第29話 ヴィヴォルアトラクション

 ソファーから立ち上がり応接間を出て行こうとした。あたしは忘れたものを取りに帰ったような表情でムリッタのほうへ振り向いた。ムリッタは紅茶をペチャペチャと舐めていた。


「ムリッタ、行くわよ」

「えー? もう行くの。まだ食べてる途中なのさ。それにポノガも起きてないさ」


 ポノガ? そうだったわ起こさないと、メイアトリィと約束したんだわ、連れ戻すように。


「仕方ないわね」


 あたしはポノガに近づいた。ソファーでスヤスヤと寝息を立てているポノガを見下ろして、髭を摘まみ上げた。ポノガの口が引きつった笑いのように上がる、そこから見える牙が獣である威厳を感じさせた。


 ポノガは寝ながら前足をあたしの手に掛けてきた、髭を引っ張るのを止めてと言わんばかりに、ポンポンと摘まんでいる手を叩いてきた。


「ポノガ、起きなさい」


 ツンツンと髭を引っ張りながらあたしは言った。


「……うーん、なんだよ……」


 あたしは髭から指を放してもう一度起こした。


「起きなさい、帰るわよ」

「……おいらが、気持ち……ふわーよく寝てたのによぉ」


 そう言って、ゴムのように体を伸ばすとペロペロと顔の毛づくろいを始めた。


「ポノガ、帰って来たさー」


 ムリッタは尻尾を勢いよく振りピョンピョンとソファーの上で飛び跳ねた。それから顔をポノガに近づける。


「ん? ムリッタじゃねーか、久しぶりだなー」


 ポンポンとムリッタの頭を前足で叩くと、懐かしんでいるようにじゃれた。ポノガはあたしに気づいたらしくあたしを見上げた。


「……あー、思い出したぜー! シャルピーおいらを置いて行ったなー!」


 ブルブルと体を震わせながら指でも差すように、前足の片方をあたしに向けた。


「帰って来たじゃない、こうやってさ」


 あたしは両腕を広げておどけて見せた。怒りが収まらないのかプイッとポノガはそっぽを向いた。


「さあ、帰るわよ」


 あたしはソファーから離れて応接間を出て行こうとした。しかしポノガはそれを無視して硬直したようにそっぽを向いていた。


「ふーん、いいんだ、帰らなくて……メイアトリィが心配してたのに」


 ピクッとポノガのとがった耳が動く。あたしは続けた。


「別にいいどけ、ここに居てもさ。ポノガはハートレルのところよりもヴィヴォル邸のほうが居心地がいいみたいって言えば済むわけだし……あたしは構わないわ、ここに残ってもね」


 ポノガはあたしに振り向いて、ソファーから飛び降りるとあたしの足もとに体をスリスリとこすりつけてきた。


「なんだよー、それならそーと言ってくれればいいじゃんかー、メイアトリィに心配させちゃーイケねーよな」


 あたしは首を横に振ってため息をもらした。


「じゃあ行くわよ」

「今度はおいらを置いて行くなよな」

「わかったわよ、引っつかないでよ、歩きづらいじゃない」

「やったさー、またポノガと遊ぶことができるさー」


 ムリッタがポノガの周りをピョンピョンと跳ね回った。


 玄関を出るとヴィヴォルが庭のまんなかに立ってこちらを見ている。左手をあたしたちに向けて扇ぐように手を振ると、眠いのかあくびをしていた。あたしたちは小走りでヴィヴォルに近寄った。


「今から移動する、俺につかまれ」

「え? 移動ってなに?」


 ヴィヴォルは面倒くさそうに頭を掻きながらため息まじりに言う。


「普通に歩いて行くのは面倒だ、竜巻で移動する」

「竜巻? ……ああ、あんたが現れるときに起こる、アレね」

「そうだ、貴様は俺を案内すればいい」


 あたしはヴィヴォルの背中をつかむと、ムリッタがあたしの足に触り、ポノガはムリッタの尻尾を両前足で挟むようにつかんだ。


「これでいいかしら?」


 ヴィヴォルは振り向いてあたしたちを確認した。お互いの体をつかんでいるか一通り見てから、ふたたび前を向いた。


「ああ、移動中は離すな」


 その言葉に自然と手に力が入る。ムリッタもポノガも同じように力を入れていた。ムリッタはあたしの片方の足首に両前足を巻きつけて、ポノガはムリッタの背中に飛び乗りお腹でその背中を包むように引っついた。


「それで場所なんだけどさ……」

「場所は移動中で構わん」

「移動中? 話す暇あるの?」

「ああ、時間的には一瞬だが、移動はゆっくりだ」

「ふうん、そうなの」

「じゃあ行くぞ」


 ヴィヴォルは指さきで小さな円を描くと、あたしたちを中心に風が巻き起こり始める。ヴィヴォルのローブやあたしの髪をなびかせ、風は竜巻を起こし上空をかき混ぜていく。


 次に瞬間、竜巻が消えて辺りは静かになった。少し体が軽くなった感じがする。周囲を見るとさっきと同じ場所にあたしたちは立っていた。あたしはつかんでいるヴィヴォルのローブを強く引っ張った。


「ちょっと、移動してないじゃない」

「これから移動するが、貴様が道案内をするんだ」

「わからないわね。道は案内するけど、自動的に移動するんじゃないの?」

「いや、歩くんだ」


 ヴィヴォルは手で口もとを抑えて、またあくびをする。


「えっ? それじゃあ面倒じゃない」

「フンッ、歩けばわかる」


 てっきり、空でも飛んで移動するのかと思ってたのに……期待外れだわ。


 空を飛ぶ? はあ、あたしはなにを言っているのかしら。今まで色んなあり得ないものを見てきたから麻痺しているんだわ、きっと。しっかりするのよシャルピッシュ。


「じゃあ、ついてきて」


 あたしは足を上げようとしたが、ムリッタが捕まえた獲物を逃がさないかのようにあたしの足首をつかんでいるため踏み出せなかった。


「ちょっとムリッタ、足首にくっつかないでよ」

「シャルピー、ヴィヴォルが離すなって言ってたさ、だから」

「まったく、これじゃ動けないじゃない」

「いいから早く行ってくれよシャルピー、おいら腹っちまったよ」

「うるさいわね、わかってるわよ。ムリッタ、あたしがそのつかんでいる足を動かすから、一緒に動いて、いい」

「うん、わかったさ」

「じゃあ行くわよ」


 あたしは1歩足を踏み出した。すると遠くほうにあった木がいきなり目の前に現れた。


「え? 木が現れた」

「そいつは違うな」


 隣に立っているヴィヴォルがあたしを見下ろして言った。


「貴様の1歩が一瞬のうちにこの木まで移動したのだ」

「一瞬で移動? でもそんなことしたら、ぶつかっちゃうじゃない、木や動物に」


 説明するのが面倒なのか、ため息まじりにヴィヴォルは言った。


「その木を触ってみろ」


 あごでしゃくりながら、あたしに行動を促す。あたしは目の前に立っている木に手を伸ばした。木に触れるとなんの抵抗もなく手は木を貫通していった。


「あれ? すり抜けるわ」


 手を左右に振ってみた。蜃気楼でも見ているかのように手はそれを捕らえることができなかった。


「そうだ、ぶつからない様になっている、だから安心しろ」

「ふーん、それならいいわ」


 あたしは自分の家へ向かうため体の向きを変えた。そして足を1歩踏み出す。すると今度は森のなかの木や茂みにぶつかっていた。


「あー、木に体が埋まっているわ」


 あたしは向きを変えて1歩踏み出した。今度は木や茂みのない道に移動した。


「ねえ、聞きたいことがあるんだけど」


 ヴィヴォルはあたしの質問をすでに聞いているかのように、煩わしいといった表情でため息とともに答えた。


「なんだ?」

「さっきみたいに木のところで挟まっていた場合、この竜巻を解くとどうなるの?」


「そんなことか……俺たちがいる空間は、ほかの物質に触れることはできない、逆も然り。この空間の外の物を触れている状態では竜巻は解けんようになっている。ただし、足の裏が地面についているがこれは別だ。俺たちの足は目には見えないくらいに少し浮いている」


 あたしは自分の足もとに目をやった。地面に立っているような感覚はあるけど、どこかふわりとした感触も足裏から伝わる。


 ヴィヴォルは目をとじて考えるように腕組みをした。


「たとえば、草が膝丈くらい伸びたところでは竜巻は解けない。草が足首より下なら解ける。足首より下に生えていても、さっき木を触ったみたいに地面に生えている草を触っていれば解けない……よくわからんかもしれんが、竜巻が解けなければなにかに触れていて、逆に解ければなにも触れていないということだ」


 ヴィヴォルは目を開けてあたしの困惑顔を見ると、少しわかりやすく言った。


「要するの安全装置が作動しているというわけだ。ちなみに、急な崖とかに移動した場合は、重力で落下せずにこの地面と同じように変わらず立っている。まあ、浮いているからな」


「山のなかに突っ込んじゃったりしないの?」


 あたしの質問にヴィヴォルはあごに手を当てて少し考える素振りを見せる。


「……制限があるんだ、地面は入り込めるが入り込めない」

「どういうこと」


「そうだな、俺たちが山へ向かったとする、目の前に断崖絶壁が現れたとしよう。そのまま進めば、断崖絶壁にぶつかってしまうと思うだろう? だが体はぶつからずに、壁を飛び越すか壁の途中で止まる。そこでその壁に手を触れると手は貫通する。その状態では竜巻は解けない。じゃあ、手を触れないで断崖絶壁の途中にいても竜巻は解けるのかと言ったら解けない、安全でないからな」


「ふうん、要するに安全なら竜巻は解けるけど、危険な位置や場所とかは解けないってことね」

「まあ、そんなような能力だ。周囲から見れば風が通り過ぎたようにしか感じん、俺たちは外から見えないからな」


「じゃあさぁ、地面に手を触れれば貫通するんだよね。たとえばあたしがここで逆立ちしたらどうなるの?」

「両方の手を地面につけると貫通しない、片方だと貫通する。頭や胴体は貫通しない。竜巻の状態で地面に寝ても沈まないということだ。まあ、俺の魔法だから適当なところはあるが」


「ふーん、都合がいいってことね」

「そういうことだ」


 あたしはふたたび足を踏み出した。すると柵で囲まれた石造りの小さな家が目の前に現れた。あたしたちは小さな庭のまんなかに立っていた。


「ここよ」


 あたしはグイっとヴィヴォルのローブを引っ張った。ヴィヴォルは周囲を見回してから指さきで小さな円を描く。その瞬間、竜巻が起こりあたしたちの髪や服をなびかせながら上空へ消えていった。


 竜巻が消えると同時に重力が少し体に掛かる。さっきまでふわりと感じていた体の軽さが、竜巻を解いたことによって重く感じてしまう。


「離していいぞ」


 あたしはヴィヴォルから手を離すと、ムリッタたちもお互い離れあった。そのままあたしは自分の家へと駆け出した。


 玄関の扉を勢いよく開けてなかに入った。


「お姉ちゃん」

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