第4話 女騎士の不満
ムリッタが顔を向けている道のさきをあたしは注意深く見た。白い霧からふたつの黒い影がこちらに向かってきているのが見えた。ひとつは猫の影、もうひとつは人の影をしている。
あたしはその影が来るのを堂々と待ち構えた。近づいて来ると猫の影が弾むようにこちらへ走ってきた。それはオレンジ色のトラ猫、ポノガだった。
「やあ、待った?」
「ポノガぁ、どこ行ってたんだ。僕たちずっと待っていたのにさ」
「ごめんごめん、近くにハートレルがいてよ、おいら捕まっちゃって、それでムリッタのところへ連れて行けって言われたからよー」
「なんだ、そうかーそれなら仕方ないさ」
やっと出会ったみたいな2匹のやり取りを裂くように、あたしは1歩踏み出して会話に割り込んだ。
「ポノガ、あんたねー遅いじゃない、それで食べ物は?」
手持ち無沙汰のように手を出して、ポノガが食べ物を渡してくるのを待った。忘れているみたいに首を傾げると、あたしもものまねのように首を傾げて見せた。ポノガはハッと思い出して開き直ったように答えた。
「ごめん、シャルピー遅くなって。食べ物を探しているときに見つかっちゃって持ってきてないんだ。なんとか理由をつけて逃げようとしたけど、ダメだったからよー」
そう言って、冷や汗でも拭うように前足で顔の毛づくろいをし始めた。
カチャ、カチャと足音が次第に大きくなってくる。あたしはその人物に目を向けた。
赤い鎧のような物を着て、背中には赤いマントをヒラヒラさせている。その背中には剣らしき物の柄を肩越しにのぞかせていた。
「ムリッタ、そんなところにいたのか?」
「は、はいハートレル様」
「ん? 見かけない顔だな、誰だ?」
あたしより身長がある彼女は、唐紅色のショートヘアーの頭に赤い装飾を施したヘアバンドみたいな物をつけていた。鋭い眼光があたしを見下ろす。そこから放たれる圧力をはじき返すように、にらみつけて言った。
「シャルピッシュよ。あんたね、こいつらのご主人様って人は?」
「そうだ、私はハートレルという者だ。なるほどな、ポノガから聞いた、お前は私に用があるそうだな?」
「ええ、あるわ、あたしをパジワッピーの花のところへ案内してもらえるかしら、蜜が欲しいの」
ハートレルは訝しい顔をしてポノガとムリッタを見た。
「私のしもべたちがなにかしたのか?」
「したわ、あたしたちの朝食を食べたのよ、勝手にね」
ハートレルの鋭い視線がポノガとムリッタに向けられる。2匹は目をパチパチさせて体が硬直したように動かなかった。
「そうか、それはすまないことをした、あとでしもべたちにはきつく言っておく、お詫びにパジワッピーの花のところへ案内してやる。それで許してやってくれ」
「それでいいわ、案内して」
「ついて来い」
ハートレルは振り返りパジワッピーの花が咲いている場所へ歩き出した。
魔法使いとか鎧を着た女騎士とかしゃべる犬や猫。願いを叶える花パジワッピーとか、現実では体験できない経験をしているけど、いちいち驚いてなんかいられないわ。今後なにが起きても柔軟に対応するのよ、あたし。
「シャルピッシュと言ったな、興味本位で聞きたいんだが、なぜパジワッピーの花をほしがる、つまり蜜を?」
「あたしの姉が半透明の体になったの、これを食べてね」
あたしはポケットから魔法使いのパンを取り出して見せた。ハートレルはパンの禍々しさを見ると一瞬渋い表情を見せた。あたしはパンを戻し話を続けた。
「姉はピクニックしている魔法使いからこのパンを盗んで食べたの、まあ、なにもされてなさそうだから、バレなかったんだと思うけど……」
魔法使いが姉をわざと逃がしたってことは……ないわよね。だってそうなると、すでにあたしたちの目の前に現れているはずだから。もしかしてハートレルに変身してる? 魔法使いだからなんでもできそうだし。
ムリッタの反応でハートレルはハートレルなんだろうけど、匂いまで同じにできたら、お手上げだわ。
「それでどうした?」
ハートレルはあたしの話が止まったのに気づいて、続きを促した。
「それであたしが返しに行ったけどそこにはもういなかったわ、帰ってきたらそこの2匹があたしたちの家で朝食を食べてて……」
あたしは2匹がついてきているか後ろを振り向いた。居心地が悪そうに地面を見ながら歩いている。
「……そのあと、姉にパジワッピーの花のことを得意げに話してたから、もしかしたらって思っただけよ、それと勝手にあたしたちの朝食を食べたお返しも兼ねてね」
2匹は明後日の方向を見てあたしと顔を合わせないようにしていた。
「パジワッピーの花の蜜を飲めば幸福になるんでしょ、もしかしたら治せるかもしれないじゃない、姉の体を」
小さなため息がハートレルからもれる。
「そうか、たしかに姉の体は花の蜜の効果で治るかもしれない。しかし、それが無理やり食わされたものならな」
「どういう意味よ」
「姉は魔法使いのパンを盗んで食べた、とういうことは姉は魔法使いにとって罪人だ、だから効果はないと思うが」
「罪を犯すとダメってわけ?」
「罪人の体を花の蜜でもとの姿に戻せるほど甘くはないということだ。それにそのパンは魔法使いの物なのだろう、ならば魔法使いに返して謝ったほうが早い」
たしかにそうだわ。パジワッピーの花よりパンを返して、魔法使いに姉の体をもとに戻してもらう方が確実そうね。でも魔法使いに会ったところでそれに応じてくれるかどうかだわ。
「わかったわ。じゃあその、魔法使いのところへ案内してよ。知ってるなら」
「残念だが私も奴の居場所は知らん……実は私も探しているのだ、魔法使いを」
「あんたも探してるの?」
「奴に盗まれたのだ、私の大事な思い出を。だから探している」
「おもいで?」
ハートレルは胸に手を当ててなにかを感じるように目をつぶった。それから首を振ってまた前を見据えた。
「それを思い出そうとしてもふわりとした記憶があって、それがなんなのかさえ思い出せない、だがそれはとても幸福な思い出だったような気がする」
思い出を欲しがる魔法使いって、変な魔法使いだわ。楽しかったこととか、うれしかったこととか、悲しかったことみたいな思い出ってないのかしら。
「魔法使いはなんであんたの思い出を盗んだの?」
「恐らくだが、私の思い出の幸福感を味わうためだろう」
「ふーん、そうなんだ。魔法使いってなんでもできるって思ってたけど、できないこともあるのね」
「たしか魔法では、思い出を作ることと食べ物、というか原材料を作ることができないらしい」
「らしい?」
「私のしもべたちに偵察させているとき、魔法使いがキャンプしている場所に遭遇して、そんなことをつぶやいていたと言っていた、だから私の思い出を欲しかったのだろう」
なーんだ、魔法使いも罪人じゃない。このハートレルの思い出を盗むくらいだから、とても幸福な思い出なんだわ、きっと。そんなことをする魔法使いに会って謝ったところで、すぐに姉の体をもとに戻してもらえるとは思えないわ。
「シャルピッシュ、私は魔法使いのところへは案内できないが、パジワッピーの花のところまでなら案内してやろう。そして蜜を姉のところへ持ち帰るとよい。効果は期待できないがやる価値はあるだろう。それに花のところで待っていれば、奴に会えるかもしれんからな、奴はパジワッピーの花を狙っているはずだから」
パジワッピーの花を狙っているって? 原材料にでもするのかしら。それとも……。
ハートレルの言い方だと、魔法使いと戦ったことがあるみたいね。だったら話くらいは聞いてもらえるはずだわ。……たぶん。
「うん、ありがと、でー、あたしもパジワッピーの花のことで聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「どうして、ポノガやムリッタに蜜を飲ませれば会話ができるようになると思ったの? 飲ませたんでしょ、蜜を」
「ああ、そうだ。だがそのために飲ませたわけじゃない、蜜の効果はその者によって違う。蜜は、その者の内側にある秘めたる思いや気づかない思いなどを蘇らせる効果もある」
うーん、単純に飲めば幸福になるってことではないのかしら。罪人には効果がないとも言ってるし。
ハートレルはあたしの考えこんでいる姿に一笑して続けた。
「私がそいつらに飲ませた理由はそんな内面を知るためだ。しもべとしてな。ポノガやムリッタの内面には私たちと会話できるようになりたいとか理解したい、そんなようなことを自分のなかの奥にしまっていて、すっかり忘れていたのだろう。それが蘇った、と私は思う」
内面にあるものって? こうなりたいってこと? それだと願いだよね。
「ふうん、じゃあ姉が飲んでも、自分の内にある思いがなんなのかわからないけど、体を治したいと思ってない限り無効ってことなのね」
「いや、少なくとも彼女の内面の扉は開き、それは幸福へと繋がるはずだが」
思っていた願いとは違うけど、それは少なくとも幸福への誘いみたいなものになるのかなぁ。
「ふーん、ややこしいわね。まあいいわ、飲ませる価値はあるってことでしょ」
「そういうことだ」
霧の森を抜けると、道は少し上り坂になっていき丘が見えてきた。草原が生い茂り木も所々まばらに立ち並び、霧もなく空には青空が見えて広く放たれた空間になっていた。
まんなかには重厚な木々が門構えのように堂々と立ち並んでいて、草原からそのさきへ入れば、別の空間が広がるみたいに隔ててあった。
日差しの眩しさに輝く木々や草や花。空に浮かぶ白い雲の影が草原を流れていく。そんな場所。
久しぶりに暖かな太陽の光だわ。いつも霧でさえぎられているから気にしなかったけど、こうしていると特別なものに感じるわ。
「あの木々の奥にパジワッピーの花が咲いている」
ハートレルはその方向に人差し指を向けた。そのとき、辺りの空気がよどみ、白と黒の渦が空中で回っていた。さっきまでの穏やかな風が白と黒の竜巻みたいなものによって、その場の空気が変わった。
ポノガとムリッタはあたしの前に出て姿勢を低くしている、それはなにかが来るのを待ち構えているような姿勢で、ハートレルもなにかを感じ取って身構えていた。
「どうしたの?」
「魔法使いが来る」
「え? 魔法使いが?」
バサバサと揺れる服に促されて、あたしはその竜巻を見上げた。
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