第35話 魔女の晩酌
パジワッピーの花の入り口まで駆け抜けると、腕組みをしたハートレルがあたしをちらりと見て言った。
「準備はできたのか?」
「うん」
あたしは地面に寝転がっているヴィヴォルを起こしに行った。
「ヴィヴォル起きなさい、出発するわよ」
ヴィヴォルは眩しそうに目を開けると面倒くさそうに立ち上がった。
「ふあぁー、パジワッピーの花の蜜は手に入ったのか?」
「うん」
あたしは蜜の入った小瓶を見せた。
「じゃあ、行くか」
そのとき、あたしたちを呼び止める声が聞こえた。
「おい、ちょっと待て」
見ると、ハートレルがポノガとムリッタの首根っこをつかんで立っていた。
「こいつらも連れていけ」
そう言って、あたしたちの前に2匹を放り出した。
「ポノガとムリッタも連れていくの?」
「ああ、私はここを離れるわけにはいかないからな。こいつらなら少しは役に立つだろう」
ポノガとムリッタは連れて行ってと言わんばかりに、あたしの目を救いを求めるように見つめていた。
まあ、別に連れて行っても構わないんだけど……。
「別にいいけど、ここを守るのってこいつらの仕事じゃないの」
「そうだが、ここを攻めて来る奴が現れるまで退屈だろうからな。シャルピッシュと共なら、こいつらも少しは成長するだろう」
「ふーん、まあいいわ。じゃあ行きましょ」
ヴィヴォルはあくびをしながら人差し指で空中になにかを書き始めた。
「
それから、こぶしを握り書いた場所を思いきり殴った。するとそこは崩れて違う場所の空間が現れた。ジグザグな枠のなかはヴィヴォルの大きさに合わせたような異空間になっていた。その異空間には建物のなからしき場所が映っていた。白い木で作られたような部屋。見た感じは誰かの部屋だとしかわからなかった。
「ここを潜れば彷徨い人の森へ行けるといわけだ」
「危険はないの?」
ヴィヴォルは虚空を見て少し考えてから、あたしを見てゆっくりと首を振った。
「危険だ。直接ヴィヴォラの部屋に行くからな」
「ヴィヴォラの……なんで?」
「玄関から行っても絶対に入れてもらえないからな、だから直接行くんだ」
あたしの足もとにいるポノガとムリッタはお互いの顔を見合わせていた。あたしは肩をすくめて言った。
「わかったわ。行きましょ」
ヴィヴォルは頷くと異空間のなかへ入って行った。あたしもそのあとを追った。なにかにぶつかるかと思ったけど、部屋から部屋へ移動するようになんの障害もなくそのなかに足を踏み入れることができた。
異空間を潜り抜けて振り返ってみると、あたしたちのいた丘は閉じて消えた。
不意に足を動かすと、ググッと床のきしむ音がした。床には白い木の板が敷き詰められている。白い壁には所々に白い煉瓦が見えていた。天井には茶色や橙の落ち葉が広がっていて、風に吹かれて舞ったりしている映像が流れていた。そんな部屋があたしたちを出迎えた。
淡い茶色の明かりがその部屋を彩っていた。光りを発していたのは部屋の片隅で宙に浮いているひし形の物。部屋の四隅にあってそれで明るくなっていた。
すると突然、威嚇するハスキーな女性の声が聞こえてきた。
「なに者だ!」
ヒュっと風を切るなにかの音が聞こえた。それは一瞬キラリと光る。
その瞬間、ヴィヴォルはあたしたちを庇うように目の前に出て、ローブをひるがえしなにかを弾き返した。ザクザクッとなにかが突き刺さった音が聞こえた。
あたしは顔を出してのぞいてみると、銀色のナイフが床や壁に突き刺さっていた。それから煙のようにそれらは消えた。
「俺だ、ヴィヴォラ」
ヴィヴォルは注意深く体制を戻す。すると、あたしの瞳はヴィヴォルが会話しているその人物をとらえた。
ヴィヴォラ……この人が?
足もとが隠れるくらいの白い羽のドレスをまとっていた。裾からヒールらしき白い靴が片方だけちらりとのぞいている。長い袖からのぞいている指さきには、白のマニキュアを塗ったみたいな白くとがった爪。鎖骨くらいまで伸ばしたセミロングヘアーの白い髪は旋毛辺りで結っている。
顔はスラリと整っていて軽い吊り目には白いアイシャドー。唇も白い口紅を塗っているみたいに白く怪しげな笑みを作っていた。
ヴィヴォルと同等の身長が威圧感をかもし出している。耳たぶに着けている白いひし型のイヤリングが動くたびにキラキラと光っていた。
「ふんっ、なにしに来た」
ヴィヴォラは近くにあった白いソファーにもたれ掛かるようにして座り、脚を組んでくつろいだ。
「頼みがある」
そう言いながら、ヴィヴォルは1歩前に歩み寄り話し出した。ヴィヴォラは白い石で作ったような長方形のテーブルに手を伸ばし、そこに置いてあったワイングラスを手に取って、白ワインらしき黄金色の液体をひと口飲んだ。
「透明な体を治してもらいたい」
気まずそうに彼は答えると、つまらなそうにヴィヴォラはあたしにちらりと視線を向けた。
「そいつは誰だ?」
ヴィヴォルはあたしをひと目見るとため息を落とした。あたしはヴィヴォルに黙って視線を送った。
「シャルピッシュと言って、俺の客人だ」
「で?」
「こいつの姉の体を治してやってもらいたい」
ヴィヴォラは白ワインをひと口飲んで言った。
「いーやーだー、帰れ」
あたしたちを跳ね返すようにヴィヴォラは手の甲を向けて振る。
「どうしてもダメか?」
兄の頼みを興味なさそうに聞きながら、ヴィヴォラは顔をあさってのほうへ向けた。ヴィヴォルは懐から黄色に輝く指輪を取り出した。
「そう言うだろうと思って、土産を持ってきた」
ヴィヴォラは視線だけを兄の手に送る。ヴィヴォルは餌で魚を釣るみたいに指輪を指で摘まみ上げて見せつけた。
「指輪だ。それも腹は減らないし疲労も回復してくれる代物だ」
興味が出たのか、ヴィヴォラはツンとした表情で手だけを兄に向けた。ヴィヴォルはゆっくりと歩き出して、妹の手のひらに指輪を乗せた。そのまま興味なさそうな顔で妹は指輪を嵌めた。
「ふん、なかなかいいもんだな、これはいただいておく。用が済んだら帰れ」
ヴィヴォルは諦めたように妹から少し後ずさりした。あたしはヴィヴォルに近寄りローブの袖を軽く引っ張って小声で話した。
(ちょっと、なにもしてくれないじゃない。なんとかしてよ、お兄ちゃんでしょ)
(ヴィヴォラはこういう奴だ、ちょっとやそっとでは動かん)
仕方ないわね、パジワッピーの花の蜜を使ってみるしかなさそうね。
「ねえ、ヴィヴォラ」
ヴィヴォラは興味なさそうにあたしをちらっと見てから、さっきの指輪を眺めた。
「願いの叶う蜜って知ってる? 今日はそれをプレゼントとして持って来たんだけど……なんか興味なさそうだから、持ち帰ることにするわ、じゃあね」
あたしは振り返りこの部屋から出て行こうとした。するとあたしを呼び止めるヴィヴォラの声があたしの歩行を止めた。
「おい、なんだ、願いの叶うだと? それを寄こせ」
あたしは背を向けたまま返答した。
「欲しいなら、あたしの姉の体を治してもらえないかしら」
「いーやーだー、早く寄こせ」
なんて強情なの、まったく。ヴィヴォラを動かせる最後の手段なのに……もし蜜を渡してなにもしてくれなかったら、姉は治らないわ。どうにかして動いてもらわないと。
「寄こさないなら奪うまでだ」
「え!?」
あたしは振り返りヴィヴォラを見た。彼女は手のひらをあたしたちに向けてなにかを放った。途端に体が透明な縄にでも縛られているみたいに硬直して身動きが取れなくなってしまった。
「な、なんなの?」
「グッ、あいつの力だ。体を拘束する魔法」
目と口だけは動かせる。ポノガやムリッタを見てみると、同様にプルプルと体をふるわせていた。
ヴィヴォラはソファーから立ち上がり、ゆっくりとあたしたちのほうへ歩いてきた。
「どこに隠してある?」
そう言って、あたしのポケットを探る。ポケットからは地図、クッキーの小包、そして蜜の入った小瓶が出てきた。
ヴィヴォラは地図や小包は床に捨てて小瓶だけを取り上げた。
「これか」
あたしは歯を食いしばりながら身動きをした。けど動かせない。あたしの体だけが別の意思みたいに勝手な行動を取らせてくれない。
ヴィヴォラは振り返りあたしたちに背中を向けて、少し離れてから小瓶のふたを外し蜜を飲んだ。
あたしはその行動をただにらむことしかできなかった。
「グッ……なんだこれは?」
ヴィヴォラは胸を押さえて苦しそうに前かがみになった。それと同時に体の拘束が解けて動けるようになった。
彼女は「うえぇー」と、うめいてから白ワインを勢いよく飲み、舌を出して不味そうな顔をこちらに見せる。
「……貴様ら、毒を盛ったな……」
顔を歪ませて喉を抑えながらあたしたちに訴えていた。
「どく?」
「甘すぎる」
「毒じゃないわ」
彼女はため息をひとつ吐いて落ち着きを取り戻すと、あたしを見下して言った。
「ふん、もういい、われは毒ではやられん。今回だけは兄に免じて許してやる。帰れ」
ヴィヴォラはあたしに小瓶を投げ返すと、ふてくされたように力なくソファーに座り寄り掛かった。小瓶には半分ほど蜜が残っていた。
あたしは小瓶をポケットに入れると、屈んで床に落ちている地図とクッキーの小包を拾った。
このまま帰るわけにはいかない、なんとかして彼女を動かすしかないわ。
あたしは立ち上がりヴィヴォラに言った。
「あんたさぁ、そんななんでもかんでも人の物を奪っておいて、恥ずかしくないの。彷徨い人を助けられなかったんですって、ヴィヴォルに聞いたわよ」
あたしの言葉を嫌がるように、彼女は頬杖をしながらあさってのほうを向いた。
「それで組織から追い出されて、そのはらいせに、ほかの人の大事なものを奪うようになったって」
ヴィヴォラはあたしをにらむと、手のひらを向けて拘束させようとしてきた。
「やりなよ。そんなことしたってあんたはなにも変わらない、ただの自己満足。そうやって逃げてるだけなんだ」
彼女は目を見開き恨むような視線をあたしに向けてくる。あたしはにらみ返しながら負けないと念じた。
「たしかにあんたは強い力を持ってるよ、でもそれがなに? そんな力があるなら誰かひとりでも救ってみなさいよ。どうせ、あんたは誰ひとり救えやしない、だれもね。それは自分さえも」
彼女の手からは拘束魔法を放つことなく、そのまま握りこぶしを作りその手をゆっくりと下ろした。
「そうやってきたあんたは一生幸せになんかなれないわ。一生ね」
あたしはヴィヴォルのローブを軽く引いた。
「帰りましょう、こんなところにいたって時間のむだだわ」
ヴィヴォルは肩をすくめて空中に文字を書き始めた。
「……待て」
あたしたちはその声の主、ヴィヴォラのほうを向いた。
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