第30話 ガラス細工のような姉

「あら、シャルピーおかえり」


 姉はお盆にのせてあるティーカップをテーブルに置こうとしていた。半透明な体に馴染んだのか体は滑らかに動いている。ピンクのパジャマやピンクのサンダルからのぞく半透明な手首や足首はガラス細工のように綺麗で繊細なものに感じた。


「ちょうど今、お茶にしようと思っていたの。シャルピー一緒に飲みましょう」

「お姉ちゃん、そんなことより体を治せる人を連れて来たよ」


 あたしは玄関さきで待っているヴィヴォルを家に招き入れた。するとポノガやムリッタも一緒に入って来た。


「キャル姉、おいらたち、また来たぜー」

「僕も、キャル姉に会いたかったさ」

「まあ、ポノガちゃんにムリッタちゃん」


 姉は笑顔を見せて対応している。姉は誰でも家に招き入れるのが好きな性格をしているの。招き入れてはお茶を出す。家を訪れた人は誰でもお客様だと思い込んでいるのよ。警戒という言葉を知らないのかしら、まったく。


「あら、そちらのお方は?」


 姉は少し驚いてお盆で顔を半分隠した。姉の目のさきには白黒のローブを身にまとった背の高い男が立っていた。あたしは手をヴィヴォルに向けて紹介した。


「この人は魔法使いのヴィヴォル、お姉ちゃんがパンを盗んだ持ち主の」


 姉は持っているお盆を床に落として両手で口を隠した。


「ごめんなさーい、わたしが、盗みました」


 ヴィヴォルは軽く笑い飛ばすと、それをもみ消すように目を閉じて頷いた。


「別に構わんぞ」

「ありがとう、ヴィヴォルさん、今お茶を入れるわ」


 姉は落としたお盆を拾うと、きびすを返しスキップをしながらキッチンへと向かった。


「ちょっと、お姉ちゃん」


 あたしの声は届いていないのか、姉は鼻歌まじりにお茶を入れ始めた。


「ホント、気ままでのんびり屋なんだから、まったく」


 ヴィヴォルを見ると、片手を口に当ててあくびをしている。ここで立って待っているのもなんだし座って待ってもらうしかないわね。


「仕方ないわね、座って待ってましょ」


 ヴィヴォルを促すと彼は軽く頷いて椅子に座った。あたしも座って姉が来るのを待った。ポノガは椅子に飛び乗って顔の毛づくろいをし始め、ムリッタは床に伏せてあくびをしている。


 しばらくすると姉はお盆にティーカップをよっつのせて持ってきた。


「どうぞ」


 姉はていねいにヴィヴォルやポノガたちの目の前にティーカップを置いていく。ティーカップから心地よい華やかな香りが家のなかを満たしていく。


「ハーブティーよ」


 それから姉はお盆をテーブルの脚に立てかけて椅子に座った。あたしたちは姉の入れたハーブティーを啜った。


「あーうまいなー、おいらこんな物を飲むの生まれて初めてだぜー」

「うん、僕も初めてさ、いい香りがするさ」

「うふふ、まあ、ありがとう、ポノガちゃんにムリッタちゃん」


 姉はうれしそうに口に手を当てて微笑んだ。


 はあ、相変わらずお世辞なんだか本当なんだか、わからないわこいつら。でも、いい香りはするわね。


「それで、ヴィヴォルさんは、なにをなさっているお方なのかしら? 普段は」


 急な姉の質問にヴィヴォルはティーカップをテーブルへゆっくり置くと静かに答えた。


「魔法使いだが」

「まほうつかい、素敵ですね」


 ハーブティーを姉はひと口啜る。なにかを思い出したようにティーカップをソーサーへ置くとヴィヴォルに体ごと向けて言った。


「あ! 自己紹介がまだでしたわね。わたしはキャルフリーよ。シャルピッシュの姉をやっています」


 やっていますってなによ。姉という職業があるとでも思っているのかしら。


「ヴィヴォルだ」


 ヴィヴォルは目を閉じたまま頷いた。


「妹がご迷惑をお掛けしませんでしたか?」


 どっちがだよ、迷惑をかけているのはお姉ちゃんのほうじゃない、まったく。


「いや、別に」


 姉は笑顔でちらっとあたしを見ると、ふたたびヴィヴォルに質問した。


「魔法使い屋さんてどんなお仕事をしているの?」


 啜っていたハーブティーをテーブルへ置いて少しの間があったあと、ヴィヴォルは渋々言った。


「一応、道案内の仕事をしている」

「まあ、素敵ですわ。道に迷っている人を助けていらっしゃるのね」


 姉はときめいたように胸もとで手のひらを合わせる。


「うん、まあな」


 片方の唇を上げて引きつったような笑顔をヴィヴォルは見せる。それを見せたくないのか彼はすぐさまハーブティーを啜った。


「あれ? あんたってたしか、組織を抜け出したんじゃなかったっけ」

「こっそりだ、バレてはいない。ときどき組織に戻っては仕事をしている」

「ふーん」


 そのつまらない答えに対して、あたしは頬杖をしながらハーブティーを啜った。


「シャルピー、お行儀が悪いわよ、お客様の前で」


 姉はヴィヴォルのほうを向くとぺこりと頭を下げた。


「どうもすみません、妹が、だらしなくって」


 それから、恥ずかしそうにハーブティーを啜る。


 だらしないのはどっちよ。あんたはパジャマでしょ、着替えなさいよね、まったく。


 ポノガやムリッタは相変わらずペチャペチャとハーブティーを舐めるように飲んでいた。姉はティーカップを置いて興味津々といったように目を光らせていた。


「ヴィヴォルさんはご兄弟とかはいらっしゃるのかしら」


 ヴィヴォルはティーカップを口から少し離して答えた。


「妹が1人いる、双子のな」

「まあ、妹さんがいらっしゃるの、お名前は?」


 ヴィヴォルは嫌がるように姉を横目で見てその目を細めた。懐に入り込もうとする姉を敬遠するように。


「……ヴィヴォラだ」

「へー素敵な名前ですわね。ヴィヴォラさんもお兄さまとご一緒のお仕事を……」

「ああ、そうだ」


 少しため息をついてヴィヴォルは姉から顔を背けた。


「私もシャルピーと一緒のお仕事に就けたらって思いますわ。花屋とか本屋とか……ねえ、シャルピーはどんなお仕事に就きたいの?」


 姉はあたしにうれしそうな顔を向けると、首を傾げた。


「まだ決めてないわ」


 あたしは素っ気なく姉の質問をあしらった。なんで急にあたしに振るのよ、まったく。


「ふうん、ヴィヴォルさんはどうして魔法使い屋さんを始めようと思ったの、なにか理由がありまして」


 姉はふたたびヴィヴォルに顔を向けると食い入るような目つきを投げかけた。

 ヴィヴォルはティーカップをソーサーにゆっくり置くとため息まじりに言った。


「俺は別に魔法使いじゃない、魔法を使うのはここにいる妖精だ」


 そう言って、ヴィヴォルは自分の肩に人差し指を向けた。姉はわからないといったように首を傾げて微笑んでみせた。ヴィヴォルは軽く頷くと、手を戻してハーブティーをひと口啜った。


「妖精さんがいらっしゃるの、そこに」

「ああ、そいつが魔法を操る」


 姉はヴィヴォルの肩をまじまじと見ていた。


「フンッ、貴様らには見えんだろうがな」


 ヴィヴォルはハーブティーをひと口啜ると話を続けた。


「魔法使いというのはこの森で使っている言葉だ。こことは違う森で、俺たちは道案内人という肩書で通っている」

「道案内人屋さんですか」


 逆らうことに降参したのかヴィヴォルは軽く頷いた。


「俺たちの組織はなにも持たずに迷い歩いている人を、少しでも迷わないように光の下まで案内するのが仕事になっている」


 姉はあごに手を当てて考えるように虚空を眺めた。


「うーん、迷子の人を助けていらっしゃるの?」

「まあ、迷子というよりかは、彷徨さまよい人だな。それらは暗い森を彷徨い歩いている、なにも持たずにな。それで……」


 ヴィヴォルは指さきを上に向けた。すると、オレンジ色の光を放つ手のひらくらいの大きさの球体が浮かび上がった。


 オレンジ色の光で、あたしたちのいる室内は明るくなった。


「……こいつを使って案内をするわけだ」


 ヴィヴォルは腕組みをして椅子の背もたれに寄り掛かった。彼の肩よりちょっと離れた位置にふわふわとオレンジ色に光る球体が浮いている。


「すごいわー、なんて綺麗なのかしら」


 姉はうっとりしながら、その光る球体を見つめていた。


「じゃあ、その彷徨い人を助けたいために、道案内屋さんになったのね。素敵だわ」

「まあ、そんな感じだ」


 姉は星空でも見上げているかのように瞳をキラキラさせていた。半透明だから顔の表情はわかりにくいけど、なんだかうれしそう。


 それにしても、なんでお嬢様言葉みたいな言い方をするのよ。姉ってこんな言葉使いだったかしら。


 半透明……あ! そうだ。


「お姉ちゃん! 早く体を治してもらおう、ヴィヴォルに」


 あたしは勢いよく席を立ち、姉に近づいて半透明な腕をつかんで揺すった。


「まあ、シャルピーどうしたのそんなに慌てて。体はなんともないわ、元気よ、ほら」


 姉は両腕を上げて力こぶを作って見せた。

 あたしは姉の行動を無視してヴィヴォルに言った。


「ヴィヴォル、早く姉の体を治して」


 ヴィヴォルは軽く頷くと席を立ち。そのあと姉の腕を引っ張り椅子から立たせた。姉は戸惑いながらも、にこやかにしている。


「じゃあ、始めるぞ」


 あたしは姉から離れて見守った。


 ヴィヴォルはローブの袖を捲り上げて姉に手のひらを向ける。すると姉のパジャマをはためかせて風が巻き起こった。風は白と黒が回転するように渦を巻き、姉を中心に覆っていった。


 テーブルの上の食器はカチャカチャと音を立てる程度の風量が室内全体を揺らした。いつの間にかポノガとムリッタはあたしの後ろに来て身構えている。


 次の瞬間、白と黒の竜巻は弾き飛び、そして消えた。姉は半透明な体のまま、髪をボサボサにして呆気にとられたように立っていた。


 ヴィヴォルは手をおろして言った。


「……まずいな、時間が経ちすぎた」


 目を細めて姉を注視していた。それは檻に入れられたライオンが檻を破って襲い掛かってくるみたいな、そんな動揺をヴィヴォルは見せていた。


「どういうこと」


 あたしは慌てて聞き返したけど声が届いていない。ヴィヴォルの視線のさきにいる姉を見ると、半透明だった体がみるみるうちに透明になっていった。


 消えた……お姉ちゃんが。


 体を模ったピンクのパジャマが空中に浮いている。あたしは思わず姉を呼んだ。


「……お姉ちゃん……そこにいるの?」

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