第11話 ハーブを守る者
地図を見ながら歩を進めていく。辺りの霧で視界は悪い。さっきまで太陽がのぞく丘にいたせいか、よけいに悪く感じる。
草は足首やすね辺りまで伸びていて、あたしたちの襲来を待ち構えているように生えていた。あたしはできるだけ草の背丈が低く生えいている道を選んで歩いた。
地図上はまっすぐと書いてあっても、素直に進むのではなくて、草が膝の上をいくくらいのうっそうとした道は通らないようにした。ザッザッと歩くたびに草を踏む音がする。
ムリッタは地面の匂いを嗅ぎながらあたしの少し前を歩いていく。相変わらず鳥を見つけては追いかけ、リスを見つけては追いかけていた。そのたびに逃げられている。
『きゃー、変な犬が突進してきたわー』なんて鳥たちが言っていたりしてさ。
地図を確認してみる。ここからまっすぐ行って、突き当りを右に曲がる。そこを進んで行くと泉がある場所にたどり着く。
ふーん、椅子が置いてあるみたいね。ちょっとそこで一休みしようかしら。
しかし、当たり前なんだけどメイアトリィはこの道を通ったことがあるんだよね。地図を書けるくらいだから。妖精とかって空を飛んだりするものって勝手に思っていたけど。できないのかな? こんなケモノ道をひとりで歩いたってことなのかしら。
でも平気よね。だってすごい力が使える妖精なんだから。
「ねえ、ムリッタ」
「なにシャルピー、もうハーブは見つかったの?」
草の露かなにかで濡れた体をブルンブルンと震わすと、水滴がムリッタの体から弾き飛んだ。
「見つかってないわよ。違うの、もう少ししたら泉があるの、そこで一休みしようと思って。どう、あんたは休みたい?」
「ひとやすみ? うん、いい考えだね、僕は休むの大好きさー」
「あ、そう、あたしすこし疲れたわ」
しばらく歩くと、遠くのほうに白く光るモノがぼんやりと見えてきた。それは霧がさえぎりパールホワイト色を淡く放っていた。
霧のカーテンを潜っていくと、水の音が霧しぐれに反響して聞こえてくる。視界が開けるように泉が目の前に現れた。そのそばにある街灯の白く淡い光が霧に反射して、やわらかな
泉は煉瓦で縁取られている。奥には煉瓦の砕けた柱がひとつ立っている。その柱に背中で寄り掛かるように座っている女性の像があった。体が横を向いていて、顔だけをこちらに向けて微笑んでいる。よく見ると、麗しい顔立ちをした女性が胸の空いた丈の長いドレスを着ている。
左足の膝を立ており、右手でドレスの裾を持ち上げて、右足のつま先を泉につけている格好をしていた。
その泉の脇に石で作られた看板が置いてあり、あたしはそれを読んでみた。
【 ルップウォーラの泉 】
「……るっぷうぉーら?」
その下の説明文らしきものを読んでみた。
――その昔、ルップウォーラは枯れ果てた大地にうるおいをもたらそうと水を探した。幻聴師でもあった彼女は、大地に流れる水脈を聴き取ることができた。そして見つけた。枯れ果てた大地の奥底に眠る小さなせせらぎを。
彼女はそこを手で掘り始めた。休を取らず三日三晩穴を掘り進めた。土をすくい上げては出すをひたすら繰り返す日々。手は傷だらけになり、痛みを我慢しながら掘り続けた。そして、手の感覚がなくなるころ、手にやわらかいなにかが触れるのをかすかに感じた。それは水だった。
彼女の手はその水をすくってもなにも感じることができなかった。ようやく触れた水は彼女にとってなにも感じないものになってしまった。
震える手で水をすくい口に触れさせた。すると水の冷たさがわかり、涙があふれるように流れた。安心した彼女はそのまま永遠の眠りについた。それ以来、ルップウォーラの涙で泉ができたのだと人々は言い始めて、それが伝説になり。ここは『ルップウォーラの泉』と呼ばれるようになった――。
「ルップウォーラの泉……ふーん、ホントかしら? げんちょーしってなによ。誰が書いたのか知らないけど、まあ、ルップウォーラって人も大変だったのね」
泉を中心に道が右と左に分かれていた。その両方の道の端に、木で作られた背もたれのある長椅子が1脚ずつ置いたある。あたしは地図を見てここからさきの案内を確認した。
泉から左を進むように記されている。あたしは左の道沿いにある長椅子に腰を下ろそうとそこへ向かった。椅子に触れてみるとかすかに濡れていた。あたしは気にせずそこに腰を下ろした。
「ふぅ……」
少しため息交じりに深呼吸すると、頭のもやついたものが晴れわたる感じがした。泉の流れる音と鳥のさえずりが聞こえてくる。
あたしはポケットからヴィヴォルにもらったクッキーの包みを取りだしてなかを開けた。焼きたてのクッキーが香ばしい匂いを届けてくる。それに釣られてムリッタが勢いよくあたしの足もとに近寄ってきた。
「あーうまそうな匂い。僕もほしいのさー」
パタパタと尻尾を振りながらねだってくる。あたしはそれを無視してクッキーを1枚食べたみた。サクサクして自然な甘みがする。そのあと、とろけるようになくなる。
「うん、なかなかの味ね」
「シャルピー」
ムリッタがよだれを垂らしながらあたしを見ていた。あたしはこれ以上みていられず、仕方なくムリッタにクッキーをやった。
「ほらっ」
あたしはクッキーをすくい上げるように投げると甲を描いた。
「やったー!」
ムリッタは走っていき飛び跳ねると口でそれをパクリと咥えた。ボリボリと音を立てて食べている。あたしはクッキーの包みを閉じてポケットに入れた。ムリッタは食べ終わると、またあたしのもとへと駆け寄ってきて尻尾を振り、ねだる。
「もうダメよ」
「えーもうダメなのー?」
ムリッタは地面に伏せると、ふてくされたように辺りを眺めた。
「そうよ、美味しかったでしょ。それじゃあ、行くわよ」
あたしはおもむろに立ち上がると左側の道を歩き出した。
霧で前方はあまり見えないけど、少しずつ右に曲がって緩やかな登り坂になっている。
相変わらずムリッタはあたしの前を歩いたり走ったりしている。地図には、この道をまっすぐ行けばたどり着くと書いてあった。しばらく行くと道が開けてきた。木々は途中からポツンポツンとしか生えておらず、そのさきには草原の小高い丘が姿を現していた。
「ここだわ」
あたしはそーっと近づいてみると、丘のまんなかあたりに花が咲いているのが見えた。黄色い花が何本も咲いている。その花は霧に隠れたり隠れなかったりして、あたしたちに幻影でも見せているかのように、ぼんやりとした姿を映していた。
「あれが、レヴィスポワね」
あたしが2、3歩前に出ると、花畑の中心になに者かが座っているのがわかった。黒い影がじーっとこちらを見ているように思えた。あたしは小声でムリッタを呼んだ。
(ムリッタ)
あたしの前を歩いていたムリッタは振り返り駆け寄って来た。
(どうしたのさー?)
(なにかいるわ)
あごでその方向を指し示すと、黒い影を見たムリッタは慌ててあたしの後ろへ回った。そして、ブルブルと震えながら言った。
(お、オオカミさ)
(オオカミ!)
あたしはもう一度よく見てみた。犬みたいな格好をした生き物が座っている。影がはっきりと犬の類のものだと確認できた。
あたしはその場からあとずさりをして近くの木に隠れた。ムリッタも同じように体を震えさせながら同じ木に身をひそめた。木からのぞき見るように片側だけ体を出すと、その場所の様子をうかがった。
「参ったわね、あれ本当にオオカミなの?」
「あー間違いないさ、オオカミの匂いがするのさー」
オオカミはその場から動こうとはしない。オオカミって言うけど、あたしたちを襲って来るのかしら? でも油断はできないわ。できる限り危険は避けたいし。近寄って行って、もし襲われたらおしまいだわ。
ハーブを取るのは簡単じゃない。ハートレルが言っていたことってこれだったのね。
オオカミの周辺を見てみると、ハーブと草のほかにはなにもなく、そのオオカミが1匹だけなのがわかった。
「よしムリッタ、あんたあいつのところへ行って、ハーブを取ってきて」
「えー!? ぼ、僕は怖いのさー、シャルピーが行けばいいさー」
ムリッタは体をブルブルと震えさせていた。そんなに怖いのかしら。同じ部類の動物だから話し合えばわかってもらえると思ったんだけどなぁ。
「あたしだって怖いわよ、でもあんたは犬でしょ。あのオオカミと話してきなさいよ。話さなくてもそーっと見つからないように行ってハーブを取ってきてよ」
「えーそんな、取ってこいって言っても、怖いものは怖いのさー」
「クッキーあげるから」
あたしはポケットからクッキーの包みを取り出してムリッタに見せた。すると、緩く尻尾を振り少しだけ喜んだように見えた。
「ホントー? くれるの?」
「あげるわよ、だから行ってきて」
「わ、わかった、行ってくるのさー」
ムリッタはその場をウロウロしながらため息をもらしている。足取りが重そうに行っては引き返すを繰り返していた。
「どうしたの? 早く行ってきて」
「うーん、さきにクッキーが欲しいさ」
「クッキー? わかったわよ」
あたしはクッキーを1枚取りだしてムリッタに食べさせてやった。ボリボリと食べる音がオオカミに聞こえていないか注意を払った。オオカミは座ったままじーっとこちらを向いている。
……動かないけど本当に生きているのかしら?
「あーうまかったー、シャルピーもう1枚食べたいのさー」
「ダメよ、早く行ってきて。なんでも言うことを聞くって言ってたでしょ」
あたしは拳を作り腕を上げた。ムリッタは少しあとずさりをして言った。
「わ、わかったよシャルピー。行ってくればいいんだね」
トボトボと歩き出すと立ち止まってあたしに振り返った。
「僕にもし万が一のことがあったら、ポノガによろしく言っといてくれなのさ」
あたしが頷くとムリッタはふたたび歩き出した。ゆっくりとオオカミに近づいていく。すると途中で立ち止まり、あたしのほうを振り向いた。あたしはあごで行くように促すと、またゆっくりと歩きだした。スローモーションのような遅い歩みが映る。1歩1歩と地面を噛みしめるように歩いて行く。
「早く行きなさいよ、まったく」
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