第28話 約束のおみやげ
霧の森へ入ると、あたしたちはヴィヴォル邸へと向かった。
あたしは地図を広げて「ヴィヴォル邸」と言った。地図は最初ヴィヴォル邸への道を描いていたけど、ヴィヴォル邸はあちこちへ移動するかのように、位置がころころと変わっていった。
「おかしいわね」
「どうしたのさ」
「地図が安定しないのよ」
ぺらぺらと地図を仰ぎながら、あたしはツンとして言った。
「大丈夫さ、僕の鼻があればヴィヴォルの居場所はわかるさ」
ムリッタはクルクルとあたしの周りを描くように走り回った。あたしは仕方なくポケットに地図をしまった。
「じゃあ、ムリッタ頼むわ」
「僕について来れば大丈夫さ」
そう言ってクンクンと地面の匂いを嗅いだ。あたしはムリッタに歩調を合わせながらあとについて行く。
「ポノガ、元気にしてるかなぁ」
ムリッタはあたしの隣に来て、くっつくように歩きながら聞いてきた。
「してるんじゃない、元気にさ」
「それならいいさ」
安心したのか、ムリッタはスタスタとあたしの前を進んで行った。
そう言えば、お姉ちゃん元気にしているかしら。まあ、お姉ちゃんのことだから歌でも歌って呑気にしているはずだわ。魔法使いのパンがどんな原理でお姉ちゃんの体を半透明にしたのかわからないけど、ヴィヴォルに指輪を渡せばそれも解決してくれる……よね。
はあ、なんかなぁ。また、それには条件があるとかなんだとかって言ってさ、素直にいってくれないのよね、きっと。
あたしは木の隙間越しから空を見上げた。白い霧が空を覆い鳥のさえずりが聞こえて来る。
(ガサッ)っと音がして、視線をそこへ向けると茂みが揺れてリスが横断して行く。ムリッタはそれに反応して追いかけるが、リスはそれをあしらうように木に登って行った。
しばらく歩いて行くと、川のせせらぎが聞こえてきた、あたしたちは川のほとりまで足を運んだ。川霧が覆う川には、ときどき、ちゃぷ、ちゃぷ、と音が聞こえてくる。魚が泳いでいたりして、その跳ねた音が辺りの音と混ざり合い、ちょっとした演奏に聞こえていた。
それほど幅の広くない川の浅い部分を飛び越して、あたしたちはさきへと進んだ。
木と木のあいだの狭いところを通って行き、やがて木と木の間隔が広がり始めて、道が比較的通りやすくなっているところに来ていた。道に生えている草があたしのすね辺りまで伸びていて、ささやかな草原を感じさせる。
「シャルピー、もうちょっとで着くさ」
「そう」
草原を歩いて行くと、前に看板らしき物が立っていた。あたしは少し足早になりそこに近づいた。
「どうしたのさ、シャルピー」
「看板だわ」
「なんて書いてあるのさ」
「えーっと」
木で作られた看板には【 このさき ヴィヴォル邸 】と書かれていた。
「このさき、ヴィヴォル邸だって」
「やったー、もうすぐさ」
「さあ、行くわよ」
看板を背に進んでいくと、霧がより一層濃くなってきた。濃霧に浮かぶ街灯があたしたちをヴィヴォル邸へと導いていた。
街灯を頼りに歩いて行くと、煉瓦の欠け落ちた柱が入口の門みたいに2本立っていた。そのあいだを潜り抜けると、一陣の風が吹き抜けていく。その風によって濃霧は薄まり、代わりに浮かんできたのは、洋館、ヴィヴォル邸が姿を現した。
所々が崩れていて廃屋を感じさせる。庭らしき場所には門から玄関までが敷石みたいな物で繋がっていた。道沿いには弱々しい光の放つ街灯が点々と続いている。あたしたちは玄関まで続く街灯を頼りに歩いた。
「うーん、前に来たときとは、少し変わったいるみたいね」
「変わっている?」
「なんとなくね」
玄関まで来ると、草の生えている煉瓦の階段を上がり、木で作られている両開きの扉に目をやった。あたしは扉についている呼び鈴用の輪っかを摘まみ上げて、そのまま扉を2回ほど叩いた。しかし、なんの反応もない、あたしはふたたび扉を叩いた。今度は壊れるくらい強めに叩いてみる。
いないのかしら、まったく。これで出で来なかったら蹴り飛ばしてやるわ。
「シャルピー、出てこないさ、いないのかなぁ」
足もとで座っているムリッタが困惑したように言う。
「さあね」
そう言って、あたしは扉を蹴ろうと足を上げた。すると、ガチャっと音がして、重厚な音を響かせながら扉が開いた。
「なんだ?」
見ると扉越しからあたしたちを見下ろしているヴィヴォルが立っていた。あたしはその彼と同じ表情で見返して言った。
「指輪、持ってきたから入れてよ」
あたしはポケットから小瓶を取り出しヴィヴォルに見せつけた。彼は数秒ほど沈黙したあと「入れ」と言ってあたしたちを招き入れた。
玄関から延びる薄暗い廊下には、オレンジ色の球体がふわふわと浮いていて、それが廊下を照らし出している。ヴィヴォルはあたしたちを応接間へ案内すると「適当に座っていろ」と言い残して奥にある部屋へ向かって行った。
応接間には、ソファーとテーブルが置かれていた。ソファーはテーブルを挟んでもうひとつ置いてある。オレンジ色の光を放つ球体が部屋の隅に浮いていて部屋を明るくしていた。
ソファを見ると、なにかが丸くなって寝ていた。ポノガだ。ポノガはスヤスヤと寝息を立てながら寝ていた。
ムリッタがポノガに気づいて起こそうと声を掛けた。
「ポノガ、戻って来たさー」
けど、目覚めようとはしない。睡眠薬でも飲まされたのかと思うほど反応はなかった。
「起きないさ」
「寝てるのよ、ほっときましょ」
あたしたちはポノガのいるソファーにポノガ、あたし、ムリッタの並びで座った。
「ふぅ」と思わず安堵のため息がもれる。指輪を取りにここを出て行ってから、オオカミや女王様に出会ってきたけど、やっと取ってこれたわ。
しばらくすると、紅茶の香りとクッキーの甘い香りが漂ってきた。ヴィヴォルはティーカップふたつとクッキー皿ふたつをふわふわと浮かせながら部屋に入ってきた。テーブルに食器を置くとヴィヴォルはゆっくりと向かいのソファーに腰を下ろした。
「紅茶とクッキーだ適当にやってくれ」
「いただくわ」
あたしは落ち着くために紅茶をひと口飲んだ。ムリッタはクッキーをボリボリと食べている。
「それで、指輪はあるのか?」
ヴィヴォルは足を組み、ソファーの背もたれに両肘を預けるような姿勢で聞いてきた。あたしは飲むのを止めてティーカップをテーブルに置いた。
「持ってきたわ」
あたしはポケットから指輪の入った小瓶を取り出した。
「それか」
「このなかに入っているわ」
そう言って、あたしは小瓶を振り、(カランカラン)と音を鳴らした。
「見せてもらおうか」
「いいわよ」
ふたを外し、小瓶のなかにある指輪をテーブルへ転がし出した。暗がりでもその指輪は辺りを輝かせるように光っていた。それは小さな光だけど、とても力強い光を放っている。
「これよ」
あたしが指輪を摘まみ上げると、ヴィヴォルは前のめりになり不思議そうにその指輪を眺めていた。まるで猫が猫じゃらしでも見るかのように。
「どう、これで取り引き成立ね」
ヴィヴォルはソファーの背もたれに背中を預けると、あごに指を当てて唸るようになにかを考えていた。少しの沈黙のあと、彼はおもむろに腕組みをした。
「そいつが本物か試したい」
「試す?」
あたしは目を細めて訝しい顔をヴィヴォルに見せた。
「俺がそいつを嵌めて確かめる」
疑っているのね、まあ、無理もないわね。相手からしたら偽物をつかまされたくないのは当然だわ。
「いいわ、嵌めてみてよ」
あたしはヴィヴォルに指輪を渡した。彼はそれを受け取ると、恐る恐る自分の人差し指にゆっくりと指輪を通していった。やがて、指輪が指の付け根まで来るとヴィヴォルの顔色が変わった。さっきまで曇っていた表情から、晴れるような爽やかな表情になった。
「……これは素晴らしい、実に、素晴らしい」
「どう、わかってもらえたかしら」
あたしは腕組をしてホッと安堵の息をはく。ヴィヴォルは指輪を外すと、指さきで摘まみながらキラキラ光る指輪を見つめていた。
そのあと、ヴィヴォルは指輪を握りしめるとあたしに注視した。
「いいだろう、取り引きだ、なにが望みだ?」
「あたしの姉の半透明になった体を治してもらいたいの」
「……フンッ、そんなことか……いいだろう、治してやる」
ヴィヴォルは勢いよくソファーから立ち上がった。
「じゃあ、お願いするわ」
あたしはそう言って、ソファーでくつろぐように足を組み紅茶を啜った。それを見たヴィヴォルは不思議そうにあたしに向かって言った。
「なにをしている、早く行くぞ」
あごでしゃくるとヴィヴォルは応接間を出て行こうとする。あたしは彼を呼び止めた。
「ちょっと、ここから治せないの?」
眉間に皺を寄せて渋い表情をヴィヴォルが見せると、少しため息まじりに答えた。
「残念だが、その場に行かないと治せん」
あたしは窓の外の霧を見ながら紅茶を飲み干してテーブルに置いた。
「いいわ、行きましょ」
「早く来い」
ヴィヴォルはひと足さきに玄関のほうへと向かって行った。
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