第41話 ほっとするお店

 裏門を出ると緩やかな下り坂になっていて、草原が目の前に広がる。ヒューっと風が吹きつけると、あたしたちは急かされるように歩き出した。


 草原には1本の砂利道が通っていて、その脇には外灯が点々と立っている。それが道しるべみたいになっていた。


 あたしは地図を確認した。砂利道を進んでいくと川が見えてくる。そこの橋を渡ってからさきへ進む。


 とりあえず橋まで行って確認しようと思い、地図をポケットに入れた。


 こうやって、あたしたちだけで行くことになったけど、やっぱり町の人に頼ればよかったかしら。ポノガが提案したことだけど、まず、気は抜けないわね。


「ねぇポノガ」

「なんだシャルピー」

「あんたは大丈夫なの? 虎と話し合うこと」

「あー? 大丈夫なわけねーだろっ!」


 ポノガの調子はずれな声が静かな草原に響く。


「え? もしかして虎と会話できるって言ったこと、嘘なの?」

「いや、虎とは会話できるはずだ」


 できるはずだってことは、できないかもしれないってことだよね。なにか根拠があって言ったんじゃないのかしら。


「じゃあ、なんで大丈夫じゃないのよ」

「おいらは大きい奴が苦手だ、だからシャルピーが代わりに話し合うんだ」

「はー? どういうこと?」

「つまり、おいらは虎とシャルピーの通訳係ってわけだ」

「あたしと虎の?」

「そうだ」


 そう言えば、こういうことが前にもあったわね。指輪を手に入れるために、レヴィスポワのハーブを取りに行ったときだわ。そこには、オオカミのギグシーブがいてムリッタが通訳していたっけ。


 歴史は繰り返されるってことかしら、まったく。


 虎との交渉でしょ。なんて言えばクリスタルメサーチアを返してくれるのよ。あたしはてっきり、ポノガが虎をうまく言いくるめてくれることを、ちょっぴり期待してたのにさ。


「だからシャルピー、おいらは翻訳機さ」

「なに言ってんの?」


 緩い下り坂は平たんな道になっていった。草原には木々がまばらに立っていて、薄暗い空には星が光っている。星の並びで、はくちょうやこぎつねに見えたりするらしいけど、あたしに見えるのは、どう猛な虎の形だわ。


 砂利道を進んで行くと水の流れる音が聞こえてきた。前方に川が見える。近寄ると、あたしたちを通せんぼするように、チョロチョロと音を立てて川が流れていた。


 歩いてきた道にまっすぐな橋が掛けられていた。橋は木で造られていて、人がふたり分並んでも余裕で通れるほどの広さはあった。


 あたしは地図を開いて確認した。しばらくまっすぐ進んでから、図書カフェを左に曲がる。そのあと、まっすぐ行ったらグレスティーガの洞穴に着くと記されている。


 図書カフェってなにかしら。本を貸し出すカフェ? このさきにそんなものが建っているみたいね。ちょっと寄ってみたい気もあるけど、今はクリスタルメサーチアを手に入れるほうがさきだわ。


 橋を渡り終えると、砂利道の代わりに四角い石の敷いてある道になった。その石を見ると色とりどりの石でまっすぐ伸びていた。


 両脇には木々が寄っていて、広いところから狭いところとなっていった。相変わらず道の脇には外灯が規則正しく並んでいる。あたしたちが通る場所を意識したかのように、そこに存在していた。


 フォミスピーの森とは少し違った森の形をしている。森というおなじ響きでも姿かたちは違う。

 

 ただ、新しい場所に行くとどうしても警戒が先走ってしまう。周りを意識して見ようとはしないから、通り過ぎていく小さなものに気づかない。


 目の前の目的が大きすぎて眩しいから、地面にある小さなものに目が向かない。本当はとても輝いて見せているのに。


 コツコツと色とりどりの石畳を歩いて行く。(ホーホー)と木の上のほうからフクロウの鳴き声が聞こえてきた。その鳴き声があたしに冷や汗を掻かせる。それは、この声のあとに熊が現れてあたしたちを襲ってきたから。

 

 あたしは警戒を強めながら歩いた。ポノガはあたしの少し前を歩いていた。ピーンと伸ばした尻尾をくねくねさせながら。


 するとポノガは姿勢を低くしてそーっとなにかに近づいた。それから消えるように素早く走った。


「あークソー! 逃げられた」


 そして、またあたしの前を歩いた。

 これから虎と対面するのに呑気なんだから、まったく。


 しばらく歩いて行くと、遠くのほうに明かりが見えてきた。それは淡い橙を放っていた。近づいて行くと、キツネ色のとんがり屋根にえんとつがついている。壁はタンポポ色をしていて、小窓が嵌められている。そこから明かりがもれていた。


 白い柵に囲まれた家から、カフェラテっぽい匂いが漂ってきた。外灯が柵の手前に立っていて、その家の玄関を照らしている。


 外灯が立っている脇には看板があった。


 【 図書カフェ エネギュリ 】


「図書カフェだって」

「かふぇ? おいシャルピー、寄っていこーぜ」


 ポノガはカフェに入りたそうに、体半分を柵の向こう側へ入れていた。


「ちょっと、あたしたちはクリスタルメサーチアを取り返しに行くんでしょ」

「ちょっとくらいいーじゃねーかー、入ろうぜ」


 ポノガは入って行った。石の道は柵の手前で三方向に分かれていた。まっすぐ進んださきにカフェの玄関がたたずんでいる。


 仕方なくあたしは柵のなかへ入った。こじゃれた庭には、申し訳ない程度に花が咲いている。段差のある石段を上がり玄関まで来た。


「ポノガ、さきへ行くわよ。こんなことしている暇ないんだから」


 あたしはポノガに来るように促すと、元気な声が返ってきた。


「大丈夫大丈夫、ちょっと寄るだけだ」


 ポノガはあたしが玄関扉を開けるのを凛々しく座って待っている。


「ちょっとねー、あたし、お金持ってないわよ」

「キャー!」


 そのとき、後ろから悲鳴が聞こえた。

 黄緑ふちの眼鏡をした少女が、チラシみたいな物を抱えて走ってきた。


「ちょっと、早くなかへ入ってください!」

「え? ちょ、なに?」


 あたしたちを無理やり押し込むようにしてなかに入った。バタンと大きな音を立てて扉を閉める。少女は扉を背にして肩を上下に動かして息をしていた。


 少女は、ふーっと深呼吸したあと扉から離れた。


「あ! すみません。今さっき、虎が追いかけてきて」

「虎!?」

「はい! 私がビラを貼りに行ったら……」


 ギュっと抱え込んでいるビラがプルプルと震えていた。


 その少女はあたしの胸元くらいの身長で、耳の下くらいまであるエメラルド色のショートヘアー。緑色のセーターとロングスカート。黄緑のエプロンをつけた格好をしていた。


「はー怖かったー、あっ? すみません、なんかバタバタして」


 と言って、玄関脇にあるバーカウンターテーブルにビラを置いて、そのテーブルの反対側へ行った。


「どうぞ座ってください。外にはまだ虎がうろついているかもしれませんから」


 少女はあたしたちを手招きして呼び寄せる。仕方なくあたしはテーブルに添えてある椅子に座った。


 もしかしたら、虎のことがなにか聞けるかもしれないわ。


 外に虎がいるなら、直ぐに出て行って虎と交渉を始めたいけど、食べられる可能性があるかもしれないわね。まあ、腕輪を使えば問題ないんだけど、どう猛なケモノだから、熊と一緒であたしたちを襲ってきたりして話にならないかも。


 近くにいるなら、わざわざ洞穴まで行く必要がないし楽だと思ったんだけど。


 店内は白い石が敷いてある。天井からはガラス細工みたいな小さな物が連なって、それが淡く橙に光っていた。


「ご注文は、なにになさいますか?」

「え? 注文していいの? お金持ってないわよ」

「ええ、本日オープンですので、1杯だけサービスにしてます」


 あたしは近くに置いてあるメニュー表みたいなものを手に取った。パラパラめくるとポノガがのぞいてきた。そこにはカフェラテとホットミルク……しかない。


「じゃあ、カフェラテを」

「おいらはホットミルク!」

「はい、かしこまりました」


 少女は手際よくカフェラテとホットミルクを作り始めた。

 あたしは待っているあいだ、店内を見回した。壁は木の板で造られて、そこには四角い小窓がいくつかある。


 このカウンター以外にも、四角いテーブルや個人用のソファが置かれていて、リラックスできるようになっていた。


 本棚が奥に置かれていて、ざっと千冊以上はあるように見えた。

 この店内全体を心地よい音楽がさりげなく流れている。


「お待ちどうさま」


 白いカップに入ったカフェラテとホットミルクがカウンターの上に置かれた。湯気が出て、ほんのりと甘い香りが漂ってきた。


「どうも」


 少女はニコニコしながらあたしを見ている。


「お客さんたちは、どちらから来たんですか?」

「えっと、フォミスピーの森からよ」

「へー、あっ! 言い忘れてましたけど、私はこの店の店長のエネギュリと言います」


 エネギュリは微笑んだ。

 こんな少女が働いているとはね。大したもんだわ。


「あたしはシャルピッシュ、こっちはポノガ」

「シャルピッシュさんにポノガさんですね……それは、誰です?」


 エネギュリはあたしの肩のところでふわふわと浮いている球体に指をさした。


「ああ、これは誰でもないの。ランプの代わりだから気にしないで」

「へー、ランプの代わりですかー」


 そう言いながら、小さな手の指で眼鏡のふちを摘まみ物珍しそうに顔を寄せてきた。


「アチー!」


 隣に座っているポノガが悲鳴を上げた。


「どうしたの?」

「あー、おいら、熱い飲み物が苦手なんだ」


 ポノガは舌を出してペロペロしていた。


「急いで飲むからよ」

「面白い猫さんですね」

「そうかしら。でも驚かないのね、猫がしゃべっても」

「はい、驚きません。本と同様に何が起こっても不思議ではありませんから」

「ふうん、そう」


 あたしはカフェラテを啜った。クリーミーな泡みたいなミルクが程よく、一息つくにはちょうどいいかも。


「しかし参りましたよ、虎がいるとは思わなかったから……お客さんも気をつけてくださいね」

「ええ、それで、その虎はどんな虎だったの?」

「どんな虎? えーっと、とても大きかったです、あと、額に大きな傷があったかな……怖かったんで詳しくはわかりませんが」

「その傷はどうな風についてたの?」

「どんな風ですか。そうですね……縦に傷があったと思います」

 

 額に大きな縦傷。間違いないわ、その虎が果実泥棒。


「お客さん、なぜそんなことを?」

「そうね、あたしたちはその虎が盗んだ、クリスタルメサーチアを取り返しに行くの」

「くりすたる? あっポヨピオン族の果実ですね」

「ええ、だから、悪いけどこれ飲んだら行くわ」


 あたしはカフェラテを啜る。隣ではペチャペチャと音を立てて飲む音が聞こえた。


「あ、お客さん……」


 そう言うとエネギュリはカウンターの下から小さな本を取り出した。それは、黄緑の手帳みたいな物だった。


「これを差し上げます。オープン祝いと最初のお客さんということで」

 

 あたしはその本を受け取った。表紙にはハートの形をした装飾が施されていた。


「これは?」

「ハートの本です。自分の心を形造っていく映像が現れます」

「はあ?」

「口で説明するのは難しいので、まあ、開いてみてください」


 あたしは本を開いてみた。すると、透明じゃない姉の姿が映った。とてもうれしそうにしている。


「どうですか? なにか映りましたか?」

「ええ、姉が」


 エネギュリにその映像を見せた。


「あっ、私には見えません。シャルピッシュさんにしか見えないものなのです」

「え?」

「私にはただの白い紙です」

「そうなの」

「それが、今のシャルピッシュさんの理想や願いなんかを描いているものです」


 りそう。あたしの理想は姉の体を治すこと。そうだわ、そのためには、今の状況を乗り越えなきゃならない。


「そうですか、お姉さんがいらっしゃるんですか」

「ええ」

「ということは、お姉さんがこうなってほしいと思っている映像が流れたってことですね」

「まあそうだけど」

「それはよかったですね。そう思って、その映像に近づくように行動していけば、叶ってくるわけですから」

「そうだといいけどね」


 あたしはポケットに本を入れた。

 

 姉の体を治すには、魔女ヴィヴォラにクリスタルメサーチアを渡さなければならない。クリスタルメサーチアを手に入れるにはポヨピオンの町に現れる、プグラーストを説得しなきゃならない。説得力を上げるには、あたしがポヨピオン族との約束を守らなければならない。


 それは、クリスタルメサーチアを盗んだ奴から取り返してくること。その盗んだ奴はどう猛な虎で、あたしたちは今からその虎のところへ行って、交渉をしてこなければならない。


 はぁ、面倒くさいわね。


「そろそろ行くわ。どうもごちそうさま」

「あっ、はい! ありがとうございました。また、いらしてくださいね」

「ええ、ポノガ行くわよ」

「おう!」


 あたしたちは店を後にした。

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