第36話 魔女の条件

 ヴィヴォラはソファーからゆっくり立ち上がると、苦渋の表情を見せて言った。


「シャルピッシュだったな、お前の姉を治してやってもいい、だが、条件がある」

「じょうけん? なによ」

「クリスタルメサーチアを取ってこい」

「くりすたるめさーちあ?」

「果実だ」


 あんなに強情だったのに気が変わったのかしら。まあいいわ。


「それをなんで取りに行かなきゃならないの?」

「治すのに必要な物だ」


 姉を治す気になったのはいいけど、なんであたしが取りに行かなきゃならないの。


「あんたが取って来ればいいでしょ」


 嫌なことでも振り払うように、ヴィヴォラはあたしから視線をそらした。


「われでは譲ってもらえない、わかるだろう」

「譲るって、誰かの所有物なの?」

「ああ、そうだ、ポヨピオン族が所有している」

「ぽよぴおん? じゃあ、その人たちからもらってくればいいのね」

「そういうことだ」


 そこへ行くのはいいけど、すぐにもらえるのかしら、タダで。


「うーん、行ってもいいけど、あたしが行ったらもらえるの? その果実は」

「いや、だが、われよりはもらいやすいだろう」

 

 姉を治すにはクリスタルメサーチアという果実が必要。それを取るにはポヨピオン族っていう人たちに会って事情を説明して、説得させる必要があるわ。はあ、面倒ね。


「わかったわ。とりあえず行ってみるわ、じゃあ場所を教えて」

「簡単だ。そこの扉を出てまっすぐ進むと、1本のモミの木が生えている広場に出る。そこを左に曲がって進めば、そいつらの集落はある」


 ヴィヴォラはその方向をあごで指し示しながら言った。


「うん、簡単だわ。じゃあ行って来るわ」

「ああ」


 それから彼女は疲れたようにソファーへ腰を下ろしてワイングラスに手を伸ばした。あたしはこの部屋の玄関らしき扉へ向かおうとしたとき、ヴィヴォルが目に留まった。


「あっ! あんたが行けばいいんじゃないの?」


 苦笑いを浮かべながらヴィヴォルはあたしに言った。


「俺はヴィヴォラが逃げないようにここで見張っている」

「え? 逃げるの彼女」

 

 ヴィヴォルはちらりとヴィヴォラを見て話した。


「あいつは誰の言うことも聞かん、今はどうかわからんが……それに嘘をついているかもしれないからな」


 油断はできないってことね。まったくとんだ災難だわ。


「ふうん、わかったわ」


 ググッと床の軋みとあたしの足音が、今のあたしの足取りの重さを奏でていた。玄関扉の取っ手に手を伸ばして開けようとしたところで、ハスキー声が耳に留まる。かすれていてそのなかに隠された品のある声があたしを呼び止めた。


「ちょっと待て、そこにいる2匹のどちらかをここへ置いて行ってもらおうか」


 あたしは振り返りヴィヴォラを見ると、あたしの足もとにいるポノガとムリッタに指さきを向けていた。訝しい顔をしてあたしは聞いた。


「なんで?」

「クリスタルメサーチアはとても美味しい果実だと言われている。お前が途中で食うかもしれんだろう」

「はあぁ!? 食べないわよ、必要なんでしょ姉を治すのに」


 ヴィヴォラはわかってないと言った風に首を振った。


「いや、ダメだ。どちらかを置いていけ、保険の代わりにする。人間いざというとき、なにをするかわからんからな」


 いざなにをするかわからないって、あんたがそれ言うの。さっきまで好き勝手やってたくせにさ。今のこの状況だってそうよ。


「じゃあ、もし食べたらなんなの?」

「食べたら置いて行ったほうは、一生われの奴隷としてやろう」


 下を見るとポノガとムリッタはお互いに顔を合わせて目を丸くしていた。あたしはヴィヴォラに疑問を投げかけた。


「でも、果物なんでしょ。いつでも手に入るんじゃないの?」

「いや、あれは木にひとつだけしか実をつけない。しかも、いつ実をつけるかわからない果物だ」

「じゃあ、なんで今そこに実がついているってわかるの?」

「この前取りに行ったんだ、だが奪えなかった。われの魔法にあらがえる連中でな」


 ヴィヴォラは手のひらを上に向けてお手上げみたいに首を振った。


「わかったわよ。どっちか置いて行けばいいのね」


 あたしはポノガとムリッタを見た。2匹は不安そうな顔を見せて尻尾を低くしていた。


「おい! シャルピーおいらを置いて行かねーよな。おいらのほうが役に立つぜー絶対!」

「ぼ、僕を置いて行かないよねーシャルピー。僕のほうが役に立つさ、絶対!」


 2匹は交互に入れ替わりながらあたしに訴えた。


「おいらのほうがいいぜー、なんたって夜目が効くからよー、なんでも見通せるぜー!」

「僕のほうだって、鼻が効くの知ってるよね。この前も役に立ってたさー!」


 バタバタと2匹はもみ合うように必死に訴えていた。


「連れていくのは、おいらのほうだよなー!」

「僕のほうだよね、連れていくのはさー!」


 あたしは首振り人形にでもなったみたいにポノガとムリッタを交互に見て意見を聞き入れた。


 ……別にどっちでもいいわ。


 2匹はなにかをねだるように目をパチパチさせてあたしを見ていた。


 そうねぇ……この前はムリッタだったから、今回もムリッタを連れて行こうかしら。


「じゃあ、ポノガをおいて……」

「おいっ! おいシャルピー! 冷静に考えろ、おいらだ! 今回はおいらだよー、約束したろー!!」


 ポノガは駄々っ子のようにピョンピョンピョンピョンと跳ね回りあたしの注意を引いた。


「……わかったわよ、今回はポノガを連れていくわ」

「やったぜー!」

「えー!? どうしてさー、なんで僕じゃないのさー」

「ごめんムリッタ、すぐに戻ってくるから」


 あたしはムリッタの気持ちを落ち着かせるように優しく頭をなでた。


「ムリッタ、残念だがおいらたちが戻ってくるまで我慢しててくれー」


 ヴィヴォラはあくびをしてあたしたちの回答を待っていた。あたしは彼女に言った。


「ムリッタを置いて行くわ」


 ヴィヴォラは酔っているような眼差しをこちらへ向ける。ムリッタは落ち着かないように足を動かしていた。


「……その犬か?」

「そうよ、可愛がってあげてね」


 ヴィヴォラはソファーの背もたれに頬杖をしながらムリッタを眺めていた。


 まったく。兄妹そろってやること一緒なんだから。


「じゃあ、ポノガ行くわよ」

「おう!」


 あたしは玄関の扉を開けた。途端にヒューっと風が扉越しから流れ込んでくる。その風を押し返すように外に出た。


「え?」


 そこは、薄暗い森に囲まれていた。この家の周りは芝生みたいに草が刈られていて、少し小高くなっている。


 玄関の正面からまっすぐに続いている広い道は木や草が生い茂っているけど、あたしたちの歩行の邪魔にならない程度に伸びている。風がさざ波のように鳴いては消える。薄暗い静けさがあたしの歩行を戸惑わせた。


「ちょっと、薄暗いじゃない、なにかランプとかないの!」

「ちょーどいいじゃねーかー、おいらの出番だぜー! おいらの夜目でなんでもお見通しだぜー!」

「それはあんただけでしょ! あたしが暗いんだから」


 あたしたちの声に反応して、うるさそうにヴィヴォルは外に出てきた。それから小さなため息を上空に解き放ち空を見上げた。


「今は夜明け前の時間帯だ、だから薄暗い」


 そう言って、ヴィヴォルは指さきにオレンジ色に光る球体を作り出した。途端に周りがオレンジ色に明るくなった。


「こいつを貸してやる」


 球体を指ではじくと、その光はあたしの肩らへんに近寄ってふわふわと浮いていた。


「ヴィヴォラが赤の他人の言うことを聞くとはな。蜜のおかげかそれとも貴様の説教が効いたのかわからんが、今のあいつは少し変わった」


 それからヴィヴォルはあたしの目を見て話した。

 

「妹を変えたことは感謝している。だが俺は貴様につき添ってやることはできない。そのお詫びと、せめてものはなむけだ」

「……別に、あたしは姉のためにやっただけよ」

 

 ヴィヴォルは鼻で笑うと頷いた。


「それより、これ途中で消えないわよね」


 あたしはオレンジ色に光る球体を指さした。眩しそうに目を細めてヴィヴォルは答えた。


「俺が消すように指示を出すか、俺自身が死なない限り消えない、だから安心しろ」

「ふーん、わかったわ」


 あたしたちが進んでいく森の奥のほうを見ると、暗闇が繋がっているかのようにまっくらに見えた。


 不意に少し冷たい風があたしの背中を押した。早く行けと急かすように。

 風が止むと、あたしたちは森のなかへ向かうため足を踏み出した。


「シャルピッシュ……」


 するとヴィヴォルの呼び止める声がして歩行を止めた。彼は少しためらったあと落ち着いた声で言った。


「この森は危険だ。人を襲う猛獣がいる。気をつけろ」

「ええ」


 あたしは気持ちを引き締めて暗がりの道を歩き出した。振り返ってみるとヴィヴォルがあたしたちの無事でも祈るかのように見送っていた。

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