第40話 ゆずれない可能性
塔を出て、リバトは家があるほうへ歩いて行った。あたしはリバトの背中を見ながら話しかけた。
「ねえ、門に扉がなかったけど、つけないの? 扉があれば虎は入ってこないのに」
リバトは歩きながら振り返った。
「僕たちは、来るもの拒まずっていうことを大事にしているんだ。だからつけないよ」
「どう猛なケモノが襲って来たらどうするの?」
「襲って来ないよ。なにもせずに隠れていればね」
危険ていう言葉を知らないのかしら?
あたしの疑問顔を見てリバトは少し笑みをこぼして言った。
「相手にとって嫌なことをするから襲って来るんだ、そうしなければ襲って来ないよ」
じゃあ、なんであたしたちは熊に襲われたの? 知らないあいだに熊の縄張りにでも入ったってことかしら?
「襲って来るのは、なにか理由があるからさ」
そう言って、リバトは前に向き直る。
リバトの背中は小さいけれど、どこか堂々としていてなにが来ても動じない力強さを感じた。
「ねえ、リバト、この町に白い羽のドレスを着た人が来なかった?」
あたしの問いに、リバトは少し上を見てなにかを考えたあと、ふたたび振り返った。
「ああ、来たよ。白い羽をまとったみたいな女性が、それがどうしたの? ひょっとしてお姉ちゃんたちの知り合い?」
「ううん。知り合いじゃないわ。前にちょっと襲われそうになって。この町に行くとかなんとか言っていたから、それで大丈夫だったのかなと思って」
あたしはとっさに嘘をついてごまかした。ヴィヴォラがこの町に来て悪さをしているなら、その人と知り合いだなんてことは言えないわ。
「ふうん、大丈夫だよ、なにもしてこなかったし」
「なにも?」
「うん。その人が町にやってきて、クリスタルメサーチアはあるか、あるんなら寄こせって言って来たんだ。僕たちがプグラーストにあげるものだからって言ったら、寄こさないなら奪うまでだって言って」
まったく。どこいってもやること一緒じゃない。ヴィヴォラ。
「それでどうしたの?」
「うん、なんか手のひらを僕たちに見せてきて、そのあとすぐに帰っちゃった、なんか苦しそうにしていたかなぁ」
「苦しそうに?」
「うん」
体調でも悪くなったのかしら。
「じゃあ、襲われなかったんだ」
「うん。そうだよ。この町は争いごとが起きないんだよ」
「争いごとが起きない?」
「前までは、毎日争いごとが絶えなくて、人を傷つけたり、人の物を盗んだりが日常でさ」
「ふーん想像つかないわね」
「うん、でもあのプグラーストのオブジェを建てた日から、急に争いごとがなくなったんだ」
「争いごとが消えたの?」
「そう、たぶん僕たちが争わないようにプグラーストのオブジェが守ってくれているんだよ」
なるほどね。あのオブジェにはそういった力が宿っている。だからヴィヴォラは直ぐに帰ったんだわ。クリスタルメサーチアを奪えずに。
まあ、本当にそのオブジェが争わない力を放っているのかはわからないけど。
そうして、あたしたちは鳥の背中の部分にあたる家の一角へと着いた。
「ここが僕の家だよ」
見ると緑色の三角形の屋根で、白い壁には扇形の窓が嵌めてあった。大体の家の造りはこんな感じになっている。
小さな庭を横切り玄関へ進むと木の扉があった。リバトは庭にボールを転がして、それから扉を開けた。
「ただいまー」
黄色く光る明かりが玄関や奥の部屋を彩っていた。床は段差のない白い石。白い壁の仕切りには、鳥を描いた壁掛けなんかが飾られている。壁の脇にある低い棚の上には花の生けてある花瓶がのせてあった。
「お客さん来たよー」
リバトの高い声が玄関に響く。すると奥の部屋から体格のいい男性と細身の女性が出てきた。
「おかえり。おお、これは、どちらさんで?」
男性は青い羽衣を着て目を開いて驚いている。その後ろから黄色の羽衣を着た女性が出てきた。彼女はあたしと目が合うと微笑んだ。
「ああ、この人はシャルピッシュさん。猫のほうはポノガ。でー……?」
リバトはあたしの肩辺りにふわふわと浮いている球体に目を向けていた。球体は家のなかの光に反抗せず、ただのオレンジの球となっていた。辺りが暗いか明るいかで色の濃淡や明るさを変えるらしい。
「ああ、これはランプの代わりに使ってるやつだから。気にしないで」
「そうなんだ」
リバトは気を取り直して男性と女性に手を向けた。
「僕の両親でトラバにイロバ」
「トラバです」
「イロバです」
父親はトラバで母親はイロバ。ふたりともぎこちなく挨拶をした。
「どうも、シャルピッシュっていいます」
あたしは軽い笑顔を作り挨拶をした。するとポノガが調子はずれの声を出した。
「おいらはポノガってんだ、よろしくだぜー!」
「こら、ポノガ! 静かにして、失礼でしょ」
あたしはポノガを見て叱った。それから両親を見るとポカーンと口をあけて驚いている。リバトは素早く訂正するように言った。
「ああ、しゃべる猫なんだって」
「あーそうですか。ははは」
トラバは頭の後ろを擦った。イロバは胸をなでおろしていた。
「このお姉ちゃん、クリスタルメサーチアが欲しいんだって、それでこの町に来たんだって」
両親は顔を見合わせて頷いた。それから母親は奥へ戻っていき、父親は微笑んで言った。
「そうでしか、ここではなんですから、なかに入っていただいて、お茶でも」
あたしたちを招くように手を部屋の奥へと向けた。
「じゃあ、お姉ちゃんたち、なかへ入ってさ、お茶でも飲んでいきなよ」
リバトが偉そうに言うと、トラバは父親である威厳を示すかのようにリバトを叱った。
「こら、リバト。お客さんにそんな言い方をするんじゃない。早くなかへ入って、母さんの手伝いをしてあげなさい」
「はーい」
リバトはドタドタと部屋の奥へ向かった。
「ささ、どうぞこちらへ」
あたしたちは促されるまま奥へ通された。部屋は緑色のじゅうたんが敷いてあって、その上に重そうなガラスのテーブル。それを囲うように柔らかそうな白いソファー。そのほかにも家具が置かれていた。
「さあ、そこへ座ってください」
あたしたちはソファーへ座らされた。窓が嵌めてあるところには緑色のカーテンが掛かっていた。
しばらくすると、イロバとリバトが食器を持ってきてテーブルに置いた。
「ミルクティーとビスケットです。よろしかったら召し上がってください」
ティーカップにミルクティー。大皿にこんがり焼けたビスケットが並べてあった。とても甘くいい匂いがしてくる。
「いただいきます」
「やったー、食い物だー、おいら腹減ってたから、ちょーど良かっ……」
あたしは慌ててポノガの口を手でふさいだ。
「静かにして、ポノガ」
グーグーとポノガは苦しそうにしている。それを見たトラバが慌てて言った。
「あ、あー、いいんですよ。自分の家だと思ってもらっても」
あたしはポノガから手を放した。ポノガは嫌なものでも振り払うかのようにブルブルと首を振った。
「すみません」
「しかし、面白い猫だなー、お姉ちゃんが飼ってるの?」
リバトは興味津々といったように聞いてきた。あたしは首を振って答えた。
「違うわ、預かってるのよ」
「おい! シャルピー、預かってるとはなんだ! おいらは……」
あたしはビスケットを摘まみポノガの口に持っていった。ポノガはそれを美味しそうに食べた。
「へー、どこから来たの?」
リバトの質問が続く。あたしはできるだけ答えた。
「フォミスピーの森からよ」
「お姉ちゃんたち森に住んでるの?」
「今はね」
「ふうん、そうなんだ」
リバトは納得したのかミルクティーを飲んだ。あたしもミルクティーを啜った。
甘い。濃厚なミルクの香りと紅茶の控えめな香りがする。甘いといっても、ミルクの甘さで、すっきりした味わい。
「うまいなー、おいらこんなうまいビスケット食べたの、生まれて初めてだぜー」
でた、ポノガのご機嫌とり。
「まあ、そうですか。それはよかったです、ふふ」
イロバはうれしそうに、口に手を当てて笑った。あたしもポノガに誘われてビスケットを食べてみた。
これは! 豆の風味が口のなかで広がる。甘くなく、それでいて香りは甘い。サクッと周りはしているけど、あとから口のなかでとろけていく。
うん、なかなかな味だわ。
「豆を使ったビスケットなんです、味のほうはいかがですか? シャルピッシュさん」
「おいしいわ、とっても」
「まあ、そうですか、よかった」
イロバはなにかの試験でも受かったかのように、ホッと胸をなでおろした。
あたしはミルクティーを啜りながらポノガを見た。ポノガはガツガツとビスケットを頬張り、ミルクティーをペチャペチャと飲んだ。
まったく。どこ行ってもこうだわ。まあ、人間と違って、動物の世界にはお行儀なんてものは存在しないのね。きっと。
「それでー、シャルピッシュさんはクリスタルメサーチアを取りにわざわざこの町に?」
トラバはあたしがこの町に来た理由を尋ねてきた。あたしは素直に答えた。
「ええ、リバトから事情は聞いてます。虎に盗まれたって」
「はい、困ったことです。私たちもなにか手はないものかと考えているんですが……」
息子の前で情けないというように、トラバはかぶりを振ってため息をこぼした。
「あのー聞きたいんですけど」
「はい、なんでしょうか」
「あたしがクリスタルメサーチアを取り返したら、その果実をあたしにいただけるかしら」
トラバは一瞬笑みを見せたけど、直ぐに硬直させた顔に戻った。
「……それはできません。プグラーストに差し上げるものなので。気持ちはうれしいですが」
プグラースト。この町に潤いをもたらすといわれる鳥。それには果実を差し出さなくてはならない。たったひとつの果実を。
「それに、シャルピッシュさんを危険な目にあわせるわけにはいきません」
「……クリスタルメサーチアって、木にひとつしか実をつけないんですよね」
「よくご存じですね。そうです、ひとつしか実をつけない物です」
どうにかして果実をもらえる方法はないかしら。でないと、姉の体は透明のままだわ。
「次はいつ実がつきますか?」
「さあ、わかりません。何週間後か何年後か。ちなみに今回のは1年以上経ってから実をつけました」
次にいつ実をつけるかわからないか。実をつけたとしても、結局それはプグラーストにあげてしまう物になる。
なにかを思いついてトラバは手をひとつ叩いた。
「プグラーストに相談してみます。私たちは鳥と話すことができるんです」
「話せるの?」
「ええ、話せるといっても、気持ちを通じ合わせるやり取りですが」
それなら果実をもらえる可能性はあるわね。あとは、どうやって果実を取り返すかだわ。
トラバはあたしを見ると訝しい顔をしながら言った。
「あのう、どうしてそこまでしてクリスタルメサーチアを欲しがるんですか?」
「実はあたしの姉がとうめ……」
ちょっと待って。ここで姉が透明人間になってるから、それを治すのに必要って言っても、変な目で見られて逆効果になってしまうかもしれないわ。
「……お姉さんがどうなされたんです?」
「姉が病気で、それで必要って言われて、治せる人に……」
「そうですか、それは大変ですね」
リバトが急に席を立ち言った。
「父さん、助けてあげよう、クリスタルメサーチアを取り返しに行ってこよう」
「リバト、気持ちはわかるが相手は虎だ、危険だ」
トラバは自分の息子が危険な目にあわないように、強く言って聞かせていた。イロバはおろおろして夫と息子を交互に見ていた。
「それでも戦えばいいさ! それに人を助けるのに町のしきたりなんか関係ないよ」
リバトは反抗期のように父親に向かって言い放った。
「ちょっと待てー!」
親子の言い争いを切り裂くようなポノガの声が部屋全体に響いた。その部屋にいた全員がポノガを見た。
「おいらたちが行く」
「ちょっとポノガ、なに言ってんの?」
「シャルピー、キャル姉を助けたいんだろ?」
「そうだけど……」
「じゃあ、おいらの出番だ。おいらは猫だ、虎のことならわかる。いや、虎と会話ができる」
「虎と話し合うってこと?」
「そうだ、悪くないだろう。その代わり、クリスタルメサーチアを……」
ポノガはトラバたちを見回した。
「もらう」
たしかにそれはいい考えだわ。交渉次第ではクリスタルメサーチアを取り返せるし、虎をこの町に来させないようにもできる。まあ、ポノガの力量次第だけど。
要するに、虎穴に入らずんば虎子を得ずってことだわ。
「え? お姉ちゃんたちが取り返しに行くの?」
リバトは眉根を寄せて困り顔をした。
「ええ、行くわ」
あたしは勢いよく席を立った。それを止めるかのようにトラバも立ち上がった。
「やめてください、危険です」
イロバも立ち上がり、自分の胸に両手を押さえて心配そうに見つめていた。
「そうです。危ないことはおやめください。シャルピッシュさんたちにもしものことがあったら、ねえ、あなた」
イロバはトラバをうかがうように見た。
「ええ、この町の問題ですので。シャルピッシュさんはなにもしないでください。私たちがなんとかしますから」
それを聞いたリバトは元気よく言った。
「じゃあ、取り返しに行くんだね、父さん!」
「ああ、行こう、町のみんなを集めて」
どうしようかしら。もしここで町のみんなが虎のところへ行って、果実を取り返して来たとしたら、あたしたちはなにもしてないから、クリスタルメサーチアをもらう可能性が低くなってしまうわ。
あたしたちが行って、虎から取り返して来たほうがもらえる可能性は高くなるはず。
「ちょっと待ってよ」
あたしは彼らを止めた。
「あたしたちが行くわ」
トラバたちは顔を見合わせて驚きと戸惑いのまじった表情をした。それから、トラバはため息をもらして、あたしたちを落ち着かせるように言った。
「あの、相手は虎です。それも大きな……危険だということをわかってください」
「大丈夫よ。心配しないで。あたしは熊から逃げ切ってここまで来たんだから」
言葉を失ったようにその場の空気が静かになった。トラバは探るように聞いてきた。
「……もしかして、石橋のあるほうからこの町に来たんですか?」
「ええ、そうよ」
あたしは腰に手を当てて堂々と胸を張った。トラバはあたしの体を見回した。
「傷なんかついてないわよ」
「どうして? あそこには、どう猛な熊がいて誰ひとりとして通れないはず……」
「そういうこと、だからあたしに任せて」
「すごいやーお姉ちゃん! 熊から逃げ切って、それで無傷だなんて!」
リバトは憧れでも見ているような眼差しをあたしに向けた。
「……わ、わかりました。ですが、危険だと思ったら引き返してきてください」
「ええ、わかったわ。その代わり、取り返して来たらクリスタルメサーチアをあたしにくれること」
「……本意ではありませんが、仕方ありません。町の者にもそのことを伝えます。それから、できるだけプグラーストを説得してみます」
「じゃあ、決まりね」
これでもらえる可能性は高くなったわ。まさか、あの熊が誰も通さないほどのケモノだったとはね。
「では虎の居場所を言います。以前に私たちが偵察しに行ったときに見つけた場所ですが」
「ええ、お願い」
「この町の裏門から出て、まっすぐ行くと川が流れています。そこを通って……」
あたしは手を出して道の説明を止めた。
「場所名を言ってくれる」
「場所名ですか? わかりました。えーっと、グレスティーガの洞穴です。虎はグレスティーガという名前なんです」
「ふうん、わかったわ」
あたしはポケットを探り、メイアトリィからもらった地図を取り出した。それから「グレスティーガの洞穴」と地図に向かって言った。
すると、地図にはグレスティーガの洞穴と記されている場所が描かれていった。それは、この場所から目的までの道のりが線や記号などでわかりやすく表示されていた。
「おお、これは」
トラバは目を丸くして驚いている。リバトは地図を食い入るようにのぞいていた。
「すごいやー! お姉ちゃん。魔法使いみたい」
「別にすごくないわ、こういうモノだから」
あたしは地図を折りたたみポケットに入れた。それから虎の特徴をトラバに訪ねた。
「大きな虎ってのはわかったけど、ほかに特徴はないの?」
「特徴ですか……たしか、額に大きな傷があったと思いますが……縦にこう」
トラバは自分の額を指でなぞった。
「ふうん、額に大きな縦傷ね。わかったわ」
そう言って、あたしはトラバたちを見回した。
「じゃあ、行って来るわ」
「あ、ちょっと待って下さい。裏門のほうへ案内しますよ」
トラバたちはあたしを先導するかのように裏門のほうへ案内してくれた。
クリスタルメサーチアの木があるさきに裏門があった。扉などはなく、煉瓦のアーチ状の門で表門と同じ造りだった。
「私たちはここまでしか案内できません。本当に気をつけてください」
トラバはため息まじりに顔をしかめた。
「シャルピッシュさん、これを……」
イロバはあたしの手になにかを渡してきた。見ると手のひらには黄色の小さな球がみっつほど乗せてあった。
「目くらましです。地面に投げつければ、それが光って相手を怯ませることができます。もし危なくなったら使ってください」
「ありがと」
「僕も、お姉ちゃんと行きたいけど、足手まといになりそうだから……だから、頑張って。僕もプグラーストが来たら説得を頑張るよ」
リバトは拳を上げて凛々しく見せた。
「うん」
あたしたちは振り返り裏門の外へ出た。虎の居場所を目指して。
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