第13話 ムリッタ救出作戦

 あたしは地図を確認しながらパジワッピーの花のところまで戻ることにした。あたしの後ろをギグシーブは少し離れて歩いて来る。当たり前だけど会話なんかなく、ただひたすら目的地を目指して歩いていた。


 時々振り向くと、霧でその姿が見えなかったりして恐怖することがあるの。霧に乗じて襲い掛かってきたりしたらと思うとぞっとするわ。


 あたしがその場でギグシーブを待っていると、霧のカーテンからゆらりとその姿を現す。それを確認してふたたび歩き出す。そういったことを繰り返すうちに、あたしはギグシーブに行動の催促をした。


「ちょっと、早く歩きなさいよ」


 通じないのはわかっていたのに、ポノガやムリッタとの会話。いわゆる動物たちとの会話を当たり前のようにしていたせいか、つい癖で言ってしまった。


 ギグシーブは鋭い目つきをして立ち止まる。当然のようになにを言っているのかわからなかったらしく、あたしを無視してふたたび歩き出した。


 ルップウォーラの泉を通り、そこから右に曲がる。上空を見上げると木立の上のほうは霧で覆われて緑の葉が見えない。木隠れに鳥の鳴き声がこだまする。


 ザっと草を踏む。見て通れそうなところに足を踏み入れては進む。その草、本来は草色をしているが、遠くでは白みを帯びた淡い緑色。びゃくろく色を見せていた。


 草深な森を抜けて行くと分かれ道が現れた。まっすぐと左側に行ける道。


 あたしは地図を確認して、左へ行く道を進む。そのまましばらく歩いて行くと、遠くに明るい光が見えてきた。木と木を挟んで霧のカーテンが光っているように見える。


 森の暗さを太陽の光が斜めに照らし出して明るくしていた。そのカーテンを潜ると広々と開けた丘が現れた。それはパジワッピーの花が咲いている場所。


 あたしの目に眩しい太陽の光が飛び込んできた。いつもと同じその場所がキラキラと光って見える。


 あたしはギグシーブに視線をやると、ブルンブルンと体についている水滴をうっとうしそうに震わして払った。ひと呼吸してパジワッピーの花のほうへ向かう。近づいて行くとハートレルがこちらに気づいて身構えた。


 あたしたちはハートレルの目の前まで来た。彼女はにらみながらギグシーブを見ている。それに対してギグシーブも低い唸り声を上げている。ハートレルはギグシーブを見ながらあたしに言った。


「シャルピッシュ、なぜオオカミが一緒に……ムリッタはどうした?」


 あたしはため息交じりにことの経緯を話し始めた。


「ムリッタは花の密と交換になったわ。ハーブのところでオオカミたちに捕まっているの。その場所はこいつらの縄張りで、咲いているレヴィスポワのハーブはそこにいるオオカミたちの物なんだって。ここにいるギグシーブは花の密をもらうために代表であたしについてきたってわけ」


 ガチャっとハートレルは背中の剣をつかみギグシーブの目の前に振り下ろして威嚇した。ギグシーブは振り下ろした剣をよけることもなく唸り声を強めた。


「ここで、こいつをやればいいだけだろう」


 あたしは慌てて止めに入った。


「ちょ、ちょっと待って。ギグシーブになにかあったらムリッタが食糧にされるわ」

「なに!?」


 ハートレルとギグシーブはにらみ合い、お互い1歩も引かないくらい鋭い目つきをぶつけ合っている。一陣の風が通り抜ける。その風はあたしの冷や汗を拭ってくれるようだった。さきに均衡を崩したのはハートレルのほうだった。彼女は剣を背中に戻して言った。


「シャルピッシュ、聞きたいことがある」

「なによ」

「こいつに花の密を渡したらムリッタを返してくれるのか?」

「そう言っていたわ」

「本当にそうか? 蜜を渡した途端にムリッタを食糧にするため殺すかもしれんぞ」


 ここでギグシーブに蜜を渡したとして、なにか超音波みたいなもので子分たちに命令できたとしたら、あたしたちの気づかないうちにムリッタはやられているかもしれない。それを知らないで、あたしがムリッタのもとへ戻るとき、ハートレルの見えないところであたしはギグシーブに殺されるかもしれない。


 あたしが蜜を持っていたとしたら尚のことだわ。それかオオカミたちの縄張りに戻ったときに、ムリッタがやられているのをあたしが見て動揺しているところを狙って来るかも。


「うーん……たしかに保証はないわね」


 ガルルッ! と催促するようにギグシーブは花の蜜を要求してきた。あたしたちに手出しができないとわかっているかのように、今にも飛び掛かりそうな勢いでにらみつけている。


「あら? シャルピッシュお帰りなさい、どうハーブはお手に入りまして」


 木の陰からメイアトリィが姿を現した。彼女は安心した顔を見せると、しとやかに歩いてこちらに近づいて来る。


「まあ、それはハーブですの」


 ハートレルはすぐさまメイアトリィを手で制止させた。


「姫、それ以上は危険です」

「な、なにごとですの?」


 メイアトリィに対してギグシーブは唸り声を上げた。目が合い襲い掛かろうとする行動に驚いて、彼女は少しあとずさりをする。


「姫、この者はオオカミです」

「おおかみ? オオカミがなぜここにいるのです?」


 メイアトリィはなにかに気づいてその周辺を見回した。


「ムリッタちゃんはどこですの?」

「ムリッタはオオカミたちに捕まったのです。返す代わりにパジワッピーの花の蜜が欲しいと」


 それを聞いたメイアトリィは、小さな口もとに手を当てて息をのむように目を大きくする。そのあと、口もとから手を離して冷静に言った。


「……そうですの。わかりましたわ。シャルピッシュこっちへいらして」


 メイアトリィはあたしを呼び寄せた。一触即発しそうな者たちを置いて、あたしはその妖精のもとへ行った。「ついていらして」と誘いこまれるように奥へ進んで行く。


 前に来たときはそれほど辺りを気にはしなかったけど、この天まで届きそうに伸びた巨木の重厚さや草花のきらめきがあたしの稚拙な邪念も葬ってくれそうな気がする。


 地面を奏でる風に揺られながら上空を見てみると、風樹のざわめきが神秘的なものを感じさせる。


 妖精の凛とした背中を見てみた。羽でも生えていないかと目を細めたりしたけど、やっぱり生えていない。黄色のワンピースドレスの裾がひらひらと揺れるだけだった。


 あたしたちはパジワッピーの花が咲いている泉の手前まで来た。そこでメイアトリィはあたしを待たせて、いつものように、小瓶を作りパジワッピーの蜜をそれですくい上げてあたしのところまで持って来た。


「さあ、これでムリッタちゃんを返して来てもらって」


 あたしはそれを受け取る気にはなれなかった。これをギグシーブに渡したところで意味がないような気がしたから。メイアトリィは首を傾げて不思議そうにあたしを見ている。


「シャルピッシュ、どうなさいましたの?」

「それはいいことなんだけど。メイアトリィ、これを渡しただけじゃムリッタは帰って来ないわ。きっと」

「どういうことですの?」


「あのオオカミ。ギグシーブには超音波みたいなことができて、ほかのオオカミたち、つまり子分にいつでも命令できる状態になっていると思うの。でね、蜜を素直に渡しちゃったら、そのときあたしたちの知らないあいだにムリッタは食糧にされてしまうと思うの」


「食糧に?」


「そう、それに蜜を渡さなくてあたしがムリッタのところまで行って、安全なことを確認してそのとき渡したとしても、オオカミたちが襲ってきてあたしとムリッタは終わりになるわ。だって、あっちにしてみれば単なる食糧なんだもん」


 メイアトリィは小瓶を胸に当ててうつむいている。なにかを考えているように小瓶を強く握りしめていた。


 オオカミたちの餌になんか絶対なりたくないわ。なにか武器みたいなものを隠し持っていって、いざとなったら戦うしかないわね。


 鳥のさえずりが泉の音と共に聞こえて、いっときの風が辺りの葉を揺らす。


「シャルピッシュ、ひとつ提案がありますの」

「ていあん?」

「ええ、それはこの蜜をあめ玉に変えてシャルピッシュが運ぶの。口に入れて」

「ええっ!? 口に入れる? なんでそんなことをするの」

「シャルピッシュを守るためですの。オオカミにもし襲われたときそれを飲めば助かるかもしれませんわ」

「……でも 溶けるでしょそんなことしたら?」

「大丈夫ですの、透明な氷細工で覆いますわ」

「こおりざいく? 氷でも口に入れていれば溶けるわよ」

「いいえ、咬まなければ数時間は持ちますの。咬めば氷は割れてなかの蜜が出てきますわ」


 たしかにそれなら襲われたときにとっさに蜜を飲めば助かるかもしれないわ。あたしが蜜を口に入れてハーブの咲いているオオカミたちの縄張りに戻ったとして、ムリッタが安全か確認したあと、あたしはそこへあめ玉にしてある蜜を置いて……これじゃダメだわ。


 置いた瞬間にオオカミたちに襲われてあたしたちはやられてしまう。あたしとムリッタが安全なところまで離れてそこに蜜を置く、それなら……ダメね危険だわ。


 そこに置いた瞬間にオオカミたちが走ってきて捕まってしまう。ムリッタは逃げ切れるかもしれないけど、あたしが全力で走っても、すぐに追いつかれてしまうじゃない。


「ダメね、それじゃ甘いわ。あたしがオオカミたちのところへ戻って、ムリッタを開放してもらって、蜜をそこへ置いたとしても、その瞬間に襲われてしまうわ。それに離れた安全なところでそれをしたとしても、追いかけられてしまうわ。あたしの足じゃ追いつかれて捕まってしまうはずよ、きっと」


「……おっしゃる通りですわ」


「ねえ、メイアトリィ。透明な紐を作れないかな。できれば木にすぐ取りつけることのできるような」

「紐、ですの? ええ、お作りすることは可能ですわ」

「じゃあ、お願いするわ。透明で、丈夫で、紐の両端に吸盤みたいなのがついたものを」

「わかりましたわ、いくつ、お作りになりますの?」


 オオカミたちにバレないように罠をしかける時間は、あまりないと考えたほうがよさそうね。


「そうねぇ、3本ほど欲しいわ」

「3本でございますね。少々お待ちになって」


 メイアトリィは振り返り地面に落ちている木の枝を3本拾うと、なにか祈りを込めて、それを宙に放り投げた。枝は光り出してその姿を変えた。彼女の両手にそれがふわりと乗ると、にこやかに振り返りあたしにできたものを見せてきた。


「できましたわ」


 見ると3本の透明な短い紐が手のひらに乗っていた。


「短くない?」

「うふふ、大丈夫ですわ。伸縮自在ですの」


 と言い、メイアトリィは紐の両端を摘まんで伸び縮みさせた。


「へぇ、でもこれじゃあ木に取りつけることができないわ」


 透明、それ以外なんの変哲もないタダの紐。伸縮はするけど。


「大丈夫ですの。この紐は、つる植物に似た性質を持っていますの。ですから紐の端を木に近づけてしまえば勝手に結ばれますわ」


 ああ、なるほどね。紐を木に近づければ勝手に取りつけることができて、伸縮自在だからもう片方を離れたほかの木にも取りつけることができるってわけね。


「ならいいわ、ありがと、もらっていくわ」


 あたしはメイアトリィから透明な紐を受け取った。


「なににお使いなさるの?」

「まあ、ちょっと仕掛けをね」


 メイアトリィはきょとんと首を傾げてあたしの行動を不思議そうに見ていた。あたしはポケットに紐を入れて、もう片方の手になにかをつかんでいることに気づいた。その手にはハーブが握られたままだった。


「あ、そうだわ。ハーブを渡すの忘れていたわ」


 メイアトリィにレヴィスポワのハーブを見せた。そのハーブをうれしそうに見つめて彼女は受け取った。


「そう、これがレヴィスポワのハーブですの……かぐわしいですわ」

「じゃあ、預かっといてね。あたし行って来るわ」

「ええ、お気をつけになって」


 あたしは歩き出そうと振り返った。数歩進んだところでメイアトリィに呼び止められた。


「シャルピッシュ」


 振り向くと、なにかがあたしに向かって投げられた。とっさにあたしはそれをつかんだ。手にした物を見ると、冷たく透明な丸い物のなかに金色のあめ玉が入っていた。


「花の蜜をお忘れになられていますわ」


 と言ったあと。自分の口に人差し指を向けて、口に入れるように示した。


「ありがと」


 あたしはその氷を口に含んだ。冷たい感触が口のなかに広がる。


「ん、つめたっ」


 氷より冷たいものを舐めている感じだわ。咬まないように気をつけなくちゃ。


 あたしはその場所から離れて、入口のところまで戻った。木の隙間越しにハートレルとギグシーブの姿が見えてきた。腕組みをしてたたずむハートレル。低い体勢で唸り声を上げているギグシーブ。


 お互い譲り合わないといった感じににらみ合っていた。あたしが近くまで行くと、足音に気づいてハートレルは振り向いた。


「シャルピッシュ、もらってきたのか?」


 その問いに頷き、口から氷の玉を手のひらに吐き出して見せた。


「これよ」

「それが蜜か?」

「そうよ、このなかに入ってるの」


 氷の玉を摘まみ上げて、カラカラと音を鳴らせた。ハートレルは目を細めて訝しげに見ていた。


 ギグシーブは唸り声を上げてあたしをにらみつける。あたしはその氷の玉をオオカミの目の前で見せてから自分の口に入れた。それを見たギグシーブは、怒りにも似た勢いで飛び掛かろうとしてきたため、あたしはまた手のひらに氷の玉を吐き出して見せた。


「今は渡せないわ。ムリッタが安全かたしかめるまでわね。あんたがあたしを襲えば、この氷のなかに入っている花の蜜をあたしがいただくことになるわよ」


 そう伝えたあと、ふたたび口に入れた。通じないとわかりながらも、身振り手振りで無理やり伝えた。


「シャルピッシュ、ムリッタのことを頼む」


 ハートレルは歯がゆい感じで言う。あたしは頷いて歩き出した、ムリッタの捕らわれている場所まで。

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