第6話 妖精とのお茶会

 ハートレルは剣を背中に戻してパジワッピーの花を見つめていた。あたしは静かな風に吹かれてたたずむ彼女に駆け寄った。すると、どこか遠い目をしながら彼女は話し始めた。


「私がなぜパジワッピーの花を守らなければならないのか。それは私が騎士としての試験を受けに城へ向かう途中、数十匹のオオカミの群れに遭遇した。その場から離れようとしたとき、1匹のオオカミに気づかれて、私は急いで逃げた」


 彼女は拳を力強く握ると、うなだれるように首を振って続けた。


「騎士になろうとしているのに情けない話だが、私は逃げ切った。だが、どこだかわからない森に来ていた。戻ろうとしても戻れず、城がどの方向にあるのかもわからないまま歩いていた」


 話したくないのか、今の自分と前の自分が戦っているかように、なにかに震えていた。彼女はその震える手で自分のお腹をそっと押さえた。


「やがて空腹が私を襲い始めた。なんでもいいから食べ物が欲しかった。私は歩くことさえもできなくなり、這って食べ物を探していた。あまりの空腹にその辺の草を口に入れて呑み込もうとした、だが受けつけずその場に吐いた。私に死期が近づいているのを感じた……」


 女騎士の力強い瞳には涙がうっすらと光っていた。生き物にとって空腹はどれだけ大敵かあたしはわかっていた。気力を奪い好きだったものさえもどうでもよくなる。満たされているからこそ感情へ注ぐことができる。


 もしあたしにそんな危険が迫ったとき、あたしが大切なものを忘れずにいられるかは……わからないわ。


「……そして花を見つけた。白く美しい花を。死ぬ前に私はその綺麗な花の近くで息を引き取りたいと思った。そこには泉があり、そのまんなかに純白に輝く花が一輪咲いていた」


 幻影でない過去の世界を語る彼女は、遠くに咲いているパジワッピーの花を見つめていた。その花に出会ったときと今を交差して見つめているように。


「泉の水を飲もうと口を近づけたが気力がなかった。まどろみのなかで誰かの足が見えた。すらりとした透き通るような足が近づいてきて、そして屈んだ」


 ハートレルは自分の右手の甲を見つめた。よく見ると中指に光る物があった。


「その者が私の手を握り指になにかを嵌めた。そしたら急に衰弱が治り、空腹が満たされた。視界が広がり、透き通った声が聞こえてきた」


『あなたにお願いがありますの、このパジワッピーの花の成長を一緒に見守ってくれませんこと? まだ小さな花ですけど、大きくなればこのフォミスピーの森に幸福を与えてくれるでしょう』


「私はただ頷いてそのまま眠った。そして目が覚めたらパジワッピーの花の前に横たわっていた。指を見ると、この指輪が嵌めてあった」


 ハートレルは微笑むと指輪をそっとなでた。


 その話が本当のことなら。その指輪を嵌めれば疲労しなく、お腹も空かないということね。それにパジワッピーの花を守る者がハートレルのほかにもうひとりいるってことも。誰が守っているのかしら? 気になるわね。


 さて、どうしようかしら。姉の体を治せる人物、ヴィヴォルが逃げてしまったわ。治せる確実性が高かったからどうにか説得したかったのに、次にいつ現れるかわからないわ。


 んー、ハートレルからパジワッピーの花の蜜をもらって、姉に飲ませるしかなさそうね。効果があるかわからないけど……しかし、まぁ、よくしゃべるわね。ハートレルって無口女じゃなかったのかしら。


「あんたも大変だったのね。ねえ、ヴィヴォルが逃げちゃったから、パジワッピーの花の蜜をいただけるかしら?」

「……そうだな、ついてこい」


 重厚な木のあいだを抜けてなかに入った。鳥のさえずりや羽ばたく音。小川のせせらぎがどこからか聞こえてくる。吹き抜ける風が暖かく、見上げてみると木々の隙間から光が差し込んでいて、それが、草花や茂みを輝かせていた。


 パジワッピーの花の目の前に来ると、あたしの身長と変わらないくらいの白く大きな花が咲いていた。咲いているといっても、花びらは開き切っていないように見える。


 花の下には泉があって、とても澄んでいる。その流れる水に木漏れ日が当たり、キラキラとさせていた。


 ハートレルはあたしの前に手を出して制止させた。


「ここで待っていろ」


 そういえば、ヴィヴォルが火の玉を放ったとき、花の周りに見えない壁があって、火の玉を弾き返していたわ。あたしもそこにある花に触れることはできないのかしら?。

 

 ハートレルは泉に入っていき、そして片膝を立てながらひざまずいた。


 花の蜜を取りに行くだけなのに一体なにをやってるのかしら。もしかしたら、なにか儀式的なことでもしないと取れないのかな?


「メイアトリィ姫、ハートレルだ、花の蜜をいただきたい」


 メイアトリィ、ひめ? さっき話していた、ハートレルに指輪を嵌めた人物? きっとそうだわ。……っていうか、お姫様なの!?


「ハートレル?」


 透き通った少女の声がパジワッピーの花から聞こえてくる。


 その花の後ろからメイアトリィ姫がうかがうように顔を出した。途端に笑顔を見せると足を弾ませながらハートレルに駆け寄ってきた。足もとくらいまである黄色の長い髪を揺らし、黄色のワンピースドレスを着た裸足の少女がハートレルの前に姿を現した。


 あたしの身長よりちょっと低いくらいの少女だわ。てっきり妖精でも現れるんじゃないかって思っていたけど、意外だったわ。


 ポノガはあくびをして暇そうに言った。


「おいらたちはあの空間に入れねーんだよ。シャルピーも見ただろう? ヴィヴォルが出した火の玉を跳ね返したところをよ。あれはパジワッピーの花を守るために、そこのメイアトリィが作ったもんだぜー」


 言い終えて、ポノガは暇をつぶすかのように、前足で顔の毛づくろいを始めた。


「そうそう、泉の手前までしか僕たちは行けないのさ。だってそれ以上進むと見えない空気の壁が僕の鼻を潰すんだもん」


 ムリッタはその場に伏せて、声がもれるほどの大きなあくびをした。


 まったく呑気な2匹ね。それにしても、あのメイアトリィって子、変わった力を使うことができるのね。あたしもなにか欲しいわ、特別な力を。


 あたしは目の前の空間に手を伸ばして確かめてみた。すると、ふわふわした見えないなにかがその手の進行を妨げた。


「うふふ、姫って呼ばないでって言ったでしょ。元気だったぁ? ハートレル。花の蜜が欲しいのね。ちょっと待ってて」


 メイアトリィは泉の水を両手ですくうと、水は黄色く光り出して消えた。すると、蓋つきの透明な小瓶みたいなものに水は変わっていた。小瓶はひし形をしていて、底は平らになっている。 


 それから、パジワッピーの花びらについている金色の水滴を小瓶に入れてハートレルに手渡した。


「ありがとう」

「いいのよ、ハートレルが元気なら……あら? お客さんなの?」


 あたしたちに気づいてメイアトリィは手を振ってきた。あたしは手を振らずに小さく頷いた。無邪気な笑顔があたしの脳裏に突き刺さる。


「ああ、彼女は私の……お客だ。彼女はわけあって花の蜜を欲している。だから一緒に来た」

「ふーん、そうでしたの」


 跳ねるようにメイアトリィはあたしに近づいてきた。黄色のペディキュアが光彩し首から下げているペンダントが揺れてキラキラとあたしの目を少しくらます。


 そのペンダントは手のひらより小さく、花びらを模したものに細工が施されている。白い花びらのペンダントは目の前で見る彼女のあどけなさと相まって、とても幼く見えた。


 つまりただの少女だわ。


「ねぇあなたはどこから来たの? お名前は? お友達になりましょう」


 メイアトリィは珍しものでも見るかのように目をパチパチさせていた。


「あたしはシャルピッシュよ、あんたは?」

「メイアトリィって呼んでいただけたらうれしいですわ」


 彼女はあたしの両手を両手で包むように握った。小さな手には黄色のマニキュアが光って、温かい感触が伝わる。その感情に押されて仕方なく答えた。


「はあ、わかったわ。呼んであげる、メイアトリィ」

「うふふ、ありがとう、シャルピッシュ」


 メイアトリィは泉の上でクルクルと回転して踊った。


 うれしいですわ? なんかよくわかんないけど、お嬢様言葉っていうのかしら。あたしが言うのもなんだけど、なんかぎこちないわね。


 そのとき、グーっとあたしのお腹が鳴った。あたしは恥ずかしいものを隠すように、お腹を両手で素早く押さえた。辺りをしーんとした空気が張りつめる。それを緩くするメイアトリィの声があたしの耳に届く。


「ふふ、お腹が空いていらっしゃるの?」


 なんで鳴るの。恥ずかしいじゃない、まったく。あたしはお腹を擦りながら、顔の紅潮と共に答えた。


「ええ」

「じゃあ、お食事しましょう」


 メイアトリィは落ちている小枝を何本か拾うと優しく放り投げた。小枝は空中で黄色く光ると、丸いテーブルと幾つかの椅子に姿を変えた。テーブルには緑色のテーブルクロスが敷いてある。


「さぁ、こっちに来て」


 あたしの手をつかんで、テーブルのところまで歩いて椅子に座らされた。


「ここに座って待っててね」


 彼女はあたしの両肩を優しく押さえると、ハートレルのところへ行きなにかを話し合っている。


 あの子、なに者かしら? なんでもできるじゃない。姫って呼ばれているけど、どこのお姫様の? いったい。パジワッピーの花姫みたいな……。


 まあいいわ。メイアトリィの不思議な力で姉を治すことができるかもしれないし。これは交渉するしかないわね。


「シャルピッシュ、蜜だ」


 ハートレルがテーブルに小瓶を置いた。それから背中の剣を椅子の背もたれに立てかけて、あたしの隣に座った。あたしは小瓶をポケットに入れてハートレルに聞いた。


「ハートレル、あのメイアトリィってなに者なの? 不思議な力を使うみたいだけど、パジワッピーの花となにか関係があるんでしょ」

「彼女は妖精だ。パジワッピーの花の」

「ようせい? あんたは姫って呼んでいたけど、なんで?」

「……これは、メイアトリィ姫から直接聞いた話だ」


 ハートレルはメイアトリィを眺めた。あたしもその優雅な少女を一緒に眺めた。


「姫は、花を咲かせる国に住んでいる王女の娘だ。その国では花を咲かせることが一人前の証となっている。10歳になったら国を出ていろんな世界に赴き、そこで花を咲かせなければならない決まりになっているそうだ。姫もそのなかのひとりで、この世界に、フォミスピーの森に来て修行している最中というわけだ」


 ふーん、妖精もそんなことをするのね。あたしたちみたいに。あー、だからお嬢様言葉の練習も兼ねているのね。まぁ別に気にはしないけど言葉なんて、あたしに伝わればいいわけだし。


 しかし、本当に妖精が出てくるとは思わなかったわ。見かけが普通の少女だったから……姿や格好は個性的だけど、妖精とは思えなかった。羽も生えてなかったし。人は見かけに寄らないとはこのことね。


 そのほかにも、手から火の玉を出す魔法使い。姉の半透明な体とかしゃべる犬や猫。そういったことを目の当たりにすると、自分自身が夢でも見ているんじゃないかって思うときがあるわ。


「お待ちどーさま」


 テーブルの上に白い小皿。フォークやテーブルナプキンなども並べられた。小皿の上にはこんがり焼けたケーキみたいなものがのせてあって、三角の形に切ってある。ティーカップには温かい紅茶が注がれてあった。おいしそうな匂いがする。


「りんごのパイケーキと紅茶よ……あら? あなたたちもこっちへいらっしゃい」


 メイアトリィはポノガとムリッタも呼んだ。2匹は飛び跳ねるように来て、器用に椅子に座った。


 ……相変わらずおかしな生き物ね。猫とか犬って見ればわかるけど行動がとても人間っぽいのよね。


「おーパイケーキじゃねーかー! おいら大好物だぜー!」

「やったー! 僕も世界で一番好きな食べ物さ!」


 本当かしら。メイアトリィに気にいられるようにわざと大げさに言ってるんじゃないの?


 2匹はプレゼントを目の前にした子供のようにはしゃいでいた。それを見たメイアトリィは、レストランのシェフみたいににっこりと笑顔を作った。


「うふふ、よかったですわ、さあ、召し上がって」


 メイアトリィも椅子に座りテーブルナプキンを膝に広げた。あたしも真似をしてテーブルナプキンを膝に広げた。テーブルマナーなんかあたしは知らない。いつもは家で母親が作って出してくれる物をただ食べるだけだから気にもしてなかったわ。今度テーブルマナーの本でも読もうかしら。

 

 一息ついて、あたしはティーカップに注いである紅茶を啜った。


「うまいなーおいらもうーほっぺが落ちそうだぜー」

「あーおいしー、なんて上品な甘さだーこれはまさに、ケーキのワンダフルさ」


 2匹はお行儀よくテーブルの上を汚さないように食べている。

 

 ……そうよね、人間じゃないからフォークは使わないで食べるわよね。


 はぁ、わからないわ。人間以外の動物も甘い物を好物だったりするのかしら? 別にこの世界が特別だって思わないけど。あたしがもし猫とか犬を飼うとしたら、食べ物は市販されている物にするわね、きっと。


「まあ、お上手ね。でもありがとう」


 あたしもパイケーキを食べてみた。はっ! これは! サクサクふわふわで自然な甘みっていうのかしら、りんごの食感と味も美味しい。この世界に来てから木の実とか果物ばかり食べてたから、こういう、ちゃんとした料理っていうのは久しぶりだわ。


「どう? シャルピッシュ、お味がお気に召しませんでした?」

「ううん、美味しいわ、とってもね」

「よかったですわ」


 メイアトリィは胸を両手で押さえて悦に入った。


 どうせなら姉も連れてくればよかったわ。本人はこの世界に来てあたしが取ってきた食べ物を美味しいって言って食べてくれるから、なんかあまり気にしてなかったけど、料理ってなんか不思議な力があるのね。


 一通りの食事が済んで落ち着いたころ。メイアトリィはあたしに聞いてきた。


「シャルピッシュって、どこに住んでいるの?」


 メイアトリィは興味津々のようにあたしを食い入るように見つめた。あたしは構わずに答えた。


「グラジルーネっていう町に住んでいたけど、今はわけがあってこの森に住んでるの」

「へぇー、どう、ここの生活は楽しい?」

「んー、別に楽しくはないわ、毎日食糧のことを考えなきゃなんないし」

「そうですの。ご兄弟はいらっしゃるの?」

「ええ、姉がいるわ。のんびり屋さんでドジっ子だけどね」

「ふふ、のんびり屋さんでドジっ子なの? お姉さま」


 あたしは姉のグーたらの行動を思い出しながら言った。


「まあね、雨が降っても直ぐに洗濯した物を取り込まなかったり。玉子焼きだって焦がしたり。テーブルの下に置いてあるものを拾おうとして、拾ったあと頭をテーブルの下でぶつけるし」

「面白いお姉さまね」

「まあ、退屈はしないけどね。それよりあたしもメイアトリィに聞きたいことがあるの」

「なにかしら?」

「メイアトリィってなに者? ハートレルが妖精のお姫様だって言ってたけど」


 メイアトリィは紅茶を静かに啜ってていねいに置いた。たかが飲むという仕草だけでその人の上品さが嫌でも伝わる。普段の生活の一部としてそういった優雅さは上に立つ者にとって、とても重要なことなのね。


「そうねぇ、わたくしはね、パジワッピー国の姫なの。それで、わたくしが一人前になるために、こちらのフォミスピーの森におうかがいして花を咲かせるの」

「ふーん、メイアトリィがさっき使った不思議な力も、花を守っていくため?」

「ええ、そうですの。パジワッピーの花の咲いている周りには結界が張られているでしょ、それはこの力で作ったものよ」


 メイアトリィは近くにあったティーカップに手をかざした。すると見る見るうちに、ティーカップのなかに入っている紅茶から湯気が出て温かくなった。


「こんな感じにね」

「あの、メイアトリィにお願いがあるんだけど。その力、あたしの姉に使ってくれないかしら?」

「お姉さまに?」

「姉の体は半透明になって、その体を治したいの、だからお願いっ!」


 メイアトリィは目を閉じてなにかを考えている。


 こんな頼み方でよかったかしら? もっと説得力のある言い方をしなきゃいけなかったかな? こんなことなら、交渉術の本でも読んでおけばよかったわ。もしダメなら最悪この花の蜜で治ることを願うしかないわね。


「シャルピッシュ、それはできないわ。お姉さまには申しわけないけど。人間や動物には使えないのよ、この力は。ごめんなさいね」


 人間や動物に使えない……やはり、花の蜜に頼るしかないわ。


「お気を悪くなさらないでね。この力の使い方を間違えると、悪いことが起きてしまうの」

「ううん大丈夫よ。気にしないで。じゃあそろそろあたし帰るわ、ごちそうさま」


 あたしは席を立った。メイアトリィは驚いた顔をしている。ハートレルはチラリとこちらを見て静かに紅茶を啜った。ポノガは前足で顔の毛づくろいをしていて、ムリッタはいつの間にか地面に伏せてあくびをしていた。


「え? もう帰ってしまうの?」

「うん、早く姉に花の蜜を飲ませたいし」

「そう、また遊びにいらしてくださいね」


 あたしは笑顔を見せてその場を去った。メイアトリィの笑顔で見送られながら。

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