第7話 キャルフリーの想い
重厚な木々を抜け出して丘をくだり、ふたたび霧の森へ入って行く。霧が青空をふさぎ、白く反射した空に姿を変えた。
あたしは高鳴る胸を押さえ、姉の待つ家を目指して走った。玄関前に着いて、一呼吸おいてからその扉を開けてなかに入る。
「お姉ちゃん、帰ったよ」
返事はなかった。寝ていると思い、踊り子のようにつまさき立ちで姉のベッドへ向かう。そーっとのぞき込むと、寝ながら本を読んでいる姉がいた。本の背表紙には透明人間と書いてある。
「お姉ちゃん! 起きてるなら返事してよ」
姉はパタンと本を閉じて起き上がり、笑顔を作るとあたしを見た。
「あ! シャルピーおかえり、どうだった?」
「どうだった? 別にどうってことないわ、体の具合は大丈夫?」
「なんともないわ、元気よ」
姉は両腕を上げて力こぶを作って見せた。
「そう、よかった。そうそう、これもらってきたから飲んでみて」
あたしはポケットから蜜の入った小瓶を取りだして見せた。
「まあ、それはなにかな、もしかして毒?」
「変なこと言わないでよ、これはパジワッピーの花の蜜よ、メイアトリィにもらってきたの」
「ふふ、冗談よ。ポノガちゃんとムリッタちゃんが言っていた物ね。わたしの体を治すためにそれを取りに行っていたのね。ありがとうシャルピー」
「べ、別に、たまたま手に入っただけよ、さあ、飲んでみて」
あたしは姉に小瓶を手渡した。姉は蓋を開けて蜜を勢いよく喉に流し込んだ。
「んんっ! あまーい、とてもあまあまよ、シャルピーも飲んでみる?」
「あ、あたしはいいわ、お姉ちゃんが全部飲んで」
「いいの? こんなに甘いのに」
「いいから、早く飲んじゃってよ」
姉はグイっと一気に飲み干した。それから姉はテーブルに小瓶を静かに置いて横になった。姉の体はなんの変化もなく半透明のままだった。
やっぱりなんの効果もないのかな? もしかして時間が掛かるのかも。
「お姉ちゃん、どう、体の具合は?」
「うーん、なんかわかんないけど、歌いたくなってきたわ」
そう言うと姉はベッドから飛び出して歌い始めた。
《 わたしはあなたの道化 》
小さなことに気づいたの
それはこころをくすぐるものよ
あなたの笑顔 みたいから おどけて見せるの
笑ってくれるかしら
ううん きっと笑ってくれるわ
そうよ いつだって わたしはあなたの道化
大きなことに気づいたわ
そのきらめきゆれる日のひかり
喜ぶすがた みたいから おどけて見せるの
笑ってくれるかしら
ええ ぜったい笑ってくれるわ
そうよ いつだって わたしはあなたの道化
姉は歌い終わって、満足そうにベッドで眠った。
……いきなり歌わないでよね、まったく。蜜を飲んだせいだわ、きっと。
「わたしはあなたの、どうけってなによ?」
うーん、体は半透明のままだし、どうしようかな。このままじゃ治りそうにないわ。やっぱり魔法使いを説得するしかないわね。でもどこにいるのかわかんないし、パジワッピーの花の前で待っていれば、また現れるかしら。
とにかくもう一度、パジワッピーの花のところまで行かなきゃ。
あたしは外に出て扉を閉めた。
はぁ、面倒くさいわね。変な歌を歌うくらいなら、あたしが飲めばよかったわ。別に興味があるわけじゃないけど、あれを飲んだら、一瞬で花のところまで行けるようになればなーって……あたしはなにを言っているのかしら、まったく。
「バカな考えだわ、シャルピッシュ。頑張るのよ、あたし」
思い出したけど、姉が歌った歌はなんていうか、あたしに歌った歌みたいに思えたけど、あたしってそんなに笑ってないかしら? たしかに最近は笑ってないわね。でも、毎日の生活で手一杯なのに、なにを笑えっていうの? そんな暇はないわ。
あたしはパジワッピーの花のところへ向かった。
しかし、魔法使いヴィヴォルに会ったとして、なんて言えば説得できるかしら。姉を治す代わりになにかを返さなきゃなんないし。魔法使いの欲しいモノってなによ。
……やっぱり、パジワッピーの花の存在を消すことなのかしら?。
あの花が存在していると、あたしたちが食糧難になってしまうって言っていたわね。正直あたしたちがこの森に来て二週間くらいだから、食べ物がなかなか見つからないことが当たり前と思っていたけど、本当は前よりも採れる量が少なくなっていたのね。
うーん、ハートレルに頼んでヴィヴォルを力でねじ伏せてもらって、言うことを聞くようにさせる方法とか。食糧難てことはヴィヴォルの空腹を満たせばいいわけだから、ハートレルの指輪をもらって、ヴィヴォルに渡してみるとか。
直接は聞かなかったけど、あの指輪はメイアトリィが作った物のはずだわ。だって水で小瓶を作るくらいだから。メイアトリィに頼めばハートレルと同じ指輪を作ってもらえるかもしれないわね。でもそれにはまたなにか条件が必要となるはずだわ。
どれもこれも全ては、ヴィヴォルとメイアトリィとハートレルの気持ち次第っていうわけね。気分ていうか、気の迷いっていうか。そんな不確かなモノに頼らなければならないなんて。
霧の森を抜けて、さっきの丘まで来た。パジワッピーの花が咲いている丘を登って、重厚な木々のなかへ入ろうとした。
「おいっ! なにしに来た」
木の上からハートレルが飛び降りてきた。目を細めてあたしを怪しく眺める。
「はぁ、蜜を飲んでも姉の体が治らなかったから、メイアトリィに姉の体を治せる道具を作ってもらいに、頼みに来たのよ」
「あいにく、姫はご就寝だ。出直してこい」
「え! 寝てるの?」
「そうだ」
「いつ起きるのよ?」
「それはわからない、姫次第だ」
「そう、じゃあ、あんたの指輪をあたしにいただけないかしら」
ハートレルは嵌めてある指輪をチラリと見た。それから訝しげにあたしの顔をのぞき込み首を振った。
「ダメだ、これは誰にも譲れない」
「あたしが代わりに、あんたの大切な思い出をヴィヴォルから奪い返したらっていう条件で、どう?」
「……ダメだ、奴には手を出すな、危険すぎる」
「そんなことわかってるわよ。それよりどうなの? あんたに思い出が返ってきたら、あたしにその指輪を渡してもらえるかしら?」
「考えておこう、ただし期待はするな」
「それで結構よ」
あたしは立ち去ろうと振り返った。
「待て、その代わりあいつらを護衛に遣わしてやろう」
ハートレルが顔を向けたさきには、ポノガとムリッタがいた。木の上にポノガが登っていて下を眺めている。ムリッタは登りたそうに木の根もとで爪をカリカリさせていた。
「おーいムリッタ、登れねーのか? これくらいの木が登れねーと、なにかあったとき逃げ切れねーぜ」
「ポノガはいいよな、身軽だからさ。僕の体は重いんだ、だから木なんて登れないのさ」
あの2匹を護衛にしても、役に立ちそうもなわね。遊んでるし。
「ふん、悪いけどいらないわ」
「そうか」
あたしがふたたび去ろうと足を踏み出したとき、あたしを呼ぶ声が聞こえてきた。
「んっ!? シャルピーじゃねーかー!」
「あー! シャルピーだ、僕らに会いに来てくれたのさ」
2匹はあたしを取り囲みウロウロしていた。あたしは立ち止まって言った。
「ちょっと、退いてくれない。あたし、今からヴィヴォルを探さなきゃなんないんだから」
2匹はお互いに顔を見合わせてから、うれしそうに言ってきた。
「じゃあ、おいらたちの出番だ、連れてってくれるよなー」
「そうそう、僕たちヴィヴォルの居場所を知ってるからさ」
「別に、あんたたちには関係ないでしょ」
あたしは構わず歩き始めた。2匹はあたしのあとについて来る。
「大ありだよ、おいらたち、まだシャルピーに借りがあるだろう?」
「そうだよ、僕たち恩返しをしたいのさ」
あたしは黙って歩いた。2匹はあたしの前に出てきて、顔を見ながら言った。
「なあ頼むよ、一緒に連れてってくれよ。おいらハートレルのそばにいるの嫌なんだよー」
「そうそう、僕たちハートレル様にこき使われるから、近くにいたくないのさ」
2匹はあたしの顔を不安そうに見ている。
正直邪魔なんだけど、使いようによっては役に立つかも知れないわね。まあ、あたしがお腹すいたりしたら、食べ物を取ってきてもらおうかしら。ヴィヴォルの居場所も知っているとか言っていたし。
それにしても、ハートレルのそばにいると嫌というほどこき使われているのね、こいつら。
あたしは立ち止まって言った。
「わかったわよ。その代わり、あたしの言うことを聞くこと、いいわね」
2匹はお互い顔を見合わせて、にっこり微笑んだように見えた。
「わかったわかった、おいらたちなんでも言うこと聞くぜー」
「うん、シャルピーのためなら、なんでも言うこと聞くさー」
2匹はピョンピョンと跳ね回って喜んだ。
本当かしら? なんでも言うこと聞くって。別にこいつらの言っていることは当てにしてないし、ついて来たきゃついて来ればって感じだわ。
「それで、あんたたち、ヴィヴォルの居場所を知ってるの?」
「知ってる知ってる、おいらたち、ヴィヴォルの住み処を知ってるんだ」
「そうそう、僕たちヴィヴォルの家を見つけたのさ」
「じゃあ、そこにあたしを連れて行きなさいよ」
「わかった、ムリッタいつもの頼む」
「ああ、あれだね、僕の鼻でヴィヴォルの匂いをたどるんだね」
ムリッタは前に出て地面の匂いを嗅ぎ始めた。
「あっちのほうへ匂いが流れているさ」
ムリッタはそのまま、匂いに従うようにして歩き出す。
あたしは2匹のあとについて行くことにした。当てもなく探すよりはマシよね。
道は木々が両側にある比較的に広い通りを歩いて行った。時々、リスが前を横切ると、ポノガがからかって追いかけたり、ムリッタはヴィヴォルの家に向かっているのかと思えば、落ちている木の実を探してパクついたりしていた。
こんなことでヴィヴォルの家に着くのかしら? まあいいけど。その分、こいつらにはたくさん働いてもらうわ。
「そう言えばシャルピー、キャル姉は元気かー? 蜜を飲ませたんだろ?」
ポノガの調子はずれな声が森のなかに響いた。
「あいにく元気だわ。ある意味でね」
「じゃあ、体が治ったんだ。よかったじゃねーか」
「治ってないわよ! 花の蜜を飲ませたけど、半透明のままだわ」
「なんだーそうなのかー、蜜の効果はなかったかー」
ポノガはなにかを納得したように頷いている。あたしはさっきの姉の不可思議な行動を思い出した。
「効果はあったわ、変な意味で……」
「やっぱり治ったんじゃねーか」
「違うわよ! 歌うようになったのよ、変な歌を」
「あはは、なんだー歌うのかー、よかったじゃねーか、歌うようになって」
「別に、いいか悪いかって言ったら、どうでもいいわよ。あたしは姉の半透明な体を治したいの」
「幸福の花の蜜なんだぜー、いい効果に決まってるじゃねーか」
「はっ、歌うことが? あたしは早く普段の生活に戻りたいだけよ」
あたしたちの会話に気づいて、ムリッタが匂いを嗅ぐのをやめて振り返った。
「なーに話してるの? 僕もシャルピーのお話聞きたいさ」
「実はな……」
ポノガはムリッタに駆け寄ると小声で話し出した。
幸福の花。パジワッピーの花。あの花の蜜を飲むと幸福なことがその人自身に起こると言われているわ。もしかしたらその人の潜在的な願いや幸せだと思っていることが叶うのかもしれないわ。
そうなると、姉は歌を歌いたいと思っていなくても、自分自身の気づかない内なる部分では、火種みたいに燃えていて、それが蜜を飲むことによって、燃え上がり、歌が歌いたいと気づいたってことかな?
ハートレルは以前に『その者の内側にある秘めたる思いや気づかない思いなどを蘇らせる効果もある』って言っていたわ。
それが本当なら、あたしはどんなことを密かに願っているのかしら。うーんわからないわ。飲んでみなきゃね。まー、姉の体を治せる能力が使えるようになるんだったら、喜んで飲むけどね。
「……それで歌うようになったんだってよ」
「へぇーそうなのかー、それはいいことさ」
ムリッタがあたしに振り向き言った。
「シャルピー、キャル姉の体が治らなかったのは残念だけどさ、歌えるようになったのは、きっといいことだからさー」
「あっそう、どうでもいいけど、ヴィヴォルの家まだなの?」
ムリッタは地面の匂いを嗅いだ。ポノガは退屈そうにあくびをして、前足で顔の毛づくろいを始めた。
クンクンとムリッタの鼻息だけが聞こえてくる。バサバサっと木の上から鳥が羽ばたく音が聞こえてきた。羽ばたいていった鳥から(カーカー)とつんざくような鳴き声が辺りに響く。
カラスだわ。もしかしてヴィヴォルの飼っているカラスがあたしたちを偵察しに来ていたなんてこと、ないわよね? まっいいわ別に、それより。
「ムリッタ、まだなの?」
「うーん、多分あっちさ」
ムリッタはそう言って、鼻を地面にこすりつけるように歩き始めた。ムリッタのお尻から伸びる尻尾が振り子みたいに揺れている。歩いては止まり歩いては止まりを繰り返す。あたしたちはそんな犬の散歩につき合いながら、歩調を合わせていた。
「たぶんってなによ、まったく」
「ムリッタは集中が一度途切れると、なかなかもとには戻らねーんだ」
「なにそれ、あたしたちの会話が原因ってわけ?」
「まさにそうだぜー」
あたしは拳を振り上げて、ポノガに高々と見せつけた。
「今度言ったら……」
ポノガは耳を伏せて頭を低くし怯え始めた。あたしが拳を下ろすと、ポノガは陽気な態度に戻った。
「おいらは、悪気があって言ったわけじゃねーんだ、そんな怒んなよ」
「別に、怒ってなんかないわよ」
「じゃあーさっきの態度はなんだよー」
「虫を捕まえただけよ」
「え? 虫なんて飛んでた?」
「飛んでたわよ」
「じゃあ、その手のなかを見せてよ」
「ほらっ」
あたしは手を開いて見せた。手のひらを見たポノガは疑わしそうな目であたしの顔をのぞいた。
「なにもねーじゃねーかー!」
「逃げってったのよ」
ポノガは訝しげに首を傾げた。
「シャルピーもう近いさ、ヴィヴォルの家、だんだんと匂いが濃くなってるさ」
あたしたちの化かし合いに、ムリッタの声が掛かった。お宝でも見つけたように尻尾を振りながら、その方向へと歩いて行く。
木々が両側付近を覆い、道が狭くなっていった。雑草が膝丈くらいに伸びて、歩く度に足で草を掻き分けて進む。そんなあたしに、ムリッタが雑草から首を伸ばして聞いてきた。
「シャルピーは虫が嫌いなんだよね。大丈夫?」
「あっ!? だ 大丈夫よ」
ポノガが草から草へと跳ねながら言った。
「なんだー? わはははっシャルピーって虫が嫌いなんだー、じゃあさっき虫捕まえたっての、嘘じゃん」
ムリッタ、あんた余計なことを。ポノガにバレちゃったじゃない。
「ああ、はいそうです、あたしは虫が嫌いよ。わかった?」
「シャルピー、そんなに怖いもんじゃねーぞ、虫って。おいらなんか虫で遊んだりするしなー」
「それは、あんたたちが、そう思ってるだけでしょ?」
「いやいや、おいらたち虫より大きいじゃん、でー怖くないわけよ」
「ああそう……っていうか、ムリッタ早く歩きなさいよ」
「ええ!? 僕、これでも早く歩いているのさ、匂いを嗅いでいかないと道に迷っちゃうからさ」
あたしは自分の足になにかが這っているのを感じた。ざわざわとあたしの肌が震え冷や汗が流れ始めた。
「きゃー!」
あたしはわき目もふらずに走り出した。走り出してから、後ろのほうでポノガとムリッタの呼び声が聞こえたけど、無視をして走り続けた。
木々のあいだを抜けて行くと、途端に広い場所に出た。
あたしは慌てて、体中についている虫を手で素早く払う。そこに虫が這っていなかったとしても、自分が落ち着くまで払い続けた。それが他人に見られたくない、どんなに無様な格好だったとしても。
今の、この気持ち悪い感じを振り払いたい。
手で肌を叩く音が辺りに響き渡っていった。ある程度払い終わって、あたしは腕や足などを確認した。なにもついていないことがわかったのでホッと胸をなで下ろした。
「あはははあーはっはっはっ!」
「ぷぷっわはははー!」
笑い声が草むらから聞こえてきた。ポノガとムリッタの笑い声だ。2匹は笑いながら草むらから出てきてあたしの前に現れた。
「あーおもしろかったぜー」
「ふふ、変なうごきさ―」
あたしは下唇を噛んで、頬が紅潮してくるのがわかった。そのまま空を見上げて冷静さを取り戻すように目を閉じる。一呼吸してあたしは言った。
「行くわよ」
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