第34話 シャルピッシュのゆらぎ

 なかにひとたび入ると、澄んだ香とともに見る巨木の威圧感や草や茂み。その鮮やかな黄緑や深緑が木洩れ日によって輝いている。


 見上げると木々の葉が風で揺らめいて音を奏でる。耳を澄ませてみると、どこからか小川のせせらぎが聞こえてきて、鳥たちのさえずりや羽ばたきがこだましている。それは、あたしたちを歓迎でもするかのような演奏に感じた。


 神秘感。そんな言葉が不意に頭に浮かんだ。


「わー、すごいですねー、大きな木が空高く立っていて、それに空気がよろこんでますねー」


 姉はキョロキョロと体を動かして景色を眺めていた。


「ふふふ、ありがとうキャルフリー」


 脇に目を向ければ、リスが木に登って行ったり、ウサギが茂みから顔をのぞかせたりしている。こんな自然の前じゃ、あたしはちっぽけなものね。


 メイアトリィに連れられて奥まで来てみると、目の前にひときわ輝く場所が現れた。


 チョロチョロと水の音が耳をくすぐるように聞こえて来る。木々を通り抜けていくと、小さな泉が木漏れ日に照らされて、その水面に反射した光があたしの目を細める。


 脇に咲いている色とりどりの小さな花々には、蝶々がひらひらとしていて、あたしたちが来るとどこかへ舞っていった。


「うわー、これがパジワッピーの花なんですねー」


 姉はパジワッピーの花を見て感激していた。


 泉に咲いている花。あたしの身長と変わらないくらいの大きな花。白く美しい花。パジワッピー。でも、今は閉じている。眠っているように。


 前に来たときよりも、この周りの場所や姿が少し変わっているように感じた。


 同じ場所に来ているのに、ふたたびそこに目を移してみると、大地がそれに気づいて、あたしがそこを見るのを待っていたかのように姿や形を変えているみたいな。そんな現象を感じさせてくれる。


「さあ、みなさま、こちらに来てお茶になさいましょう」


 メイアトリィはいつの間にかテーブルや椅子を用意して待っていた。


「うふふ、行きましょ。シャルピー」


 姉はあたしの手を握ると歩き出した。姉の温かい手の感触が伝わる。見えない手からは姉の優しいぬくもりが……あたしがもっと幼かったとき、色々なところへ連れて行ってもらった。こんな風にあたしと手を繋ぎながら。


 ……お姉ちゃん、あたし……ううん、ダメよシャルピッシュ、しっかりするのよ、あたし。


 あたしたちは椅子に座った。丸いテーブルには緑色のテーブルクロスが敷いてある。その上にティーカップや小皿やフォークが置かれていた。


「あら、どうしたの? シャルピー、そんな悲しそうな顔をして」

 

 姉はあたしを見ると心配そうに言った。あたしは首を振って無理やり笑顔を作った。


「ううん、なんでもないわ。あたしは元気よ」

「うん、それならよかったわ」


 メイアトリィは緑色のポットを持ってきて、ティーカップにお茶を注ぎ始めた。


「紅茶ですの、召し上がってくださいまし」


 そのあと、メイアトリィは地面に落ちている木の実を拾って空へと投げた。投げたものは光りだして、静かにあたしたちの小皿の上にのった。それは、形はいびつだけど薄茶くらいに焼いた、ふわりとした食べ物が香ばしい匂いを出していた。


「すごーい、どーやったんですかー?」


 姉ははしゃぎながら声を弾ませる。


「ふふふ、どんぐりを使ったパンケーキですの。よろしかったら召し上がってくださいまし」

「どんぐりー? まあ、おいしそー、これ食べていいの?」

「ええ」


 こんなことできるなら、あたしたちの朝食も作ってもらおうかしら。大体、材料の薄力粉とか牛乳とかどこにあったのよ。


「やったー、おいらの大好物だぜー」

「うん、僕も大好物さー」


 あんたたち食べたことあるの? まったく。メイアトリィの作ったどんぐりのパンケーキ。見かけは悪いけど、味はどうかしら。


「わー、おいしーわ、ほっぺたが落ちそー」

「うまいなー、おいら、こんなうまいもん食ったの、初めてだぜー」

「うん、ぼ、僕もこんなおいしい物を食べたの、生まれて初めてさー」

「ふふふ、ありがとう」


 あたしも食べてみた。……これは! 少し弾力のある噛み応えで、香ばしさが口のなかで広がり、甘くなく、噛んでいると自然な甘みがしてくる。そして、とろけるようになくなる。……くやしいけど、おいしいわね。


「シャルピーはどう? おいしい?」


 姉はあたしの感想を待った。あたしがなにか言わないとメイアトリィに失礼だと思ったのかも。姉である本能ってやつなのかな。


「ええ、おいしいわ、とってもね」


 あたしはメイアトリィに舌をちょっと出して微笑んで見せた。


「まあ、よかったですわ。ありがとうシャルピッシュ」


 メイアトリィも椅子に座り紅茶をひと口啜る。


 それから、一通り食事を終えると姉はメイアトリィに聞いた。


「あの、メイアトリィお姫さまはどこからいらしたんですか? そのーお住まいは」


 メイアトリィはティーカップを置くと少し微笑んで答えた。


「わたくしは、パジワッピー国の生まれですの。その国では花をちゃんと咲かせることが一人前の証になっておりますの」

「へぇー、花を咲かせることがですか。妖精さんなんですよねー」

「ええ、そうですの。妖精の国パジワッピーとも言いますのよ」

「ふうん、その、メイアトリィおひ……」


 メイアトリィは手を出して姉の質問を切った。


「ふふ、キャルフリー、お姫様はいりませんわ。わたくしを呼ぶときはメイアトリィだけでいいですの」

「あ、ええ、わかりましたわ。それで、メイアトリィさん」

「なにかしら?」


 メイアトリィは小首を傾げて微笑みを投げかける。


「ええっと、パジワッピーってどんな意味があるのですか? そのー言葉に」

「そうですわね、心を清める幸せの輪、という意味がありますの」


 姉は虚空を見て妄想にふけっているみたいに沈黙していた。


 心を清める幸せの輪。そういう意味があるんだったら、姉が歌うようになったのは、自分の心が清められて、幸せがなんなのか気づいたってことなのかしら。歌うことだと……まあ、要するに幸せにさせる花ってことね。


 ふと、辺りを見ると、ポノガは前足で顔を毛づくろいしていた。ムリッタは地面にペタッと伏せて寝息を立てている。あたしは眠気を抑えつつ、姉とメイアトリィの会話を聞いていた。


「はぁー、こころを、きよめる、しあわせの、わ、ですかー、すてきですねー」

「ありがとうキャルフリー。わたくしの国では、10歳になりましたら国を出て、どこかの森に赴いて、そこで花を守り咲かせるという決まりがありますの。修行も兼ねてですが」


「へー、妖精さんも修行するんですかー」

「ふふふ、シャルピッシュからうかがいましたわ。姉妹でこちらの森にいらして生活をなさっているんですって」

「ええ、そうなの。わたしたちが夜眠っているとき、パパとママがわたしたちを起こさないように、この森にある家まで運んで、そこに手紙を置いて行ったの。わたしたちだけで生活をしていくようにって、それで」


「まあ、それは大変でございましょう」

「ううん、大丈夫ですわ。わたしたち姉妹が力を合わせれば、ねえ、シャルピー」


 力を合わせてって……だったら、朝早く起きて朝食を取りに森へ行ってほしいわ、たまにはね。


「うん、そうね」


 あたしはぶっきらぼうに返して遠くのほうを眺めた。サァーっと暖かい風が優しく吹き抜けて小花や草を揺らした。すると、メイアトリィはおもむろに立ち上がり言った。


「そろそろ、パジワッピーの花が開きますわ」

「まあ、開くのー」


 姉も立ち上がりウキウキしていた。あたしも立ち上がりパジワッピーの花が咲いているほうを見つめた。ポノガとムリッタもあたしたちの行動に気づいて立ち上がった。


「さあ、みなさま、パジワッピーの花のところへまいりましょう」


 メイアトリィは花の場所まで歩き出した。あたしたちもその後を追うようについて行った。小さな泉のある場所に来て、パジワッピーの花の目の前にみんなが集まった。


 木漏れ日がパジワッピーの花を照らして、キラキラと光りの雫が浮かび上がる。小さな泉を揺らす水面が光で金色に輝いて見える。パジワッピーの花はゆっくりと開き始めた。


 日の出を見るみたいにゆっくりと開いていく。

 その花はスノーホワイトのように白く、そして、輝いている。


「わー、すてきだわー、なんて綺麗なんでしょー」

「ふふふ、ありがとうキャルフリー。でも、これでもまだ途中の段階ですの」

「え? これで途中なんですかー?」

「ええ、そうですわね。月で言うところの上弦にあたりますの」

「へぇー、もっと大きく綺麗に咲き誇るんですね」

「ふふ、そうですの。ですからまだまだ半人前ですの、わたくしは。ちゃんと咲かせるためにもっと頑張らなくてはなりませんのよ」


 そうなんだ、単純に花が咲けば一人前かとてっきり思っていたわ。でも、ちゃんと咲かせないと一人前と認めてもらえないのね。


 メイアトリィは泉に入り、その水を手ですくいあげて小瓶を作った。それからパジワッピーの花の蜜を小瓶に入れて、あたしたちのほうへ持ってきた。


「さあ、これを差し上げますわ。受け取ってくださいまし、シャルピッシュ」


 そう言いながら、蜜の入った透明な小瓶をあたしに差し出した。メイアトリィの背中越しで輝いているパジワッピーの花が彼女自身を輝かせている。そんな風にあたしは感じた。


「ありがと、メイアトリィ」


 あたしは小瓶を受け取った。金色に輝く蜜は小瓶のなかで揺らめいて、どこか神秘的で不思議な重みがある。


 あたしはメイアトリィと姉の顔を交互に見て言った。


「じゃあ、あたし行って来るわ」

「ええ、シャルピッシュ、気をつけて行ってらっしゃいまし」

「お姉ちゃんも帰ろう」

「シャルピー、わたしはもう少ししてから帰るわ」

「え? なんで?」

「だって、パジワッピーの花をもう少し見ていたいんですもん」

「うーん、でも……」

「ふふふ、大丈夫ですのシャルピッシュ。わたくしが安全に家までお送りいたしますわ」

「でも、メイアトリィってここから動けないんでしょ?」


 メイアトリィは首を軽く振ってから泉に手を向けた。水面から透明で小さな馬が現れた。その馬はあたしたちの周りを風のように駆け回りメイアトリィの隣に並んだ。


「もっと大きなお馬をお作りしたいんですけど、今のわたくしにはこれが精いっぱいですの」

「まあ、かわいいーお馬さんね」


 姉はその小馬の頭をゆるりとなでていた。頭の高さがあたしの身長ほどあって、そのガラス細工のような体からは凛々しさと気高さが溢れていた。


「ふふ、ありがとうキャルフリー。このお馬にお姉さまを乗せてお送りいたしますわ」

「ふうん、あたしたちの家わかるの?」

「問題ありませんわ。乗せればその者の記憶を頼りに向かってくれますわ」


 静かな風が吹いて小馬のたてがみと尻尾の毛がなびいた。その小馬の瞳をみると、一点に集中していて、迷わない目をあたしに見せていた。


「じゃあ、それなら大丈夫ね」

「ええ」


 姉に対するあたしの気持ちを察したのか、姉はあたしのほうを向いて言った。


「シャルピー、わたしは家で待ってるわ、だから、元気に帰ってきてね」

「うん」


 あたしは振り返り走り出した。


 メイアトリィありがとう。そしてお姉ちゃん、待ってて、お姉ちゃんの体を必ずもとに戻すから。

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