第26話 変革の戦利品

 その場の全員が一様に押し黙ったままルピナスの言葉を待った。静寂が部屋全体を包み込む。少しの物音さえも必要以上に大きく聞こえて来そうな、そんな静寂。ルピナスはその空気を開くようにとつとつと話し出した。


「わ、わたしは、モナルダさんやリナリアさんにいじめを受けていました。わたしがなにをするにしても、すぐに、細かいところを注意してきたのです。わたしがほかの人より、ゆっくりでドジなのはわかります。自分でそれをできるだけ直そうとしました。でも、直しても、努力が足りないとか、無能だとか言われて……」


 ルピナスは下を向き、肩を上下するような深いため息をして続けた。


「ある日、蜂蜜の玉が入った瓶を手が滑って落として割ってしまったときがあったんです。モナルダさんたちがそれを見てて、わたしは『すみません』と何度も謝りました。何度も、何度も。でも、わたしの気持ちは届かずに、代わりにこんなことを言われました……」

 

 ――あんたの代わりはね、ほかにいくらでもいるんだ。この仕事あんたには向いてないから、早く辞めちまいな――。

 ――あははは、まったく。どんくさいというか、間抜けというか、目障りなんだよ。あんたがいるだけで、家政婦の敷居が低くなっちまうじゃないか――。


「……それで、わたしはポリジさんに相談をしました。ですが、真剣に取り合ってもらえず『女王様のために、頑張りなさい』としか言ってもらえませんでした。わたしが思い詰めているとベロニカが相談に乗ってくれて、『必ず守ってやるから』ってベロニカは言ってくれたんです。それからベロニカはわたしがいじめにあわないように、モナルダさんやリナリアさんがわたしに悪さしないように監視をし続けてくれました……」


 ルピナスは顔を上げると目の端が少し濡れていた。


「それで、昨日の話になったんです。昨日の夜にベロニカはわたしが寝ている部屋に入ってきて、モナルダさんたちがなにかを企んでいると言って、そのあとは、シャルピッシュ様が言った通りです。ベロニカとふたりで睡眠薬を逆に利用しようと考えたんです」


 そこまで話し終えると、ふたたび静寂が辺りを覆う。誰かのため息が聞こえる。それはハニレヴァーヌの呆れたような深いものだった。彼女はモナルダやリナリアを冷徹な眼差しで見つめた。


「本当のことか、モナルダ」


 簡単な言葉が、とても冷たく重い言葉に感じ取れる。じりじりと浸食するように体の奥底にまで入り込んでくる。そして、体は抵抗できずに、操り人形のように言葉を発する。


「……は、はい、たしかに言いましたが、ですが」

「もうよい」


 ハニレヴァーヌは視線をそらすと、あたしたちに背を向けて虚空を見上げた。


「……わらわがいけないのじゃ、わらわはのぅ、皆の者が仲ようやっていると思っておったのじゃ。いつも通りの綺麗な部屋。いつも通りの美味しい食事。いつも通りの磨かれた食器……そういった物を見る度にな、一生懸命に頑張っているのだと思っておった。じゃが、外見は綺麗でも中身は……灯台下暗しというわけじゃ」


 ハニレヴァーヌはふたたびあたしたちに振り向いて渋い表情で言った。


「わらわはのぅ、そんなことでは怒らんし、家政婦たちを辞めさせることはせん。この件で話し合うこともあるだろうがの……じゃがな、シャルピッシュに迷惑を掛けた罪は重いと、わらわは思うておる」


 ハニレヴァーヌはあたしの前まで歩いて来た。それから意を決したように、剛直な表情で忠誠心のある眼差しをあたしに向ける。


「わらわの不行き届きを深謝する。許してくれとは言わぬ。皆の代表として、わらわがシャルピッシュの言うことをなんでも聞こう」

「……別に要らないわ。あたしはそんなことをするために来たんじゃないし、誰かが許せないわけでもない。ただ、蜂蜜が欲しいだけよ」


 あたしは手のひらをハニレヴァーヌに見せて蜂蜜を促した。


「蜂蜜……そうか、今渡そう」


 ハニレヴァーヌは懐から蜂蜜の瓶を取り出すとあたしにそっと手渡した。


「ありがと、じゃあ、これ」


 あたしは持っているハーブの玉をハニレヴァーヌに手渡した。


「すまぬ」


 ハーブの玉を女王様は愛おしそうに見つめていた。それは心が和むような優雅な笑み。


「それじゃあ、あたしはこれで」


 あたしは振り返り部屋から出て行こうとした。その足を止める声があたしの背中越しから聞こえてきた。


「待ってくれシャルピッシュ、わらわから渡したい物があるのじゃ」


 振り返ってみると、ハニレヴァーヌは自分の腕から黄色の腕輪を外すところだった。彼女は近くまで歩いてきて、あたしの左腕にその腕輪を嵌めた。


「これはのぅ、見えない壁が作れる物じゃ。手で腕輪に触れてから『見えない壁』と念じれば、シャルピッシュの周りには小さいが透明な壁ができる。そしてもう一度触れればもとに戻る仕組みじゃ。わらわが出掛けるとき用に身につける物じゃ」

「……いいの?」

「構わぬ、せめてもの礼と詫びじゃ、受け取ってくれ」


 その腕輪から信念や気品さというものを感じる。物は軽いのに深い重みがある。


「別に欲しいわけじゃないけど、仕方ないからいただいておくわ。でも、見えない壁って……ほかに言い方はないの」

「ふふ、別になんでもよい。必要なのは念じることじゃ。シャルピッシュの好きにつけたらええ。それと、少しばかり性能が違うが」

「なにか違うの?」

「そうじゃの、城の出入りには条件があるがの。腕輪のほうは単純じゃ。出ることは自由じゃし、外からはなにも通さん、知り合いじゃてもな」

「うん、わかったわ」

「ひとつだけ、興味本位で聞きたいのじゃが、よいかの」


 あたしは首を傾げてから答えた。


「いいわよ、なに?」

「なぜすぐにハーブの玉を見つけなかったのじゃ、ムリッタの鼻でいつでも探し出せたんじゃろう」

「ああ、そのことね」


 あたしは一呼吸おいてから言った。


「答えだけわかっても意味ないのよ。根本的な問題を解決しないと、こういったことはまた繰り返されるわ、きっと……それに」


 あたしはルピナスたちやモナルダたちを強い眼差して見つめた。それから、ふたたびハニレヴァーヌの瞳を見た。


「あたし自身に対する挑戦でもあるから」

「……そうか」


 ルピナスは目を閉じてうつむきながら震えていた。暗闇のなかをひとりで歩いているみたいに。


「ルピナス! あたしが言うのもなんだけど、悔しかったら、違う形で見返しなさいよ。そんなに元気があるなら。その程度であんたは終わりなの?」


 そう伝えたあと、あたしはふたたび帰ろうとして部屋の入口へ向かった。


「シャ、シャルピッシュ様」


 その言葉にあたしの足は止まる。


「すみませんでした、本当に、すみませんでした!」


 ルピナスの声だった。あたしはその声のしたほうへ半分振り返り、ルピナスの姿を見た。彼女の目からは強い意思が感じられた。ほかの者もそれに続いて謝る。家政婦たちの服がなぜか眩しく感じた。


「あっ! ハニレヴァーヌにあたしの服を変えてもらわないと城から出れないわ」


 ハニレヴァーヌはあたしのあたふたした行動に笑みを浮かべて言った。


「大丈夫じゃ、その腕輪があれば自由に通れる」

「ふうん、そうなんだ。じゃあ変える必要ないのね」


 この城から出るまでのあいだだけ、変えて欲しかったかも、ちょっぴりね。


「じゃあ、またね。行くわよムリッタ」


 こうして、あたしたちはハニレヴァーヌ城をあとにした。

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