第43話 クリスタルメサーチアのかくれんぼ

「ちょっとポノガと話すから、少し待ってて」


 グレスティーガは頷いてから、あたしたちを逃さないように鋭い視線を送っていた。あたしたちは坂道の壁に隠れて小声で会話をした。


(ポノガ、聞いて)

(おいらを置いて行くのか?)

(ええ、でも大丈夫。腕輪をポノガに渡すから)


 あたしは腕輪を外してポノガの首に掛けた。


(使い方を説明するわね。まず、腕輪に触れながら、スノードームって念じるの)

(触れながらスノードームって念じればいいんだな)

(うん、それでなにも入って来なくなるわ。そしてふたたび腕輪に触れるとその効力は消えるわ)

(なるほど、わかったぜ)

(それであたしが戻るまで耐えていて)

(シャルピーは大丈夫なのか?)

(大丈夫よ。どの道やらないと姉は治せないし)

(そうか、戻ってきてくれよな。待ってるからよ)

(うん、それと、あたしに万が一のことがあったら、ここから帰って、お姉ちゃんやみんなによろしく言っといて。大変だろうけど)


 ポノガはさきのことを考えているのか、うなだれるように下を向いた。


(おいら、なんて言えばいいんだよ、キャル姉とかに)

(……そうね、こっちの世界が気に入ったから、こっちで暮らすとでも言っておいて、あとはポノガが適当に考えといてよ、そういうの得意でしょ)

(う、うん、わかったぜ)

(よし)


 あたしはポノガの頭を優しくなでた。少し震えている。だけど温かなふわふわした頭が手のひらに伝わる。


(ま、どうせ直ぐバレると思うけどね)

(シャルピー、気をつけろよ)

(わかってるわよ、それより、腕輪に触れて念じてみて)

(ああ、わかった)


 ポノガは前足を腕輪に触れさせた。それから放してあたしの顔を見た。


(念じたぜ、どうだ)


 あたしはポノガに触れようと手を伸ばした。すると、その手前の見えない空間であたしの手は止まった。丸い透明な風船みたいな感触がする。


 これであたしはポノガにさわれない。


(これでいいわ)

(なぁ、本当にいいのか? 腕輪をつけていかなくて)

(へーきよ。それより、あたしがグレスティーガに背を向けているあいだに不審な動きをしたら、大声を出して叫んでよね。迷わずよ)

(ああ、おいら目を閉じないで頑張る)


 そのとき、(ガルルー)とグレスティーガの時間切れとも取れる唸り声が辺りに響いた。


(……さぁ、いつまでも、もたもたしているとあいつに不審がられるわ。行きましょ)

(おう)


 あたしたちはふたたび猛獣の目の前に姿を見せた。


「待たせたわね」

「決めたのか?」

「ええ、ポノガを置いて行くわ」


 グレスティーガはあたしの足もとにいるポノガを見た。


「よかろう。では、行ってきてもらおうか」


 あたしは頷くと坂道をのぼり始めた。背後に気を配りながらただ歩を進ませていく。


 グレスティーガがあたしを襲ってきてもいいように、ポケットから目くらまし玉をそっと取り出した。ポノガの叫び声が聞こえれば、振り向いてそれを投げる。そんな準備を頭のなかで作り上げながら歩いた。そして岩山のてっぺんまで来た。


 どうやら、グレスティーガが信用しろと言ったのは嘘ではなかったみたいね。


 周りを見渡すと、岩山の上は広い道になっている。両側にある木々が少し離れたところに見える。地面は固い岩で砂を敷いたようになっていて、草はちらほら生えているだけだった。空を見上げると下にいたときよりも大きく広がって見えた。その薄暗い空に星々が輝いている。


 あたしは前を見て歩き始めた。


 ジャリッジャリッと足を踏みしめるたびに音が鳴る。渇いている砂の上を歩いて行く。遠くを見ても、なにもない。目立つものがない。


 時折、ヒョーっと吹く風に服をなびかせながら歩く。


 来た道をときどき振り返ってみると、静かという音が返ってくるだけだった。


 前を向いても後ろを向いても、同じ風景だから、前後の違いがわからないというように脳が錯覚させる。


 進んでも進んでも同じ風景が続いている。どのくらいの距離を歩いているのかもわからない。


 同じ風景のなかをまっすぐ歩いて行くと、どこか別の空間に迷い込んで永遠にそこから出られなくなってしまう、そんな感覚が呼び起こされる。


 遠いわね、キツネの像なんて見えてこないじゃない。まったく。こんなことなら、もっと詳しく聞いておくんだったわ。……しかし、静か過ぎるわね。不気味だわ。


 あたしは不意に左腕を見た。腕輪がついていたところになにもない。


 これだから、あまり頼りたくなかったのよ。腕輪がないととても不安だわ。


 ふわふわとあたしの肩のところで浮いている、オレンジ色に光る玉があたしの不安を少しは和らげてくれる。見えないけど、ここに妖精がいてこういうのを作っているのよね。頼りになるわ。


 さっきまであたしの肩に乗っていた、ポノガの温かみが懐かしく感じる。


 思えばポノガやムリッタとずっと一緒だった。最初にあたしたちの家に現れたときから、今まで。どちらかがいなくなったり、どちらもいなかったときもあるけど、あたしはポノガやムリッタに頼っていた部分もあるの。ホントはね。


 姉の体を治すためにここまで来たけど、もし、姉がそんなことにならなかったら、あたしはポノガやムリッタ、ほかにもハートレル、ヴィヴォル、メイアトリィなんかに出会わなかったかもしれないわ。


 どっちがいいってわけじゃないけど。


 姉がお腹を空かせてないで、魔法使いのパンを食べなかったら、あたしはここにはいないってこと。それは、ここに来る必要がないから。ここに来る必要がないってことは、姉の体を治す必要がないってこと。


 姉の体を治す必要がないってことは、ポノガやムリッタに願いの叶う花、パジワッピーの花のところまで案内させる必要がないこと。


 パジワッピーの花のところへ行かないってことは、ハートレルやヴィヴォル、メイアトリィに出会わないってことになるわ。


 つまり、なにも変わらない日常が別の分岐ではあったってことね……。はっ? あたしは一体なにを考えているのかしら。まったく。


 こうなったのも、姉の半透明な体。人と会話をする犬や猫。手のひらから火の玉を出す魔法使い。その辺に転がっている物で、色々な物を作り出せる妖精。そういった事柄を目の当たりにしたせいだわ。


 あたしは首を振った。今の置かれた状況に集中するために。


「余計なことは考えちゃダメよシャルピッシュ。前に進むのよ、あたし」


 しばらく進むと、遠くのほうになにかの動物を模った像らしき物が見えてきた。近づくにつれて、それは巨大なキツネの像だとわかった。石の台座の上にのっていて、姿勢を低くし体を横向きにして顔だけをこちらを向けている。今にも飛び掛かって来そうな感じがした。


 グレスティーガより大きいキツネの像がそこにあった。周りにはいびつな石がたくさん転がっている。像を囲うみたいにその石は円のように敷かれていた。


 あたしはキツネの像に近づいた。重く凄みのある表情があたしをにらみつけている。とがった耳、ふわりとした毛並みの巨体。それをズシリと支える細くしなやかな足。ふわりとした大きく長い尻尾。


 台座の脇には綺麗な石で作られた看板があった。


 あたしは辺りを見回した。ヒョーっと静かに風が一陣吹く。それ以外はなにも聞こえない。地面を見ても、どこにクリスタルメサーチアがあるのかわからなかった。


 果実って言ってたけど、いったいどんな形で、どんな色なの? ああ、それもちゃんと聞いて来ればよかったわ。


 探す前に何気なく看板の文字を読んでみた。


 【 エメラピナの古道 】


「……エメラピナのこどう?」


 その下の説明文らしき記載を読んでみた。


 ――幻想使いのエメラピナはいたずら好きで、来る人来る人に幻想を使って騙していました。道に迷わせて、楽しんでいたのです。


 通ることはできるのですが、時間が掛かってしまうのです。


 そんなある日、人々はエメラピナを封印しようと企んだのです。人々によってエメラピナは捕まり、石にされてしまいました。


 こうして人々は幻想に惑わされなくなり、この道を通ることができるようになりました。


 しかし、人々は幻想が覚めた道を通ると、今度は熊や虎などに襲われるようになってしまったのです。


 通っていた道が、もう通れなくなってしまったことに、慰霊の意味も込めて、人々はここをエメラピナの古道と名づけました――。


 ……なるほど、幻想によって守られてたってわけね。それにしても、げんそうつかいってなによ。どうやってエメラピナを石にしたのよ。


 さてと、クリスタルメサーチアを探してみるか。


 あたしは像の周りをグルグルと探し回った。いびつな石をひとつ拾ってみる。いびつだけど固く透明で手で包めるくらいの大きさ。


 たしか、石も取って来いって言っていたわね。あたしはポケットに石を入れた。


 今度は目を凝らしながら、注意深くていねいに像の周りを見ていった。地面や像の台座の上などを調べた。けど、見つからない。


「ふぅ、どこに隠したのかしら?」


 まさか、地面に埋めたりなんかしてないわよね。だってここの地面は岩だから。どうやって掘れっていうのよ。


 ヒョーっとあたしの行動を笑うように風がひとつ吹いた。


 果実よね……もしかしたら匂いでわかるかも。ああ、こんなときにムリッタがいれば直ぐに見つかったかも。仕方ないわ。


 あたしは嗅覚に集中して匂いを探した。


 どんな匂いなのかしら? 果実っていうくらいだから爽やかな香りか甘い香り。そんな感じの匂いしか想像できないわ。


 ん? とてもいい匂いがする。おいしそうな匂い。近いわ。


 ……あ、これだわ。


 あたしは石に埋もれている果実を見つけた。いびつな石のなかに丸い果実があった。それを拾い上げてみると、透明な果実だった。感触はツルツルして実が詰まっている。光に照らすとその光が反射してオレンジ色の輪郭を作る。見た感じりんごのような果実。


 つかんでいる手が半分ほどしか、その果実を覆うことはできない大きさ。


 あたしは果実を鼻に近づけて匂いを嗅いでみた。それは、とてもおいしそうな匂い。あたしの好きな食べ物のような匂いがしている。


 これがクリスタルメサーチア。


 その麗しい果実をポケットに入れて引き返そうとした。ふと、エメラピナの像を見ると、さっきのにらみつけていた表情が少し笑っているように見えた。


 あたしにいたずらしたってわけ。


「なによ、まったく」


 なにか企んでいるような笑みにも見えた。そんなエメラピナに背を向けて、あたしは来た道を戻った。


 これで揃ったわ。クリスタルメサーチアと石。あとは持ち帰ればいいわけね。


 来るときよりも帰るときのほうがなんだか楽な感じがした。気持ちが軽いっていうか、肩の荷が下りたって言うか。


 もうすぐ姉の体を治せる。でも、まだ油断はできないわ。焦っちゃダメよシャルピッシュ。


 グー……、途端にお腹が鳴った。さっきまで気が張っていたのに、緊張の糸が緩んだせいか、あたしの体が正直な反応をあたしに返した。


「お腹すいたわね……」


 ポケットのなかに入れた、クリスタルメサーチアの匂いが空腹を刺激する。あたしはそれを無視して歩いた。


 ヴィヴォルにもらったクッキーはみんなグレスティーガが食べちゃったからないのよね。


 グーグー……。さっきからお腹が鳴りっぱなしだ。このままだと餓死してしまうというような警告ともとれる音がこだまのように聞こえて来る。


 そのたびに、クリスタルメサーチアから放たれるおいしそうな匂いが、自分を食べてくれと言っているみたいに鼻腔を刺激してくる。


 そんなうるさい果実をポケットからつかみだして見た。とてもおいしそうに見える。


「……食べようかしら」


 少しくらい、いいじゃない。あたしは口をあけてその果実を食べようとした。


 ……ダメよ、食べちゃダメ。


 あたしは首を振って正気を戻した。


 食べてしまったら、グレスティーガやヴィヴォラとの約束を破ってしまい。ポノガやムリッタを返してもらえない。それで姉の体も治せないわ。


 『人間いざというとき、なにをするかわからんからな』


 不意にヴィヴォラの言った言葉があたしの脳裏をよぎった。

 

 なにをするかわからない……自分可愛さにあたしはあたし自身を助けるために、果実を食べようとした。これをここで食べてしまったら、今までやってきたすべてのことがむだに終わってしまうわ。


 自分自身の選択でこのさきの未来が変わる。もし、ここで果実を食べてしまったら。まず姉は絶対に治してもらえない。それはヴィヴォラとの約束を破ってしまうから、それと信用もされなくなる、そんな奴の言うことを聞くわけがない。


 ポノガやムリッタを返してもらえない。


 ポノガは腕輪で身を守れるけど、グレスティーガによって逃してはくれない、ポノガを食べられないとわかったら、次にあたしが食べられる。


 この時点であたしは終わる。


 ムリッタはヴィヴォラの奴隷になり、一生こき使われる。こき使われるのをあんなに嫌がっていたから地獄よね。だって、もう自由に駆け回ることもできなくなるから。


 そして2匹から遠い目であたしは見られる。ハートレルはポノガとムリッタを助けに来るかもしれないわ、でもパジワッピーの花の場所から離れられないから助けに来ることができない。


 あたしがそれらをどうにか潜り抜けて、姉の待つ家に帰ったとしても、透明な姉があたしを出迎えて……表情が見えないから、怒っているのかも、笑っているのかもわからない。そんな状態で暮らしていくのは、あたしはとても耐えられないわ。


 ……だから、食べちゃダメよ。


 あたしはポケットにクリスタルメサーチアを入れた。


 グー……。あたしのお腹が鳴る。体が拒否反応でも示しているかのように、あたしの思考を停止させていく。なにか食べろ、なにか食べろと、体があたしの頭のなかで言っている。


 周りを見渡してなにか食べるものがないか探した。飢えたケモノのように……。なにもない。目を皿のようにしてみても、草や木だけが生えているだけだった。


 あたしの体が正義で、そのあたし自身が自分の体に対して犯罪を行っている。あたしの体は正しい証言をしているけど、あたし自身が自分の体に対して嘘を言って否定している。


 あたしの体を守るのは犯罪なの?


「うるさいわね……少しは黙って……え?」


 視界が歪んだ。生気が抜けて、体が軽くなり足が宙に浮いた。地面に立っている感覚がなくなり、足が地面を踏みしめない。足が消えたように踏んでいるという感覚がなかった。


 あたしは地面に引き寄せられるように倒れた。逆らうことのできない重み。体の自由を奪ったカラダ。


 もうこれ以上あたしの体を傷つけることはできないと、あたしの許可なく勝手に体が働いた。あたしを守るために。


「ぐっ……負けない」


 這いずりながら前へ体を進ませた。体を引きずる音がする。冷たい地面を手でつかみながら引き寄せる。その都度、ヒョーっと吹きすさぶ風が体の進行を止めてくる。


 以前ハートレルは空腹になり、這いながら食べ物を探していたって言ってたわ。今のこの状況が彼女の気持ちなんだわ。孤独で寒くて、ほんの少しでもいいからなにかを食べたいって。


 ……もうダメ、力が入らない。あたしはグルグルと回りながら深い闇の底に落ちていく……抵抗できずに、あたしは静かに目を閉じた。


 寒い、体が寒い。水のなかにいるみたいに体が冷たくなっていく。


 次第にその感覚もなくなっていった。とても静か。なにも聞こえない。すべての機能を停止させて、あたしがそこに存在しない。なんの感覚もない。それは空気のように。


 お姉ちゃん、あたし……お腹すいた……。

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