第3話 好きな虫と嫌いな虫

「さあ、案内しなさい」

『はいはい』


 2匹は同時に言葉を発した。ため息まじりに吐き出した言葉はすぐに辺りの霧に吸い込まれていった。相変わらずの霧。それほど深くはない霧。空の青さは白い雲で閉ざされたように見えなくなっている、幻想的な感覚はこの世界に来た初日に感じていたわ。


 そのことがいまだに変わってなくて、普段とは違う世界を見るのに飽きたって言えば嘘になるの、修行という形であたしたちを置いて行った両親にあたしは感謝しているわ。だって毎日退屈しない日々が続くんだから。


「じゃあ、おいらたちについてきなよ」


 2匹のあとについて行く。家の庭を出てから道幅が広いところを歩いて行く。左右にある木と木の間隔が道を広いものにしていた。木々は生い茂り、生命の大きさを物語るように、堂々とあたしたちの歩行を待ち構えていた。


 こうやって森のなかを歩いていると、空気がとても澄んでいることに気がつく。両親の家で生活をしていた頃は、空気というものを意識して吸ったことがなかった。当たり前すぎて、その存在に感謝することさえ忘れていたの。


 いつも当たり前にあるから気がつかなくなってしまうんだわ、きっと。


 こういうところに来ることで普段の日常からは解放されて、今までしてきた悪行みたいたことを修行という形で償わせてもらうの。別に悪いことをやってたわけじゃなくて、今まで生きてきた小さな悪ふざけを少しでも反省して更生できたらって思うの。


「ねえ、あんたたちこの森って、あたしたちみたいな人間っていないの?」

「にんげん? うーんおいらたち、ほかの人間は見たことねーなー、だってたまたま通りかかった家がシャルピーの家だったんだぜ、ラッキーって思ったよ」

「うん、僕たちは食事をするときに、ハートレル様から離れて食べ物を探しに行くんだ。それで家があったからなかに入って、食べ物を見つけたのさ」


「ふーんいないんだ。それよりあんたたち、あたしと会話しているけどほかの動物たちも会話できるの?」

「おいらたちは特別なんだ。ハートレルと会話をするためによ、パジワッピーの花の蜜を飲まされたんだ。それで、会話できるようになったってわけだ。わかっていると思うけどハートレルは人間だ」

「そうそう、僕たちの首根っこをつかんで無理やり飲ませてさ、あー嫌だ嫌だ」


 ハートレルって奴もなかなかの曲者ね。パジワッピーの花の蜜をもらうにはハートレルをなんとかさせる必要がありそうね。


「そのハートレルに許可をもらわないと、花の蜜をもらえないわけ?」

「うーん、しらねーよ、だっておいらたちそんなこと聞いたことねーし」

「ハートレル様は花を守る役目があるから、許可は必要だと僕は思うなー」


 参ったわね、どうにかして手に入れないと姉が半透明人間のままだわ。


「今度はおいらが質問する番だ。なんで花の蜜を手に入れたがる、あんなもんなくても生きていけるだろ?」

「気づかなかった? あたしの姉キャルフリーの体が半透明になっていたこと、その体を治したいのよ」


 2匹はお互い顔を見合わせて首を振った。


「はんとーめーって、あーゆー体だろう? キャル姉は?」

「僕たち気がついていたけど、そういう人なんだねって思っていたからさ」

「バカじゃないの。姉は病気なの、このパンのせいでね!」


 あたしは2匹に魔法使いのパンを見せつけた。


「このパンを食べたから、姉はあーなったの、わかる?」

「別にいーじゃねーか、だって体が透けてるんだぜ、裸で歩いたらちょっとやそっとでバレずにいろんなもん盗み放題よー」

「うんそれに、かくれんぼなんか絶対最後まで見つからないだろうね」

「あんたたち、もう一度言ってみな、このパンをあんたたちの口に詰め込んで窒息させてやるわ」


 2匹はあたしからピョンと離れて警戒した。あたしがなにもしてこないのを見てまたもとの位置に戻った。


「ごめん、もう言わねーから許してくれ」

「シャルピー、僕たち君を楽しませようと思ってわざと言ってたのさ」

「わざわざありがとう。怒る調味料を調達してくれて」


 あたしはポケットにパンを突っ込んだ。パタパタと鳥の羽ばたく音が聞こえた。鳥たちが食べ物を突いているところに、あたしたちが来たせいで遠くへ逃げて行ったんだわ。


 グーっとあたしのお腹が鳴った。そう言えば朝食を摂ってなかったわ。こいつらのせいで食べ損ねたんだわ、まったく。


「ねえ、あんたたち、お腹すいたわ。なにか食べ物持ってないの?」

「ん? 腹減ったのか? 残念だがおいらたちなんも持ってねーよ」

「僕たち、シャルピーの家で食べたから腹は減ってないさ」

「あんたたちのせいで食べ損なったのよ、持ってないならなにか見つけて来てよ」

「おいらたちが? そのパンを食べればいいじゃねーかー、魔法使いのパンをよ」

「そうさ、僕たち腹いっぱいだから、今はいらないのさ」


 あたしは2匹の前に出て進行をふさいだ。驚いて2匹は立ち止まった。


「あんたたち、大体あたしたちの朝食を盗み食いしておいて、なにも返さないつもり?」

「だからおいらたちは、シャルピーをパジワッピーの花のところまで案内してやるんじゃないか、それにはハートレルに会って許可をもらわないといけないしよー」

「そうだよ、僕たちはちゃんとハートレル様のところまでシャルピーを案内してあげるから安心なのさ」

「うるさいわね! いいからなにか食べ物を見つけて来なさいよ。じゃないとパンを喉に詰め込むわよ」


 2匹はお互いに顔を見合わせて、うなだれたように言った。


「わかったよ、おいらたちなにか食いもん見つけて来るよ」

「うん、そんなに腹減っているんだね。僕たちがなにか見つけて来るからさ」


 そう言って、2匹はこの場を去ろうとした。あたしはとっさに2匹を呼び止めた。


「待って、どっちかここに残ってもらうわ。そうねぇ……じゃあムリッタ、あんたはここに残りなさい、いいわね」

「え? 僕?」

「おいおい、食べ物は複数で取りに行ったほうが楽だぜー」

「ダメよ、逃げるかもしれないじゃない、ムリッタには残ってもらうわ」

「いじわるシャルピーっ!」

「なにか言った?」

「いや、なにも……わかったよ、おいらだけで見つけて来るよ」


 ポノガは素早く走り出して森の奥へ消えていった。


 あたしは近くにあった岩に座ってポノガが帰ってくるのを待った。こんなことになるなら、毎日してるようにちゃんと食事を摂っていればよかったわ。いつもと違うことが起きたせいで、忘れてしまったのね、きっと。


 (チュンチュン)と、鳥のさえずりが森のなかを行き交う。


 どのくらい待っているだろう。霧で覆われている世界を見ていると時間の感覚がなくなる。


 時間といっても、空が青白いときは朝で、白く明るいときは昼で、オレンジのときは夕方みたいに風景の色を見ればわかるの、大体はね。でも単純に30分経ったとか、1時間経ったとかはわからないわ。はぁ、こんなことなら懐中時計でも持って来ればよかったわ。


 ムリッタは待っているのに飽きたのか、その辺の石ころを転がして遊んだり、鳥が飛んできて地面を突いていたりすると、飛び掛かっていって、そして逃げられる。そんな光景をどれだけ見たのか。


 あたしは座っている位置から来た道とこれから進む道を見てみた。広い通りになっていて、その道には木と木のあいだに草が生えているところや土の見えているところもあった。


「はぁ、遅いわねぇ。なにやってるんだか、まったく」


 あたしは駆けずり回って遊んでいるムリッタを呼んだ。


「ねえ、ムリッタ」

「はぁはぁ……なに?」

「ポノガが遅いわ」

「あっそう言えば……でも、食べ物を見つけるのって大変なんだ。だって最近この森の食べ物って減っている気がするからさ」


「減っているってなに?」


「なんでかはわからないけど、いつも取れている場所に行ってもなにも落ちてないんだ、だから僕たちは食べ物探しをするときに手分けして探しに行くんだ、そっちのほうが見つかりやすいからさ」

「ふーん、あんたたちも大変ね」

「そうさ、だからシャルピーの家にあった食い物を見つけたときはうれしかったさ」


 過ぎたことをとやかく言わない。あたしが朝食を見つからない場所にしまっておけばよかっただけで、それをやらなかったのはあたしの油断が一番の原因だと思うから。


 ふあぁーっとあくびがあたしの脳を刺激する。退屈すぎて涙が出てくるわ。


「ねえ、ポノガがもう少しして帰って来なかったら、探しに行くわよ」

「僕は別にいいけど、どこへ探しに行くのさ?」

「ムリッタ、あんた犬でしょ? あんたの鼻でポノガの匂いを追うのよ」

「あ! そうか、僕は犬だったんだ」


 ムリッタはまた鳥が突いているところに突っ込んで行った。鳥は急いで羽ばたき白い霧の向こうに飛んで行った。あたしは手の甲になにかを感じて見てみた。そこには毛虫が1匹うねうねと這っていた。


「きゃー!」


 あたしはとっさに手を振って飛び上り、その場から離れた。


「なんなのよー!」

「どうしたのさ」


 ムリッタが尻尾を振りながら駆け寄ると、あたしを中心にクルクルと囲うように回った。


「虫よっ!」

「むしー?」


 ドキドキがまだ止まらない。あたしは虫が苦手なの。幼いころから虫に出くわすと恐怖を感じるの。さっきも血の気が引いたわ。


「あははは、シャルピーって虫が怖いんだね」

「ち、違うわよ、急に……いたから、驚いただけよ」

「ふーん、僕はね、寝ているときに背中を這っていても全然へーきなのさ、だって気にしてないもん」


「そう、あんたのことはどうでもいいのよ。それよりポノガを見つけに行くわよ」

「ええ、もう?」

「さっさとパジワッピーの花の蜜を手に入れたいの、ポノガを置いていって、あんただけでハートレルのところへ案内してもいいわ、できるわよね?」


「ぼ、僕だけで行くのは……ポノガがいないと……」

「ポノガがいないとなんなのよ?」

「僕だけがハートレル様に怒られるからさ、だからポノガを探してから行こうよ」


 小刻みに体が震えている。ハートレルが本当に怖いんだわ。ムリッタは座ったままその場から動こうとはしなかった。


「もしかして、あんたたちだけで変な計画を立ててたりしてないわよね」


 ムリッタは耳をパタパタとさせて首を振った。


「してないさ、シャルピーたちの朝食を食べたから、これは僕たちのお返しなのさ」

「わかったわ、じゃあポノガを見つけに行きましょ」


 あたしはムリッタを前に歩かせてそのあとについて行った。クンクンと地面を嗅ぎながらムリッタは歩いて行く。


 いつもだったら、いまごろは家で本読んだり絵を描いたりして。そしてお昼になったら、森に食べ物を取りに行くの、夜の分も含めてね。夜は暗いから見つからないし、ランプはあるけど霧であまり効果はないし、それに、面倒だわ。


「ん? 近い、ポノガの匂いが近づいて来るさ」

「ポノガが見つかったの?」

「うん、あっ!」

「どうしたの?」

 

 ムリッタはその場を跳ね回って、慌ただしく動いていた。そして急に止まるとあたしに焦った口調で言った。


「ポノガともうひとつ匂いがするのさ」

「もうひとつ?」

「……は、ハートレル様さー」

「ハートレル……」

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