第9話 魔法使いとの取引

 その名前を言って、ヴィヴォルはため息を吐いた。


「ヴィヴォラは俺と同じく道案内の仕事をしていた。ある日、担当している彷徨さまよい人がオオカミに襲われて助けることができなかったらしい。彷徨い人は帰らぬ人になり、それで組織はヴィヴォラを追放した」


 ふーん、妹がドジって組織から追い出されたのね、それで。


「彷徨い人に危険が迫ったりしたら、道案内人は自らを犠牲にして彷徨い人の盾となるように務める。それを遵守じゅんしゅすることなのだ」


 自らを犠牲って? 魔法でどうとでもなるでしょ。もしかして、魔法にも制限があるのかな。妖精を手なずけて使っているわけだから。


「それ以来、組織は道案内人に宝石をひとつ渡すようにした。宝石は微弱ながら幸福のエネルギーを宿している。それをある程度経ってから彷徨い人に渡すようにする。共に歩いて行くと幸福のエネルギーは強くなり、願いは叶うようになるらしい」


 ヴィヴォルは懐からなにかを取り出して見せた。それは白と黒の丸い綺麗な石。


「それがその宝石?」

「ああ、この宝石はそれ以外にも持っているだけで安全装置みたいなものが発動して、身を守ってくれるというわけだ」

 

 幸福を蓄積させる宝石か。持っているだけでいいなんて手軽よね。

 ヴィヴォルは宝石を懐にしまうと話を続けた。


「俺は宝石をもらったとき、名前を変えられた。ホワイトブラックパールに」


 ホワイトブラックパール? ああ、だから姿も白と黒なのね。


「それから、俺はヴィヴォラがもう一度、道案内の仕事に戻れるように組織に頼んだ。だが答えは……」


 ダメだったというように、うつむいて首を振った。まあ当然よね。だって組織にしたらその人を信用できなくなってしまうわけだから。


「俺は慰めるためにヴィヴォラの家に向かった。それが誤りだった。妹には宝石の場所がわかる嗅覚でもあるかのように、俺が宝石を持っていることを言い当てた。目の色を変えた妹は魔法を使って俺の懐から宝石を取り出した。妹の潜在的な力は俺の比ではない。俺は押さえつけられてその宝石がなんなのかを吐いてしまった」


 今の話だと妹は兄より強い魔法? を使うみたいね。


「それから、ヴィヴォラは彷徨い人を襲い始めてしまったのだ。宝石を奪うために……。俺はどうにか妹を助けてやりたい、そのためには蜜と思い出が必要なのだ。妹の悲しい思い出を取り換え、蜜で幸福にさせる、それで助かるはずだ」


「ふうん、あんたはよく取られなかったわね、宝石を」

「ああ、それは俺が兄だからという理由だ」


 なるほどね。しかしまぁ、長い話だわね。要するに、ヴィヴォルの妹がおかしくなったから蜜と思い出が必要なわけね。


 なんてわがままなのかしら。それに宝石が幸福のエネルギーを宿すって言っていたけど、そんなのがあったらあたしだって欲しいわ。だって持っているだけで身を守ってくれるみたいだから。大体、自分の名前をホワイトブラックパールに変える必要があるのかしら?。


「なんで名前を変えるの?」


「ん? ああ、理由はふたつある。ひとつは渡された宝石の名前を授かる。そうすれば、誰がどの宝石を持っているか組織が把握しやすいからだ。もうひとつは道案内人がなにか悪いことをしたときに、組織はそいつの宝石名を取り上げて追放するようにしてる。追放した者の本当の名前は組織以外は知らないということになる。まあ、個人情報保護みたいなものだ。少なくとも組織で働いていた者に対しての些細な敬意なのだろう」


「ふーん、あんたのことはよくわかったわ」


 あたしはヴィヴォルが奪ったハートレルの思い出を取り戻しに来たけど、今の話を聞いた限りじゃ返してくれそうもないわね。ハートレルの指輪か思い出、どっちがいいかっていうと、ヴィヴォルにとっては思い出のほうに決まっているわ、きっと。でも一応聞いてみようかしら。


「ねえ、お腹の空かない指輪ってどう思う?」

「なんだそれは? そんな物があれば食糧は必要ないだろう」

「それだけじゃないわ。疲労も回復してくれるみたいなの」

「ほお、そうか。それが本当なら俺は欲しいが、どこにある?」

「待って。それをあたしが取ってきてあげる代わりに、ハートレルに思い出を返すことと、あたしの姉の体を治すことが条件だわ」


 ヴィヴォルは目を閉じて考え込むように紅茶を一口飲んだ。あたしも喉が渇いたので一口飲んだ。そして彼はティーカップを静かに置いて言った。


「残念だが、それは呑めない条件だ」

「指輪が欲しくないの?」

「欲しいが、まずそれが本当かどうかわからない。実際に俺がその指輪を嵌めてみないことには、条件は呑めない」

「それはダメよ。あんたが条件を呑まないと持ってこれないわ」

「フンッ、別にそれで構わん。俺はそんなあるかないかわからない物より思い出のほうが価値はある、俺にとってはな」


 ダメだわ。どうしようかしら。このままじゃ姉の体を治してもらえないじゃない。よく考えるのよシャルピッシュ。


 まず、あたしの目的は姉の体を治すこと。それにはヴィヴォルの力が必要。姉の体を治す行動をヴィヴォルにとらせるには、ハートレルの指輪をここへ持ってきて実際に嵌めてもらい、ヴィヴォルに指輪の効果を感じてもらうこと。


 ここで問題なのが、ヴィヴォルがなにもせずにあたしがハートレルからもらってきた指輪を嵌めて、それが効力あるかないかわからないけど、どっちにしても適当な難癖をつけて、なかったことにするに決まっているわ。それでなんの条件も満たしてもらえず指輪だけとられてしまうってわけ。

 

 となるとヴィヴォルにはさきにこちらの条件を満たしてもらう必要があるわね。


「本当にいいの? 嵌めればお腹が空かなくて疲労も回復してくれるんだよ」

「俺の妹には思い出と蜜のほうが必要だ」

「指輪を妹に渡せばもっと元気になるかもしれないわ」

「うーん、それはあるかもな」

「でも、もういいわ。だってそうよね、妹には思い出と蜜が必要なんだから、指輪なんかよりもすっごく必要なもの。それ以外はなにもいらないわよね」

「ま、まあそうだな」

「あたしはあんたの妹の心情をよくわかんないけど、お腹減っていたり、体が疲労していると正しい判断ができなかったりするわ」


 ヴィヴォルは虚空を見てなにか考えている。


「あたしはあんたにそれらを満たす指輪を持って来れるけど、それが欲しいか欲しくないか判断するのはあんた次第よ、本当に妹を元気にさせたかったらわかるわよね。この条件を呑まなかったら、もう二度とこんな遠いところへ来ないわ、指輪は一生あんたの手に渡らない。まあ、それを考えるのは、あんたの自由だから強制はしないけど」


 あたしは勢いよく立ち上がりヴィヴォルを見下ろした。


「どうもごちそうさま、あんたたち帰るわよ」


 あたしはペチャクチャ食べている2匹に促した。ポノガとムリッタは舌をペロペロ舐めまわしてあたしを見上げた。


「えー! もう帰っちゃうのかよー、食ってる途中だぜー」

「うん、僕たちまだ食べ終わってないさー」

「いいから帰るのよ」


 あたしが部屋を出て行こうとしたとき、背中越しにヴィヴォルの呼び止める声が聞こえてきた。


「待ってくれ」


 振り向くと、ヴィヴォルは立ち上がり目を伏せて言った。


「俺には、その指輪が必要だ。だから持って来てくれないか?」

「気が変わったの? 別にいいけど……いいわ、持ってきてあげる」

「本当か?」

「その代わり、ハートレルの思い出をさきに返してもらいたいの。どう、できる?」

「……俺にはその指輪が本物か確認することができない。俺がハートレルの思い出をさきに返したとして、持ってきた指輪が偽物だったら、そもそもここへ戻って来なかったら」

「うん、たしかにそうね。じゃあどうすればいい?」


 ヴィヴォルは人差し指を地面に向けてポノガとムリッタをさした。驚いた2匹はあたしの後ろへ慌てて隠れ、体を震わせている。


「どっちか1匹を置いて行ってもらいたい」


 あたしは下を向いてポノガとムリッタを見た。汗でも掻いているかのように鼻の頭が光っていた。


「お、おいシャルピー、まさかおいらたちを置いて行く気じゃねーだろーなー」

「ぼ、僕たち、ここに残るのは嫌なのさ」


 2匹は前足をあたしの足に置いてすがった。

 どっちを置いて行こうかしら? ポノガかムリッタか。そんなの決まっているじゃない。


「交換条件てやつね。いいわよ、ポノガを置いて行くわ」

「ええっ! おいっ、なに言ってんだよシャルピー、おいらを置いて行こ―なんて、なんでムリッタを連れて行くんだよー!?」

「あんたがここに残りなさい、ムリッタは道案内のためよ、それにクッキーをあんなにおいしそうに食べていたじゃない」

「クッキーは別だー。お、おいらだって道案内できるぜー、なぁ、たのむよー」

「はぁ、大丈夫よ必ず迎えに来るから。ちょっと我慢してなさい、いいわね」

「ごめんポノガ、僕は道案内ができるから仕方ないさ」


 あたしはヴィヴォルに向き直り、一呼吸して言った。


「ポノガを置いて行くわ」

「そのネコか?」

「そうよ、可愛がってあげてね」

「いいだろう」


 ヴィヴォルは目を閉じてなにかを念じ始めた。風が彼の服をはためかせてなにかが上空へ飛んで行ったように見えた。


「うっ……これでハートレルに思い出を返してやった、確認しに行くといい」


 ヴィヴォルの表情がとても寂しそうに、そして落ち込んだように見えた。どれだけいい思い出だったのか、あたしにはわからない。ハートレルの思い出。つまり他人から奪った思い出がそれほどいいものとは思えなかった。大体、人の思い出を盗む時点でおかしいのよ。


「そうするわ、じゃあまたお会いしましょう」

「おい、これを持っていけ」


 ヴィヴォルは小包をふたつ投げ渡してきた。あたしはそれを両手で受け取る。見ると正方形で明るい青色をした、わすれなぐさ色の小包。それは同色のリボンで結ばれていた。


「なにこれ?」

「せんべつのクッキーだ、たしか姉がいるんだったな、ひとつは姉にやってくれ」

「……ありがと、いただくわ」


 あたしはポケットにそれらを入れると玄関の扉を開けて外に出た。扉を閉める瞬間、ポノガの叫びにも似た願いの声が玄関に響いた。あたしはそのまま玄関の扉を静かに閉めた。


「さあ、ムリッタ帰るわよ。ハートレルのところへ」

「あーあ、大丈夫かなぁ、ポノガ」

「大丈夫よ、きっと。さあ行くわよ」

「う、うん」


 あたしたちは来た道を帰って行く。ムリッタを前に歩かせて、進んでは止まり進んでは止まりを繰り返していた。


 やっぱり迷いやすい道なんだわ。ポノガには悪いけどムリッタで正解よね。


 しかし、あーは言ったものの、ハートレルが素直に指輪を渡してくれるかしら。ヴィヴォルがハートレルに思い出を返したと言っていたけど、思い出が返ってきたとしても、彼女自身が嘘をつけば指輪を渡してもらえない。たしか約束はできないと言っていたし。参ったわね。なにか策を考えないと。


「なあ、シャルピーさぁ」

「なによ」

「キャル姉の体を治すために行ったんじゃなかったの?」

「そうよ、そうする予定だったわ。でも気が変わったの」

「なんでさ?」

「指輪じゃなく、姉の体を治してほしいと言った場合。彼はその代わりになにかを差し出せと言うわ。そこであたしにはなにも差し出せるものがないの。だから指輪が必要なのよ、彼が食いつく程の魅力あるモノがね」


 あたしは指輪を指に嵌める仕草をした。架空の指輪を嵌めた手を上空へ向けてキラリと光らせる。


「その指輪を手に入れるためには、彼が奪ったハートレルの思い出を彼女自身に返してもらう必要があるの。ハートレルがあたしに無償でくれると思う? 指輪を。しないでしょ。……まあ、実際くれなかったし。思い出が返って来れば少なくともタダじゃないわ」

「ふーん、すごいなぁ、そんなところまで考えていたなんてさ。僕たちは食べ物のことしか考えてないからさ」

「べ、別にすごくないわ、当たり前のことよ」

「へぇー当たり前のことなんだぁ」

「そんなことより、早く帰るわよ」

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