。


「せっかく作ったのに」


 作った? この声は聞き覚えがある。姉の声だわ。


 しっかりと目を開けると、あたしはテーブルにうずくまって寝ていた。顔を上げると姉が笑顔でこちらを見ていた。


「え? お姉ちゃん。なんで?」

「なんでー? 今日はわたしがお料理をする番でしょ。さあ、シャルピーの好きなりんごのソテーよ。食べてみて」


 りんごのソテー? 目の前には、いびつに切られたりんごが黄金色をまとって白い皿に盛りつけてあった。とても甘く、とても爽やかでおいしそうな香り。


「ふふふ、どうしたの? そんなぼーっとした顔をして」


 姉は目の前に座って頬杖をしながら微笑んでいる。


「……いや、お姉ちゃんが作ったの?」

「そうよ、食べてみてシャルピー」

「うん」


 なんだかとてもお腹が空いていた。あたしはフォークを使ってりんごのソテーを頬張った。


 おいしい、とろけるような甘さと少しシャリっとした感触が口のなかで広がる。


「どう、シャルピーおいしい?」

「……おいしいわ」

「そう、よかったわ」


 あれ? 周りをみると、白くもやが掛かっているように見えた。

 

 なにかを忘れている。あたしはこれからなにをしようとしたんだっけ?

 毎日の日課ってなんだっけ? ……あっそうだ、朝食を取りに森へ行くんだったわ。


 あたしは席を立って出かけようと玄関へ向かった。


「あら、お出かけするの? シャルピー」


 姉が食器を片づけていた。お盆にティーカップをひとつひとつ、ていねいにのせている。


「う、うん……」


 あれ? あたしと姉しかいないのに、誰か来てたのかな? ティーカップがあたしたちのほかにもうふたり分あった。


 誰だろう? あたしが寝ているあいだに帰っちゃったのかな?


 なんか前にもこんなことがあったような気がする。なんかとても重要なことで出かけたような。


「シャルピー、わたしは家で待ってるわ、だから、元気に帰ってきてね」


 元気に帰ってきてって? ただ、森へ朝食を取りに行くだけなのに、なんでそんなことを言うのかしら。


「うん」


 あたしは扉の取っ手に手を掛けた。そのとき、あたしの胸もとでなにかが光った。


「ん? なにかしらこのペンダント。あたしこんなのつけていたっけ?」


 よく見ると白い花のペンダントがキラキラと光っている。とても綺麗。


 誰にもらった物かしら? ……花? なんか花がどうとかで出かけたような。誰か来てたんだ。誰かが、この家に。


 誰が来てたの? なんで来てたの?


 あたしの胸もとでペンダントがまた光った。


 なにかを訴えているようにキラキラと光っている。あたしはそれに触れてみた。それから握ってみた。


 は!? たしか、このとき、あたしはなにかを言ったんだわ。誓ったようなそんな言い方で……。


 ……やるわ。あたし、やるわって、たしかそんなことを。なんかその前に誰かの名前を言ったような。


 それはとても大切な言葉だったような。


 あたしは握っている手を開いて、花のペンダントを見た。


 この花はいったいなんの花なのかしら? 白い花。


『ねえ、なんていう花なの? その花の名前は』


 不意に姉の言った言葉が蘇ってきた。たしかそんなことを誰かに聞いていたっけ。この家で、そこのテーブルで。


 それはとても重要だった言葉。大切な言葉だった、気がする。そして、それを守っている者、育てている者がいる。


 何度も何度もそれらの言葉を言ったことがある。呼んだことがある。


 思い出して。


『へーわたしが飲んだらどんな幸福を与えてくれるのかなぁ』


 また姉の声が蘇った。幸福を与える? 幸福を与えてくれる花?


 ……そうだわ、あたしはその花を求めるために出かけたんだわ。この家から。この扉から。


『見てみたいわその花。ねえ、なんていう花なの? その花の名前は』


 さっきよりも姉の声がはっきりと聞こえるように蘇った。


 このあとだ。このあと、言ったんだったわ。声を合わせて……。声を合わせる? ふたりいた? にひき!?


 動物たちが来てたんだわ。それで、その花の話を持って来たんだわ。持ってきたっていうか、勝手にしゃべってて、姉が花の話に興味深々で。それから。


 2匹が息を合わせて同時に言ったんだわ。そう。


 【パジワッピー】って。パジワッピー? パジワッピーの花!


 そうだわ。思い出したわ。ポノガとムリッタがこの家に来ていたんだわ。


 それで……。


 あたしは幸福を与えるパジワッピーの花を求めて、ここから出て行ったんだったわ。姉を治すために。


 あたしはテーブルのほうへ目を向けた。そこにはていねいに食器を片づけている半透明な体の姉がいた。

 

 そう、姉が魔法使いのパンを食べて、半透明の体になって、それで。


 じゃあ、この扉を開けたらポノガとムリッタが待っているの?


 ……いや違う。あたしはもうここは知っている。このさきのことも。


 あたしはふたたび花のペンダントに目を移した。小さな花がキラキラと輝いている。


 これをあたしに渡した人物がいる。花を守り育てている者が。


『それは、あなたに差し上げますの、シャルピッシュとわたくしの友情の印ですわ』


 透き通った少女の声に乗せて、その言葉が送られてきた。


「友情……」


 友情の印としてこのペンダントをもらったんだわ。たしか、その人物は妖精で、パジワッピー国からパジワッピーの花を育てるために来た少女。


 彼女の名は……メイアトリィ。


 そう、メイアトリィだわ。あたしはメイアトリィにこのペンダントを友情の印としてもらった。


 それから、パジワッピーの花を守るハートレル。魔法使いのヴィヴォルがいたんだったわ。

 

 すべて思い出したわ。


 あたしは姉の体を治すためにこの扉から出て、パジワッピーの花を求めた。それから、その蜜では治らなかったから、ヴィヴォルの妹のヴィヴォラのところへ治してもらうように頼みに行ったんだわ。


 そこで、条件としてクリスタルメサーチアを取って来いって頼まれて。


 それで……。


『メイアトリィ……あたし、やるわ』って誓ったんだわ。


 じゃあ、ここから抜け出さなきゃ、この温かいところから、目を覚ますのよ。あたし。


 あたしは扉の取っ手にふたたび手を掛けて姉のほうを向いた。そこには姉が透明な姿になっていて、お盆に食器をていねいにのせている光景があった。


 お姉ちゃん、もう少し待ってて、必ず治してもらうから。


 あたしは勢いよく扉を開けた。


 眩しい光があたしを包み込んだ。そこに吸い込まれていく。


 あたしの体が風に流されていく。余分な力が体から抜けていく。

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