九曜三之助の民話伝承編纂集
沙波
雪割草
第1話
S大学一回生の雪上 理来は四月某日、N県の山奥を歩いていた。
前を歩く、九曜 三之助に目をやる。
「九曜さん、まだですかね?」
駐車場に車を停め、道なき道をずいぶんと歩いて来たと思うが、時計を見ると歩き始めてからまだ小一時間程しか経っていないことに気が付いた。
豪雪地帯であるN県はもう四月だと言うのにまだ所々に雪が残っている。
先頭を行く九曜はぬかるんだ道にも関わらず、疲れなどおくびも見せずスタスタと歩みをすすめる。
前を歩く九曜に気付かれぬよう、ため息をついた。
なぜ、自分がこんなことをやっているのか、時々考える。
ゼミの教室で九曜が、自身の壮大な研究目標を語り、教授からなぜかその助手として指名を受けた。完全に貧乏くじをひいたと思った。
しかし、雪上自身でも不思議なのは、断ることは出来たはずなのに、それをしなかった自分自身に対してだ。
その理由について自分自身の中ではっきりとはまだわかっていない。
「ここら辺で一度、休憩しませんか?」
しばし歩いた所、少し大きめの声で呼びかけるとようやく九曜は足をとめた。
「君、俺よりも若いのに大丈夫かね?」
振り返ると、残念そうな表情で雪上を見た。
「若いから、代謝が良くって汗かくんです。水分補給ぐらいはさせてもらってもいいでしょう?」
雪上はそう言って、バックパックからペットボトルの飲料水を取り出した。
涼しい季節とは言え、薄手のダウンに荷物を背負って山道をのぼると流石に、背中に汗がにじむ。
九曜も同じようにペットボトルを取り出していた。
この中年は没頭すると他の事に意識がいかなくなるのようだ。
フィールドワークの前、事前調査と称して、大学の図書館で資料を探しや打ち合わせをした際、一切休憩や飲食を取らずに一心に作業を進める姿を知っている。
少し、休憩してはどうかと流石に聞いた。雪上が休憩したかった。
九曜は、君だけ休めばいいと言う。なぜそれほど集中できるのかと聞くと、きょとんとした顔をして、仕事の方がよっぽど大変だったと青い顔をしていたのを思い出す。
九曜は雪上と同じS大の一回生だが、年齢で言うと雪上よりも二十歳以上も年上だ。
こんな山奥で疲労や脱水症状で倒れられても非常に迷惑な話である。
そもそも、なぜこんな山奥に九曜と二人でいるのかというと、この辺りに伝わる雪割草について調査を行うためだ。
『雪割草だよ。昔、日蓮上人が歩いた道に雪割草が咲き誇ったという言い伝えがあってね。今でもその群生地があるそうなんだ。実際に現場を検証して、群生地とその言い伝えを現地の人に確認するのだ』
意気込むのはいいが、なぜ歩いていく必要があるのかはわかりかねた。
近くまで車で行けばいいと提案したがあったが、それじゃあ調査にならないと言われ却下された。
ペットボトルをしまうと、ため息交じりに歩みを再開する。
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