第38話 小さな案内人

「シャルピー! あぶなーい!」


 ポノガの叫び声が橋のなかでこだまする。それが止むと、しーんと橋は静まり返った。


 あたしの足より手前の空間で熊の手とも呼べるものが止まっていた。というよりプルプルと震えている。そのあと熊の手は弾き返された。熊は一瞬怯み、また殴るように爪を振り下ろしてきた。けど、さっきと同様にあたしの手前の見えない空間から侵入することができずに弾き返された。


「おい、どーなってんだ?」

「おまじないよ」


 あたしは立ち上がると、パタパタと手で服を叩き服装を整えて橋の奥へ行った。振り向くと熊はこの橋に入りたそうに前足を伸ばしたり、顔を入れて無理やりなかに入ろうとしてきたけど入れなかった。


 あたしはそれに構わず歩き出した。(ガアアッー!)という悔しそうな鳴き声を後にして。


「やったじゃねーかーシャルピー!」


 ポノガはあたしに駆け寄ってきた。しかし、バァンとあたしの手前にある見えない空間に弾き返された。あたしは立ち止まり、ブルブルッと首を振っているポノガを見た。


「あっ!? なんだこれ、シャルピーに近寄れねーぞ」

「これよ、もらい物だけどね」


 あたしは黄色く光るハニレヴァーヌの腕輪をポノガに見せた。ポノガは不思議そうに首を傾げた。


「これが見えない壁を作ったのよ」


 そう言って、あたしは腕輪に触れた。


「これでいいわ。もう近寄れるわよ、ポノガ」


 疑わしそうにポノガはあたしに近寄ると、前足の片方を出して探った。さっきの見えない壁がなくなったとわかると、あたしの横についた。


「どう、わかった」

「なんだよー、そんな便利なもんあんなら、逃げなくてもよかったじゃねーか。それに、なにが来てもへっちゃらじゃねーかよー」

「そうかもね」


 あたしは歩き出した。橋の左右にある壁を見ると、ひし形の窓みたいに繰り抜かれていて、そこから薄明りが差し込んできている。のぞいてみると星や森の風景が遠くに見えた。


「でも頼れないの。この腕輪の力を信じてないわけじゃないけど、これがもしなかったらあたしはさっきやられていたわ。だから、これに頼らないくらいに強くありたいの、できるだけね」

「ふーん、おいらは別に頼ってもいいと思うぜー。それ、誰にもらったかわかんねーけど、シャルピーが危険な目にあわねーように渡したんじゃねーか、たぶん」


 絶対的な安心感。それがなくなったら恐怖心が大きくなって、怖がりな自分になってしまうかもしれない。だから、安心なんかしない、したくない。怖がることが悪いんじゃなくて、それに頼ってなにもできなくなってしまう自分が、怖いの。


「ま、おいらは別にいいけど、どっちでも」


 橋を抜けると広々とした草原に出た。緩い上り坂になっていて、地平線から上を見れば薄暗い空の向こうに星空が光っている。


 一陣の風が草をなでる。地面を見ると小石の敷き詰められた小道があって、くねくねと奥へと続いている。あたしたちはその道沿いを歩いて行った。


 辺りを見ると、木がまばらに生えていて、森のなかを歩いていたときの圧迫感はなく、解放されたような心地よさがあった。ときおり吹く少し冷たい風がさっきまでのあせりを流し、そして消してくれる。


 緩い上り坂を進んで行くと、遠くのほうで黄色い明かりが見えてきた。薄暗いなかの道しるべみたいに辺りを照らしている。


 近づいて行くと門が見えてきた。門の手前に柱のような物が光っていて、あたしたちを呼び寄せるように黄色い光を放っていた。


「おいシャルピー、アレが集落か?」

「さあ、わからないけど、たぶんそうじゃない。行ってみましょ」


 そこは煉瓦で作られた塀で囲われていて、その奥のほうには屋根がのぞき見えた。いくつかのとがり屋根が黄色の光で浮かび上がっている。


 門の近くまで来ると脇に木の看板が立ててあった。


 【 このさき ポヨピオンの町 】


「ここだわ」


 門は煉瓦のアーチ状になっていて、その両脇に立っているさきのとがった丸い柱が黄色く光っていた。門に扉らしきものはなく、誰でも入れるみたいに放たれている。塀はところどころひし形に繰り抜かれていて、なかがのぞけるようになっていた。


「シャルピー、入ってみよーぜ」

「ええ」


 あたしたちは門に近寄ると、注意深く左右を確認しながらなかに入った。


 不意に水の流れる音が聞こえてくる。そこに目を向けると、一羽の鳥が翼を広げている大きなオブジェが建てられていた。


 あたしたちはオブジェに近寄ってみた。


 オブジェ台の下には煉瓦で作られた広い囲いがあって、そのなかに水が溜まっていた。揺れ動く水たまりのなかから、何本かの噴水がしぶきをあげていた。


 門のところで見た街灯が噴水を囲うように何本か立っている。その黄色い光に反射して水の流れがキラキラしていた。


 辺り見ると、丸く白い小石を敷き詰めた地面が庭として広がっていた。


 誰もいない。夜明け前だからみんな寝ているのかもしれない。あたしたちはこの町の様子を見るために、その辺をうろつくことにした。


 噴水からまっすぐ進むと広い階段が見えてきた。階段の脇から横へ木が何本か立ち並んでいる。階段の手すりらしき物の上には三角形をした物が黄色い光を放っていた。


 あたしたちは光沢のあるの白い石の階段をのぼり終えると、家が立ち並ぶ通りを歩いた。街灯がところどころで光っていて、見上げると三角の屋根が茶色や黄色などを映し出していた。


 家の白い壁にある窓から黄色い光がもれていて、そこから人影が行ったり来たりしていた。

 バサバサッと何羽かの鳥が薄暗い空へ羽ばたいて行くのが見えた。


 階段と同様の石で造られたと思う道を通って奥まで進んだ。道の脇には白い小石が敷き詰められている。


 家がなくなり、道が開けて広場に出た。庭園みたいな広場には小さな花が咲いていて、人の通る道の脇にそれは植えてあった。


 街灯が奥のほうまで点々とあたしたちを導くかのように立っている。


 ん? あれはなにかしら。少し遠くに木の形をした物が空間を模っていた。


 花の庭園をまっすぐ歩いて行くと、途中で道が左右に分かれていて、その木らしきものを囲うように反対側へと続いていた。


 さらにまっすぐ進むと、あたしの身長の倍くらいしかない小さな木が立っていた。葉もなにもつけていない透明な木が小さな策で囲われていた。


 これは木なの? 透明な木の形をした彫刻のように見える。


「誰?」


 不意に後ろから少年の声がした。


 あたしたちは振り返った。そこには緑色の羽をまとった、あたしより少し背の低い少年が白いボールを持って立っていた。


 少年が着ている服は鳥の羽で作られたような羽衣。顔は目をふちどるように緑色で塗っている。頭にはガラス細工を適当にちりばめたような装飾を施して、そこに緑色の羽を何本か立たせていた。


 少年は地面にボールをポンポンと弾ませて、あたしたちの返答を待っていた。

 あたしはポノガと顔を見合わせてから答えた。


「あたしはシャルピッシュ、こっちはポノガ」

「ふうん、僕はリバト。お姉ちゃんたちこの町に来たの初めて?」


 リバトはつまらなそうな顔で首を傾げながら聞いてきた。疑わしく見つめる瞳があたしたちを捉えて離さない。


「ええ」


 あたしが答えると、リバトは疑いがなくなったように微笑んで、無邪気な少年の顔に戻った。


「そう、ちょうどよかった。僕はこの町に誰かが来たら案内するように親に言われているから、案内してあげるよ」

「ねぇ」


 あたしが声を掛けると、リバトは一瞬驚いた表情を見せる。それから落ち着いて聞いてきた。


「なに?」

「クリスタルメサーチアっていう果実、この町にあるの?」

「……あるよ、ひょっとして、お姉ちゃんたちそれが欲しいの?」

「そうだけど」


 リバトはなにかを考えるように目を細めて地面に咲いている花を見つめた。それから、ふてくされた顔をあたしたちに向けた。


「あー、それ、今はないんだ。その木に……」


 リバトは人差し指をあたしたちの後ろにある木に向けた。あたしは後ろを向いてその透明な木を見た。木は寂しそうにたたずんでいる。


「なってたんだけど、なくなっちゃって」

「えっ!? ないの?」


 あたしはリバトにつかみかかるように前のめりなった。


「うん、実は盗まれたんだ、どう猛な奴に」


 リバトは悔しそうに唇を噛みしめて地面にボールを叩きつけた。


「どう猛な奴って?」

「虎だよ。僕は見てたんだ、虎が来て盗んでいくのを」


 どう猛な虎。たしかこの森は人を襲う猛獣がいるってヴィヴォルが言っていたわ。熊の次は虎ってわけ?


「捕まえなかったの?」


 リバトは首を振ってからまた地面にボールを叩きつけた。


「できるわけないよ、大きいんだ、とってもね。僕は急いで親を呼びに行ったんだ、でも仕方ないってことで諦めたのさ」


 クリスタルメサーチアがないと姉を治してもらえないじゃない、まったく。こうなったら虎の居場所を聞き出すしかないわ。食べてなきゃいいけど……。


「お姉ちゃんたち、とりあえず僕の家に来なよ。町の案内がてらに寄るからさ。それにうちの親がその虎のことをなにか知っているかもしれないし」

「うん、わかったわ」

「じゃあ、僕についてきてよ」


 リバトは振り返りまっすぐ進んだ。緑の羽衣をふわりとさせて歩いて行く。彼は歩きながら淡々と話し出した。薄暗い空に少年の観光案内がきらめく。

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