第19話 睡魔の正体

「……さま」


 夢に夢見る感覚のなか、誰かがあたしを呼んでいる。誰かに抱えられている。頭ではわかっているけど体が動かない。


 体のなかの意識がまだ眠っているんだわ。


 体を動かそうと腕や足に力を入れてみる。でも動かない。あたしは無理やり動かすのを止めてもう一度その声に耳を傾けてみた。


「シャルピッシュ様!」


 目を開けるとぼんやりとした世界が広がり、やがてもやの掛かった視界は消えて、色づき始めた。


 何回か瞬きさせて目を覚ますと、そこにはポリジの心配そうな顔が見えた。絨毯に膝をつき、あたしの体を両腕で抱きかかえるようにして支えている。


 まぶたがゆるりと閉じ始めた。また睡魔が目を覚ます。


「シャルピッシュ様、大丈夫でございますか」


 首を振り、なんとか答えようとあたしは声を発した。


「あ……あ、ポリジ……」

 

 力のない声をなんとか絞り出した。ポリジにその声が届いたのか届いてないのかわからないけど、それを阻止するように、ふたたび睡魔があたしの目を閉じさせた。


 すべてのことがどうでもよくなるような、眠るという甘美な拘束。


「起きてください! シャルピッシュ様!」


 ふたたびポリジの声が聞こえてくる。あたしの体を揺さぶりながら叫ぶ声が。その声であたしは眠い目を開ける。指さきを動かすと手に力が入るのを感じた。あたしは絨毯に手をついておもむろに上体を起こした。


「シャルピッシュ様、大丈夫でございますか? お怪我は?」


 ポリジの声がする。手を伸ばしてあたしのことを助け出そうとするように。

 夢のなかにいるあたしは、その手をつかんだ。


 息を吹き返したように意識が戻る。それから睡魔を払うように首を振って、自分の顔の頬を両手で叩いた。


「ええ、大丈夫よ、ポリジ。目が覚めたわ」

「それはよかったです。シャルピッシュ様、私は女王様を起こしてまいります」


 そう言うと、ポリジは立ち上がり女王様のもとへ向かった。


 あたしはゆっくりと立ち上がり周りを見回した。みんながテーブルに突っ伏して眠っている。ポリジはハニレヴァーヌを起こそうとして「起きてくださいませ、女王様」と呼び掛けていた。 


 あたしはおぼつかない足取りでハニレヴァーヌのもとへ向かった。


「女王様!」


 何度目かの呼びかけに反応してハニレヴァーヌは目を覚ました。突っ伏した状態から上半身を起こすと眠そうに目を細めて周りを見渡した。


「なにが起こったのじゃ、ふわぁ」


 彼女はわけがわからないといった様子であくびをした。


「わかりません。私がお部屋に入りましたらもうこのような状態で」

「うーむ、そうか……よーわからんが、いつの間にか眠ってしまったようじゃの」


 ハニレヴァーヌはポリジにほかの者も起こすように命じた。それを聞き入れたポリジは家政婦のモナルダから起こし始めた。


 ひとつため息をして彼女はあたしのほうを向いた。


「シャルピッシュ大丈夫かえ。すまんのぉ、こんなことになって」


 そう言って渋い顔を見せる。あたしは首を横に振り言った。


「いいえ、あたしは大丈夫よ。でも驚いたわ。睡眠パーティーって初めてだから」


 ハニレヴァーヌは目を丸くしてあたしの堂々とした態度を見た。するとその不思議そうにしている顔の口もとが緩み笑った。


「あははは、愉快愉快、面白いのーシャルピッシュは」


 彼女はあたしから視線をそらして、まっすぐに前を見据える。


「じゃが違うのじゃ。これを行えとわらわは命じてはおらぬ」

「じゃあ、誰かが仕組んだってこと?」


 その問いにハニレヴァーヌは何回か頷いて言った。


「多分、そうじゃ」


 ポリジによって次々に家政婦たちは起こされていった。起こされた者はぼんやりとしていたり、辺りを見回したりしている。全員を起こし終わったポリジはふたたびハニレヴァーヌのところへと戻った。


 モナルダはゆっくり立ち上がるとあたしたちのもとに来た。ほかの家政婦たちも彼女のあとを追う。そしてみんなが女王様の周りに集まった。


「申しわけありません、わたくし眠ってしまいまして」


 モナルダは両手をお腹辺りに持って行きかしこまったように言った。それに続くようにほかの家政婦たちも同じように言った。


 ハニレヴァーヌは目を閉じている、その沈黙を破るように状況を話し始めた。


「それはもうよい、わらわも眠っていたことじゃしな。じゃがな、この感覚だけはわかる、この眠くなる感覚はわらわが睡眠薬を飲んだときに似ている」


 彼女は家政婦たちに鋭い視線を向けた。


「おぬしら、ティーカップに睡眠薬を盛ってはおらぬか?」


 家政婦たちはおずおずと目配せをしている。しかし誰も名乗り出る者はいなかった。しびれを切らしてハニレヴァーヌはふたたび問いかけた。


「どうなんじゃ?」


 モナルダが恐縮ながら答えた。


「わたくしどもは、そのようなことは一切しておりません」

「ほーん、まあ、それが本当かどうかこれから調べるでの」


 ハニレヴァーヌはポリジに聞いた。


「ポリジよ」

「はい、女王様」

「おぬしが仕組んだのか?」


 一瞬、目を大きくしてポリジは驚いた。それから、すかさず首を横に振り返答した。


「いいえ、私はしておりませぬ。厨房へは立っても、食器などは触っておりませんので」


 ハニレヴァーヌはため息をひとつ吐き言った。


「まぁ、よい。それよりシャルピッシュには済まぬことをした。こんなことになる予定ではなかったのでな。ポリジ、蜂蜜を持ってこい」

「かしこまりました、女王様」

 

 ポリジは一礼すると部屋から出て行った。


「すまんのうシャルピッシュ。こんなことになったあとでは、パーティーも楽しめんじゃろうて、せめて蜂蜜だけでも持って帰ってくれぬか」


 ハニレヴァーヌは眉根を下げて申しわけなさそうな表情を見せる。あたしは静かに頷き言った。


「うん、そのほうがよさそうね」


 あたしはまだ寝ているムリッタを起こしに行った。


 ムリッタは気持ちよさそうに寝ている。屈んでムリッタの体を揺すった。それに気づいたムリッタは、勢いよく起き上がり目を覚ますようにブルンブルンと体を振るわせた。なにがあったのかわからないといった感じで尻尾を勢いよく振っている。


「そろそろ帰るわよ」


 あたしはムリッタを連れてハニレヴァーヌのもとへ戻った。ちょうどそのとき。ポリジが桃色の小瓶を持って戻ってきた。


「女王様、蜂蜜でございます」


 ポリジはハニレヴァーヌに蜂蜜を手渡した。それを受け取るとあたしに向かってそのまま小瓶を差し出した。


「ハニレヴァーヌの蜂蜜じゃ、受け取るがよい」


 あたしはそれを受け取り、交換にハーブの玉を取りだそうとポケットに手を入れた。しかし、入れたはずのポケットにハーブの玉が入っていないことがわかった。


 探るように何度も手を開いては握りを繰り替えしたけど、空気をつかむだけだった。反対側のポケットも調べてみたけど、クッキーの入った袋や地図くらいでほかにはなにもなかった。


 ハーブの玉が消えている。


「どうしたのじゃ? シャルピッシュ」

「ハーブの玉がないわ」

「……なんじゃと、それは誠か?」

「ええ、消えたわ」

「どこかに落としてはおらぬのか?」


 あたしの行動でポケットからハーブの玉が出る方法は……。


「……あっ! そうだわ、あたしが倒れたときに落としたかも」

「そうか、皆の者、シャルピッシュの手伝いをせい。下に落ちているハーブの玉を見つけてやるのじゃ。丸い黄色の玉じゃぞ」


 あたしは自分の座っていた椅子の周りを確認しに行った。ほかの人たちも這いつくばるようにして探している。


 あたしはテーブルの下や椅子の下など隈なく探した。しかし見つからない。これ以上探しても見つからないと思い、あたしはハニレヴァーヌのところへ戻った。


「ハニレヴァーヌ。見つからないわ。だから」


 あたしは蜂蜜を彼女の目の前に差し出した。


「これ返すわ。ハーブがないと交換できないんでしょ」


 ハニレヴァーヌはキョトンとした表情を見せてから、ハーブを探している者たちに言った。


「皆の者よ、探すのはもうよい」


 その言葉に促され各々が立ち上がると、ふたたびハニレヴァーヌのもとへと集まった。


「シャルピッシュよ。こんなことになってしまった詫びじゃ。ハーブなしでも蜂蜜はくれてやろうぞ」

「えっ? それじゃ対等じゃないわ」

「仕方のないことじゃ」


 落ち込むようにハニレヴァーヌはうつむいた。


 あたしはいいけど……でも、ハーブの玉がこつぜんと消えることってあり得るのかしら。


 それにこのまま帰ってメイアトリィになんて言えばいいのよ。城でハーブの玉をなくしたからハニレヴァーヌに渡せなかった。なんてこと言ったらメイアトリィはどんな顔をする、困ったり悲しんだりするに違いないわ。きっと。


 そしてあたしの不甲斐なさに呆れて、落ち込むわ。シャルピッシュに頼むんじゃなかったわって。……そんなことはさせない。


 なぜハーブの玉が消えたのか突き止めてやるわ。

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