第16話 その、ハニレヴァーヌ城の姿は
地図を片手にハニレヴァーヌ城を目指した。地図は見ているけど、どのくらいの距離なのか見当もつかなかった。
単純にパジワッピーの花の場所からハーブのところまでの長さなら、なんとなくわかるの。地図はそこと同じ長さくらいあるけど、線だけで書かれたものだから当てにならないわ。まあ、地図なんて大体の場所がわかればいいわけで。
あたしは地図をポケットにしまった。
オオカミの次は女王様か。しかし、こんな森のなかにお城があるなんて思ってもみなかったわ。この森で始めて目覚めた日は、両親からの手紙を読んだあと、家から飛び出して辺りを見回したわ。でも霧と森だけでほかにはなにも見えなかった。まあ、鳥やリスなんかはいたけど、あたしたち人間はいないものだと思っていたの。
それが、ポノガやムリッタみたいな話す動物とか女騎士のハートレルとか魔法使いのヴィヴォルとか妖精のメイアトリィがいて、不思議なんだけど変な人たちで、正直いまだに夢なんじゃないかって思っている自分がいるわ。少しだけどね。
両親からの手紙にはなんの説明も記されていなかったわ。フォミスピーの森には妖精がいるみたいな。
うーん、それが書いてあったとしてもきっと信じていないでしょうね、あたしは……姉は信じるかもしんないけどさ。これは両親からの挑戦状なんだわ。あたしたち姉妹に対して、この世界を説明書なしに生活しなさいって言っているのよ、きっと。
パジワッピーの花の場所から左側の森に入って行く、レヴィスポワのハーブとは反対の森のなかへ。
霧で太陽がさえぎられて、木の生い茂る緑の色は薄くなっている。鳥のさえずりや風に揺れて葉の擦れる音が時折聞こえてくる。
いつものようにムリッタはあたしの前を歩いて行く。ハニレヴァーヌ城がどこにあるか知っているかのように。あたしがそーっと気づかれずに違う方向へ行ったらわかるのかしら。鼻があるからわかっちゃうわよね。
風に乗って葉っぱが1枚あたしの目の前を通り過ぎていった。ふわっ、ふわっと踊るように舞って、木々の奥へと舞い降りていった。
そこには小さな草原が広がっていて、色とりどりの花が小さく咲いていた。純白色、空色、たんぽぽ色、桃色などの花色が木の隙間越しに見える。霧で手前しかわからないけど、小さな花びらが個性的な色をそれぞれ放っていた。
あたしはそれを尻目にさきへと進んだ。しばらく行くと少し広い庭園が姿を現した。入口とも思える場所に橙色の煉瓦で作られたアーチ状の門がずっしりと構えている。そこを潜ると、赤、橙、桃色などの暖色系の煉瓦を敷いた道がまっすぐに伸びていた。
道の側面には街灯が右側に1本、そしてある程度距離を置いて左側に1本と建ち並んでいる。
周囲を見渡すと緑色の芝生が敷き詰められていて、色とりどりの花が所々に咲いていた。
ムリッタはそれを見るなり勢いよく飛び出して、うれしそうに駆け回りだした。あたしはそのまま街灯や周りの風景を何気なく見ながら道を進んだ。
注意を引いたのは庭園のまんなかに人が片肘を立てて横たわっている像。よく見ると大きなベッドのような台座の上でくつろいでいるようにも見える。地面にはその像を囲うように丸く煉瓦を敷き詰めて、その上に像が建っていた。
像のそばには街灯が1本建っていて、その白い光が像や周りを照らしている。ほかには、木で作られた長椅子がそれらを囲うように何脚か置かれていた。
あたしはその像に近寄ってみた。パジャマを着た少しふくよかな女性が、目を半分くらい開けて眠そうにしている仕草。わきには黒く綺麗な石で造られた看板が置いてあり、そこに文字が記されていた。
【 ドリスプリ―ナの庭園 】
「……どりすぷりーな?」
文字に誘われるまま、あたしはその下に書いてある説明文を読んでみた。
――かつて人々は眠るという言葉が存在しないとき、なぜ体が疲れるのかわからなかったのです。
ある日、ドリスプリ―ナは人々の体に災いが起ころうとしているのに気がつきました。居眠り師でもあった彼女は人々に眠るように訴えかけました。しかし、人々は誰も耳を傾けようとはせず動き続けたのです。
このままでは人々の体が動かなくなってしまうと思った彼女は、ひとつのオルゴールを作り始めたのです。そのオルゴールは大地を揺るがすもので、ひとつひとつの部品はとても大きくとても重いのです。
ドリスプリ―ナ自身は自分の体が災いに陥っているのがわかっていました。それでも彼女は眠らずにオルゴールを作り続けました。それから何日かが過ぎて、ついに完成したのです。
彼女はフラフラになりながら体ぜんたいを使ってねじを回していきました。カチ、カチ、カチと、ひと回しごとに倒れそうになるのをこらえて回し続けたのです。最後のねじがカチっと音を鳴らすとドリスプリ―ナはその場に倒れました。
オルゴールから優しく物悲しい曲が世界に流れると、人々は動くのを止めてその曲に耳を傾けたのです。
やがて辺りは暗くなり、それに気づいた人々は空を見上げました。明るい空が暗い空に変わっていくのに戸惑い、人々は暗くなった大地を見回したのです。どこを見ても暗いのでその場から動けませんでした。そして、することがなくなった人々は横になり目を閉じたのです。
ドリスプリ―ナはそんな人々を見て幸せそうに永眠しました。オルゴールが鳴りやむと明るい空になり人々は目が覚めて動き出しました。
それ以来、空に夜が訪れるのはドリスプリ―ナのオルゴールから奏でられる音が、夜を誘い出すからなのだと人々は言い始めて、それが伝説になり、ここは『ドリスプリ―ナの庭園』と呼ばれるようになりました――。
「……まあ、たとえ嘘でも本当でも伝説だからね、別に否定はしないわ。けど……いねむりしってなによ。オルゴールを作る職人? 眠ることを誘う人みたいだけど、でも、ドリスプリ―ナって人は自分の命を削ってまで人々のためにそのオルゴールを作ったのね、人々を安眠させるために。たいしたものよ」
あたしは近くの長椅子に座ってそのドリスプリ―ナの像を見てみた。すると「ふぁー」とあくびが出た。その像の表情を見ていると眠りを誘う像だけあってこっちまで眠くなってくるわ。
像のぜんたいを見ているとあることに気がついた。その像を支えている下の台座はベッドじゃなくてオルゴールの形を表していた。
「シャルピー」
バタバタとムリッタが走ってきて、あたしの足もとに尻尾を振りながら来た。
「広い庭さー、どこまで走り回っても木がないからぶつかったりしないんだ、だから楽しいさー、シャルピーも走り回ろう」
「なんで走り回らなきゃなんないのよ、あんただけで走り回ったら」
「えー面白いのに、それよりシャルピー。僕、腹減ったさー、僕にクッキーくれる約束だったよね」
「約束? ああ、たしかそうだったわね。仕方ないわね、クッキーあげるわよ。お腹すくのは走り回ったからでしょ、まったく」
あたしはポケットから包みを取りだして、クッキーを1枚だけムリッタにポンと投げ渡した。フリスビーを捕まえるようにムリッタは走っていき、クッキーをパクリと口で捕まえた。それからボリボリと食べ始めた。それに釣られてあたしもクッキーを頬張る。
ドリスプリ―ナの像は霧がうっすらと覆い若干ぼかされている。それはあたしの美感の引き出しを誘うようにくすぐった。こういう風景を見ながら食べるのってなんか美味しいのよね。
ずっとここでくつろいでいるとまた眠くなってくるわ、そろそろ行かなきゃ。
あたしは地図を取り出してハニレヴァーヌ城への道を確認した。この庭園から左に進むように記されている。あたしは長椅子から立ち上がるとムリッタに言った。
「そろそろ行くわよ」
「うん、わかったさー」
そう言うと、あたしの歩行を邪魔することなく一定の距離をとって、あたしの前を歩いて行く。
庭園はドリスプリ―ナの像から十字に煉瓦の道があって、その左の道を進んで行った。左の道の突き当りにはまた煉瓦で作られたアーチ状の門がありその奥には森が続いていた。あたしたちはそこを潜り森へと入って行った。
庭園を抜けると地面は草が刈られていて歩きやすいようになっている。道幅も広く木と木のあいだが一定の間隔を保ち連なっていた。相変わらずの霧、この霧はいつ晴れるのかしら。木々の隙間越しに空を見上げて、霧の白く淡い光を鬱々と眺めた。
地図を見ると、このまま行けば城にたどり着けるよう記されている。見渡すと曲がり角もなく、ただまっすぐな道が霧の向こうへと続いていた。この霧の向こうにハニレヴァーヌ城があたしたちを待ち構えている。そんな不安があたしの歩行を鈍くさせた。
新しいところへ行くのは仕方ないとわかっていても、心のどこかでは、行かなくてもいいなら行きたくないとちょっぴり思っているの。それは新しいことが嫌いなんじゃなくて、心地よい場所を離れて、不安定だけど新しいものを手に入れるという経験をする。そんなことが、単純に面倒って思うのよ。
あーダメダメ、そんなんじゃ。しっかりするのよシャルピッシュ。
霧に包まれた道を歩いていると、遠くのほうにぼんやりと白い光が見えてきた。光は道の両側にあり高い位置に存在している。
近づくにつれて、それがなんなのかはっきりしてきた。そこには街灯が建っていて、見上げてみると花びらを模したところから白い光が広がって辺りを照らしていた。反対側の道の端にもそれと同じ物が建っている。
あたしはその光を浴びながらさきへと進んだ。途中、道のまんなかに木の看板が立ててあり、そこには――。
【 このさき ハニレヴァーヌ城 】と記されていた。
いくつかの街灯を通り過ぎて、前方にかすかに見える大きな建物が姿を現した。建物の外壁は霧でうっすらしているけど確認はできる。白い煉瓦みたいなもでそれは建てられているように見えた。
あたしたちは近くまで歩いて行くと、それは巨大なケーキを二段重ねにしたような外観で、そこに窓や外灯などを飾りつけたものだった。
「あれが、ハニレヴァーヌ城」
あたしはその城に圧倒されながら、その魅力に誘われるまま自然に進んでいた。
重厚そうな門が目の前に見えてきた。その門を沿うように淡い黄色の煉瓦が塀になっていて、城を守るように囲っている。
門に目をやると手前にふたりの門衛らしき人物が身構えていた。あたしはそーっと歩きながらその門衛たちを確認した。
黄色のふわふわなコートを羽織って、足には重そうな黒の鎧を身につけていた。左の手には槍の矛先を上へ突き立てて持っていて、ふたりの顔には黒塗りの眼鏡を掛けていた。
ふたりとも大きくガッシリとした体型で、胸を張って堂々としている。
一方は髪が黄色で短く立たせた髪型をしていた。もう一方は髪が黄色で目の辺りまで伸びた髪型をしている。そのふたりがあたしたちの訪れを待ち構えるように立っていた。
「シャルピー、あそこがハニレヴァーヌ城みたいだけど、目の前に通してくれそうもない人たちが立っているさ、どうするの?」
ムリッタが怖がりながらあたしの横に引っつく。
「どうするって、行くしかないわ」
あたしは思い切って堂々と門衛たちの前に姿を見せた。門衛ふたりがあたしたちに向かって槍の矛先を突きつける。槍は刃の部分が黄色で、柄の部分は黄色と黒が渦を巻くように交差している。刃はキラリと光りあたしたちをいつでも仕留めようとしていた。それを見たムリッタは頭を伏せて怖がっている。
「なに者だ」
短髪の方の門衛が鋭く太い声で聞いてきた。
「シャルピッシュよ。ここのハニレヴァーヌ女王様にお会いしに来たんだけど、いるかしら」
そう言いながら、あたしは首にぶら下げているペンダントを見せた。すると門衛たちの顔色が変わり槍を納めて言った。
「失礼しました、どうぞお通り下さい」
門衛たちは退き道をあけた。
「ムリッタ、行くわよ」
怖がって伏せているムリッタを促してあたしたちは門を潜った。
門を潜ると広い庭園が姿を現した。道には白い敷石があり、道沿いに綺麗に刈られた低木が点々と奥まで続いていた。そのさきにあるの扉は両開きの扉で両方とも開いている。あたしはそこへ向かった。
「シャルピー広い庭さー!」
入るなり、ムリッタはうれしそうに庭を駆け回った。
「ちょっと、ムリッタ! 女王様のお城よ、走り回るの止めてよ!」
あたしの声は聞こえていないのか、ピョンピョンと飛び跳ねるように走り回っている。
「まったく」
あたしはムリッタを捕まえるため走り出した。ムリッタはそれを見ると、あたしとの距離を遠ざけてさらに走り回る。あたしが疲れて少しゆっくりになっていると、ムリッタは立ち止まって尻尾を振りあたしを見ていた。あたしは忍び足でムリッタのもとへ近づいて行った。
徐々に距離が縮んでいく、あともうひとつ踏み込めば捕まえられる位置まで来ていた。もう少し……「今だ!」あたしは素早く腕を伸ばしてムリッタを捕まえようと踏み出した。しかし、羽のようにするりとそれをかわすとまた走り出した。
ムリッタは「シャルピー、のろまさー」などと言いながらピョンピョンと跳ねるように走り回っている。あたしは息を切らせながらムリッタを眺めた。
「はぁ……ああ、そうだわ、ムリッタは犬なのよ」
ムリッタが満足するまであたしは待つことにした。こんなところで遊んでいる場合じゃないのに、早く女王様にお会いして蜂蜜を手に入れなきゃ。
「どうかなさいましたかな」
後ろから男性の凛々しい紳士的な声がした。振り向くとそこには、黒いシャツに黄色のスーツを着て、首もとには黄色の蝶ネクタイ、足には黒の革靴を履いた男性が立っていた。
男は黄色の坊主頭の後頭部を擦っている。あたしが言葉を発するのを待ち望んでいるかように。
「あ、いえ、あのー、あたしはシャルピッシュ。向こうで走り回っているのがムリッタ。あたしたち女王様にお会いしたいんですけど……」
「そうですか、女王様はなかにいらっしゃいます。ご案内しましょう」
男は城へ向かって歩き出した。
「あっ! ちょっと待って」
あたしは男を呼び止めた。それから遠くのほうで走り回っているムリッタに声を掛けた。
「ムリッターいくよ!」
ムリッタはあたしに気づき近づいてきた、はぁはぁと息を切らせて舌を出していた。
「遊びすぎよ」
ムリッタは首を低くして反省の素振りを見せる。男はムリッタを見るとにっこりと微笑んで言った。
「可愛い犬ですね。シャルピッシュ様がお飼いになっていらっしゃる犬ですか?」
「んーある意味では、そうね」
男は頷いてまた歩き出した。あたしたちはそのあとについて行く。
「ええっと、あなたは誰ですか?」
あたしは男の背中越しに質問をした。
「私はここの執事をしております。ポリジといいます」
「しつじ……」
「はい、さようでございます」
少し歩いてポリジはなにかを思い出したように聞いてきた。
「シャルピッシュ様はどういったご用件でこちらにいらっしゃったんですか?」
「あーそうね、メイアトリィに頼まれて蜂蜜をもらいに」
「メイアトリィ様のご依頼で蜂蜜をでございますか。ここハニレヴァーヌ城の蜂蜜は美味でございますよ」
「へーそうなんだ」
あたしたちは両開きの扉の前まで来た。重厚な木で作られた扉が内側に開けられている。植物のツルのような彫刻が施されている扉を潜ると広々とした内装があたしたちを出迎えた。
吹き抜けで白い天井が見える。床には光沢のある白い石が敷かれていた。その広間のまんなかには、幅の広いのぼり階段があって、その両側には室内灯が1本ずつ置かれている。花びらの形をした照明から淡く白い光が辺りを照らしていた。
淡い黄色の絨毯を敷いた階段を上がると、白い壁になっていて、折り返しで両側にのぼり階段があった。その階段の冷たいツルツルの白い手すりを触りながら上がって行くと、さらに折り返しでのぼり階段になっている。
そこを上がり終えて、広間を見下ろすとあたしたちの入って来た玄関が小さく見えた。
そのままポリジについて行くと、中央にある両開きの扉の前で足を止めた。ポリジは手の甲でコンコンとその扉を叩いたあと、向こう側にいる誰かに話しかけた。
「ポリジでございます。お客様がお見えになっております。メイアトリィ様のご依頼だそうでございます」
少しの間があり、部屋のなかから落ち着いた品のある声が聞こえてきた。
「……メイアトリィの客人か、通してよいぞ」
「失礼します」
ポリジは扉の片方の取っ手をつかむと静かに開けた。白い光が差し込んできて、あたしは目を細めた。
なかに入ってみると床一面に白い絨毯が敷かれている。部屋の壁には白と桃色を横に引いた幅の広い縞々模様。
天井は光沢のある白い石で造られているみたいで、その天井には花びらの形をした照明が所々に飾られている。それらは優しく部屋を照らしていた。
あたしは奥にある大きな窓に目をやった。そこには、女性が腕組みをしながら窓の外を眺めていた。黄色のスッキリとしたドレスを着て黒の薄いものを肩から羽織っている。
凛とした背中をたどって頭を見ていくと、オレンジ色の髪を結っていて、その下に見せるうなじが、気品と気高さをかもし出していた。
一呼吸すると、彼女はドレスをひるがえし、ゆっくりと振り返った。
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