第10話 わがままな指輪
霧に包まれた木々のあいだを通り、太い木の根を飛び越えたりして、やっとパジワッピーの花の咲いている場所に着いた。相変わらずその一帯だけは光が空から射していて輝いている。
「誰もいないわね」
パジワッピーの花まで行こうとして、重厚な木々に足を踏み入れた。すると突然、目の前に剣が振り下ろされて、その風圧があたしを押し出した。
「きゃあ!」
あたしは叫びながら尻もちをついて、とっさにその方向を見上げた。
銀色に輝く切っさきが、通せんぼのように横を向いている。その剣を繋いでいる手を見ていると、木の陰からハートレルが姿を現した。眉根を寄せて疑わしそうにこちらを見ている。
「あ、危ないわね、気をつけてよね!」
「すまない、だが勝手に入るな」
重々しい剣を背中にしまうとあたしを見下ろした。あたしは自分のお尻を手ではたきながら立ち上がり言った。
「ヴィヴォルがあんたの思い出を返したけど、どう? なにか変わったかしら」
ハートレルは目を閉じて胸に手を当てた。それから、すーっと息を吸って静かに吐くと、見る見るうちに顔の表情は穏やかになっていった。体が明るくなったように見える。そして、ゆっくりと目を開けた。
「久しぶりだ。この心地よい感じ。私の思い出を奴から取り返してくれたのだな、感謝する」
彼女は笑みを零して軽い会釈をした。
「そう、よかったじゃない。で、指輪なんだけど……」
あたしはハートレルに手のひらを見せて促した。彼女は思い出したように指もとで光っている指輪を見つめた。とても貴重な物とでもいったような眼差を見せる。しかし、小さなため息と共に表情から笑みは消えた。
「シャルピッシュ、思い出を取り返してくれたことに対して感謝はしている。だが、この指輪は譲れない。すまない」
「残念だけど、そうもいかないのよ」
あたしは差し出している手を引っ込めて、おもむろに腕組みをする。ハートレルはなにかに気づいたように辺りを見回すと、険しい表情であたしに問いただしてきた。
「ポノガはどうした?」
「ヴィヴォルに捕まったわ」
「なんだと?」
「あんたの思い出を返す代わりに指輪を寄こせってさ、ポノガはその肩代わりってわけ。どうする?」
ハートレルは目を閉じてなにかを考えている。丘の上を風が静かになでる。冷たくも暖かくもないその風は、背丈の低い草をザーザーと音を奏でながら吹き抜けていく。ムリッタはあくびをしながらその場に伏せて、その行く末を眺めていた。
そして、ハートレルは力強く目を開いて自分で納得したように笑みを浮かべた。
「フッ、わかった。指輪をやろう」
「なにをなさっているの?」
ハートレルが指輪を外そうとしたとき、奥から聞き覚えのある声が弾んできた。
「あらあら、ごきげんようシャルピッシュ。遊びに来てくれたのね」
あたしたちはその方向に目をやると、メイアトリィが笑みを浮かべて立っていた。小さな体が太陽の光に照らされて眩しく感じる。
「メイアトリィ」
「うふふ、ありがとう、覚えていてくれて」
メイアトリィはゆっくりとした歩みでこちらに寄って来た。彼女はハートレルが指輪を外そうとしているのを見ると、いきなり両手を伸ばしてそれを止めた。
ハートレルの額から汗がひとすじ流れた。手を見ると指さきが小刻みに震えている。メイアトリィはその震える指を覆うように両手で押さえて、ゆっくりと首を横に振った。
「ハートレル、なさらないほうがよろしいですわ」
メイアトリィがそう言うと、ハートレルは指輪から手を離した。少し肩を震わせて、うつむいたまま動かなかった。
「なに、どうしたの?」
「……ハートレルはね、指輪を外すと直ぐに衰弱して、起き上がれなくなってしまうのよ」
「……死ぬってこと?」
メイアトリィは黙ったまま頷いた。指輪を外すと死んでしまうなんて思わなかったわ。これじゃあ、ハートレルから指輪をもらうことなんてできないわ。
「わたくしとの約束を忘れてしまったの? ハートレル」
「いいや。……すまない、姫との約束を破ろうとしてしまった」
「もういいのよ、なにか理由がお有りなのでしょう?」
「あたしよ」
あたしはハートレルに対しての質問に割り込んだ。ふたりがこちらに訝る眼差しを向けると、あたしは肩の力を落としてため息交じりに言った。
「あたしが言ったの、指輪が欲しいって。ポノガを助けるために」
「ポノガちゃんを?」
「ヴィヴォルに捕まっているから。彼が言っていたわ、返してほしかったら指輪を持って来いって。だから指輪が必要なのよ」
メイアトリィは暗い顔を見せた。ハートレルがあたしに背中を見せてかばうように立つと話し出した。
「私が原因だ。ヴィヴォルに私の大切な思い出を奪われてしまったからなのだ」
「思い出を、ですの?」
「はい、それをシャルピッシュはヴィヴォルから取り返してくれた。その代わり私の嵌めている指輪と交換になったらしい。ポノガはその肩代わりだそうです。ですからメイアトリィ姫、私の不注意でそのようなことになりました」
メイアトリィは目をつむりなにかを考えていた。通り風が辺りをざわつかせると、黄色のワンピースドレスがはためき、黄色の髪がサラサラとなびいた。上空を見ると雲がまばらにあって、太陽の日差しをさえぎっては通り過ぎていく。
「よろしくってよ」
彼女は屈託のない笑みをあたしたちに見せる。それから片手を自分の胸に当てて心穏やかに言った。
「わたくしが指輪をもうひとつ作って差し上げますの」
「え! ホントに?」
「ええ」
そうか、指輪を誰が作ったのかなんとなくわかっていたわ。でもそれをハートレルから聞き出さないまま来てしまったから、忘れていたわ。決定的なものがちょっと欲しかったのよ。ああでも、お茶会のときメイアトリィに素直に聞けばよかったんだわ。単純に。
「その代わり……」
言葉を止めて、彼女は優雅に歩み寄ってくる。そのあどけない表情と大人びた雰囲気のあいまに揺れては、澄んだ花の香りを泳がせる。それから包み込むようにして、両手であたしの手を優しく握った。少し幼さの残る温かな手があたしの手にしっかりと伝わる。
「シャルピッシュには、していただくことがありますの」
「していただくこと?」
あたしは首を傾げてたずねた。まっすぐな澄んだ瞳があたしの疑い挟んだ顔に突き刺さる。
「ハーブを取りに行っていただきたいの」
「はーぶ?」
メイアトリィはあたしから手を離すと虚空を見上げた。澄んだ瞳に映る白い雲の影が、なにか足りないと告げるように漂っていた。
「ええ、レヴィスポワという名前ですの」
「ちょっと待って。ポノガを早く助けに行かなきゃ、指輪ってすぐに作れないの?」
メイアトリィは澄んだ瞳を閉じると、ベビーピンク色の顔をそらした。
「誠に残念ですの、すぐにはお作りできませんわ」
「もしかして、そのレヴィなんとかっていうハーブが必要なわけ?」
「ええ、黄色の花ですの」
ハーブを指輪にどう使うのかわからないけど、取りに行くしかなさそうね。
「取りに行っていただけるかしら? レヴィスポワ」
「レヴィ、スポワ……わかったわ、取りに行けばいいんでしょ、どこに咲いてるの?」
「ありがとう、ちょっとお待ちになって」
メイアトリィは空を見上げて、右手を高々と上げた。どこからか舞い降りてきた鳥の羽をつかむと、羽は一瞬光り白い紙に姿を変えた。彼女はあたしにその紙を差し出して言った。
「ハーブの場所を記した地図ですの、お持ちになって」
ペラリとした普通の紙をあたしは受け取った。見るとわかりやすいように、通路の線と何々を右や左とていねいに書かれていた。
相変わらず、すごい力だわ。使い方次第ではなんでもできるじゃない。
「うん、これなら迷わないわね、じゃあ行ってくるわ」
「待て、シャルピッシュ」
あたしがハーブを取りに歩き出そうとしたとき、ハートレルがその歩みを止めた。彼女は真剣な表情をこちらに向けていた。踏みだそうとする足を縛るように。
「私はここを離れるわけにはいかないから、ムリッタを連れていけ」
ハートレルの足もとには、頭から尻尾までを地面にペタッとつけているムリッタが、上目使いをしてあたしを見ていた。
「悪いけど必要ないわ、地図もあるし」
ムリッタはそれに反応して慌ててあたしに駆け寄った。尻尾を振りながら小声であたしを制してくる。
(シャ、シャルピー、僕を置いて行かないでくれさ、お願いさ、わかるよね?)
クルクルとあたしを中心に回り、歩き出すことを引き留めていた。
「知らないわよ、あっちに行って」
「シャルピー……」
ムリッタは立ち止まるとあたしのわがままに閉口していた。そのときハートレルから忠告ともとれる言葉があたしの耳に届いた。
「ひとりで行く気か? シャルピッシュ。……別に構わんが、気をつけろ。ハーブを取るのは簡単じゃないぞ」
あたしはハートレルに向き直り聞いた。
「どういうこと? 取りに行くだけでしょ?」
ハートレルはメイアトリィと顔を合わせる。ふたりの晴れやかでない顔があたしの進行を戸惑わせた。
「ごめんなさい、別に大したことじゃなくってよ、ただ、この森は危険がいっぱいなの、それだけは忘れないでいて」
メイアトリィは口もとをほころばせているけど、心配といった思いを投げかけてくる。ハートレルは腕組みをして疑念を浮かべていた。
「わかったわよ、ムリッタを連れて行けばいいんでしょ」
あたしはムリッタに視線を向けて言った。
「一緒に行くわよムリッタ、ついてきて」
すると尻尾を勢いよく振り、ピョンピョンとうれしそうに飛び跳ねた。
「やったー! シャルピーありがとなのさー!」
「べ、別に、あんたがついて行きたいって言ったから、仕方なく連れて行くだけだからね」
はぁ、なんでこうなるのかしら。大体ハートレルはパジワッピーの花を守っているって言うけど、誰も攻めてこないし暇そうじゃない。なんならあたしが守るからハートレルがハーブを取りに行けばいいんだわ。あたしより強いんだし。まったく。
まあいいわ。万が一この地図が消えてなくなったら、ムリッタの鼻を使わせてもらうわ。
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