第42話 グレスティーガとの駆け引き
外に出てみると、辺りはしーんとしていた。耳を澄ましてみると風が耳をなでるだけで、それ以外はなにも聞こえてこない。虎の徘徊する足音や息づかいもない。
図書カフェを出て右に曲がった。道しるべみたいな色とりどりの石畳を歩いてグレスティーガの洞穴へと向かった。
「シャルピーどうだ、リラックスできたろ」
「別に」
「これから虎とひと悶着あるんだ、それに向けて英気を養うことも必要だぜ」
「まあ、別にいいけど。ポノガがちゃんと通訳してくれればね」
「任せろー、おいらは優秀な翻訳機だ」
「あっそう。それよりポノガが虎にビビらないか心配だわ」
「大丈夫、熊に襲われたときに使った腕輪を使えば、問題ないだろ?」
「ああ、そうね、それでも虎を目の前にして、声が出せなかったらって言ったの。でかい奴が苦手で……って言ってなかった?」
「苦手だが、おいらには作戦がある」
「作戦? なによ」
「虎を見ないことだぜ」
「目をつむるってこと?」
「そうだぜ、声だけ聴いてシャルピーに言えばいいわけだからなー」
「ふうん、まあ、ポノガがちゃんと通訳してくれれば、なんでもいいわ」
道はだんだんとのぼり坂になっていった。木々がまばらになっていき少し視界が広がる。
圧迫するような木がなくなると石畳は途切れて、その代わりに大きな岩山が姿を現した。岩山と言っても、大地を切断したように段差になっている。
あたしは地図を取り出して確認した。この岩山の上にグレスティーガの洞穴があると記されていた。
「この上だわ」
「この岩山をのぼって行くと、虎の洞穴があるのか?」
「そうよ、行きましょ」
岩山には上へとのぼっていける坂があった。蛇行するように上まで伸びている。あたしたちはそこをのぼって行った。
坂道のところどころに小さな岩が転がっている。坂道を上がるにつれて風が吹き始めた。ヒューっと鳴く風の声があたしたちを嘲笑うように吹き抜ける。
岩山のてっぺんの手前辺りに洞穴があった。ちょうど折り返しの地点に暗くぽっかりと口を開けている。
「洞穴だわ」
「あそこか?」
「きっとそうよ」
あたしたちは坂の途中で身を低くして洞穴を眺めた。しばらく様子をみていると、虎が姿を現した。暗い洞穴からのそりのそりと巨体をくねらせて出てきた。
虎はオレンジと黒のしましま模様の体をブルンブルンと揺すった。
虎の頭があたしの身長より高い位置にある。足は大木のように太く、どんなモノも踏みつぶしてしまうほどの重々しさを感じる。それが支える巨体は岩のようにごつごつとしていて、大岩が転がって当たってもビクともしないような重圧感があった。
「あれがグレスティーガ」
「シャルピー行くのか?」
「行くわよ、ポノガ、熊のときみたいにあたしにつかまってて」
「おう」
ポノガはあたしの肩に乗ってきた。あたしは腕輪を触り(スノードーム)と念じた。そして、あたしたちは虎の前に足を踏み出した。
(ガオォォー!)虎はあたしたちを見るなり威嚇した。地鳴りのような響きが辺りを震わせる。大きな頭の額には縦に傷が走っていた。
グレスティーガは頭を低くして今にも襲い掛かって来そうな態勢を取っている。
あたしは小声でポノガに言った。
(いい、あたしの言葉をそのまま言うこと、わかった)
(ああ、いいぜ)
ポノガはあたしの肩でプルプルと震えている。
虎があたしたちを鋭い目つきでにらみつけている。それに構わず、あたしは言った。
「あんたがグレスティーガね。あたしはシャルピッシュ、こっちはポノガ」
あたしは怯えを見せないように腰に手を当てて堂々と胸を張った。
「誰だそいつは? 吾輩はそんな名前ではない。吾輩は吾輩だ。だがグレスティーガという名前が気に入った、その名前をもらうとしよう。で、なにしに来たのだ?」
「クリスタルメサーチアを盗んだでしょ、返してもらいに来たのよ」
「……ああ、あの果実のことか。お前たちには関係ないだろ」
「関係あるわ。あれがないとポヨピオン族の生活が苦しくなるのよ」
「それを言うなら、吾輩のほうが苦しい……」
「え? なんで?」
「吾輩がなぜその果実を取ったのかわかるか?」
「さあね」
「空腹だったからだ、それ以外になにがある」
「食べ物がないの?」
「さよう、最近川で取れる魚が減ってきている。それは、あの果実がこの地の栄養を奪っていて、川に魚が来なくなったに違いないと吾輩はみている」
これってどこかで聞いた話だわ。たしか、パジワッピーの花がフォミスピーの森の栄養をたくさん必要とするから、そこで取れる食べ物が減っているって。
「クリスタルメサーチアの木がこの地の栄養を奪っているって言いたいの、だから盗んだと」
「ああ、本当はその木ごと引き抜いてしまいたかったのだが、そこの連中に見つかってな、果実だけ持ち帰ったというわけだ」
「じゃあ、あんたの空腹を満たせる状態にすれば、果実を返してくれるわけ?」
グレスティーガはなにかを考えながらその場に伏せた。
「吾輩が食べていける食糧があればな」
空腹を満たす状況を作るには、ハートレルとかが嵌めている空腹や疲労などを回復する指輪を持ってくるか、この地の栄養を奪っているクリスタルメサーチアの木を引き抜くこと。
もし、木を抜いてくれるようにポヨピオン族に頼んでみたとしても、絶対無理な話になるわ。だって、クリスタルメサーチアが取れなかったらプグラーストにそれを渡せず、食べ物の種はもらえない。
まあ、もらえるかもらえないかは実際にやってみないとわからないけど。リバトも今までこんなことなかったからって言っていたし。
それかもう一度、指輪を作ってもらいにメイアトリィのところまで帰るか、ヴィヴォラにやった指輪を返してもらうか。……ハートレルの指輪は外せないし。
うーん、ポヨピオン族は少なくとも、プグラーストから食べ物を作れる種をもらっているわけだから、食糧はあるのよね。その食糧を少しだけグレスティーガに分けてやればいいんじゃないかしら、そうすれば、クリスタルメサーチアを盗む必要はないし、その果実があればポヨピオン族はプグラーストから種をもらえる。
問題は、ポヨピオン族とグレスティーガがそれに乗ってくれるかだわ。
「どうしたのだ? ただ立ってるだけなら、吾輩が食べてしまうぞ」
グレスティーガは立ち上がり(ガオォォー!)と吠えた。大地が揺れるような響きが辺りにこだまする。威嚇だけで嵐が吹き荒れたように、髪や服をパタパタとさせる。その風が止むとあたしは腕組みをして言った。
「そうね、今からあたしが言うことをあんたが聞き入れてくれれば、食糧問題は解決するわ」
「解決? ……よかろう、言ってみろ」
「その前にクリスタルメサーチアが無事か確かめたいの。食べていないかをよ、もし食べていたら、この話はなくなるわ」
虎の瞳があたしの視線からそれる。なにか考え込んで首を動かしたり、その辺を行ったり来たりしていた。
「まさか、食べちゃったの?」
「……いや、ある」
「じゃあ見せなさいよ」
「直ぐには見せられん」
「どうして?」
「ここにはないからだ」
「ないって、なんで?」
「ある場所に隠してある」
「隠してある? じゃあ取って来なさいよ」
「ダメだ、あの果実は吾輩にとって最後の手段なのだ」
警戒してるわね。そうよね、クリスタルメサーチアが最後の綱だとしたら無理もないわ。
ここでその果実をどうにか手に入れないと、ポヨピオン族を説得しにくくなってしまうわ、なんとか隠し場所でも聞き出せないかしら。
「あたしが取りに行くわ、隠し場所を言いなさい」
「ダメだと言ったであろう。どうしてもというのなら、その理由を言ってもらおうか」
果実を食べてしまっていた場合。クリスタルメサーチアがポヨピオン族に返って来ないため、食べ物を分けてもらう説得は難しい。そうなるとグレスティーガは空腹になり、ポヨピオンの町に現れて今度は人々を襲うかもしれない。
それだけは避けたいわ。町では争いごとは起きないとリバトは言っていたけど……。
本当はさきに食べていないか確認したかったんだけど、仕方ないわね。
「簡単よ、あたしがクリスタルメサーチアをポヨピオン族に返して、その代わり、その町でとれる食糧をあんたに分けるの、どう」
「……吾輩は生肉か魚しか食わん。その町でそう言った物があるなら考えてやろう」
たしか、町で作られているのは菜園だったわね。菜園ってことは野菜だけだと思うから、肉や魚はない。これじゃ条件を満たせないわ。
「どうした? また長考か」
「肉や魚しか食べないって言ったわね。果実はいいんだ」
「言ったであろう、最後の手段だと」
「果実なんて、食べちゃったら終わりじゃない」
「誰が食べると言ったのだ?」
「食べるんじゃないの?」
「あれはおとりだ。あれを置いておけば獲物が寄ってくる」
「獲物?」
「あの果実は動物を引き寄せる力がある。吾輩が盗んだのもそのせいだ」
なるほどね。果実を使って、そこに獲物が寄って来たところを襲うっていうわけね。参ったわね。なにかそれ同等の物がないとクリスタルメサーチアは手に入らないわ。それ同等のものと言ったら……。
「ねぇ、グレスティーガ。願いの叶う蜜と交換しない?」
あたしはポケットから、半分ほど残っているパジワッピーの花の蜜の入った小瓶を取り出した。グレスティーガは目を細めて疑い深そうに小瓶を見つめた。
「ははは、願いを叶えるだと。んー、だがそれは同じ匂いがするな、果実と」
「同じ匂い?」
「さよう、果実の特有の匂いと似ておる」
「じゃあ交換してくれるの?」
「いや、それが本物かどうかを確かめるために、ひとつ条件がある」
「なによ」
「吾輩が隠したクリスタルメサーチアをシャルピッシュが取りに行って来るのだ。持ち帰ってきたら、交換してやろう」
「あたしが……いいわ、場所を教えて」
グレスティーガは(グルルー)と呻きながら力なく地面に伏せた。
「どうしたの?」
「腹が減った、なにか食い物を持ってないか」
「食べ物?」
あたしはポケットを探り、ヴィヴォルからもらったクッキーの小包みを取り出した。
「クッキーならあるわ。あんた食べられるの? クッキー」
「ああ、なんでもいい」
小包みのリボンをほどいて、1枚ずつやろうとクッキーを摘まんだ。
「それを全部こちらに投げろ」
言われるがまま、クッキーの小包ごとグレスティーガの目の前に放り投げた。それを見るなり一気に頬張った。鋭い牙を光らせてボリボリと何回か噛んで飲み込んだ。あたしは握っているリボンをポケットに入れた。
「うん、うまい」
「さあ、場所を言いなさい。クッキー食べて教えなかったら、あたしが許さないわ!」
グレスティーガは勢いよく立ち上がり(ガオォォー!)と威嚇してきた。
「黙らんか! 小娘」
「こ、小娘ですって!?」
あたしは思わずポノガをにらみつけた。目を閉じているポノガはなにかを感じ取って、目を開けてあたしを見た。
「おっ、おいらじゃない! あっちだ、あっち! あっ!」
ポノガは虎と目が合って、直ぐにその目を閉じた。
あたしはグレスティーガをにらみつけた。すると、虎は洞穴のほうを振り向いて顔を上げた。
「この岩山の上をまっすぐ進んだところにキツネの像がある。その周りには、たくさんの石が置いてあり、そこに隠した」
「ふーん、わかったわ。この上の道をまっすぐ行けばあるのね」
「さよう、ただし、そこに置いてある石も一緒に取ってきてもらおうか」
「石も? なんで?」
「戻ってきたとき、本当に行ったのかを調べるためだ。取りに行ったけど、途中でなくしたとか、食べたとかいって嘘を吐かれるのも困る」
疑い深いわね。まあ、あたしも似たところがあるから、わかるけど。
「いいわ、そんなことしないけど、果実を取ったらついでに石も持って帰ってくるでいいのね」
「さよう、それともうひとつ条件がある」
注文の多い虎だわね。ほんと、欲張りな虎だわ。
「なによ」
「そこにいる、猫を置いて行ってもらおうかぁ? おいらを!?」
ポノガがあたしの肩でブルブルと震え始めた。ポノガを見ると目を固く閉じていた。
「なんでよ?」
「ほ、保険だ、お、お前がここへ戻って来なかったらぁ、も、もし途中で果実を、食べたら、そいつを……く」
ポノガは声を震わせながら、最後まで虎の言葉を言わずに切った。
グレスティーガは凄みのある顔からギロリと目を光らせて、べろりと舌なめずりをする。ポノガは目を閉じているにも関わらず、見えない圧力にでも触れているかのように、ますます体を強張らせた。
食べるきね。肉食獣の目の前にごちそうがあるのに、それをみすみす逃すはずはないか。
あたしがポノガを置いて果実を取りに行った瞬間に襲って来るかも。まだ虎の本音が読めないわ。もう少し探りを入れてみる必要があるわね。
「食べる気でしょ。でも、あたしが果実を取りに行っているあいだにポノガを食べないか不安だわ」
「……吾輩はそんなことはしない、クッキーを食べたからな」
「信用できないわ。なにか証拠を見せて」
「証拠か、ただ信用してもらうしかない。吾輩を」
ポノガを置いて行ったら、いつ食べられるかわからないわ。食べさせない方法はあるけど、そうなると、今度はあたしが危険になる。
少し作戦を考えてみるしかなさそうね。
まず、ハニレヴァーヌの腕輪を使って、ポノガを安全にする。それで食べられる心配はない。ただ、あたしが果実を取りにグレスティーガから離れようとしたときに、あたしを襲って来るかもしれない。ここは賭けになるわ。
襲ってきた場合、イロバからもらった目くらまし玉を使って逃れることにするわ。うまくいけばだけど。
もし、それで失敗して、グレスティーガがあたしを襲って来たら食べられておしまい。ポヨピオン族の前に果実を持ったあたしが現れないから、プグラーストに対する説得力は欠ける。ヴィヴォラの前に果実を持ったあたしが現れないから、姉を治すことはできない。
すべては果実を持ったあたしがそこにいないから。
このまま引き下がって、ポヨピオンの町やヴィヴォラの家に帰ったとしても、なんの意味もないわ。だって、果実がないと姉の体が治らないもの。
あたしは不意に胸もとで光るメイアトリィのペンダントを握った。
メイアトリィ……あたし、やるわ。
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