第12話 ハーブの所有権

 ムリッタがハーブの咲いているところまで近寄ると、オオカミはそれに気づいて立ち上がり姿勢を低くした。その圧力に押されながらも、ムリッタは足もとに咲いているハーブを取ろうと口を近づけた。


 その瞬間、オオカミがムリッタに勢いよく近づき吠える。低い唸り声の威嚇が聞こえてきた。


 あたしはムリッタが襲われると思い、その場から勢いよく飛びだした。すると、違うことに気がつき前のめりになりながら足を止めた。


 オオカミは襲うというよりムリッタをにらみながら威圧している。その苛立たせるような足取りを止めるとその場に座った。ムリッタも従うように座る。


 2匹はなにかを話し合っているように見えた。あたしは木の陰に隠れてそのやり取りを静かに見守った。


 しばらくしてムリッタがこちらに小走りで帰ってきた。その表情はどことなく悲喜こもごもとしている。口もとには肝心のハーブを咥えていなかった。


「シャルピー」

「なにやってるの、ハーブはどうしたの?」

「シャルピー、あのオオカミさんが呼んでいるんだ、シャルピーのことをさ」

「えっ? あんたあたしのこと話したの? あのオオカミに」

「うん、話があるから出てこいだってさ」

「あのオオカミ、あんたみたいにあたしと会話できるの?」

「うーん、できないみたい。だけど大丈夫、僕が通訳するさー」


 姉の体を治すには指輪が必要。指輪を手に入れるにはハーブが必要。仕方ないわ。あたしはため息をひとつ吐き歩みだした。


 ムリッタもあたしの真横を歩いて歩調を合わせている。オオカミの影に近づくにつれて、徐々にその姿がはっきりとしてきた。


 遠くからだとわからなかったけど、その黒い体はムリッタの2倍くらいはあった。座ってもあたしの身長と同等になるくらいに。耳はとがり、目は鋭く吊り上がって、口の隙間から白い牙がのぞいていた。

 

 目の前まで近づくと、オオカミは唸り声を上げた。


「それ以上近づくな。だってさ」


 あたしたちは立ち止まった。ムリッタはオオカミの通訳をしている。


 やっぱりオオカミの言語はわからないのね。当然よね、今までムリッタやポノガに不自由なく会話していたけど、本当は会話なんてできないのよね。


 オオカミは唸り声をあたしに向けた。


「俺さまは、ギグシーブ。なにしに来た」

「あたしはシャルピッシュ。ここに咲いているハーブを取りに来たのよ」

「ハーブ? ここは俺さまたちの縄張りだ。縄張りのなかにある物はすべて俺さまたちの物ってわけだ、さあ早く出ていってもらおうか」

「1本くらい、いいでしょ?」

「ダメだ、早く出ていけ。さもないと」

「さもないと、なによ」


(ワオオォー……)


 ギグシーブは首を上げて遠吠えをした。霧の向こうまで響くような声音がこだまのように聞こえてくる。しばらく鳴り響いた声は段々と静かになり消えた。すると辺りから草を踏む足音と共に唸り声が聞こえてきた。


 霧の向こうからなにかが近寄ってくる。あたしは左右に首を動かして辺りを確認した。ムリッタは体を低くして震えている。


 霧のなかから何体もの黒い影が見える。10体くらいの影がそれぞれ唸り声を上げながら、あたしたちを取り囲むように近づいてきた。


 霧で隠れていたものが姿を現した。ギグシーブと同等のオオカミたちが唸り声や鋭い牙を見せて、あたしたちを威圧してくる。同胞たちを見回してギグシーブは唸った。ムリッタは驚きながらも通訳した。


「か、帰らないと、お、俺さまたちの食糧になってもらうってさー。しゃ、シャルピー早く帰ろう!」


 シャルピッシュ落ち着くのよ。冷静になって考えるの。どうにかしてハーブを手に入れないと。


 あたしは自分を落ち着かせるため深呼吸をした。それから腰に手を当てて威厳な態度を取った。


「ふーん、そうだよね。あんたたちの土地にあたしたちが土足で入ったらいけないわね。あんたの言うとおり、あたしたちが悪かったんだから。縄張りだかなんだかわからないけど、それを荒らすのってすっごくダメなことなんだよね。わかってるわよ」


 あたしは一呼吸おいて、さらに続けた。


「でもね、あたしにハーブをくれないのなら残念ね。そのお返しに『願いの叶うパジワッピーの花』のことを話そうと思っていたのにさ、仕方ないわね。ムリッタ、帰るわよ」


 あたしは振り返り2、3歩前に進み出て言った。


「もうここへは二度と来ないわ。そしてこの話もなくなるわ永遠にね。まあ、あたしは別にいいけど。それに大事な、な・わ・ば・りですもんね、ここは、じゃあね」


 オオカミたちがあたしたちを通そうと両脇に離れて道を開く。その道を堂々と歩き帰ることにした。少し歩くとあたしの背後から唸り声が聞こえてくる。あたしはそれを無視して歩を進めた。


「シャルピー、ギグシーブさんが待てって呼んでいるさ」


 負けまいとする歩みを止めて振り返った。ギグシーブはふたたび唸り声を上げる。オオカミたちの目があたしたちを逃すまいとにらみつけているように見えた。


「パジワッピーの花のことを聞きたいってさ」


 あたしはため息をひとつ吐いて、ギグシーブのところまで戻った。オオカミたちはあたしたちをまた取り囲んだ。


「なに、あたしたちを帰してくれないの? まぁいいけど。それでパジワッピーの花のことを聞きたいって、あたしに」


 あたしは腕組みをして面倒くさそうな態度を取った。ギグシーブの顔は目が吊り上がり、牙を口の隙間からのぞかせているから、常に怒っているように見える。


「俺さまたちは、パジワッピーの花のことは知っている。その花の蜜を飲めば願いが叶い幸福になることもな」

「なんだ、知っているんじゃい」

「ああ、俺さまたちは何度かあの花の蜜を奪おうと奇襲をしかけたが、それを守っている騎士に妨害されてな、正直手を焼いている」


 ハートレルのことだわ。なにもやっていないように見えたけどちゃんと仕事をしていたのね。


「てめぇを呼び止めたのは、俺さまと取引をしてもらうためだ」

「取引ってなによ」

「ハーブと蜜の交換だ」


 なるほど、ハートレルに頼んで蜜をもらってこいってわけね。


「……いいわよ、その代わりさきにハーブをいただけないかしら?」


 ギグシーブは地面に咲いているバーブを見ながらなにかを考えていた。


 蜜を手に入れる方法が目の前に現れたんだから、それを逃すはずはないわよね。さあ、どう出るかしら。


「ダメだ、ハーブを渡したらここへは戻ってこないかもしれないだろ」

「じゃあどうすればいいのよ」

「そうだなぁ」


 と言いながら、ハーブとムリッタを交互に見比べる。ムリッタはギグシーブが目を合わせると顔をそらして見ないようにしていた。


「ハーブかそこの犬のどちらかをここに置いていってもらおうかぁ!? えー! 僕は嫌ださー!」


 ハーブとムリッタを選べですって? うーん、ムリッタを選んだ場合。ムリッタを連れてパジワッピーの花のところまで帰る。そこでハートレルから蜜をもらったとして、ここへ戻ってくる。ハーブはもらえず蜜はオオカミたちによって強引に奪われて、あたしたちは食糧にされてしまうかも。


 あまり信用できないのよね、このギグシーブって奴は。


 反対にムリッタを置いてハーブを持ち帰った場合。ハートレルやメイアトリィはムリッタのためにと蜜をくれるはずだわ。あたしはハーブをメイアトリィに渡して蜜をここへ持ってくる。でもここでその蜜が本物かどうかわからないからとかって言いながら、あたしたちを素直に返してくれるとは思えない。


 結局どっちを取っても一筋縄ではいかなそうね。


「そうね、それだと割に合わないわ。あんたたちがその取引をもしかしたら壊すかもしれないじゃない。要するに信用できないのよ」


 ギグシーブは一瞬目を大きくすると口もとを少し緩めた。


「……ふふふ、それはお互いさまだろう」


 お互いの腹の探り合いに一陣の風が吹き抜ける。鳥のさえずりが遠くから聞こえ、時が経つのを知らせているようだった。ギグシーブは痺れを切らして言った。


「じゃあ、どうしたい?」


 あたしはハーブとムリッタを見た。ムリッタはあたしの浮かない表情を見ると、不安を感じ取り尻尾をゆらゆらと揺らした。


「……そうね、まずあたしにハーブを渡して。それから、あんたがあたしと一緒にパジワッピーの花のところまで行くのよ」

「俺さまが?」

「その代わり、ムリッタは置いていくわ」


 ムリッタは目を大きくして驚くと、慌ててあたしに抗言してきた。


「しゃ、シャルピー、それはないさー、なんで僕を連れていってくれないのさー! ぼ、僕がいないと通訳はどうするの?」

「ごめんねムリッタ、通訳はいいのよ、あとでクッキーあげるから」


 ムリッタは尻尾を勢いよく振って少しうれしそうにしたが、やがで耳を低くしてうつむいた。


 ギグシーブはあたしになにかを言おうと首を振ったりした。唸り声だけがあたしに届いてくる。ムリッタがうつむいたまま通訳していない。


「ムリッタ、通訳して」


 元気のない顔をこちらに見せると力なく言った。


「……う、うん、群れと話すから少し待っていてくれってさ」

「いいわよ」


 ギグシーブは奥へ行き何匹かの同胞と話すときびすを返した。


「いいだろう、ついて行く。ただし、俺さまに少しでもおかしな真似をしたら、咬み殺して食糧にするからな。それは俺さまがこの場を離れていたとしても同じだ。この犬やてめぇの命はなくなる」

「ふん、そんなことしたら蜜は手に入らないわよ。それにもしムリッタになにかあったらタダじゃおかないわ」


 あたしは脅しに逆らおうとにらみつけた。ギグシーブはそれをあしらうようにひとつ鼻を鳴らす。


「まあ、でもこれで成立ね。それじゃあ」


 あたしは地面に生えているレヴィスポワのハーブをひとつ摘み取る。清々しい香りが鼻腔をくすぐる。ムリッタを見ると不安で怯えているようにポツンと座り、あたしの顔をじっと見つめいていた。


「シャルピー……」

「大丈夫よ、ムリッタ、すぐ戻ってくるから」

「シャルピーすぐに戻ってきてくれなのさ」


 ムリッタの震えている頭をそっとなでた。それから、あたしはギグシーブに目くじらを立てて言った。


「行くわよ」

 

 正直ムリッタを置いて行くのは嫌だけど、でも仕方ないわ。ギグシーブはこの群れのボスだってことはわかっているの。ボスが命令しない限りほかのオオカミたちは勝手な行動を取れないはず。あたしがこのボスを近くで監視していれば、ムリッタは安全なはずだわ。きっと。


 ポノガだってそうよ、指輪をこちらが握っている限りヴィヴォルは手出しができないはずよ。もしなにかあったら、このあたしが許さないんだから。


 気を強く持つのよシャルピッシュ。あたしは歩きながらムリッタのほうを向いた。


「シャルッ……!」


 それに気づいたムリッタがその場から飛び出そうとした。しかし周りにいるオオカミたちによってその行動を妨げられた。


 牢獄に幽閉された、子犬のように。

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